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発信者を特定する機能など使わなくとも、誰からかかってきた電話か判る。こういう勘は、めったに外れない。

特に、相手があの男の時は。

妹達が勝手に設定したクラシカルな着信音が鳴るのを聞きながら、コードは迷っていた。
手の中の携帯を見つめ、迷い、躊躇い――切れてしまいそうになる寸前で、フックをオンにする。
沈黙。
電話という文明の利器は、無音という状況を、これ程までに重い物にしてしまった……などと思いながら、相手の言葉を待つ。
「……ひよっ子か?」
待つ事にした筈だったのに、気づくとそう、言っていた。
『――済みません、師匠…』
小さな機械を通して届けられる甘い声。
部屋の片隅に座って、傷ついた眼をして俯いている姿が思い浮かぶ。
外見の派手やかさとは裏腹に、オラトリオが細やかで繊細な神経の持ち主である事を、コードは知っている。惹かれたのは、その繊細さの故だ。

「……用件は?」
殊更に事務的な口調を装って聞く。が、その試みが失敗しているのは、自分でも判った。
『――また……会えますか…?』
スケジュール帳に、コードは手を伸ばした。
「……いつだ?」
『俺の方は、いつでも』
生気を取り戻した声に、コードは苦笑した。
結局、未練があるのだ――それを、どれ程、否定しようとも。
「…今週末ならば、女どもは出掛けている――俺様、家に一人だ」
『だったら週末に伺いますよ――金曜の…10時頃では?』
コードの理性が答えを捜すまえに、身体は情熱的な愛撫を思い出していた。
「――判った。10時に」



互いの家に近づくのは避けていたので、オラトリオがコードの家に足を踏み入れるのは初めての事だった。
「良いお住まいですね」
へらりと笑った男の顔に、急に憎らしさがこみ上げる。
「用事があるならとっとと話せ。俺様は忙しい」
コードが言い捨てると、オラトリオは形の良い眉を幽かに顰めた。
そして、黙ったままコードを抱きしめる。
「――会いたかった……」
吐息のように甘く、罠のように切ない言葉。
躊躇いがちに触れて来る指のもどかしさに、コードは衒いを棄てた。

寝室まで行く間も惜しんで、二人はソファの上で身体を重ねた。
互いの唇を貪り、髪に指を絡め、肌の熱さを感じる。焦らされる快楽に身じろぎ、より深い繋がりを求め、互いを愛撫しあった。
時に強く、優しく。
時に激しく、意地悪く。
「――は……あッ……」
コードの唇から甘い声が漏れ、オラトリオをかきたてる。激しく奥部を刺激するとコードの身体が痙攣するように震え――そして、二人は同時に果てた。


鈍い金色の髪に指を絡めながら、コードはオラクルの事を思い出していた。
従兄弟だと聞いているが、顔立ちは兄弟以上に似通っている。そしてそれにも拘わらず、受ける印象は全く異なっている――対照的な程に。
オラトリオが太陽で、オラクルが月だと言えば、最も簡潔な説明になろうか……

「…お嬢さん方は、ご旅行ですか」
心臓の鼓動が落ち着くと、相手をかき抱いたまま、オラトリオは聞いた。
「婆様と4人で、両親の所に行っている」
コードは、祖母と3人の妹と共に住んでいる。両親は仕事の都合で外国暮らしだ。
兄弟の多い大家族で育ち、両親が外国にいる点は、オラトリオも同じだ。そんな共通点が、二人の間に親密な関係をもたらした最初のきっかけだった。
「だったら…暫く戻らない?」
「ああ…1週間は帰って来ない」
コードの言葉に、オラトリオは軽く笑った。
「それじゃ、今日は泊まって行っても良いですよね?」
嬉しそうな男の言葉に、コードは苦笑した。
まるで、以前の関係に戻ったかのようだ――もう二度と、会うまいと思っていたのに。
「…お前の家の方は良いのか?」
「仕事で出張なんだって言ってあるんすよ」
道理で此処に来た時に、荷物が多かったのだとコードは思った。
「俺様は泊まって良いなぞと言って無かったぞ」
「その時はその時――駄目なら何とかしますよ」
「根っから楽天的な男だな、お前は」
コードの言葉に、オラトリオは悪びれもせず、笑った。

オラトリオの携帯が鳴ったのは、その時だった。

発信者を特定する機能など使わなくとも、誰からかかってきた電話か判る。
こういう勘は、めったに外れない。

軽やかな音楽がぷつりと切れるまで、オラトリオは小さな機械を見つめていた。

それでも俺は、お前が

言う積もりだった――言えなかった――言葉。
言える筈が無いのだ。オラクルに想いを告げるなど、永遠に出来る筈がない。
それならば……

「オラトリ――」
コードの言葉を、オラトリオは口づけで封じた。それ以上をコードが続けようとする前に、その身体を抱き上げる。
「…で、部屋はどっちなんです?」





10日後。
「……口に合わなかったのか?」
半分以上の料理を残した相手に、オラトリオは聞いた。
「お前の料理が口に合わなかった事なんて、無いよ」
幽かに微笑して、オラクルは言った。そして、ただ食べたくないだけ、と付け加える。
月に1、2度、オラトリオ達の家にオラクルが食事をしに来るのは、以前からの習慣だ。その習慣を変える気は、オラクルにもオラトリオにも無かった。
ただ今回は、誘いの電話をかけたのはオラトリオではなくシグナルだったが。
「暑かったり寒かったり、おかしな天気だからな。気をつけた方が良い」
常にポーカーフェイスのラヴェンダーが、矢張りにこりともせずに言った。それでも、身体の弱い従兄弟を労る気持ちは口調に現れている。その気持ちに応えるように、オラクルは優しく微笑んだ。

「オラクル、また宿題、教えてな」
「オラクル君、また一緒に遊びましょう」
食事が済み、暫く寛いでちびが寝る頃になると、オラクルはシグナルたちに名残を惜しまれながら、リビングを出た。その後を、オラトリオが追う。
「送ってくぜ」
すぐに車のキーを取ってくるからと言うオラトリオに、オラクルはありがとう、と微笑った。
全て、以前と変わらない光景。

だが、以前通りだったのはそこまでだった。
オラトリオと二人きりになると、オラクルは一言も口をきこうとしなかった。車の窓から外を眺め、話し掛けるきっかけも与えない。
オラトリオは迷ったが、結局オラクルに話し掛ける事はしなかった。当たり障りの無い世間話などしかけても、答えてくれそうに無い。

どうにか出来るものなら、どうにかしてやりたかった。
子供の頃の記憶が、今もオラクルを苛んでいる。けれども、自分がどうにかしようと足掻けば足掻くほど、オラクルを傷つけてしまうだけなのが判っている。

だから、お前は俺が嫌いなんだ…な

無言の呟きは、酷く苦かった。



「コードとまだ付き合っているんだ」
マンションの前まで来ると、突然、オラクルは言った。
コードの家族が不在な間、オラトリオは何度か恋人に会いに行っていた。その後は会っていないが、そうは言っても、最後に会ってから、まだ1週間も経っていない。
「意外だな」
まっすぐ前を見たまま、半ば独り言の様に、オラクルは言った。
「私とコードの間に何があったか、お前は聞いてないのか?」
「……オラクル。あん時の事は――」
「あの後も、もう一度、会ったよ」
呟くような、平淡な口調のまま、オラクルは続けた。
「意外に、誰とでも寝るんだな、コードは。誘ったら、簡単に私の部屋に来たよ」
まさか、と言いかけて、オラトリオは言葉を飲み込んだ。それがいつの事だったのか聞き糾したい気持ちを、何とか抑える。
「最初の時、薬を使ったから、それが良かったのかもね」
言って、オラクルは軽く笑った。それとも、と、愉しそうに続ける。
「縛られるのが好きなのかな。ちょっと虐めたら、結構、悦んでたし」

信じられない思いで、オラトリオは従兄弟の――双子の兄の――横顔を見つめた。
いつも穏やかで、誰に対しても優しくて……およそ冷酷さとは無縁な存在なのだと、ずっと信じていた。
時折、意地の悪い仕打ちを受けるようになってからでも、それは変わらなかった。そしてオラクルの告白を聞いてからは、それすらも冷酷さでは無く、『仕方の無い事』だと思うようになっていた。
改めて、オラトリオは自分の甘さを思い知った。
オラクルに想いを告げる事は諦め、以前通りの従兄弟同士でいようなどと、愚かしい考えでいた。そんな事が出来ると、そんな事が赦されると思っていたなどと。
以前通りになど、なれる訳が無かったのだ。以前の習慣を繰り返してみても、過ぎ去った日々は戻って来ない。
何も知らず何も気付かず、無邪気にもオラクルを想っていた日々は。

「……てくれ」
喉の奥から絞り出されたような声に、オラクルは相手を見た。
「お前が俺を嫌う気持ちは判る。だが…だからって、コードまで巻き添えにするのは止めてくれ」
ぴくりと、オラクルの頬が震えた――オラトリオは気付かなかったが。

気持ちは判る?――冗談じゃ無い

「――ねえ…オラトリオ?」
優しい、いっそ甘いとも言える口調で、オラクルは相手の名を呼んだ。
「頼みたい事があるんだけれど」
「あ…あ。お前の望みだったら」
蜜の中に仕込まれた鋭利な刃物に気付きながら、まるで条件反射のように、オラトリオは答えていた。
「コードを、私にくれないか?」
言って、オラクルはもう一度、優しく微笑んだ。




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