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傍らで眠っているオラクルの横顔を見つめ、どうしてこんな事になったのだろうと、コードは思った。
会ったのは偶然だった。コードは剣道の試合に立ち会った帰りで、オラクルはクライアントとの打ち合わせに行ってきた所だとか言っていた。
一緒にお茶でも飲まないか?
悪びれもせず、オラクルは言った。その態度は、信じられないほどにさり気なく、二人の――と言うより、三人の――間に、あんな事があったとは思えない程だった。
オラクルが気に入っているという喫茶店で、二人は紅茶を飲んだ。確かに店の雰囲気は良く、紅茶の種類も豊富でとても美味しかった。
それでも、落ち着つけも楽しめもしなかったが。
この後、予定でもあるの?
コードが帰る口実を捜そうとしていた時、そう、オラクルは聞いた。心中を見透かされたように、コードは感じた。
…別に、何も
短く、コードは答えた。その言葉に、オラクルは嬉しそうに――確かにそう、見えた――微笑んだ。
だったら、うちに来ないか?
ベッドの上で寝返りを打ち、コードは軽く溜息を吐いた。
不十分な前戯、事務的な愛撫……。
オラトリオの情熱に慣らされた身体は、オラクルの与えたものでは到底、満足できなかった。オラクルは見るからに体力が無さそうだし、この程度が限界なのだろう。初めての時にはコードを散々に弄んだが、そんな興味も、最早失せたようだった。
傍らで眠っているオラクルの横顔を、コードはもう一度、見つめた。
透けるように白い肌。
癖の無い、ヘーゼルブラウンの髪…。
こうして無防備に眠っているオラクルの姿は、ひどく脆弱で、どこか幼い印象を与えた。
もう一度、溜息を吐き、コードはベッドから離れた。
確かに、オラクルには興味があった。危うい誘いにのったのは、そのせいだ。
オラトリオと恋人同士であった頃に、何度と無く思い知らされた。オラトリオが誰よりも大切に思っているのは、他ならぬオラクルなのだ、と。
嫉妬をかきたてられると共に興味も湧いた。
それ程までにオラトリオの心を占めるのは、一体、どんな相手なのか…と。
シャワーを浴び、勝手にタオルを使った。オラクルは不快に思うかも知れないが、どうでも良かった。
結局、自分とオラクルの間には、優しい気持ちなど何も無いのだ――当然の事だが。
疲れて眠り込んだオラクルの姿を見ても、労る気持ちも起きない。自分に満足を与えてくれなかった相手を不満に思うだけだ。
もしも、これがオラトリオなら――
自嘲に、コードは口元を幽かに歪めた。
あの後、オラトリオからは何の連絡もない。見かけによらずまめな男の性格を思えば、それは明らかな拒絶以外の何物でも無かった。
これ以上、貴様に甘えられるのは御免だ
自分の言葉が、奇妙な苦さと共に脳裏に蘇る。
オラトリオの甘えはいつも、媚薬の様にコードを酔わせた。他の誰かの前では決して見せないであろう弱みを、オラトリオはコードには晒していた。頼られ、甘えられる事は重荷であると同時に快楽でもあり、コードの矜持をくすぐった。
それが、いかに脆い均衡であった事か――
寝室に戻り、服を着終わっても、オラクルは目を覚まさなかった。
まるで…死んでいるみたいだ
そう、コードは思った。それ程、オラクルの寝顔は奇麗だった。
身をかがめ、コードはオラクルの唇に、冷たいキスを落とした。そして、部屋を出て行った。
流し込んだストレートのバーボンが喉と空っぽの胃を焼く感覚に、オラトリオは幽かに眉を顰めた。
気が済んだか?
オラクルの口調は平淡で、表情は冷たかった。
あんな言葉が聞きたかった訳じゃない――それを予想もしていなかった自分の愚かしさと甘さを苦く嘲る。
心のどこかで期待していたのだ。オラクルに嫌われているなどというのは自分の思い込みで、オラクルはただ、時折の不機嫌のはけ口を、最も身近な相手に求めていただけなのだ…と。
だから貴様はひよっ子だと言うんだ
コードの言葉が脳裏に蘇る。付き合っていた頃、何度かそう、言われた。その度にオラトリオは、自分に多少、甘いところがあるとしても、コードの考え方がシニカル過ぎるのだと思った――それを、コードに言った事は無かったが。
私は、お前が嫌いだよ
鈍く、胸が痛む。
もう一度、バーボンを流し込む。が、今度は何も感じなかった。
25年もの間、何も知らず、何も気付かずにいただなんて、自分の迂闊さを責めるより、むしろ信じられない気持ちだった。
誰よりも何よりも大切な、かけがえのないたった一人の相手――そのひとの深い苦しみに、気づく事も出来なかった。
穏やかな微笑みが冷酷な光に歪む理由を、知ろうとする勇気も無かった。
それでも俺は、お前が好きだ
言う積もりだった――言えなかった――言葉。
それでも俺は
私はお前が
お前が好きだ
嫌いだよ
今までも、これからも
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