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「……比較の対象じゃ、無いですよ」
オラトリオの言葉に、コードの口元が歪んだ。
聞かなくとも判っていた答え――それでも、違う言葉を望んでいた。
「…あいつとはガキの頃からずっと一緒に育って、兄弟以上に――」
「もう、良い」
コードは、相手の言葉を遮った。
「そうやって貴様が逃げたいなら、勝手にしろ」
「コード……。俺は――」
「これ以上、貴様に甘えられるのは御免だ」
静かに、コードは言った。暗いせいで相手の表情が読めないのが、せめてもの救いだ。
踵を返し、コードは歩み去った。
オラトリオは止めなかった。
オラトリオがオラクルに電話したのは、2週間後の事だった。
『ちょっと寄って良いか?――話したい事がある』
オラトリオが言ったのは、そんなごくありふれた言葉だった。それでも、来るべき時が来たのだと、オラクルは思った。
「…良いよ。どのくらいで来られる?」
『今、お前のマンションの前にいるんだ』
オラクルは窓辺に歩み寄り、外を見た。夕方の薄闇の中でも、人目を引く長身は、すぐに見分けがついた。
「…上がってくれば?」
オラクルの住まいは6階にあるが、オラトリオはエレベータを使わず階段を昇った。
小さい時から大好きだった、大切な従兄弟。
学校も同じだし、家も近所だから、いつも一緒に過ごした。オラクルは身体が弱くてよく学校を休んだが、そんな時にもオラトリオは必ずオラクルに会いに行った。宿題のプリントを渡し、その日、学校であった出来事を話し、一緒にテレビを見たり、ゲームをして過ごした。
オラトリオはオラクルと一緒にいられればそれだけで嬉しかったし、オラクルも楽しそうだった。二人の仲がとても良い事は学校でも近所でも知らぬ者もない程で、オラトリオはそれを誇らしくすら思っていた。
何かが変わってしまったと気付いたのは、いつの事だったろう…?
いつも優しいオラクルが、時折、残酷な貌を見せるようになったのは
オラトリオに平然と嘘をつくようになったのは
無理難題を吹っかけ、オラトリオが困惑するのを愉しむようになったのは
一体、いつからだろう……
初めは、何らかの理由で、オラクルの機嫌が悪いだけなのだろうと、オラトリオは思っていた。けれども、オラクルが冷たく当たるのが自分にだけだと気付くまで、長くはかからなかった。
それが何故なのか、オラトリオには判らなかった。オラクルを怒らせたり、嫌われるような事をしてしまったのかと悩みもした。
が、思い当たる事は何も無かった。
それでも普段のオラクルは優しかったから、オラトリオは以前と変わらぬ態度でオラクルと接した。ごくたまに、オラクルの我侭に振り回されたり、冷酷さに傷つく事はあったが。
今までずっと、その事から目を逸らしていた。
けれども、これ以上は自分を誤魔化しきれない。
そうやって貴様が逃げたいなら、勝手にしろ
階段の途中で、オラトリオは脚を止めた。
皮肉な話だ。
コードの――あの日までは恋人だった筈の相手の――言葉で、自分の気持ちに気付いたなどと。
正直に言えば、自覚は前からあった。ただ、それを否定し、抑圧していただけで。
再び歩き出しながら、オラトリオは迷っていた。もう、2週間も躊躇い続け、仕事でミスを重ね、食欲も無く、このままではいけないと、決心した筈だったのに。
それでも、オラトリオの脚は、正確な歩調でオラクルの部屋に近づいて行った。
ドアの前に立ち、チャイムを鳴らす。
音も無くドアが開いた時、後戻りは出来ないと、思った。
「お茶は?」
リビングに戻ると、にこりともせずに、オラクルは聞いた。オラトリオの話が、少なくとも楽しい物でないのは明らかだった。
黙ったまま、オラトリオは首を横に振った。
「……私は飲むけど」
言って、オラクルはキッチンに入った。
自分の分だけ紅茶をいれて戻って来ると、オラクルはオラトリオの向かいに座った。
「話って?」
相手の言葉を促すには冷たい口調で、オラクルは言った。オラトリオは視線を落とし、自分の手を見つめていた。
「――俺は…お前に何かしたのか…?」
低く、オラトリオは言った。
美しい声だった。それが、オラクルの癪に障る。
「何の話だ?」
「お前に嫌われるような事を、俺は何かしたのか?」
視線を上げ、まっすぐに相手を見て、オラトリオは言った。
来るべき時が来たのだと、もう一度、オラクルは思った。
これ以上は誤魔化す事も逃げ続ける事も出来ない――自分からも、現実からも。
「…コードとの事を言っているなら――」
「そんな事じゃ無い。お前と師匠の間に何があったかなんぞ、どうでも良い」
それでもオラクルはまだ話を逸らそうとし、オラトリオはそれを遮った。
軽く、オラクルは肩を竦める。
「それは…コードに対して薄情過ぎるんじゃないか?」
「あの人には――悪い事をしたと思うぜ…」
視線を落とし、オラトリオは言った。
俺様とオラクルと、どちらが大事だ……?
コードの言葉が、脳裏に蘇る。常に冷静で、尊大なまでに誇り高い人に似合わず、その語尾は掠れていた。
「それより」
と、相手に視線を戻し、オラトリオは続けた。
「質問に答えてくれ。俺は、お前に嫌われるような事をしたのか?」
答える代わりに、オラクルは目を逸らした。苛立たしげに、軽く髪をかき上げて。
「…何が言いたいんだか、判らないよ」
「なあ…もう、誤魔化すのは止めにしねえか?」
静かに、オラトリオは言った。そうしてオラトリオが落ち着いて見える事も、オラクルの神経を逆撫でした。
「私がお前を嫌っているって、そうお前は思い込んでいるんだな?それでその理由を知りたがっている?」
「ああ。理由が聞きたい。そして――俺が思い込んでるだけじゃねえぜ」
冷淡な態度や我侭な要求――それだけならば、オラトリオもここまでは悩まなかっただろう。
オラクルがオラトリオにした仕打ちはそれ以上だった。
「やっぱり…コードとの事で恨んでるんだろう?」
「3年前、俺のアカウントから勝手にメールを送ったのはお前だろ」
オラトリオの言葉に、オラクルは幽かに口元を歪め、冷笑った。
何者かが勝手に送ったメールのせいで、オラトリオは当時つきあっていた恋人と、ある企業への就職内定を失った。今こうしてフリーランスで働いているのもそのせいだ。
「3年も前の事じゃないか」
「…!お前は――」
「大体、パスワードを他人に教えたりした方が悪いんだよ」
オラトリオは、思わず拳を握り締めた。
「……お前は他人なんかじゃ無い」
「確かに血の繋がりはあるけどね。だったらパルスやシグナルにも――」
「お前だから、教えたんだ。お前を…信頼しているから」
……比較の対象じゃ、無いですよ
コードに言った言葉が、オラトリオの脳裏に蘇る。
誰も、比較になどならない。
従兄弟だからでも子供の頃、仲が良かったからでも無い。
唯ひとりの、たった一人のかけがえの無い相手――
「…今更、3年も前の話を持ち出して、私にどうしろって言うんだ?」
もう一度、オラクルは苛立たしげに髪をかきあげた。
「3年前の事もこの間のコードとの事も含めて…だ。お前は俺を嫌っている。でなきゃ、あんな事、する筈がないぜ。だから――」
理由が聞きたい……
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