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物心つく前から、奉仕する事を強要され、教えられ、強いられ、叩き込まれた。
別に、それはそれで構わなかった。むしろ、『彼』に悦んで貰えるのが嬉しかった――たとえ厭だと思おうと、選択の余地は無かったが。



「…来る前に電話してくれれば良かったのに」
困惑したように幽かに眉を顰めて言った相手の姿に、クォータはむしろ、血が騒ぐ程の歓びを感じた。
「済みません――お邪魔なら、このまま帰りますが?」
控えめに言うと、オラクルは軽く溜息を吐いた。
「…良いよ――入って」

クォータが半ば強引にオラクルとの間に『関係』を作ってから、まだひと月も経っていない。が、オラクルが既に自分に飽き始めている事を、クォータは感じていた。
オラクルを『手放す』気は、彼には無かった。そしてオラクルを引き留める為なら、手段を選ぶ積もりも無かった。
「珍しい紅茶が手に入ったので、お持ちしましたよ――お気に召すかどうかは判りませんが」
リビングに落ち着くと、クォータは言った。オラクルが興味を示したのを見て密かにほくそえんだが、それを表には現さない。
「――これ…本物?マハラジャの為のブレンドで、輸出は一切、していない筈じゃ…」
奇麗にラッピングされた箱に収められた陶器の容器に、やや驚いたようにオラクルは言った。
「セイロンに旅行した知人に手に入れて貰ったのですよ。インドではマハラジャ専用でも、セイロンではその限りではない様です」
「随分、紅茶に詳しいんだな」
このブレンドの事を知っている人なんて、滅多にいないと、オラクルは独り言のように呟いた。
「私を育てたのは好事家(ジレッタント)でしたから。特に口に入れる物の好みには煩かったですよ」
「――育てた…って…」
「親権者ですよ。籍には入れて貰えなかったので、養父とは呼べませんが」
オラクルの表情が微妙に変わるのを、クォータは見逃さなかった。
オラクルの両親が10年前に事故死しているのは知っている。オラクルが彼らに対し、どんな感情を抱いているのかまでは判らないが。
「捨て子だったんですよ、私は。児童福祉施設――要するに孤児院――のドアの前に、段ボール箱に入れて棄ててあったそうです」

イヌかネコの仔みたいに

オラクルは視線を逸らした。
幽かに、クォータは笑った。
「雪の日の事でしたから、職員が気付くのがもう少し遅ければ、死んでいたらしいですね。尤も…その後の事を思えば、その時に死んでいた方がマシだったかもしれませんが」
「その後の事……?」
これ以上、聞きたくない――そう思っている筈なのに、オラクルの唇からは意志に反した言葉が漏れた。
「あの孤児院では、子供を児童売春の業者に売っていたのですよ――正確に言えば、レンタルしていた訳ですが」
凍り付いたように自分を見つめる相手の姿に、クォータは歓びを覚えた。
今までにこの話を聞かせた何人かと同じ反応だ。
驚きと、自分自身が汚されたかのような嫌悪……
「あの施設には7歳までいました。7歳の時に、『親権者』に引き取られて――」
途中で、クォータは言葉を切った。
「済みません。こんな話をお聞かせしてしまって」
微笑して、クォータは続けた。
「でも私はただ…あなたに私の事を、もっと知って頂きたかっただけなのです」
クォータの言葉に、オラクルは何も言わなかった。そして、もう一度、視線を逸らす。
「あなたは――」
絡み付くような優しい声で、クォータは言った。
「幸せな家庭で育ったのでしょうね…?」








「…クワイエット?」
ここ――街外れのショットバー――で会うなどと思ってもいなかった相手の姿に、オラトリオは言った。大学時代の旧知は振り向くと、意外にも自分の隣のスツールを示した。
抗う事無く、オラトリオはその席に腰を降ろした。
「……独りで飲む積もりだったんだけれどな」
言ってから、オラトリオは後悔した。だが、クワイエットは気にしていない様だった。
昔から、そういう奴だ。
「俺が誰かに愚痴りたくなるのは年に一度しか無い。だから、付き合え」
独り言のように、クワイエットは言った。それ程、遅い時間でも無いのに、彼はもう、”出来上がって”いるらしかった。
「…お前にもそんな日があるんだな」
「当たり前だろう――人間なんだから」
言ってしまってから、クワイエットは自分の言葉を後悔したらしかった――オラトリオもだが。
眉を顰め、グラスを呷る。
「……馬鹿な事を言った」
「嫌…俺の方こそ」
オラトリオの言葉に、クワイエットは相手を見た。本当に見ていたのかどうか、彼にもオラトリオにも判らなかった。
「……遠縁の子だった。偶然、大学が一緒になるまでは、お互いの存在も知らないような」
黙ったまま、オラトリオはグラスを傾けた。
「あの子が入学した時に、ちょっとだけ校内を案内した。それだけだった。それが――秋になった時、相談を持ち掛けられた」
クワイエットはグラスを空にし、お代わりを注文してから、続けた。
「その時、俺は、自分の身の振り方で手いっぱいで――充分に、あの娘(こ)の話を聞いてやれなかった」
オラトリオは、急激に酔いが覚めるような、厭な気分を味わった。
が、どうする事もできない。
「それを後悔したのは――あの子が自殺しちまってからだった……」

鉛を呑まされたような重苦しさを、オラトリは覚えた。
そして想ったのは、何故かオラクルの事だった。

「……それは――」
お前のせいじゃ無いだろうと、言う積もりの言葉が喉につかえた。
仕方なく黙ったまま、オラトリオは相手の言葉を待った。
「好きな人の事で相談したいと、彼女は言ってた。それにしちゃ、浮かれた様子も何も無いと――その時、気付くべきだった」
低くうめくように言って、クワイエットはグラスの酒を呷った。
「俺には判らない。何で彼女が…あんな奴の為に自殺しちまったのか」
唇を噛み締めるクワイエットの姿に、オラトリオはだが別な不安を感じていた。
「その……相手の男の名前は何て言うんだ?」
冷たい視線を、クワイエットは大学時代の旧友に向けた。そして、言った。
「俺の記憶に間違いが無ければ――クォータだ」








それが何を意味するのか、そもそも何かを意味しうるのか、オラトリオには判らなかった。
ただ、不安で仕方が無く、いてもたってもいられなかった。
それで、クォータの事を調べた。
著名人でもない相手の事を調べるのは容易では無い。本人に知られないようにしなければならないから、クォータが勤める出版社に問い合わせる訳にもいかない。
それでも、クォータが孤児だったたことは判った。が、その先が進まない。
そうこうしている内に、以前、何度か一緒に仕事をしたフリーのカメラマンから連絡が入った。クォータの事を調べているらしいが、それならば『彼女』に会え…と。
『彼女』は、オラトリオと同じフリーライターだった。紹介したカメラマンの口調によれば、幾分かアングラ寄りの仕事をしているらしかったが。

「それで?どんな見返りが貰えるのかしら?」
指定した店に現れるなり、彼女は言った。流行のファッションに身を包み、整った顔立ちをした彼女の印象が、その言葉でいっぺんに悪くなったのは確かだった。
それでも、人と会って話しをする以上、それを自分の仕事に繋げようと考えるのはフリーライターとしては当然だろう。彼女をオラトリオに紹介したカメラマンも、便宜を図った事への見返りは期待している筈だ――露骨に言わなかっただけで。
「記事にする為に奴の事を調べている訳じゃない。正直言って、あんたに約束できそうな見返りは何も無い」
オラトリオの言葉に、彼女――クリスと名乗った――は喉を鳴らすようにして笑った。
「そういう時は、でっちあげてでも期待を持たせておくのがお約束でしょ?――まあ、良いわ。じゃあ正直ついでに――あなたがクォータの事を調べてる理由は何なの?」
それまでにも、何度か同じ質問はされた。そしてその度に、適当に話を誤魔化した。
が、彼女には、その手は通用しそうになかった。
オラトリオは偶然、クワイエットに会った事から始めて、名前以外の全てを包み隠さずに話した。ただオラクルの事は、従兄弟ではなく、友人としか言わなかったし、性別を特定できる言い方もしなかったが。

「それ…いつの話?」
眉を顰め、クリスは聞いた。3年前だと、オラトリオは答えた。オラトリオが偶然、クワイエットに会った日のちょうど3年前に、その子は自殺していた。
「まだ、そんな事が……」
独り言のように、彼女は呟いた。それから、まっすぐにオラトリオを見る。
「私のケースでは4年前よ。私の友人の妹が自殺した。その時、彼女が付き合ってた男がクォータだった――」
妹の自殺の原因を知りたがった友人に頼まれて、クォータの事を調べたのだとクリスは話し始めた。
「私はライターであって、探偵じゃないけど。ともかく、クォータが孤児だったって事くらいはあなたも調べたわよね?そこの孤児院が、虐待で告発されたっていうのも?」
オラトリオは首を横に振った。そして、クォータがいた施設の名前も判ってはいないと付け加えた。その言葉に、クリスは幾分か満足そうに笑った。
「事件は18年も前の事だけど、大変なスキャンダルだったそうよ。何しろ身寄りの無い子供の為の『福祉施設』が、子供たちに売春させてたんだから」
オラトリオは胃が重苦しくなるのを覚えながら、話の続きを待った。
クリスはグラスに口をつけ、ブラディ・メアリを一口すすった。そして、続ける。
「事件がきっかけで、そこの子供たちは余所に移されたり、里親に引き取られたりした。クォータも、その時に引き取られたわ」
「里親…って、養子にはしなかったのか?」
クリスは、軽く肩を竦めた。
「同情はしてもね。そんなトラウマを持った子供を、わざわざ自分たちの子にしようって奇特な人間はいないんじゃ無いの?――そう、滅多には」
それどころか、と、苦い笑みと共に、彼女は続けた。
「クォータを引き取った男は、同情のかけらも持ち合わせてはいなかったようね。クォータを引き取ったのは、男に身体を売らせる為だったらしいから」
「……ヒモって訳か」
「それがね、その男はクォータを大学にまで行かせてやってる。でも養子にはしていないし、結構な資産家だったのに、遺産をクォータには遺していないのよ」
その男が死んだのは5年前なのだけれどと言ってから、彼女は言葉を切った。そして、意味ありげにオラトリオを見る。

自殺だったのよ

「…っと待ってくれ。3年から5年前の間に、クォータと関わりのあった3人の人間が自殺したって言うのか?」
「私の知る限りでは。でも3年前のケースはたった今、知ったんだし、もしかしたら……」
背筋に冷水を浴びせられたような感覚を、オラトリオは覚えた。




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