
-8-
「__さん、オラクルさん…」
「っ……厭だ、離……」
自分の肩を掴んでいる相手の腕を、オラクルは振り払った。そして、何とか逃れようと身を翻す。
「__痛っ……!」
足首の痛みに、オラクルはその場に蹲った。
「オラクルさん、落ち着いて下さい。ここは病院です」
「……何……」
若い女の言葉に、オラクルは漸く相手があの少年では無いことに気づいた。そして、改めて周囲を見回す。
花の写真が飾られた小さな部屋。
白いシーツ。
消毒薬と薬の匂い__
「………エル__じゃない。エララ………?」
名を呼ばれ、僅かに安堵しながらエララは頷いた。そうしながら、ナースコールのブザーをオラクルに気づかれないように押す。
「ベッドに戻ってくださいね?でないと足の怪我に障りますし、風邪をひいてしまいますわ」
穏やかに、エララは言った。が、オラクルはまだ怯えているのか、動こうとしない。
「どうしたの?」
ナースコールに応じて現れた年配の看護婦が聞いた。
「オラクルさん__この患者さんが酷く魘されていたので無理に起こしてしまったのですけど、眼が覚めてもまだ怯えてらして……」
先に医師を呼ぶべきだったのだろうと反省しながら、エララは答えた。
姉のエモーションから、どこかでオラクルを見かけたらすぐに連絡するように言われている。が、こんな所でこんな風にして会うとは思ってもいなかった。
「あなたは先生を呼んできて」
「あ__はい」
エモーションが小走りに病室を出てゆくと、年配の看護婦はゆっくりとオラクルに向き直った。
穏やかに微笑み、ふくよかな両腕を広げる。
「さあ……もう、大丈夫よ?」
エモーションがエララからの連絡を受けたのは午後になってからだった。
すぐに、エモーションは病院に駆けつけた。仕事中の妹には会えなかったが__エララは、この病院で看護婦として働いている__オラクルに面会することは難なく許可された。
「オラクル様…?」
ノックしてから充分に間を置いて、エモーションはドアを開けた。
そして、そっと相手の名を呼ぶ。
オラクルはベッドの上に半身を起こして座り、入ってきたエモーションを見遣った。エモーションは微笑んだが、オラクルは視線を逸らしただけだった。
「お見舞いに参りましたの。怪我をなさったと伺いましたけれど」
言って、エモーションは部屋の中を見回した。が、途中で買ってきた花を活けられるような花瓶はなかった。
オラクルは口を噤んだままでいた。
エモーションがコードの妹であると判った以上、今までと同じように接する事など出来ない。
「…お怪我の具合は如何ですの?」
相手の沈黙を息苦しく思いながら、エモーションは尋ねた。だが、オラクルは何も言わない。
街はずれの道端で倒れていたのを、たまたま車で通りがかった人が見つけてこの病院に運んで来たのだと、エモーションは妹から聞いていた。
何があったのかは判らない。結局、オラトリオは「喧嘩をしただけ」としか言わなかった。
だが、それが全てだとは矢張り考えられない。
「__私は……兄とは違います」
僅かに躊躇った末、エモーションは言った。
オラクルは相手を瞥見し、再び視線を落とす。
「でも…知っているんでしょう?」
私が、クローンだって
「__ええ……。ですが__」
「最初から、知ってたの?」
オラクルの問いに、エモーションは首を横に振った。
それを見て、オラクルは寂しげに、そして苦く笑った。
「そうだよね…。最初からクローンだなんて知ってたら、優しくしてはくれなかっただろうから」
「そんな事はありませんわ。クローン技術で生み出されたのであろうと、人間(ひと)である事に変わりはありません」
きっぱりと、まるで言い聞かせるかのような口調でエモーションは言った。
クローン技術に関して何かを読んだり耳にするたびに、同じ言葉をエモーションは心中で繰り返してきた。だが、それを口に出した事は殆どない。
「全ての遺伝情報が同じでも、別の人格、別の人間です。誰かのコピーなんかじゃありませんわ」
「……君に私の気持ちなんか、判らないよ」
エモーションから視線を逸らしたまま、独り言のようにオラクルは呟いた。
まるで、別人のように暗い眼をしている。
その姿に、エモーションは胸が締め付けられるように感じた。
「…私には、判ります」
僅かに躊躇った後、エモーションは言った。
「少なくとも……自分の知らないところで、勝手に自分のクローンを造り出されていた者の気持ちは……」
やや驚いて、オラクルは相手を見た。
オラクルの脳裏に浮かんだのは、エララと、写真で見ただけのユーロパの姿。
二人は双子だと聞いているから似ているのは当然だ。
だが、二人ともエモーションにもとてもよく似ている。
「__まさか……」
エモーションは頷いた。
「エララとユーロパは、私のクローンです」
「オラトリオ先生、もう大丈夫なんですか?」
流石にこれ以上、勤めを休む訳にもいかず、その日、オラトリオは午後から出勤していた。声をかけてきた看護婦に、軽く頷く。
「そう言えば、後で外科に来て欲しいって伝言がありました。回診が終わってからで良いそうですけど」
「外科?」
鸚鵡返しに、オラトリオは聞いた。
「何でも昨夜、運び込まれてきた患者さんの身元が判って、カルテを調べたらオラトリオ先生が身元引受人になって__先生…!?」
相手の言葉を最後まで聞くこともなく、オラトリオは病院の廊下を走った。
「オラクル__」
ノックもせずにドアを開けたオラトリオは、そこにエモーションがいるのを見て不快な気持ちになった。
出し抜かれたように感じたのだ。
オラトリオの姿に、オラクルの表情が不安そうに変わる。
それが、オラトリオを傷つけた。
「…怪我をしたのか?昨夜は一体、どこに……」
オラクルを怯えさせない為にあえて側には近づかず、出来るだけ優しくオラトリオは聞いた。
「昨日も一昨日も、随分、探したんだぜ?」
だが、オラクルは答えなかった。
黙ったまま、視線を逸らす。
「何があったかは、誰が訊いても答えないんだよ」
声にオラトリオが振り向くと、担当の外科医だった。彼は、オラトリオを病室の外に連れ出した。
足の怪我はただの捻挫だが、と、外科医は口を切った。
「今朝、眼を覚ましたときに酷く怯えていてパニック状態でね。今は鎮静剤で落ち着いてるが…。カルテを見る限りでは、1年前と同じような症状だな」
何故、そんな状態だったにも拘わらずオラクルの名前が判ったのか、オラトリオは訊いた。
看護婦の一人がたまたま患者の知り合いだったのだと聞いて、エララがここの病院に勤務していることをオラトリオは初めて知った。
この規模の病院になると、科が違うと顔を会わせる事も滅多にないし、エララはまだ勤め始めて日が浅い。それで、お互いに相手がここにいる事を知らなかったのだ。
「カルテは精神科に回しておくよ。暫くは入院させて様子をみる事になるだろうが」
「今日は……連れて帰れないんですか?」
「それを判断するのは精神科のドクターだが__少なくとも、本人は帰りたくないと言っている」
外科医の言葉に、オラトリオは鉛を呑まされたかのように感じた。
小児科に戻る前に、オラトリオはもう一度、オラクルの病室に寄ったが、オラクルが口をきこうとしないのは変わらなかった。
重苦しい気持ちのまま、オラトリオは仕事に戻った。
その夜。
なかなか寝付けずに、オラクルは何度目かの寝返りを打った。病院の空気に混じった幽かな消毒薬の匂いが鼻について、眠れないのだ。
昼間、エモーションに聞かされた話が脳裏に蘇る。
20年前、エモーションとコードの母親は、双生児を身篭ったまま、事故で亡くなった。
それから約1年後に、彼らの父親は双生児の赤ん坊を家に連れ帰った。その晩、父親と祖母が激しく言い争っていたのを、エモーションは今でも覚えているという。
双生児はそのまま養女としてカシオペア家の籍にいれられ、エモーションとコードの妹として育った。
お母様は亡くなったけれど、神様が可愛そうに思って赤ちゃんを生き返らせて下さったのだと、祖母には言い聞かされました
そう言って、エモーションは哀しげに微笑んでいた。
私、その言葉をずっと信じていました__兄に真実を告げられるまでは
もう一度、オラクルは寝返りを打った。
一昨日の朝、カシオペア家で会ったコードを思い出す。
そして、一緒にいた少年も。
クォータの屋敷で遺体を見た時、それはコードと一緒にいた少年なのだと思った。が、おそらく、あれは別のクローンなのだろう。
他にも、自分のクローンがいるのだろうか……?__そう思うと、オラクルは背筋が寒くなる気がした。そのうちの何人かは、『安楽死』させられて、研究の為に解剖されたのかもしれない__研究所で、多くの実験動物がそうされているように。
「__っ……」
不意に、おぞましいばかりの恐怖がオラクルの身体を突き抜けた。
吐き気と耳鳴りがし、身体が強張って動かない。
どうしたの?
声に、オラクルの全身が震える。
反射的に振り向くと、薄闇の中に全裸の少年の白い姿があった。
「__!……」
『どうしてこんな所にいるの?』
言って、少年はオラクルに手を差し伸べる。
オラクルはそれを振り払おうとしたが、金縛りにあったように身体が動かない。
『一緒にうちへ帰ろう』
細く冷たい指が、オラクルの手首に巻きつく。
『私と一緒に__』
「厭……だ、離……っ__!」
ベッドから引きずり降ろされそうになり、オラクルは思わず寝具を掴んだ。が、その抵抗は何の役にも立たず、ホルマリンの池に引き込まれてゆく。
「助けて、誰か__厭ぁ……!」
「__クル、オラクル……!」
身体を強い力で抱きすくめられ、オラクルは必死でもがいた。
それでも、相手は一層、強い力でオラクルを抱きしめる。
「オラクル、落ち着いてくれ!__頼むから…オラクル……」
「…………」
聞き覚えのある声に、オラクルは漸く眼を開けた。
「オラ…トリオ……?」
「酷く魘されてた__大丈夫か?」
優しく言って、オラトリオは腕の力を僅かに緩めた。
自分のした事でオラクルをこれほど怯えさせているのだと思うと、身を切られるように辛い。
「どう…して?ここ、病院じゃ……」
「今夜は当直なんだ。心配だから、お前の様子を見に来た」
オラトリオの言葉に、オラクルは深く溜息を吐いた。
オラトリオが信じられなくなって、オラトリオから逃げてきた。
でも今は、オラトリオに側にいて欲しい。
「…睡眠薬は処方して貰ってないのか?」
オラトリオが訊くと、オラクルは首を横に振った。
「だったら今から貰って来てやるぜ。薬で眠れば、悪い夢はみない」
「__オラトリオ……」
立ち去ろうとしたオラトリオの白衣の裾を、オラクルは掴んだ。
「側にいて…」
「__オラクル…」
「怖いんだ。だから……側にいて……」
僅かに躊躇ってから、オラトリオはオラクルの華奢な身体を抱きしめた。
優しく、そしてしっかりと。
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