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脚を引きずるようにして階段を昇り、オラトリオはアパートの部屋に戻った。
その日は急病を理由に病院を休み、1日中、オラクルの行方を捜した__無駄だったが。
改めて、罪悪感と後悔を強く感じる。
オラクルを怯えさせている自分に耐えられなくて途中で止めたものの、暴力を振るってしまったのは確かだ。コードのした事と同じだと責められても反論できない。
もしかしたら戻っているかもしれないと幽かな望みを抱きながら、オラクルの部屋のドアをノックする。
「…オラクル?」
オラクルは、暗くなってから一人で外出するのを不安がる。どこにも行く宛ては無い筈だから、もしかしたらと一縷の望みを抱いたのだ。
が、部屋はもぬけの殻だった__朝、見たのと同じに。
「__くそっ……」
ベッドに腰を降ろし両手で顔を覆い、低くオラトリオは毒づいた。
1日中、脚を棒にして歩き回った。
オラクルが好きな場所には全て行ってみた。
公園、美術館、プラネタリウム……
手持ちの現金は少ない筈だからそう遠くに行っているとは思えない。
にもかかわらず、オラクルを見つけることは出来なかった。

何故、あんな真似をした?__声も無く、自問する。
何よりも誰よりも愛しい存在。
若くして逝った従兄弟の分まで幸せにしてやりたかった。
それなのに……

キッチンに入り、棚からバーボンのボトルを取り出す。が、封を切る前に思いとどまった。
今は、酔いに逃げている時ではない。
もう一度、オラクルが行っていそうな場所を探すべきだと思い、オラトリオはオラクルの部屋に戻った。
初めに思い浮かぶのはエモーションだ。
お互いの家にお茶に呼んだのだから、ある程度は親しいのだろう__そう思うとオラトリオは改めて嫉妬を感じた。が、冷静になれと、自らに言い聞かせる。
どうしたらエモーションの連絡先が判る?
オラトリオは、オラクルの机の抽斗を開けた。
勝手にそんな真似をするのは気が引けるが、今はやむを得ない。
すぐに、オラクルの携帯がみつかる。
オラクルはとても子供っぽいところがあって__この世に生を受けてから8年しか経っていないのだから当然だが__携帯電話を玩具か何かのように思っているらしい。普通の電話には出たがらない癖に、携帯電話には興味を示し、欲しがった。だからオラトリオは、それをオラクルの為に買ったのだ。
オラトリオは携帯に登録されている番号を調べた。
一緒に暮らし始めた頃、オラクルは基本的な読み書きは出来たものの、それ以上の教育は受けていないらしかった。けれども呑み込みは早く、教えれば大抵の事は覚える。
携帯の使い方もきちんと理解いているらしく、メモリには幾つかの番号が登録されていた。
「『エル』__これか」
迷わず、オラトリオはその番号に電話をかけた。





「お代わりは如何ですか?」
クォータに訊かれ、オラクルは首を横に振った。
「もう充分だよ。ご馳走様__それにしても……」
クォータは黙ったまま、相手が続けるのを待った。
「一人暮らしだって言ってただろう?それなのにどうして私の分まであったの?」
「…単なる習慣ですよ」
急な来客があった時の為に、常に4人分の食事が用意されているのだと、クォータは説明した。
「残った分はどうするの?」
「使用人が処分します」
「処分て?」
「捨てる、という意味ですよ」
実際には、勝手に食べているに違いないのだが、クォータに取って、そんな事はどうでも良かった。
「……勿体無くない?」
オラクルの言葉に、クォータは軽く笑った。
「そんな風に、オラトリオに教えられたのですか?」
オラトリオの名を持ち出され、オラクルの表情がこわばる。
何も言わぬまま、オラクルは視線を落とした。

「……食後のコーヒーでも如何ですか?」
黙り込んでしまったオラクルに、やがて、クォータは優しく言った。
「コーヒーより紅茶の方が__私が淹れて来るよ」
「…ではキッチンにご案内いたしましょう」
言って、クォータは席を立った。





『オラクル様?』
まるで電話を待っていたかのような相手の反応に、オラトリオは抑えていた嫉妬が再び首を擡げるのを感じた。
「オラトリオです。オラクルの友人の」
感情を抑え、冷静な口調で言う。
「あんたは、エモーションだね?」
『__ええ…。この前、お会いしましたわね』
相手の声に幽かな警戒心を感じ取りながら、オラトリオは続けた。
「もしかしたら…オラクルがそっちに行ってるんじゃないかと思って電話したんだが」
『…何があったんですの?』
答える代わりに、エモーションは訊いた。
それが、幽かにオラトリオの神経を逆なでする。
「…朝、出て行ったきり、まだ戻って来てねぇんだ。どこに行くとも言わなかったし」
エモーションはすぐには答えなかった。
暫くの、間。
『今朝早く、うちにいらっしゃいましたわ』
でも、と、エモーションは続けた。
『すぐに出て行ってしまわれて、その後はどこに行かれたのか…』
エモーションの言葉に、オラトリオは内心、歯噛みしたい気分だった。闇雲に街中を探し回る前に、オラクルの携帯に気づき、エモーションに電話していたら……
「今度、そっちにオラクルから連絡があったら、すぐに電話をくれませんか?この、オラクルの携帯の番号に」
『何があったんですの?』
もう一度、エモーションは訊いた。
さっきよりもずっと、決意に満ちた口調で。
「__ちょっと喧嘩しちまって…強く言い過ぎた。俺たちは一緒に住んでるんだが、あいつは他に行く場所がない筈だから……」
『…判りましたわ。もし、オラクル様からご連絡があれば、そちらにお電話、差し上げます』



電話が切れてからも、エモーションは暫く手にした携帯を見つめていた。
友達と一緒に住んでいるのだとは、オラクルからも聞いている。
この国では学生や若者など、収入の少ない者がアパートをシェアして借りるのは珍しくないから、それが特に意味を持つ事だとは思っていなかった。
だが、オラトリオがオラクルの単なるルームメイトだとは思えない。
恐らく、彼はオラクルがクローンである事を知っているのだろう。
オラクルは、ただのクローンではない。
コードが研究している技術によって短期間で『培養』され、この世に生み出されたのだ。
ひどく子供っぽい一面があり、驚くほどに世間知らず__それを、エモーションは幾分か奇異に思っていた。
けれども、その理由がまさかこんな事だったとは……。

エララが持ってきてくれたホットミルクの残りを__もうすっかり冷めてしまっていたが__喉に流し込み、エモーションは幽かに溜息を吐いた。マグカップをトレイに戻し、代わりに写真たてを手に取る。
10年以上前に、兄妹4人全員と祖母とで撮った写真だ。
父親はその頃まだ生きていたが、この家に足を踏み入れることを祖母が赦さず、ずっと会ってはいなかった。兄のコードだけが父親の研究に興味を持ち、祖母に隠れて研究所に行っていたらしい。

エモーションたちの父親はもともと遺伝子治療の研究をしていた。だから祖母のマーガレットは惜しみなく研究費を援助していたのだ。
だが研究所で実際に行われているのは、主にクローン実験だ。
研究所には何人もの研究員がいて、複数のスポンサーから研究費を得ている。かつての主要なスポンサーは製薬会社だったが、今は食肉産業なのだと、コードから聞かされた事がある。
良質の肉がたくさん取れる肉牛をクローン生産し、利益の拡大を図ろうという試みは、一部の食肉産業で以前から行われている。
その『優秀』な肉牛を、人工子宮内で促成培養する事により、育成にかかるコストと時間を削減し、さらなる利益を得る為の技術なのだと、コードは言っていた。
「……」
幽かな吐き気に、エモーションは口元を押さえた。
植物と同じように動物を促成培養するだなどと、生命を弄んでいるとしか思えない。
ましてや、それを人間に応用するなんて、考えられない。
「お兄様、どうして……」
幽かに震える声で、エモーションは言った。
その言葉は、夜の闇に呑み込まれるようにして、消えた。





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