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「コード…?」
コードが部屋に入ると、幾分か不安そうに『彼の』オラクルが訊いた。
「ああ。俺様だ」
コードが言うと、オラクルは安堵したように微笑み、声のした方に手を差し伸べる。その華奢な手を取り、白く繊細な指に口づける。
軽く髪を撫でてやると、オラクルが子猫のように身を摺り寄せて来た。
「ここにはいつまでいるの…?」
「この家は、気に入らないか?」
コードが問い返すと、オラクルはそんな事はないと否定した。
「おばあ様もエルも優しいし。でも……」
曖昧に、オラクルは語尾をぼかした。
研究所の外に殆ど出たことがないオラクルには、外泊はストレスになるのだ。
宥める様に服の上から愛撫すると、オラクルは甘く応える。
「良い子だ……」
囁くように言って、コードは相手の身体をベッドに沈めた。

とても素直で可愛い子ね

昼間の祖母の言葉を、コードは思い出した。
オラクルはコードの亡くなった恋人の子で、彼女の別れた夫がオラクルを引き取ろうとしないので、養子として育てているのだという説明を、祖母は信じたらしかった。
祖母のマーガレットは20年前に娘婿のした事を、今でも赦してはいない。だから、コードが父親と同じ研究にいそしんでいることは、彼女の悩みの種でもあった。
それでも、孫は可愛いらしい。
20年前にあの事があってからは、娘婿が屋敷に入るのを赦したことも無いマーガレットだが、コードには時折、電話をかけ、会いに来ないかと繰り返していた。
コードが祖母の誘いに応じたのは、研究費が欲しいからだ。
祖母に対しては、特別な感情は何も持っていない。が、彼女の財産は魅力的だ。金のかかる研究に終生を捧げているコードに取って、それは魅力的以上の意味を持っている。
それに、久しぶりに妹たちに会いたいという気持ちもあった。
それで、何年か振りに生まれ故郷を訪れる気になったのだ。

問題は、オラクルの事だった。
第2世代のクローンであるオラクルを、コードは細心の注意を払って育てた。第1世代クローンのオラクルのように、自分を裏切って出て行ってしまう事など赦せなかったから。
それでコードは、『彼の』オラクルが彼に頼り、彼が側にいなければ不安がるほど依存するように仕向けた。
結果は、ほぼ彼の思惑通りになった。
オラクルはコードを信頼し、彼の言いなりといっても良いほどに、従順だ。ベッドでコードが求める事にもすぐに慣れ、自らそれを望んでいるようにすら思える。
それほどコードに依存しているオラクルを研究所に残してくる訳にも行かず、こうして連れて来たのだ。だがまさか、彼の妹たちと第1世代のオラクルが知り合いになっていたなどと思いもしなかった。
その事は意外だったが、大した問題にもなるまいと、コードは思っていた。無論、エモーションには訊き質され、真相を話さない訳にはいかなかったが、それを祖母や妹たちに告げるほど、エモーションは迂闊ではない。

灯りをつけたままオラクルの服を全て脱がし、透けるように白く滑らかな肌を、コードは愉しんだ。
盲目なせいか世間知らずのゆえか、オラクルは少しも恥ずかしがらずに身体を開く。その姿に、コードは身体が熱くなるのを覚えた。
眼が見えないのは、確かに予想外だった。
オリジナルのオラクルは生まれつき全盲だが、その遺伝的欠陥の全てを取り除くことに、コードは成功した筈だった。現に、第1世代のオラクルは、視覚に異常はない。その第1世代の遺伝情報を元に造られた第2世代クローンが何故、盲目なのか__それは、コードにも判らない。
或いは、切り取った髪を基にしたのが良くなかったのかも知れない。
第1世代のオラクルから採取したのは切り取った毛髪だ。そして、切り取られた髪や、自然に抜け落ちた髪には核がない。従って、核DNAが含まれない。けれども、ミトコンドリアDNAだけでも自分の目的には充分なのだと、コードは思っていた。
万全を期す為には核DNAとミトコンドリアDNA双方が含まれる血液を採取すべきだったかもしれない__いずれにしろ、過ぎた事だが。

「コード……」
熱い吐息と共に、甘い声でオラクルが相手の名を呼ぶ。
「そう、焦るな」
言って、コードはもう一度、相手に深く口づけた。
たとえ先天的欠陥があろうと、彼はこの『作品』を失敗作とはみなしていなかった。それでも、『作品』と見做すことに変わりは無い。
確かに大切にしているし、愛情も感じる。
だが、感情的に深入りする気はなかったし、そうならないように自らを律してもいる。
長く生きるだろうとは思えないし、何よりオラクルは、『妹』たちとは異なるのだから……






「お姉さま?」
ノックに続いて、エララが呼びかけるのが聞こえた。エモーションは立ってドアを開け、妹を部屋に招じ入れた。
「夕食をあまり召し上がらなかったので、ミルクでもいかがかと思いまして」
エララの手にしたトレイには、ホットミルクのマグカップが乗っている。その気遣いに、エモーションは微笑んだ。
「ありがとう、エララさん。でも熱はないようですし、心配はいりませんわ」
「それならば良いのですけれど。悪い風邪が流行っていますから」
言って、エララはトレイをサイドテーブルの上に置いた。そして、それにしても、と続ける。
「お兄様のご養子のオラクルさんて、本当にオラクル様に似てらっしゃいますわね。お名前まで同じだなんて」
「エララさん」
幾分か硬い口調で、エモーションは妹の名を呼んだ。
「この事を、おばあ様にお話してはいけませんよ?」
「え……?お姉さま、それは一体__」
「理由(わけ)は訊かないでちょうだい」
言って、エモーションは相手の言葉を遮った。
エララは青年のオラクルとは2度しか会っていないし、二人のオラクルの外見年齢が10も離れているせいもあって、同じ名前でなければ酷く似ている事に気づかなかったかもしれない。ましてや二人が似ていることを奇妙に思ったりはしない。
けれども祖母がこのことを知れば、ただの偶然だとは思うまい。

「おばあ様とオラクル様の為です」
硬い口調のまま、エモーションは言った。
有無を言わせぬ姉の態度に、エララは幾分か不安に思いながらも頷いた。
こんな風に姉に口止めされた事は以前にもある。その時も理由は聞かせて貰えなかったが、エララは姉に逆らわなかった。
そしてエモーションは、今朝早くにオラクルが家に来て、逃げるようにして出て行った事をエララに話す積りは無かった。










目覚めたとき、自分が見覚えの無い部屋にいることに気づき、オラクルは酷く不安になった。
反射的にベッドから降り、何かから逃れるかのようにドアに駆け寄る。
それから、自分がどこにいるのか思い出した。

どうしました?

カシオペア家を出、行く当ても無くさ迷い歩いた末に、オラクルは公園に来ていた__1年半前に、そうだったように。
そして1年半前と同じように所在も無くベンチに座り、1年半前と同じようにクォータに声を掛けられたのだ。
オラクルは何と言って良いかも判らず、途方に暮れていた。そしてクォータの勧めるままに、彼の家に泊まったのだ。
ひどくのどが渇いているのを、オラクルは感じた。朝から何も食べていないことを思うと、空腹も感じる。
不安に思いながら、オラクルは廊下に出た。
屋敷の中はしんと静まり、人気が感じられない。
カシオペア家より広いこの屋敷はクエーサー家の別荘のひとつで、住んでいるのは自分だけだなのだとクォータに説明されたのを思い出す。
だから、何の気兼ねもいりませんよ?__言って、クォータは優しく微笑んでいた。

「お目覚めでしたか」
声を掛けられ、オラクルは驚いて振り向いた。
長い廊下の端に、クォータが立っている。
「__驚いた……」
思わずオラクルが率直に言うと、クォータは微笑した。
「済みませんね、驚かす積りは無かったのですが。それより、夕食は如何ですか?」
夜になると通いのメイドは帰ってしまうが、温めれば良いだけの状態で支度はしてあるのだと、クォータは言った。
「__じゃあ…パンとスープだけ」
1年ぶりに会ったクォータに警戒心を抱きながら、オラクルは言った。





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