
-21-
コードから聞き出した別荘の近くでタクシーを降り、オラトリオは周囲の様子を伺った。
その別荘は、コードがオラクルのクローンをクォータに引き渡した場所だが、クエーサー家の別荘は他に何箇所もあり、クォータが今、そこにいるとは限らないとコードは言っていた。
コードの言うことは尤もだが、だからと言って何もせずに手を拱いているなど、オラトリオには出来なかった。
別荘は高い塀と広い庭に囲まれ、訪問者を拒むかのように鉄の門扉が固く閉ざされている。
正面からまともに入ろうとしたら、体よく追い払われるのがオチだろう。
家宅侵入は立派な犯罪だが、躊躇っている時間は無い。
オラトリオは裏手に回ると、絡み付いている蔦を利用して、塀を昇った。
塀を昇り切ったところで中の様子を伺ってから、オラトリオは庭に飛び降りた。
暫く、立ち木の陰に隠れて息を潜める。
どうやら、放し飼いにされた獰猛な番犬に吼えかけられる心配は無さそうだ。
建物に沿って歩きながら、入り込めそうな場所を探す。
「あんた、誰だね?ここで何をしている」
不意に呼びかけられ、オラトリオは振り向いた。
初老の日に焼けた男が、不審そうにこちらを見ている。
服装や手に持った道具からして、この屋敷の庭師らしい。
「クエーサーさんに呼ばれて来た」
敢えて傲慢な態度で、オラトリオは言った。
「クォータ様なら中にいらっしゃる」
それだけ言うと、庭師はオラトリオから離れて行った。
オラトリオは玄関に向かう振りをしながら中庭に回り、窓の一つ一つを試した。
そして何度目かに鍵のかかっていない窓を見つけ、そこから建物の中に入り込んだ。
「…オラクル、オラクル…?」
名を呼んで、クォータはそっとオラクルの肩を揺すった。
だが、オラクルは目を開かない。
不吉な予感に血の気が引くのを、クォータは感じた。
恐る恐る、オラクルの呼吸を確かめる。
オラクルは、息をしていなかった。
「オラクル……!」
叫ぶように言って、クォータはオラクルを抱き起こした。
冷たい骸(むくろ)となってベッドに横たわっていた『恋人』の姿が脳裏に蘇る。
『彼の』オラクルが亡くなった時も、余りに突然だった。
原因は判らない。
判るのはただ、『促成培養』されたクローンが酷く脆弱な存在だという事だけだ。
「…すぐに、先生を……」
オラクルを床に横たえると、クォータは主治医に電話をかける為に別室に向かった。
廊下に出た時、階下が騒がしいのに気付く。
「クォータ様はどなたにもお会いになりません」
「会わせるまでここを動かないぜ」
使用人と言い争っている相手が誰かはすぐに判った__オラトリオだ。
「警察を呼びますよ?」
「望むところだ。警察を呼ばれて困るのはクォータの方だぜ?」
オラトリオはオラクルを連れ戻しに来たのだ__その考えが、クォータを不快な不安に陥れた。
だが、主治医の到着を待っている余裕は無い。
このままでは、オラクルは死んでしまう……
「オラトリオ…!」
階段を半ばまで駆け下り、クォータは叫んだ。
「すぐに上に来て下さい。オラクルが……!」
床に横たえられているオラクルの姿を見て、一瞬、目の前が暗くなるのをオラトリオは感じた。
が、すぐに冷静さを取り戻し、呼吸と脈を調べる。
心臓は幽かに脈打っているが、肺は機能していなかった。
「オラクル…」
祈るような気持ちで、オラトリオは心肺蘇生を試みた。
オラトリオが蘇生措置を取っている間、クォータは半ば呆然として二人を見つめていた。医師であるオラトリオが側にいるのでなかったら、今ごろパニックを起こしていたかも知れない。
やがて、オラクルはうっすらと目を開けた。
「大丈夫か、オラクル?」
「……痛…い……」
聞こえるか聞こえないか程度の声で、苦しそうにオラクルは言った。
「心配するな。今、薬をやるから__クォータ、水を」
クォータが水を取りに行っている間に、オラトリオはオラクルの足枷に気付いた。
改めて、クォータに対する激しい憤りを感じる。
オラクルのクローンは死んでホルマリン漬けにされていると聞いたが、そんな事をしたクォータは狂っていると思った。
「もう痛みは無い…か?」
やがてモルヒネが効いて痛みが治まると、オラクルは少し落ち着きを取り戻した。
優しく訊いたオラトリオに、小さく頷く。
それから不安そうにクォータを見ると、縋るようにオラトリオの背に腕を回した。
「鎖を外せ」
短く、オラトリオは言った。が、クォータは答えなかった。
このままオラトリオを『始末』するのは難しくない。
オラクルを誘拐するのに使った男たちに命じれば、後腐れなくカタを付けてくれるだろう。
だが、その後は?
生まれたばかりのクローンと違って、オラクルにははっきりした意思がある。
このままこの屋敷に閉じ込めておく事は簡単だが、そんな事をすれば、二度とオラクルの笑顔は見られなくなるだろう。
オラクルを拉致した時には、オラクルがこれほど強くオラトリオを求めているのだとは思わなかった。少なくとも公園で会った時、オラクルはオラトリオと仲違いしてアパートを出て来ていたのだから。
「__何故…オラトリオなのです?」
オラクルを見つめたまま、クォータは訊いた。
「私ならばあなたを哀しませたり困らせたりはしないのに、何故…オラトリオなのですか?」
オラクルは困惑したようにオラトリオを見上げ、オラトリオは黙ったままオラクルの肩を抱いた。
愛している……クォータ、愛している……
意味も判らず、ただうわ言のように繰り返していた哀れなクローンの姿がクォータの脳裏に蘇る。
欲しかったのは、言いなりになる『恋人』などでは無かった。
望んだのは、儚く逝ったひとの身代わりでは無かった。
クローンがクローンに過ぎないことも、遺体を保存しても死んだ者が蘇らないのも判っていた。
追い求めたのは多分、決して取り戻すことの出来ない過ぎ去った日々……
クォータはオラクルの足枷を外したが、それでもオラクルは不安そうでオラトリオから離れ様とはしなかった。
「……今度…私の実家にいらっしゃいませんか?」
静かに、クォータは言った。
「薔薇の盛りは過ぎてしまいましたが、温室には色々な花が咲いていて、それは見事ですよ?」
クォータの言葉は、オラクルには意外だった。緊張に張り詰めた部屋の空気が別の何かに変わったのは感じ取れたが、それが何で、何故なのかは判らない。
オラクルは答えを求めるようにオラトリオを見たが、オラトリオは何も言わなかった。
「……考えておくよ__約束は出来ないけど」
躊躇った末に、オラクルは言った。
微笑して頷いたクォータが、何故か泣き出しそうな表情だったのに、オラクルは気付いた。
クォータが何故、そんな表情(かお)をしているのか、その理由は判らなかったが。
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