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目撃者の話から、拉致されたのがオラクルであるのはほぼ間違いなかった。
オラトリオはすぐにエモーションに電話をかけた。
「コードの連絡先を教えてくれ」
『…オラトリオ様…?研究所の番号は誰にも教えるなと__』
「オラクルがさらわれたんだ。あいつを解剖したがってる連中の仕業かも知れない」
オラトリオの言葉に、エモーションが電話の向こうで絶句するのが判った。
『さらわれたって……どういう事なんですの?』
「午前中、痛みを訴えたから検査と診察の為に病院に連れて来た。俺が薬を取りに行ってる間に、何人かの男がオラクルを連れ去ったんだ」
エモーションに状況を話しながら、オラクルを拉致したのは研究員では無いかも知れないと、オラトリオは思った。オラクルがいなくなった事に気づいてすぐに研究所を出たとしても、こんなにすぐに追いつくのは難しいし、何よりオラクルがどこにいるのか、短時間で探り出せたとは思えない。
コードがグルであれば話は別だが、それならばコードは初めからオラトリオたちをオラクルに会わせはしなかっただろう。
『……私から、兄の携帯に電話してみます』
幽かに震える声で、エモーションは言った。何か判ったらすぐに知らせてくれるよう頼んで、オラトリオは電話を切った。

被害者の同居人という事で、オラトリオは警察の事情聴取を受けた。
オラトリオは、オラクルと出会ったのは同居人を求める新聞広告を通じてであり、オラクルの家族やその連絡先は知らないと警察に話した。この国では学生や若者が経済的な理由からアパートをシェアして借りるのはよくある事で、警察はオラトリオの話を疑わなかった。
ただ、オラクルが働いてもいないのに家賃を払うだけの貯金を持っていた事を、警察は不審に思ったらしかった。無論、それがクォータからオラクルに贈られた金だなどということは、オラトリオは話さなかった。
オラクルがクォータと一緒に住む誘いを断ってオラトリオと共に暮らすようになってから、オラトリオはクォータとは一度も会っていない。何の連絡もないし、オラクルもクォータと会っていないのは同じだろう。
不意に、オラクルを見つめているクォータの姿がオラトリオの脳裏に浮かんだ。
それは10年前の記憶で、クォータが初めてオラトリオの従兄弟に会った日の事だ。
何故、よりによってこんな時に古い記憶を思い出したのか判らない。
ただ、何かが奇妙にひっかかった。

じっとしているのが耐えられなくて、オラトリオは病院を出、駅前のタクシー・プールに向かった。目撃者の証言によればオラクルは車で連れ去られている。街中を流しているタクシーの運転手に尋ねるのが一番の方法だろうと、オラトリオは思った。
無論、同じ事は警察がもっと効率的かつ大掛かりに行っている筈だが、何もせずに捜査の結果を待っているなど、オラトリオには出来なかった。
何より、オラクルに残された時間は余りに僅かだ。
内科医長の診断では、癌は短期間の間に恐ろしい勢いで進行し、全身に転移したらしい。若者の癌の進行が早いのは珍しくないが、これほど急激に進行したと思われる症例は初めてだと、内科医長は言っていた。そして、その原因を突き止める為には更に詳しい検査が必要になるだろうとも。
これ以上の検査の必要は無いと、オラトリオは上司に答えていた。半年の間に15歳の少年の姿まで『培養』されたクローンであれば、癌が異常な速度で進行しても不思議ではない。
無論、そんな事を内科医長に話はしなかったが。

オラトリオが駅前に着いた頃、携帯の着信音が鳴った。
『貴様がついていながら、オラクルをさらわれたとはどういう事だ』
前置きも無く、コードは言った。
口調は相変わらず傲慢だが、声には力が無かった。
「何か判ったのか?」
コードの言葉を無視して、オラトリオは訊いた。
『研究員は全員、研究所にいる。それに、人目を引いて自分たちの首を絞めるような愚かな真似をする者が研究員の中にいるとは思えん』
「ああ…それは俺も思った。だが、他に誰がオラクルを狙う理由がある?」
『…少し気になる事を、オラクルが言っていた』
僅かに躊躇ってから、コードは言った。オラトリオはそれが何なのか聞いたが、コードはすぐには答えない。
内心の苛立ちを何とか抑え、オラトリオはコードが続けるのを待った。
『…1年くらい前、クォータ・クエーサーの依頼でオラクルのクローンを造った。それが、死んでホルマリン漬けになっているのを見たと、オラクルが言っていた』
心臓を鷲?みにされたような不快な衝撃に、オラトリオは息を呑んだ。
オラクルのクローンは、あの盲目の少年だけでは無かったのだ。
オラトリオはコードや他の研究員たちに対する憤りを改めて覚えたが、それよりも気にかかるのは別の事だった。
「見たっ…て、いつ、何処でだ?」
『クエーサー家の別荘でだ。それがいつか、何故、クエーサーの別荘に行ったのか、オラクルは話さなかった』
聞かなくとも、それがいつの事なのかオラトリオには判った。
オラクルがオラトリオのアパートを逃げ出し、怪我をして病院に運び込まれるまでの間だ。
あの後、オラクルは酷く怯えていて、一人で外出しようとはしなかった。
「……そんな事が……」
改めて、深い罪悪感と後悔をオラトリオは覚えた。
オラクルがろくに口を利かなくなったのも、余りにショックが大きかったせいなのだ。
自分がクローンだと知った上に、自分自身のクローンの無残な姿を見て、どれほど深く傷ついたか知れない。
それなのにオラクルの気持ちを判ってやれず、その上、哀しませてしまった。

赦してくれ……

心の底から、オラトリオはオラクルに詫びた。そしてオラクルが赦してくれても、自分で自分が赦せないと思った。
だが今は、後悔に浸っている場合ではない。
オラクルの病状はいつ、急変するとも知れないのだ。
「別荘の場所は?」
『一人で乗り込むのは危険だぞ?相手は巨万の富を持つ権力者だ』
コードは言ったが、オラトリオは躊躇わなかった。
「別荘の場所を教えてくれ」






眼が覚めると共に、吐き気がしてオラクルは眉を潜めた。
部屋の中は暗く、いつの間にか夜になっていたらしい。
訳が判らず、オラクルはゆっくりとベッドの上に上体を起こした。
がちゃり、と冷たい音がして、足首に痛みを覚える。
不安になりながら毛布をはいで見ると、足首に手錠がかけられ、長い鎖の一方がベッドの支柱に固定されている。
それを見た瞬間、自分が病院の中庭で襲われた事を、オラクルは思い出した。
「オラトリオ……!」
思わず、オラクルはオラトリオの名を呼んだ。
答えは無く、部屋の中はしんと静まり返っている。
不安に押し潰されそうになりながら周囲を見回す内に、見覚えのある部屋だという事に気づいた。
その時、ドアが静かに開いた。
「お目覚めのようですね__気分は如何ですか?」
言って、クォータは灯りを点けた。
優しく微笑み、猫のように優雅な仕草でオラクルに歩み寄る。
「手荒な真似はしたくなかったのですが、機会を逃す訳には行かなかったのですよ」
「……どうして……」
「どうしてあなたを誘拐したのか…ですか?」
微苦笑して、クォータは眼鏡の位置を軽く直した。
「『彼』のあんな姿を見られてしまったのですから、あなたを放っておく訳にはいかないでしょう?」
クォータの言葉に、オラクルは背筋が寒くなるのを覚えた。
ガラスの水槽に収められた自分のクローンの姿が、脳裏に蘇る。
「あの後ずっとオラトリオのアパートを見張らせていたのですよ。あなたがアパートに戻ったのは判りましたが、その後、あなたはずっとアパートに篭もり切りになってしまって…」
それでずっと機会を窺っていたのです__そう、クォータは続けた。
「あなたが研究所に戻った時、もう二度とあなたに会えなくなってしまうのではと危惧しました。それで、次の機会は絶対に逃すまいと決めたのです。人目のある場所での拉致劇は本意ではありませんでしたが」
「私を……どうする積りなんだ?」
オラクルの不安そうな表情に、クォータは幽かに眼を細めた。
「怯えなくても大丈夫ですよ。悪いようには致しません」
「私を殺す積りなのか?殺して……ホルマリン漬けに……」
クォータは眉を顰めた。
「何故、そんな事をおっしゃるのです?私があなたにそんな酷い事をする筈が無いでしょう?」
言葉を切って、クォータは視線を逸らせた。
「彼の事は…事故だったのです。恐ろしく、哀しい事故でした……」
視線を戻し、クォータは改めてオラクルを見つめた。
「あなたは私の大切な人です。あなたはただ、私の側にいてくれれば良い。あなたの事は、生涯大切にしますよ?」
ゆっくりと、オラクルは首を横に振った。
「……私じゃない」
「…オラクル…?」
「お前が大切に思ってるのは、私じゃなくてオラトリオの亡くなった従兄弟だろう?身代わりにされるのなんて、厭だ」
クォータはすぐには答えず、黙ったままオラクルを見つめていた。
やがて、口を開く。
「…身代わりにしようなどとは思いません。誰も、あのひとの代わりになどなれない…」
「だったら私をここから出してくれ…!」
半ば叫ぶように言うと、少しでもクォータから離れようと、オラクルはベッドから降りた。だがすぐに足枷に自由を奪われ、それ以上は動けない。
「落ち着いて下さい、オラクル。暴れればあなたが痛い思いをするだけですよ?」
口元に笑みを浮かべ、クォータはベッドを回ると一歩一歩、オラクルに近づいた。
「厭だ…!助けて、オラトリオ……!」
「オラクル……」
クォータの表情が変わるのを、オラクルは見逃さなかった。
クォータはいきなりオラクルの腕を掴み、逃れようとして鎖のせいでバランスを崩したオラクル共々、床の上に倒れた。
「呼んでも来はしませんよ。あの男こそ、あなたを従兄弟の身代わりにしか思っていない。だから別のクローンに心を移したのでしょう?」
「__違…う……」
喉許を締め付けられるような苦しさを、オラクルは感じた。
オラトリオは、何よりも誰よりも、お前が大事なんだと言ってくれた。盲目のクローンの事もあって、その言葉を素直に信じる気になれなかった。
でも今は、オラトリオの言葉を信じたかった。
研究所に迎えに来てくれた時に、素直になれなかった自分を後悔した。
「私の事は信じないのに、あの男ならば信じられるとおっしゃるのですか?何故です?あの男のどこが良いのです?」
クォータの手に力が篭もり、オラクルは痛みに眉を顰めた。
「厭だ、手を離し__オラトリオ、助けて……!」
「助けて欲しければ、私に乞いなさい。私を見、私の名を呼びなさい。私だけを」
「……オラトリオ……」
蒼褪めた頬の上を、透明な滴が伝って落ちた。

愛している……クォータ、愛している……

今は亡き『恋人』の言葉が、クォータの脳裏に蘇った。
同時に、吐き気がする程の自己嫌悪も。
クォータの手から、力が抜けた。
「……済みません、私は……」
オラクルはもがく様にしてクォータの手を振り払い、鎖の長さの限界まで後ずさった。
「本当に…申し訳ありません。あなたに乱暴な真似をする積りなど無かったのです。ただ……」
出来るだけ穏やかに言って、クォータはオラクルに手を差し伸べた。
オラクルは差し伸べられた手を振り払い、立ち上がりかけた。
突然、胸に激しい痛みが走る。
「__オラクル……!」
クォータは叫んだが、その声はオラクルの耳には届いていなかった。









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