-2-




目覚めた時、酷い気分だった。
昨夜はビールしか飲まなかったにも拘わらず、ウイスキーをストレートでがぶ飲みした翌日のように気分が悪かった。
もっと言えば、二日酔いの方がずっと増しだ。

罪悪感?
後悔?
この気持ちを、何と呼べば良いのだろう……

ゆっくりと、ベッドの上に半身を起こす。
オラクルは怒っているだろうか?
少なくとも、酷くショックを受けている筈だ。
怯えきって泣き叫ぶオラクルの姿が脳裏に浮かぶ。抱きしめて宥めようとしたが、却って怯えるばかりで……
「__くそっ……」
低く毒づき、そしてオラトリオはベッドから離れた。
服を着替えると、オラクルの部屋のドアをノックする。
が、返事は無い。
不安な想いに苛まされながら、オラトリオはドアを開けた。
そして、部屋がもぬけの殻であるのを見た。





「オラクル…様?」
ドアを開けたエモーションの表情に、オラクルは来た事を後悔した。彼女が驚き、ひどく困惑しているのを感じたから。
オラトリオと一緒に暮らすようになってから、オラクルは色々な事を教えられた。だから、他人の家を突然、訪問するのがいけないのは判っている。しかもこんな朝、早くに。
それでもオラクルには他に行くあてが無かったし、オラトリオの側にいたくはなかった。昨夜は一睡もせずに夜が明けるのを待ち、明るくなってすぐにアパートを出たのだ。
「ごめん…ね、こんなに早くから。でも私は……」
呟く様に力なく言って視線を落としたオラクルの顔色が良くないのを、エモーションは見て取った。
「とにかく、お入り下さいませ」
身を引いて、エモーションは家に相手を入らせた。
カシオペア家は、街はずれの閑静な住宅街にある大きな屋敷だ。その広い玄関ホールに、オラクルはエモーションの後に従って足を踏み入れた。
思いがけない相手の声を聞いたのは、その時だった。
「エレクトラ。コーヒーを淹れてくれんか」
「………!」
オラクルは反射的に振り向いた。
が、声が出なかった。
階段を降りながらエモーションに声を掛けたのは、1年前に別れたきりのコードだ。傍らに、14,5歳の少年を伴っている。
その少年の姿に、オラクルは愕然とした。
彼は、オラクルに瓜二つだった。

「……どういう事だ」
全員が沈黙する中、初めに口を開いたのはコードだった。
「何故、お前がここにいる」
「……コード、どうかしたの?」
コードの口調の険しさに、少年が不安そうに訊いた。少年はコードの腕を軽く掴み、縋るように寄り添っている。
「そこに誰かいるの?」
「嫌__何でもない。お前は先にダイニングに行っていなさい」
一人で行けるか?__オラクルに対するのとはうって変わって優しい口調で、コードは少年に言った。
「…私がお連れいたしますわ」
僅かに躊躇ってから、エモーションは言った。そして少年の側に歩み寄り、自分の腕に掴まらせる。手すりとエモーションに頼りながら階段を降りる少年の姿を見て、彼は眼が見えないのだと、オラクルは気づいた。

「何故、お前がここにいる」
エモーションと少年の姿がホールから消えると、もう一度、コードは言った。
「…エルとは友達だから__」
「友達だと?」
不機嫌そうに、コードは相手の言葉を遮った。
「どういう積りかは知らんが、俺様の妹に近づくのは止めろ」
コードの言葉に、一緒に暮らしてはいないが、兄が一人いるとエモーションが言っていたのを、オラクルは思い出した。
が、今はそんなことはどうでも良かった。
「あの子……私のクローンなんだ…ね」
背筋が寒くなるように感じながら、オラクルは言った。
研究所にいた時、コードから彼の仕事に関して、聞いた事がある。『クローン』という言葉もコードに教わった。研究所には実験動物がたくさんいたから、それがどんなものなのかは、判る。
コードは答えなかった。
そして、それは答えとして充分だ。
「酷い……どうしてそんな勝手な真似を?」
「勝手な真似だと?」
形の良い眉を潜め、苛立たしげにコードは言った。
「俺様に背き、勝手に研究所を出て行ったお前がそんな事を言うのか?一体、お前にどれほどの研究費を注ぎ込んだと思っている?」
「研究費……って……」
「判らないのか?お前は俺様が造ったクローンだ。あのオラトリオとかいうひよっ子医者の死んだ従兄弟がオリジナル。お前は第1世代だ」
コードの言葉に、オラクルは身体から力が抜けるのを覚えた。
壁に手を突き、立っているのがやっとだ。
オラトリオの部屋に初めて行ったときに見た写真が、脳裏に蘇る。引っ越してオラクルが一緒に住むようになってから、オラトリオは従兄弟の写真をどこかにしまったらしかった。それまでは、何枚も飾ってあったが。

__とても大切な…大好きな従兄弟だったから

オラトリオの言葉を思い出し、オラクルは息苦しくなるのを覚えた。
「オラトリオ…が、私に優しくしてくれてたのは……」
「死んだ従兄弟の身代わりだろう__他に理由なぞ、あるものか」
吐き捨てるように、コードは言った。そして、続ける。
「ともかく、これだけは言っておく__俺様の妹たちに近づくな」
「お兄様…!」
ホールに戻ってきたエモーションは、兄の言葉に眉を顰めた。
以前から酷く『過保護』な兄で、自分たち姉妹の周りに異性__同性であってもだが__が近づく事を異常なまでに嫌う。
が、コードに取ってオラクルが特別なのは、事情を聞く前からエモーションには判った。
「そんなおっしゃり方、酷いですわ。私は__オラクル様……!」
「追うな、エレクトラ」
ホールから駆け出したオラクルを、エモーションは追おうとした。が、コードに引き止められる。
「酷いですわ、お兄様。それに……説明して下さいまし」
エモーションの言葉に、コードは不機嫌そうに眉を顰めた。
まさか、あのオラクルとエモーションが知り合っているなどと思ってもいなかった。尤も、同じ街に住んでいるのだから、その可能性を考えなかったほうが迂闊なのだが。
「説明はする。それより朝食が先だ」
「お兄様…」
「独りにしておけば、『オラクル』が不安がる」
そう言われては反論できない。
仕方なく、エモーションは兄と共にダイニングに入った。








その日の昼食の後も、クォータは一人で公園にいた。
『あの事』があって以来、気が滅入って仕方がない。が、従業員総数2万人を数えるコンツェルンの総帥である彼には、休む間も嘆く暇(いとま)もない。
それでも、一人になれる時は独りでいたかった。
無論、『奇跡』を望んでいた訳ではない。そんな儚い望みなどは抱かぬほどに、彼は合理的だった。
けれども、その日、起きたことは『奇跡』と呼んでも良かった。
「__オラクル……」
1年半前と同じ公園の同じベンチ。
あの時と同じように所在なげに、オラクルはそこに座っていた。




next/back