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急にコードに呼び出されて食堂に現れたオラクルは、そこにオラトリオとエモーションがいるのを見て身を強張らせた。
「オラクル。済まなかった。俺は……」
オラクルの姿を見て、思わずオラトリオは言った。
だが、後の言葉が続かない。
言いたい事は幾らでもある筈なのに、それをどう言葉にして良いのか判らない。
思うのはただ、運命の残酷さ。
従兄弟のオラクルが亡くなったと告げられた時にオラトリオを襲った後悔の念が、再びオラトリオを苦しめる。
残された時間がこんなにも短いと判っていたら、嫉妬に駆られて乱暴に振舞ったり、一時的にしろ少年のクローンに惹かれたりはしなかった。
一緒にいられる時間が残り僅かだと知っていたら、共に暮らす意味が無いなどと、思いはしなかった。
せめてもの救いは、オラクルがまだ生きているという事だ。従兄弟のように、突然にその死を告げられた訳ではない。
「…お前を迎えに来た。俺と、一緒に帰ろう」
精一杯、優しく微笑んで、オラトリオは言った。が、オラクルは視線を逸らした。
「…オラトリオにはあの子がいるじゃないか」
「あいつはカシオペア家で預かってもらう事にした。だから__」
「どうして?あの子はオラトリオに懐いてたし、オラトリオだってすごく可愛がってたのに」
オラクルの言葉にエモーションはオラトリオを見た。
それから、改めてオラクルに向き直る。
「無理に連れ戻そうとしている訳ではありませんわ。オラクル様が望まれないことを押し付けようとしているのではありません。でも__」
「ひよっ子と行け、オラクル」
妹の言葉を遮って、コードは言った。エモーションとオラクルは驚いてコードを見た。
「__コード、どうして……」
信じられないと言いたげに、オラクルはゆっくりと首を横に振った。
「私を……オラトリオに売ったの?あの子をクォータに売ったみたいに」
「違う。どれ程の金を積まれようと、お前を誰かに売り渡したりなどはせん」
やや強く、コードは言った。
それから、軽く溜息を吐く。
「…お前は俺様の研究の最高のパートナーだった。だが……もう、人間のクローンでの実験は止めた」
コードの言葉は、オラトリオとエモーションにも意外だった。
「……だから…もう、私の事は必要なくなったって言うのか?要らなくなったから、出て行け…と?」
オラクルの頬は蒼褪め、その声は幽かに震えていた。
胸を締め付けられるような痛みを、コードは覚えた。
「…ここにいるのはお前の為にならない。呼び戻したばかりでこんな事を言うのは気が引けるが……事情が変わったのだ」
「そんなの…勝手すぎるよ。研究の為に私を造り出しておきながら、実験を止めるからもう要らないだなんて……」
「オラクル……」
黙って見ていられなくなって、オラトリオはオラクルの肩を抱いた。
「お前は人間なんだ。実験動物でも研究材料でも無い。だからここにいる必要は無いんだ」
オラクルはオラトリオの言葉には答えず、ただまっすぐにコードを見つめた。
__赦せ……
言葉も無く呟くと、コードは踵を返した。足早に食堂から出て行くコードを、エモーションは追った。
「お兄様……どういう事なんですの?」
コードの研究室に入ると、エモーションは兄に問うた。
いつも傲慢なまでに自信に満ちた兄が、別人のように消沈して見える。
「…オラクルは末期癌だ。全身に転移していて、手の施しようが無い」
「……!そん…な……」
「或いは……俺様のせいかも知れない」
言って、コードは深く溜息を吐いた。
力なく椅子に腰を降ろし、デスクの上にきちんと並べられた資料を見遣る。
「遺伝情報を操作する時に、誤ってDNAのどこかに傷をつけてしまったのかも知れん。検査は充分にしたが、それは現在の技術レベルの範囲内で出来る事をしたに過ぎない」
第二世代のクローンの一人が生まれつき全盲なのを知った時にも、コードはショックを受けていた。何故そんな事になってしまったのか、彼には理解できなかったからだ。
「どうして……」
掠れた声で、エモーションは言った。
「私が何をしたと言うのです?どうして神様は、私から愛する人達を奪って行くの……!?」
妹の震える身体を、コードはしっかりと抱きしめた。
「『神の為せる業』…か」
やがて、独り言のようにコードは言った。
「俺様は神の存在など信じない。だが、科学が万能だと思っている訳でもない。科学は…生命を創り出すことは出来ない」
「……人間のクローン実験を止めるとおっしゃったのは……」
顔を上げ、エモーションは兄に言った。
コードは頷いた。
「本心だ。自分のやってきた事が間違っているとは今でも思わん。だが、功を焦りすぎた。その余り、本来の目的を忘れ、目的と手段を取り違える羽目に陥った」
「オラクル様の事は…?」
「すぐに連れて逃げろ」
コードの言葉に、エモーションは緊張を覚えた。
「オラクルが癌だと判ってから、オラクルをどうするかは研究員の間で意見が分かれた。いずれにしろ、ここで死ねば解剖されて組織標本を採られる事になる。それどころか、生きているうちに解剖したがってる者までいる位だ」
「……酷い……」
コードは眉を顰めた。
「実験動物に対してはいつもしている事だ。だが、オラクルは実験動物などでは無い」
だから、とコードは続けた。
「オラクルをここから連れ出せ。俺様が最期まで看取ってやれないのは残念だが……」
もう一人のオラクルの事も頼むと、コードは言った。
エモーションは頷いた。
「…オラクル…?」
黙り込んでいる相手の名を、オラトリオはそっと呼んだ。
黙ったまま、オラクルはオラトリオの手を振り払った。
コードの言葉は余りに突然で意外で、オラクルはショックを受けていた。
「……俺と一緒に帰ろう」
宥めるように、優しくオラトリオは言った。オラクルはオラトリオを見、苛立たしげに髪をかきあげた。
「コードと取り引きでもしたのか?」
「俺はそんな__」
「判らないよ…。コードもお前も何を考えているんだか、判らない」
オラクルはオラトリオから離れ、爪を噛んだ。
喉許を締め付けられるような息苦しさを、オラトリオは覚えた。
「俺はただ……お前が好きなだけだ。何よりも誰よりも、お前が大事なんだ」
「あの眼の見えない子にも、同じこと言ってたくせに」
「違う。あれはお前に言ったんだ。俺は__」
「もう、良いよ」
オラトリオの言葉を遮って、オラクルは言った。
「コードが行けって言うからここらからは出て行く」
でも、とオラクルは続けた。
「お前のアパートに戻る積りは無いよ。私は、これからは一人で暮らす」
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