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オラトリオは盲目の少年__名前はオラクルなのだと、道すがらに聞いた__を病院に連れて行き、職員用の託児所に預けた。
本来なら利用申請をし許可を得なければならないのだが、1日2日程度の臨時利用ならばその場で手続きをして預かってもらえるのだと、小児科の看護婦が話しているのを聞いた事がある。
「うちで預かるにはちょっと大きなお子さんね」
「それは判ってますが……」
眼が見えないので、一人にしておく訳にはいかないのだと、オラトリオは託児所の責任者に説明した。オラクルはロビーのソファに座り、幾分か不安そうに二人のやり取りを聞いている。
責任者はオラクルを見、幽かに眼を細めた。
「良いわ。お預かりします」
オラトリオは礼を言って手渡された書類に記入した。続柄の欄は『従兄弟』と書いたが、詮索もされずに済んだ。
「仕事が終わったら迎えに来るから、それまで大人しくしてろよ?」
「うん」
オラトリオが優しく言うと、オラクルは屈託無く微笑んだ。
勤務中も、オラクルの言葉と盲目のオラクルの存在とがオラトリオの意識から離れなかった。彼は昼休みに託児所に行って盲目のオラクルに会い、幾つかの事を聞き出した。
判った事の一つは、オラクルがアパートを出た日の朝、カシオペア家でコードと会っていた事。
エモーションはオラクルが家に来たことは認めたが、その時、コードがいた事までは話さなかった。
その子と私を交換したんだね?
オラクルの言葉を思い出し、オラトリオは鉛を呑まされたような気分だった。
コードがオラクルに何を言ったかまでは判らない。
確かなのは、オラクルが知ってしまったということ__自分が、クローンなのだ、と。
コードは私を連れ戻したがっていたから、それで……
それが目的なのだと思うと、コードのした事には反吐が出るほどの嫌悪感を覚える。
同時に、自分がオラクルに信頼されていない事を思い知らされ、遣り切れない気持ちになった。
だが、それも仕方がないのかも知れない。
オラクルは自分がクローンだと知り、そのせいでずっと塞ぎ込んでいたのだ。それなのに、自分はオラクルの為に何もしてやれず、むしろ頑なな態度を恨めしく思いさえしていたのだから……
その日の夜。
仕事を終え、盲目のオラクルを連れてアパートに戻ったオラトリオは、オラクルが相変わらず部屋に引き篭もっているのを知った。
オラクルの為に用意した朝食は、手をつけないままだ。
恐らく、昼も何も食べていないのだろう。こんな事をしていて身体に良い筈が無い。
「……オラクル?」
盲目のオラクルと二人で夕食を済ませ、盲目のオラクルがシャワーを浴びている間に、オラトリオはオラクルの部屋のドア越しに話しかけた。
「話したい事がある__聞いてくれないか?」
精一杯、優しくオラトリオは言った。が、オラクルは答えなかった。中から鍵がかかっているのでなければ、ドアの向こうに人がいるとは思えないほどだ。
「…だったらこのままで良いから聞いてくれ。俺は……」
どう、話すべきか、オラトリオは迷った。
自分がどれほどオラクルを大切に想っているか__それを伝える言葉を見つけられないのがもどかしい。
何と言えば良い?
どう言えば判ってくれる?
オラクルがこの世に生み出された時、身体は18歳の少年だった。
心と身体のアンバランス__それが、オラクルという繊細な存在を一層、不安定にしている。
「__俺は……お前が好きだ」
もどかしさに突き動かされるままに、オラトリオは言った。
回りくどい言葉では、オラクルに理解されないのも判っている。
「お前が死んだ従兄弟に似てるとかどうとかいうのは関係ない。ただ……お前のことを、大切にしたい」
部屋の隅に膝を抱えて座りながら、オラクルはオラトリオの言葉を聞いていた。
指先が、幽かに震える。
初めてオラトリオのアパートに行き、そこでオラトリオの従兄弟__自分の『オリジナル』__であるオラクルの写真を見たときの光景が、脳裏に蘇る。
「乱暴な事をしちまったのは悪かったと思ってる。だが__俺はお前が好きなんだ。誰よりも何よりも、お前が大事なんだ……」
「__本当?」
思いがけず、背後から声を掛けられ、オラトリオは振り向いた。
そこには、盲目のオラクルが屈託の無い笑顔を浮かべ、立っていた。
「__オラクル……」
「オラトリオはきっと私のことを大切にしてくれるからってコードが言ってたけど、本当なんだね」
嬉しそうに言って、盲目のオラクルは片手を差し伸べた。他にどうすることも出来ず、オラトリオは相手に歩み寄り、差し伸べられた手に触れる。
「私もオラトリオのこと、好きだよ」
躊躇いも無くオラトリオの身体に腕を回し、盲目のオラクルは言った。
戸惑いを感じながらも、オラトリオは相手の髪をそっと撫でた。
部屋の隅に座り込んだまま、オラクルは息苦しさを覚えていた。
ドア越しに聞こえた二人の会話に、喉を締め付けられるような苦しさを感じる。
オラトリオの気持ちが判らない。
一体、どういう積りなのか……
誰も、お前の代わりにはなれない
コードの言葉が、脳裏に蘇る。
俺様にはお前が必要だ__他の、誰でも無く
他の、誰でも無く__そう、コードは言っていた。
オラトリオは?__それを、オラトリオに訊きたい。けれども、聞くのが怖い。
寒い訳でもないのに身体が幽かに震えるのを覚えながら、オラクルは部屋の隅に座り続けた。
「何か飲むか?」
「オレンジジュースが良い」
オラトリオが訊くと、盲目のオラクルは屈託無く答えた。オラトリオはキッチンに行って冷蔵庫からジュースのパックを取り出し、グラスに注いでリビングに戻った。
「ほら。こぼさねぇように気をつけろよ?」
盲目のオラクルの手を取ってグラスを渡す。相手がちゃんとグラスを握ったのを確かめてから、手を離した。
不意に、従兄弟のオラクルを見舞った時の光景が脳裏に蘇る。
何かを手渡す為に指が触れるだけで、心が高鳴ったものだ。
改めて、オラトリオは盲目の少年を見た。着替えがないのでオラトリオのパジャマを貸したのだが、上着しか着ていない。
その上着も少年の身体には大きすぎ、大きく開いた襟元から華奢な鎖骨がのぞいている。
「……ズボンもあっただろ?」
「大きすぎて、引きずっちゃうから」
盲目のオラクルは言って、無邪気に笑った。オラトリオは自分が相手のほっそりした白い太腿を見つめているのに気づき、幾分か慌てて眼を逸らした。
「…そんな格好じゃ風邪をひいちまうぜ。ちゃんと裾を折ってはけば引きずらねぇだろ?」
ズボンを取ってくるからと言って、オラトリオはバスルームに入った。
寒気と身体の痛みに、オラクルは眼を開けた。
どうやら、いつの間にか床の上で眠ってしまったらしい。ラグを敷いただけのフローリングの上で寝ていたせいで、腕と背が痛む。
気だるさを覚えながら、オラクルはゆっくりと身体を起こした。
食欲は無いが、喉が渇いている。
何か飲み物でも持って来ようと立ち上がりかけ、部屋の中に『それ』がいるのに気づいた。
「__!……」
薄暗い部屋の中に、全裸の少年の肌が青白く浮かぶ。
『ねえ……一緒に帰ろうよ』
言って、少年はオラクルに手を差し出した。
「厭……だ」
『どうして?ここは私たちのいる場所じゃない。だから……一緒にうちへ帰ろう?』
少年はゆらりとオラクルに近づき、誘うように両腕を差し伸べた。オラクルは相手から離れようとしたが、行く手を遮られ壁際に追い詰められる。
『帰ろうよ。一緒に__』
「厭……だ。障るな……!」
オラクルは少年の手を振り払おうとした。が、ホルマリンの匂いのする冷たい指が、オラクルの手首をしっかりと掴んで放さない。
「やだ____痛っ……」
手を壁にぶつけ、その痛みでオラクルは本当に眼を覚ました。
すぐには、何が起きたのか判らない。
部屋の中は真っ暗で、少年の姿は無い。
ホルマリンの匂いもしない。
薬を飲み忘れたせいでまたあの悪夢(ゆめ)を見たのだと、漸く気づいた。
それでも、恐怖は和らがない。
「オラト……リ…」
不安と恐怖に追い立てられ、オラクルは救いを求めて部屋のドアを開けた。
リビングでは、オラトリオが盲目の少年と寄り添ってソファに座っていた。
少年は幼い子供が甘えるようにしてオラトリオに凭れ掛かり、オラトリオは少年の髪を優しく撫でている。
「…………」
喉を締め付けられるような息苦しさを覚えながら、オラクルは音を立てずにドアを閉めた。
「どうして一緒に寝てくれないの?」
繰り返される問いに、オラトリオは戸惑った。彼は盲目のオラクルをベッドで寝かせ、自分はリビングのソファで夜を明かす積りだった。
「…二人で寝たら、窮屈だから……」
「でも私、一人じゃ寂しい」
不安そうに言う相手の髪を、オラトリオは宥めるようにそっと撫でた。
このオラクルは外見は15歳程度だが、心は2,3歳の幼児と変わらないのだろう。そして一人寝を寂しがるのは、恐らくいつもはコードが一緒に寝ているから。
幽かな嫉妬を、オラトリオは感じた。
「__判った……。狭いベッドだが、一緒に寝ようぜ?」
オラトリオが言うと、盲目のオラクルは嬉しそうに微笑んだ。
「ねえ、オラトリオ。明日も仕事なの?」
「嫌…明日は休みだが__」
「だったら、ずっと一緒にいてくれる?」
期待と不安を露にして、盲目のオラクルは訊いた。
ノーとは、とても言えない。
「あ…あ。明日は一緒に出かけて、お前の着替えとか買わなきゃな」
奇妙な落ち着かなさを覚えながら、オラトリオは盲目のオラクルと共にベッドに入った。
翌朝。
寝足り無さを感じながら、オラトリオはベッドの上で半身を起こした。
傍らでまだ眠っている盲目のオラクルを起こしてしまわないように、そっとベッドから抜け出る。
寝足り無いのは、昨夜なかなか寝付けなかったからだ。自分に寄り添って眠る少年の存在に気持ちが乱され、寝つきも悪ければ、眠りも浅かった。
そんな自分を浅ましく思い、オラトリオは軽く溜息を吐いた。
バスルームに入り、熱めのシャワーを浴びる。
今日は盲目のオラクルと買い物に出なければならないが、その間、もう一人のオラクルをどうすれば良いのか迷う。
誘っても一緒には来ないだろうから、独りでアパートに残すしかないと、オラトリオは思った。それを、どうオラクルに伝えれば良いのか……
憂鬱に思いながら、オラトリオは手早く身支度を整えて、バスルームを出た。
その時、オラトリオは異変に気づいた。
この数日、ずっと堅く閉ざされたままだったオラクルの部屋のドアが僅かに開いている。
「__オラクル……?」
嫌な予感に、胃の腑を掴まれたように感じる。
思い切ってドアを開けると、部屋はもぬけの空だった。
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