硝子球の瞳。



幽かな気配に、暁の長・スオウは僅かに首を巡らし、相手の姿を視界に捉えた。
部屋に入ってきたのはイタチだった。
「どうした?」
「…サソリとデイダラが…」
「ああ。処理はゼツにさせておく」
スオウの言葉に、イタチは幽かに眉を顰めた。
イタチのその反応に、スオウは冷笑した。
「何か不満か?あの二人はお前のノルマを横取りした。自業自得だろう」
「…死んでいたのは、俺だったかも知れない」
有り得ないな、と、スオウは言下に言い放った。
「お前とあの二人とでは器が違う。お前は俺が見込んだ男だ。だから手ずから火遁も瞳術も教えた__忘れたか?」
スオウの言葉に、イタチは答えなかった。
ただまっすぐに相手の眼を見る。
スオウの瞳は色素が薄く、殆ど透明と言っても良いくらいだ。
そしてそれが何を意味するのか知っているのは、イタチだけだ。

「…あの二人は、仲間だった」
僅かに間を置いて、半ば独り言のようにイタチは言った。
「それがどうした。まさか助けてやれば良かったとでも言う気か?」
「あなたのあの術を使えば、今からでも__」
「お前の眼と引き換えにしてか?」
イタチの言葉を遮って、スオウは言った。
「確かにあれを使えば視力を失った眼であろうと失われた生命そのものであろうと蘇らせる事は出来る。だがあれはそう易々と使える術ではない。人知を超えた膨大で強力なチャクラが必要だ」
人柱力から引き剥がした尾獣はそのチャクラの源となる。
だが尾獣を人柱力から引き剥がすのにもチャクラが必要となる。だから全ての尾獣を手中にするまでは無駄なチャクラを使う事は避けなければならないのだと、スオウは言った。
「それは…判っている」
「判っているなら何故、サソリとデイダラを蘇らせる事に拘る?」
イタチは答えなかった。
そのイタチの頬に、スオウは軽く触れた。
「お前の不機嫌の理由は判っている。俺が用済みになった二人を見殺しにしたと思っているのだろう?」
スオウはもう一方の手でイタチを引き寄せるようにして、間近に見つめた。
「俺はお前を裏切ったりはしない。お前の眼は、必ず治してやる」
イタチは答える代わりにスオウの手を振り払った。
スオウは、幽かに苦笑した。
「俺の言葉が信じられないのか?それとも、お前に一族殺しの罪を被せた事を、まだ恨んでいるのか?」
「…恨んでなどいない。それに、あなたを信じていないのならば、今ここにこうしていない」
ただ、と、イタチは内心で思った。
が、それを口に出しはしなかった。

「イタチさん、聞きましたか?サソリさんとデイダラさんが大変な事に……」
スオウの部屋から出、自分の部屋に戻ろうとしていたイタチに、鬼鮫が声をかけた。
「ああ…聞いた」
素っ気無いイタチの言葉に、相変わらずだと鬼鮫は思った。
イタチは感情を表に出す事が殆ど無い。
初めて会った頃は、イタチは感情そのものが乏しいのだと思っていた。
だが何年もパートナーとして一緒にいる内に、それが間違いだったと気づいた。
感情が乏しいどころか寧ろ感受性豊かだと言っても過言ではない。
ただそれを表に現さないので、周囲からは誤解されやすい。
今も二人の死を平然と受け流しているように見えるが、イタチが内心穏やかでは無いのが、鬼鮫には感じ取れた。
「もしかしてボスに呼ばれてたんですか?あの二人の事で?」
「いいや」
短く、イタチは言った。
鬼鮫はイタチが続けるのを待ったが、イタチはそれ以上、話す積りはないらしく、そのまま踵を返した。
「…あんな人では無かった」
「__はい?」
独り言のような呟きが聞き取れず、鬼鮫は聞き返した。
だが、イタチは答えなかった。






髪紐の色



「イタチさん、どうしたんですか?会議の時間、とっくに過ぎてますよ?」
暁の定例会議の場に姿を現さないイタチを呼びに来たのは、パートナーの鬼鮫だ。
こちらを見たイタチの雰囲気はいつもと違っていたが、それが何なのか気づくまで、僅かに時間がかかった。
その日、イタチは髪を降ろしたままだった。
だからどことなく柔らか__と言うのではないが、大人しげな雰囲気がしているのだと内心で独りごちてから、鬼鮫は改めてイタチに声をかけた。
「どうしました?何か……」
「見つからない」
半ば独り言のように、イタチは言った。
苛々と引き出しを開け閉めし、何かを探しているようだ。
「探しものなら後で手伝いますから、今は会議に__」
「こんな格好で行けるか」
不機嫌そうに、イタチは鬼鮫の言葉を遮った。
改めて、鬼鮫はイタチを見た。
髪を降ろしたままだし、暁のマントも着ていない。
鎖帷子の上に半袖の黒いアンダーを身につけただけのその姿は、頼りなげなまでに華奢だ。
無論、イタチがその外見に似合わぬ実力の持ち主である事を鬼鮫はよく知っている。
初めて会った時に美しい少女かと見まがえたその相手は、木の葉の忍でも最強と謳われるうちは一族をただ一人で殲滅したS級犯罪者だ。
パートナーとなった初期の頃に、イタチの能力(ちから)は充分に知らしめられる事となった。
だが寡黙で感情を表に出さないイタチを理解するにはもっと時間が要った。
或いは、7年も一緒にいる今でも、イタチの事を本当には理解できていないのかも知れない。

「何を探してらっしゃるんですか?」
鬼鮫の問いに、イタチは答えなかった。
構わず、鬼鮫は問いを重ねた。
「大切な物なんですか?」
「……髪紐」
短く、イタチは言った。
その答えは意外だったが、それならばイタチが髪を降ろしたままでいるのも頷ける。
「私も一緒にお探ししますよ。でも、皆さんお待ちですからもう少し探して見つからなかったら__」
あ、と、鬼鮫は小さく呟いた。
それから、黒い髪紐を手に取った。
「ここにありましたよ、イタチさん」
だが誇らしげな鬼鮫の報告に、イタチはただ眉を顰めただけだった。
「……イタチさん?」
「それじゃ、無い」
「髪紐だったらどれも同じじゃないんですか?もう集合時間はとっくに過ぎてますし、皆さんお待ちなんですよ?」
内心の幽かな苛立ちを抑え、努めて穏やかな口調で鬼鮫は言った。
イタチは何も言わず、相変わらず苛々と綺麗に片付いた部屋の中をひっくり返している。
「……ええと、これでなかったら、どんな髪紐なんですか?」
「……」
「色は?」
「……赤、だ」
この上なく不機嫌そうに、イタチは言った。
赤い髪紐ですかと言いかけて、鬼鮫は口を噤んだ。
鬼鮫の知る限り、出会ってから7年の間ずっと、イタチは黒い髪紐を使っていた。
それがごく最近になって、緋色の髪紐を使うようになった。
その理由を鬼鮫は訊かなかったが、それが誰かからの贈り物である事は、容易に想像が出来た。
誰か大切な人からの贈り物だから、好みに合わなくとも使っていたのだ。
どす黒い嫉妬で感情が乱れるのを感じ、鬼鮫は苦笑した。
イタチの想い人が誰であれ、自分が割り込む余地などどこにも無いのだ。

「……取りあえず、今はこれで良い事にしませんか?会議が終わったら、一緒に探しますから」
言って、鬼鮫は黒い髪紐をイタチに差し出した。
イタチは渋々それを受け取った。
イタチが髪を括るのを眺めていた時、不意にある記憶が鬼鮫の脳裏に蘇った。
------イタチの写輪眼と同じ色なんだから、絶対に似合うって。うん。
屈託無く笑うデイダラと、何も答えないイタチ。
相変わらずだ、あの二人はと、半ば呆れたように言うサソリ。
思い出した。
と言うより何故、今までそれに気づかなかったのか判らない。
イタチが緋色の髪紐を使うようになったのは、デイダラとサソリが死んだ翌日からだ。
そしてイタチに緋色の髪紐を贈ったのは、デイダラだ。
デイダラは屈託のない性格で、何度無視されても構わずにイタチに話しかけ続けていた。
そんなデイダラをイタチがどう思っているのか鬼鮫が聞いた時、「デイダラは弟と同い年だ」と、答えにならない答えをイタチがしたのは、いつの事だったか。

「……イタチさん?」
すっかり身支度を終えたイタチに、鬼鮫は言った。
「失くした髪紐、きっと見つかりますよ。いえ、絶対に見つけましょうね」
微笑して言った鬼鮫に、イタチは何も言わなかった。
無言で自室から出たイタチの後に、鬼鮫もまた黙ったまま従った。




月色



こんな所にいたんですかと声をかけようとして、鬼鮫は口を噤んだ。
蒼白い月の光を浴びて佇むイタチの姿は一幅の絵のようで、どこか神秘的ですらある。
自分が今、見ているのは月読__イタチの幻術ではなく、月の精という意味の__が見せている幻で、声をかけたら消えてしまうのではないか……
そんな想像を弄びながら、鬼鮫はイタチから話し掛けてくるのを待った。

「…何か用か」
やがて月を見上げたまま、イタチが問うた。
「用という訳ではありませんが…大丈夫かと思いまして」
その日イタチは吐き気がすると言って夕食に手をつけなかった。
夜になってから鬼鮫が様子を見にイタチの部屋に行くと、部屋はもぬけの空だった。
それで鬼鮫はイタチを探しに来て、一人森の中で佇んでいるイタチを見つけたのだった。
「吐き気なら収まった」
「それは良かったですが…風邪の引き始めかも知れませんから、戻って早めに休んだ方が良いですよ?」
「今夜は月が綺麗だ」
鬼鮫の言葉を無視するように、イタチは言った。
鬼鮫は夜空を見上げ、それから改めてイタチを見た。
僅かに躊躇ってから、以前から訊こうと思いながら訊けなかった問いを口にする。
「……どこまで…見えてるんですか?」
イタチは鬼鮫を見、それからまた視線を逸らせた。
「安心しろ。お前の足手まといにはならない」
「足手まといだなんて……!」
思わず強く言った鬼鮫に、イタチはほんの幽かに微笑った。
「日によって差があるが、チャクラを使いすぎなければそんなに酷い状態という訳じゃない」
「…それなら良いんですが…」
「特に今夜は、月の光がよく見える。紅い月など珍しいが…」
背筋に悪寒が走るのを、鬼鮫は覚えた。
こんな感情を抱くのは初めてだ。
強敵に囲まれて生命が危うくなった時ですら、恐怖など感じなかった。
生命など惜しくはなかったし、失うものなど何もなかったからだ。
それなのに、今はとても不安だ。

「…少し、風が出てきました。そろそろ戻りませんか?」
「ああ…」
短く言って歩き出したイタチの後ろ姿を、鬼鮫は黙ったまま見つめた。
私があなたの眼になります__そう言ったら、この人はきっと笑うのだろう。
内心で思いながら、鬼鮫は蒼味がかった白い月を、改めて見上げた。








「髪紐?何の話だ」
「あなただという事は判っている。返してくれ」
スオウは改めてイタチを見た。
サソリとデイダラが死んでからずっとイタチは機嫌が悪い。
イタチは感情を殆ど表に表さないのでそれに気づいている者はいないだろう。パートナーとして何年も一緒にいる鬼鮫でさえも。
だがイタチが幼い頃からずっとイタチを見てきたスオウは、その感情の乱れを見逃さなかった。
「お前が罪悪感を抱く必要など、無い」
「……シスイ……」
スオウは幽かに口元を綻ばせた。
「その名で呼ばれるのは久しぶりだ。とっくに棄てた名だが、お前の声が俺の名を呼ぶのを聞くのは心地よい」
イタチは黙ったまま、不機嫌そうに眉を顰めた。
スオウ__シスイ__はイタチに歩み寄り、その髪に指を絡めた。
「お前の機嫌が悪いのは、俺が暁のメンバーを利用しているだけではないかと疑っているからと、デイダラたちを助けてやれなかった事に苛立っているせいだろう?」
確かに、と、シスイは続けた。
「あの時、デイダラは一尾の人柱力との戦いで片腕を失い、チャクラも消耗していた。だがサソリも一緒だったし、まさか二人ともあんなことになるなどとは、俺も思っていなかった」
「……仕方が無かったのだ…と?」
「お前も暗部では部下を持つ身だった。やむを得ぬ理由で部下を見捨てなければならない状況も経験している筈だ」

イタチは答えなかった。
宥めるような口調で、シスイは続けた。

「確かに九尾はお前のノルマだったが、言い出したのはサソリだ。あの時二人を止めなかったからと言って、お前が罪悪感を感じる事はない」
「……俺が罪悪感を感じているように見えるのか?」
「さもなければ、どうしてデイダラに押し付けられた髪紐などに拘る?」
イタチの問いに、シスイは問いで応えた。
イタチは視線を逸らせた。
「失ったものの事をいつまでも嘆いていても仕方あるまい」
「…だから、髪紐を盗んだのか?」
シスイは幽かに苦笑した。
「忘れてしまった方がお前の為だ。それに、デイダラはサスケでは無い」
イタチは改めてシスイを見た。
「……あなたには、隠し事は出来ないようだ…」
「お前が俺を追って来たのが、三代目火影の命に従っての事だというのも知っている」
「……!」
笑って、シスイは子供にするようにイタチの髪を撫でた。
「そんな顔をするな。お前は俺と共に高みに近づく道を選んだ__そうだろう?」
「俺はただ……あなたが一族を滅ぼしてまで成し遂げようとした事がなんだったのか、それを見届けたいだけだ」
もうすぐだ、と、シスイは言った。
「全ての尾獣を手に入れるにはまだ時間がかかるが、そう長く待たせはしない。だから、俺を信じていてくれ」
イタチは何も言わず、黙って相手を見つめた。




コンプレックス



「うちはイタチだ。今日からお前とツーマンセルを組む事になる」
スオウに引き合わされた相手を、鬼鮫はまじまじと見つめた。
木の葉最強と謳われるうちは一族をただ一人で滅ぼしたS級犯罪者。
まだ13の子供だが、実力はお前より遥かに上だとスオウから予め聞かされている。
その相手がまさか、こんな美しい少女だとは思ってもみなかった。
「ええと…干柿鬼鮫と申します。以後お見知りおきを」
礼儀正しく言って握手の為に手を差し出したが、相手は何か異質なモノでも見るような眼で薄蒼い皮膚をした鬼鮫の手を見ただけだった。
そういう反応には慣れている。
初めて会う者は皆、鬼鮫の外見に恐怖や嫌悪を示した。
いきなり化け物呼ばわりされて同じ里の仲間である筈の忍から殺されかけたことも、一度や二度では無い。
実力を身につけ、『霧の忍刀7人衆』と称されるようになってようやくまともな扱いを受けるようにはなったが、子供の頃などは毎日、悪質な苛めにあい、生傷が絶えなかった。
誰かも判らない両親が自分を棄てたのも、この外見のせいなのだろうと思う。
であれば両親は自分と同じ姿はしていない事になり、自分が何故こんな身体で生まれたのかと、世を呪ったことなど数え切れない。
今日からパートナーとなる美しい少女の反応に、鬼鮫の脳裏にかつての苦い思い出が蘇った。
「長旅で疲れているだろう。部屋に案内して、いろいろ教えてやれ」
スオウの言葉に、鬼鮫は「何故、私が」と咽喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。

「ここがアナタの部屋ですよ。一通りの物は揃えてありますけど、何か欲しいものがあれば言ってください」
鬼鮫の言葉にイタチは答えなかった。
無言のまま、警戒するかのように部屋の中を見回す。
「ここは幾つもあるアジトの一つなんですよ。まあ多分、ここが一番居心地良く出来てますかね」
イタチは、やはり何も言わない。
どうやらすっかり嫌われたようだと、鬼鮫は思った。
自分のこの外見ではイタチくらいの年頃の少女に嫌われるのは無理も無いが、その相手とツーマンセルを組まなければならないのは厄介だ。
どうして選りによって自分とこの少女なのだろうと、鬼鮫は内心、溜息を吐いた。

「イタチさんを部屋に案内しましたけど…」
スオウの元に戻ると、鬼鮫は言った。
「どうも、私は嫌われてしまったようです」
スオウは軽く笑った。
「あれは人見知りする性格なんだ。別に、お前が相手だからじゃない」
「それにしても…どうして私となんですか?あんな綺麗なお嬢さんと私では、いかにも不釣合いでしょうに」
鬼鮫の言葉に、スオウはやや意外そうに目を瞠った。
それから、笑い出す。
「『釣り合い』とは何の話だ?まさか、イタチと夫婦にでもなる積りか?」
「なっ……私はただ__」
「ただ火遁を得意とするイタチと水遁が得意なお前を組ませただけだ。それに、お前ならば安心だと思っていたが……」
笑うのを止め、スオウは間近に鬼鮫を見た。
その凍るような殺気に、背筋が寒くなるのを鬼鮫は覚えた。
「イタチに手を出したら、殺す」
忘れるなと言い捨てると、スオウはその場から姿を消した。



「ボスも意地が悪いですよね。最初に教えてくれれば良かったものを」
7年前を思い出し、鬼鮫は言った。
結局、イタチが初めて喋るのを聞くまで__出会いから十日後の事だったが__鬼鮫の誤解は解けずじまいだった。
今にして思えば、イタチが男であれ女であれ、自分の気持ちは変わらないのだろうが。
「…何の話だ?」
「言いませんよ。言えばきっと、アナタは怒るから」
訊いたイタチに、鬼鮫は笑って言った。
「……おかしな奴だ」
呟くように言って視線を逸らしたイタチの整った横顔を、鬼鮫は見つめた。
そうしてイタチが失明して能力(ちから)を失えば、自分はイタチに少しでも近づけるのだろうかと、おぞましくも甘美な空想に耽った。




探し物の在り処。



「ナルト__九尾の人柱力はどうした?」
「オイラのノルマは済んでるぞ、うん」
イタチの問いに、デイダラは不機嫌そうに答えた。
両腕を失った痛々しい姿だが、案外元気そうだ。
「デイダラさんがご無事だったのは良かったですけどねえ」
デイダラの去った後、言外に含みを持たせて鬼鮫は言ったが、イタチは何も言わなかった。


----暗部の兄ちゃん、名前なんていうんだってば?
----言えない
----顔、見せてよ
----駄目だ

古い記憶に、イタチは幽かに眼を細めた。
膨大な力を秘めた不安定な子供。
それをさまざまな害から護るのが、イタチに与えられた任務だった。
『護る』とは言っても、もしも力が暴走する事があれば人柱力ごと九尾を屠るのが、任務の要だったのだが。
ナルトの前に姿を見せる事は禁じられていた。
あくまで『影』として、ナルトを護れ、と。
だがどんなに完璧に気配を消しても、ナルトは野獣に似た勘でそれに気づき、姿の無い影に怯えた。
幼い時から里人たちの謂われない怨恨の感情に晒されていたナルトは、自分を見つめる視線に異常なまでに敏感に反応した。
いつも過剰に怯え、そのせいで酷く不安定だった。
このままでは遠からず九尾の力を制御できなくなる。
そうなる前にナルトを始末すべきだというのが、里の上層部の大半の意見だった。

イタチが命令に背いてナルトの前に姿を現したのは、『影』として護衛している暗部の存在がナルトを一層、不安がらせてしまっているのだと確信したからだ。
そして、イタチの読みは当たっていた。
ナルトは初めこそ警戒を示したものの、すぐにイタチに懐き、笑顔を見せるようになった。
数ヶ月のうちにナルトは大分落ち着き、それまで軟禁するかのように匿われていた火影の別邸を出、街中で一人暮らしするまでになった。
ナルトが落ち着くと、イタチは警護の任を解かれた。
次にナルトに会ったのは、6年後だ。


「人のノルマを横取りしておいてああいう言い方をするのは、余り感心できる態度とは言えませんねえ」
「……あれで良い」
鬼鮫の言葉に、半ば独り言のようにイタチは言った。
鬼鮫は何か言いたげに口を開いたが、何も言わず、軽く肩を竦めた。




堕天使の標本



「イタチさんは、どうして里を抜けたんですか?」
一尾の尾獣・守鶴の獲得成功後、暁は次の尾獣捕獲の準備に入っていた。
とは言え、さしあたってすべき事は何も無い。
鬼鮫がイタチに問うたのは、そんな無聊を少しでも紛らわせたかったからだ。
イタチが己の一族を滅ぼした事は知っている。里を抜けた直接の理由は無論、一族殲滅だろう。
聞きたかったのは、『何故』、だ。
「…お前は?」
無視されると思いきや、逆に聞き返された。
だがイタチも答えを期待していないのか、視線は窓の外に向けたままだ。
「大名を殺してしまいましたからね。里のお得意様を。それで『国家破壊工作犯』として追放__」
「殺したのは知っている。理由は何だ」
相手の言葉を遮って、イタチは言った。
「……暗殺のターゲットがその大名だと、命令を受けたんですよ」
イタチは視線を転じ、鬼鮫を見た。
「詳しい事は判りませんが、要するに私はハメられたんです」
自嘲めいた哂いを口元に浮かべ、鬼鮫は続けた。
「ターゲットが大名ですから、裏ではイロイロと利害が絡んでいたんでしょうが、私がその実行犯に仕立て上げられたのは__まあ、嫌われていたからでしょうね」
「何故だ?」
イタチの問いに、鬼鮫は肩を竦めた。
「美しく生まれついた者はそれだけで愛される。逆もまた真なり、というろころでしょう」
尤も、と、鬼鮫は続けた。
「アナタは孤立していたようですが」
イタチは何も言わず、視線を逸らせた。

イタチは里を抜けてすぐ暁に入り、鬼鮫とはその時からずっとツーマンセルを組んでいる。つまり7年も寝食を共にしたパートナーだが、お互いの過去の事は殆ど知らない。
鬼鮫は何度か聞いてみたいと思いはしたが、きっかけが掴めなかった。
それに、イタチが過去の事を話したがるとも思えない。
「…周囲からは、いつも妬まれていた。同じ一族の者は、特にそれが酷かった」
だから、イタチが話し始めたのは、鬼鮫には意外だった。
窓の外を見遣ったまま、独り言であるかのようにイタチは続けた。
「自分の父親にすら妬まれていた。あの人は、自分に無いものを俺が持っている事を妬み、恐れていた」
そして「オレの子」という言葉を繰り返す事で、その感情を誤魔化し、同時にイタチを支配しようとしていた。
イタチはその事に薄々気づいてはいたが、はっきりと指摘したのはシスイだ。
「…そうなんですか。それで……」
殺したのですかと言いかけて、鬼鮫は止めた。
イタチはそんな単純な人間では無い。
「うちはシスイという男がいた。うちは一の手練れで、俺はあの人に育てられたようなものだ」
「つまり、アナタの師匠なんですか?」
イタチは否定も肯定もしなかった。
そして鬼鮫の言葉を無視するように、続けた。
「うちは一族は衰退し、閉塞していた。シスイはその状況を打開しようとしたが聞き入れられず、一族の為という名目の元に利用され続けた」
シスイはそんなうちは一族を見限り、里抜けを決意した。
そして一緒に来るようにイタチを説得したが、本家嫡男としての自覚のあるイタチはシスイの誘いを拒んだ。
シスイは『象転の術』の原型となる『象形の術』で身代わりを用意し、自殺したと見せかけて里を抜けた。
その後シスイはスオウと名を変え『暁』を組織し、やがて五尾の尾獣と契約を結ぶ事に成功した。
代償は、うちは一族の生命。

「それはつまり、ボスはうちは一族を生贄にして、あの力を得たという事なんですか?」
驚いて、鬼鮫は聞いた。
尾獣を人柱力から引き剥がすには膨大なチャクラが必要となる。
『幻龍九封尽』はトップクラスの術と技を持つ暁のメンバーが総がかりで発動可能となる程の高度な術だが、そもそもその術が可能となるのは首領のスオウに特別な力が備わっているからだ。
どうしてスオウにそんな力があるのかなどと鬼鮫は考えた事も無かったが、尾獣との契約でその力を得たとなれば、納得は行く。
「待ってください。だとしたらうちは一族を滅ぼしたのは、アナタでは無くて……」
「異変の起きた事を三代目火影は『遠眼鏡の術』で察知し、暗部の俺の分隊を現場に向かわせた。だが俺は命令に背き、部下たちを帰らせた。シスイが戻って来たのだと、気づいたからだ」
鬼鮫は黙ったままイタチの横顔を見つめた。
イタチの真意が判らない。
一度はシスイの誘いを断ったイタチが暁に入ったのは、シスイと同じように一族に幻滅していたからなのか、それとも火影の密命を受け暁の内情を探り、いつの日にかシスイを討ち果たすのが目的なのか……
鬼鮫はイタチが続けるのを待ったが、イタチは口を噤んでしまった。
これ以上は、聞いても話すまい。
もし、イタチが暁を裏切る事になったら、自分はどうするのだろうと鬼鮫は思った。
暁に対しては忠誠心も未練も無い__里に対して忠誠心を感じた事がないように。
イタチが選ぶ道ならば、それがどこに向かうのであれ共に歩みたいと、心から思う。
だがもしイタチの今までの行動が全て火影の密命によるものならば、本懐を遂げたその時にはイタチの汚名も晴らされ、木の葉の里に帰るのだろう。
偽りの命令に従っただけとは言え大名殺しの実行犯である自分が、イタチと共に木の葉の里に迎え入れられるとは、とうてい考えられない。

「…どうして、私にこんな話を?」
鬼鮫の問いに、イタチはすぐには答えなかった。
ゆっくりと目を閉じ、それから口を開く。
「俺の目が視力を失う前に、お前には話しておきたかった」
「イタチさん……」
イタチは眼を開け、鬼鮫を見た。
だが何も言わず、そのまま再び視線を逸らせた。




例えば、全てが夢だったとしても。



「アンタの夢って何なんだ、うん?」
唐突なデイダラの問いに、鬼鮫はたじろいだ。
「夢…ですか」
かつてならば、そんなものは無いと一笑に付した事だろう。
だが今は、その陳腐な言葉が酷く甘く感じられる。
視力を失い、その能力(ちから)の殆どを失ったイタチの側近くで世話をし、二人きりで静かに過ごす__そんな情景が、脳裏に浮かぶ。
それが実現する可能性など惨めなほど無に近いのだと判っていても、想う事は止められない。
「イタチと二人で幸せに暮らしたいだなんて言うなよ?」
「……!私は__」
「あのイタチが自分より弱い相手に靡くと思うか?それに、イタチはボスのお手つきだからな__知ってるだろうけど」
揶揄するような、同時に痛みを堪えているような奇妙な表情で、デイダラは言った。
「夜遅くにイタチがボスの部屋から出てくるのを何度か見た。相手が悪いぞ、うん」
「……私とイタチさんはツーマンセルのパートナーであって、お互いのプライバシーには関わっていませんから…」
鬼鮫が言うと、デイダラは今度こそはっきりと侮蔑の表情を浮かべて鬼鮫を見た。
「美しいものを欲する気持ちは判る。それでも、オイラたちは所詮、異形の者だ」
「……デイダラさん……?」
確かに手に口のあるその姿は『異形の者』と呼べるのかも知れない。が、美しい少女のような容貌を持つデイダラがそんな事を言うなどと、鬼鮫には意外だった。
「美しいものは好きだ。心をかき立てる。でも、長続きはしない」
だから、と、デイダラは続けた。
「花が萎れる前に散らせ、人が老いる前に死なせる__それが、芸術だ」
「『一瞬の美』……ですか」
「『永遠の美』なんてありはしない。だからサソリの旦那は……」
途中で、デイダラは口を噤んだ。
その横顔を眺めながら、もしも、と、鬼鮫は思った。
もしもイタチが視力を失い、もしもその能力(ちから)の殆どを失ったなら。
あのプライドの高いイタチの事だ。
惨めな姿を晒してまで、生き永らえようとはすまい。
もしも、そうなったなら……
共に逝くというのは甘美な夢だ。
共に生きる事が許されないならば、せめて共に死を。
だがイタチも同じ事を望んでいるなどと、とうてい思えない。
だとすれば、自分はただの道化でしか無い。

「…それで、デイダラさんの夢は何なんですか?」
「言わない。良い事は人に言っちゃいけないって云うからな、うん」
「自分から聞いておいて、それはズルイですよ」
言って、鬼鮫は苦笑した。
「アンタだって自分の夢が何なのか、言ってないぞ、うん」
「サソリさんの夢は何だったんでしょう…」
視線を空に転じ、半ば独り言のように鬼鮫は言った。
デイダラは一瞬、目を見開き、それから視線を逸らせた。
「…人形になりたかったのかもな。旦那は、芸術は『永遠の美』だって言ってたから。朽ちることも老いることもない人形に」
取り付けたばかりの義手で膝を抱え、デイダラは続けた。
「『人形』になってしまえば、憎む事も妬む事も無くなる。嘆く事も哀しむ事も」
「……」
「子供の頃、オイラは何度も手を切り落とそうとした。あれさえなければ『化け物』呼ばわりされなくて済むって思ってな、うん」
幽かに苦笑し、デイダラは続けた。
「それでも、無くなってしまうと何だか物足りないな。やっぱりニセモノはニセモノだ」
「……それは……」
『人形』はニセモノだと言いたいのだろうかと、鬼鮫は思った。
人形は憎む事も妬む事も、嘆く事も哀しむ事も無い。
そして、愛する事も愛するものと共にあろうと願う事も無いのだ。

「イタチの事は、早い内に諦めた方が良いぞ、うん」
立ち上がりざまに、デイダラは言った。
鬼鮫に背を向け、続ける。
「でないと、失うのが辛くなる」
「…デイダラさん…」
去ってゆくデイダラの後姿を見送りながら、もう手遅れだと、鬼鮫は思った。




偶像恋愛



イタチを探して森に入った鬼鮫は、幽かな物音に足を止めた。
振り向いた視線の先に、イタチはいた。
上空から落下しながら、流れるような動きで手裏剣を投げている。
「……!」
イタチが目隠しで両目を覆っているのに気付き、鬼鮫ははっと息を呑んだ。
そしてイタチが落下しつつある先に岩があるのを見た時、考えるよりも早く地を蹴り、宙を跳んだ。
「イタチさん……!」
横抱きにイタチを抱きかかえて鬼鮫が着地すると、イタチは目隠しを外し、幾分か不機嫌そうに鬼鮫を見た。
「何故、邪魔をする?」
「あのままでは岩にぶつかっていました」
「俺によける気が無いとでも思ったのか」
イタチの言葉に、鬼鮫は頬に血が昇るのを感じた。
イタチが周囲の地形を計算に入れていない訳は無かった。目隠しをする前に、的の位置も含めて周囲の状況はしっかり頭に入れていた筈だ。
「済みません、つい……。浅慮でした」
謝りながら、失明したイタチが自ら生命を絶つ可能性を考えていた自分を、鬼鮫は恥じた。

イタチは強い。
術や技に秀でているだけでなく、精神的にもとても強いものを持っている。
初めて会った時にはまだ13の少年だったが、その頃から弱みや隙を見せた事が無い。
鬼鮫は常々イタチのその強さを賛美しているが、時には恨めしく思うこともある。
イタチに惹かれるようになってからは特に。
忍としてイタチの方が強いのは紛れも無い事実だが、11も歳が離れているのだから少しくらい甘えてくれても良いのにと思わずにいられない。

イタチの視力が落ちている事を知った時、鬼鮫は不安を感じた。
イタチの力は瞳術だけに拠っている訳ではないが、それでも写輪眼が使えなくなってしまえばその力の大半を失うのも事実だろう。
ツーマンセルのパートナーとして、イタチの力が大きく損なわれる可能性に、不安を覚えたのだ。
だが不安と同時に、一種の奇妙な期待も抱いた。
いくらイタチが忍として優れていても、完全に失明してしまえばどうしても誰かの助けを必要とするようになる。
そうなればイタチが自分を頼ってくれるようになるのでは無いかと、期待してしまうのだ。
もしそうなったとしても、イタチはあくまで自分を仲間として頼るだけであって、告げる事も出来ずにいる想いに応えてくれる筈など無いと、頭では判ってはいても。

「…いつまでこうしている積りだ?」
「あ……!済みません」
イタチに言われ、鬼鮫は慌てて抱き上げたままでいたイタチを降ろした。
と殆ど同時に、左腕に軽い痛みを覚えた。
イタチを助けようとして__その必要は無かったのだが__手裏剣と的の間に飛び込んだせいで、腕に怪我をしたのだ。
その痛みにも気付かぬほどイタチの事ばかり考えていた自分に、鬼鮫は我ながら呆れた。
「…怪我をさせてしまったようだな」
イタチの言葉に、鬼鮫は改めて自分の浅慮さを恥ずかしく思った。
「余計な真似をして邪魔した私が悪いんです。それに、こんなモノ舐めときゃ治ります」
「そうか?」
言ってイタチは鬼鮫の腕に軽く触れ、それから傷口に舌を這わせた。
「……!……」
柔らかく湿ったイタチの舌が自分の膚の上でゆっくりと蠢く様を、鬼鮫は半ば呆然と見つめた。
一体、何の気まぐれなのかイタチがどういう積りでいるのか判らない。
それでもイタチがこうして自分に触れているのだという事実に、心臓が早鐘のように打ち、身体の中心が熱くなるのを鬼鮫は感じた。
「…確かに深い傷ではないな」
言って、イタチはつれなくも鬼鮫から離れた。
そして、俺に何か用だったのかと訊く。
用があった訳ではなく、ただ部屋にイタチの姿が無かったから探しに来ただけの鬼鮫が「いいえ」と答えると、イタチは素っ気無く踵を返した。

立ち去ろうとしたイタチを抱きしめたのは、文字通り、衝動的な行動だった。
抱き上げた時には細身とは言え鍛えられた身体ゆえに女のように軽くは無かったが、こうして抱きしめると鬼鮫の腕の中にすっぽりと収まる。
その華奢さに、このひとを護りたいと、鬼鮫は強く思った。
「__私が……私がアナタの目になります」
やっとの思いで告げた言葉に、イタチはすぐには答えなかった。
暫く沈黙を守り、それから口を開く。
「…言った筈だ。お前の足手まといにはならない、と」
「イタチさん……」
鬼鮫の腕から力が抜けた。
----あのイタチが自分より弱い相手に靡くと思うか?
デイダラの言葉が脳裏に蘇り、鬼鮫は苦く笑った。
一体、自分は何を期待していたのだと、自らを貶める。
やはりデイダラの忠告を受け入れるべきだと思いかけた時、イタチが振り向きもせずに言った。
「だが、お前の気持ちは受け取っておく」
それだけ言って歩み去るイタチの後姿を見送りながら、罪な人だ、と鬼鮫は独りごちた。





嘘と言う名の真実



「鬼鮫」
名を呼ばれ、振り向くのと殆ど同時に鳩尾のあたりに激しい衝撃を感じ、そのまま数メートル飛ばされて木に叩きつけられた。
ゴフッと咳き込み、どす黒い血を吐く。
それでも何とか立ち上がって鮫肌に手をかけた鬼鮫の眼の前に立っていたのは、『暁』の首領であるスオウだった。
「イタチに手を出すなと言っておいた筈だ。忘れたか?」
身の竦むような殺気と共に、スオウは言った。
スオウが鬼鮫にそれを言ったのは7年も前の事だが、鬼鮫はその言葉も、その時のスオウの凍りつくような殺気も覚えている。
今も、凄まじいばかりの殺気に押し潰されそうだ。
だが、それでも鬼鮫は怯まなかった。
鬼鮫の傷を舐めた行為に深い意味は無いのかも知れないが、スオウ=シスイの過去を自分に話したのは、イタチが少なくともパートナーとして自分を信頼しているからだと思っても自惚れにはなるまい。
「私はあの人を護りたい……ただそれだけです」
「笑止な」
低く、スオウは言った。
「イタチは貴様ごときに護られるほど弱くはない。それにもし必要があるなら、この俺が護る」
鬼鮫は、三代目火影の命でシスイを追ったというイタチの言葉を思い出していた。
イタチがシスイの説得を受け入れて里を抜けたのか、それとも『暁』に潜入するのが目的だったのか、その真意は判らない。
もし後者だとすると、イタチはシスイを油断させるために身を委ねている事になる。
そう思うと、嫉妬と憤りではらわたが煮え返るように鬼鮫は感じた。
「貴様はイタチの単なるツーマンセルのパートナーだ。それを履き違えるなら…次はこの程度では済まんぞ」
「……何故…アナタにそんな事を言われなければならないんですか?アナタとイタチさんは…恋人同士なんですか」
思い切って問うた鬼鮫の言葉に、スオウは不快そうに眉を顰めた。
「恋人なぞであるものか」
「でしたら__」
「イタチは、俺の子だ」

シスイは実琴(ミコト)の双子の姉の真琴(マコト)と恋仲だったが、真琴の家はうちは一族の中でも一、二の古い家柄で、真琴の両親は娘が年下の男と付き合うのを苦々しく思っていた。
それで二人の仲を裂こうと、両親は里の上層部に働きかけてシスイを長期任務に追いやった。
が、シスイが里を出てから真琴が懐妊している事が判り、真琴の両親は激怒すると共に真琴を家柄の釣り合う男と強引に結婚させようとした。
真琴はシスイと添い遂げられないなら里を抜けるとまで言って両親に反抗し、独り身のまま男の子を産んだが、産後の肥立ちが悪く、そのまま還らぬ人となった。

「俺がその事を知ったのは、真琴が亡くなって三ヶ月も経ってからだった。真琴は両親に監視されていて、里外任務に出ている俺とは連絡も取れなかった」
色素の薄い瞳で、スオウは鬼鮫を冷たく見据えた。
「あの時、俺が古いしきたりや因習に凝り固まっているうちは一族をどれほど憎み、呪ったか、貴様には判るまい」
「__だから……滅ぼしたのですか?」
鬼鮫の言葉に、スオウは意外そうに目を見開いた。
「うちは一族を滅ぼしたのは実はアナタだったと、イタチさんから聞きました。五尾の尾獣と契約して、引き換えに力を得た事も」
「イタチが貴様にそんな事まで……」
苦々しげに、スオウは言った。
イタチが鬼鮫を信頼している事は知っているが__さもなければ今頃鬼鮫を生かしてはいない__そんな事まで鬼鮫に話しているとは思わなかった。
鬼鮫はもう一度、血を吐き、それから口元を拭った。
「イタチさんは…アナタが実の父親だと知っているんですか?」
スオウは首を横に振った。
「イタチが生まれた時、俺は15のガキでしか無かった。任務に忙殺される身で子供を育てられる筈も無く、真琴の遺言もあってイタチは実琴夫婦に引き取られた。父親らしい事など何一つしてやれなかったのに、親だなどと名乗れるか」
「……イタチさんは、アナタに育てられたようなものだと仰ってましたよ」
それまで押し潰されそうに威圧的だったスオウの殺気が和らぐのを、鬼鮫は感じた。
「…放ってはおけなかった。だが俺が出しゃばったせいでイタチが養父母から疎まれるのは避けたかった。それでもイタチの才能は幼い頃から顕著で、ならば誰よりも強くしてやるのが俺の義務だと思った」
「もしや…アナタが尾獣の力を集めているのはイタチさんの為なんですか?」
鬼鮫の言葉に、スオウは幽かに目を細め、笑った。
それから再び、冷たく鬼鮫を見据える。
「忠告はした。次は無いと思え」

スオウの去った後、鬼鮫は立っていられなくなってその場に座り込んだ。
肋骨は折られていないものの、内臓はかなりのダメージを受けている。
そして攻撃を受けるまでスオウの気配は全く感じられなかった。
明らかに、格が違う。
スオウを敵に回せば自分など虫けらのように殺されてしまうだろう。
それでも、と鬼鮫は思った。
それでもイタチに対する自分の気持ちは誰にも止められるものでは無い。
その為に生命を落とす事になろうと構いはしないと、鬼鮫は思った。






散らない華・散り行く花



「あっけないですねえ…」
自分の斃した相手の屍骸を見下ろし、鬼鮫は呟いた。
禁術の巻物を奪い取る任務を命じられ、たった今それを完遂したところだ。
イタチは一緒では無い。
確かにこの程度の任務ならば自分ひとりでも充分だと鬼鮫は思ったが、それでもこのところずっと単独任務を言い渡されているのは、スオウが自分をイタチから引き離したがっているからだと考えずにいられない。
「それにしても、あのボスがイタチさんの……」
実の父親だという話は本当なのだろうかと、改めて鬼鮫は訝しんだ。

スオウとイタチの外見に似たところは少しも無い。そしてイタチとサスケはよく似ている。
だがあの『兄弟』はいずれも母親似で、母親同士が双子の姉妹であるならそれは納得できる話だ。
いずれにしろスオウがイタチに特別な感情を抱いているのは確かで、そしてイタチの真意は判らない。

どうしてあんな、色々な意味で難しい人に惹かれてしまったのかと溜息を吐いた鬼鮫の視界に、紅の花が映った。
「…死人花」
鬼鮫は彼岸花を、多くの別名の一つで呼んだ。
そんな呼び方をしたのはたった今、人を殺めたからなのだろうかと苦笑し、花に近づく。
本来、秋に群生して咲く花が冬の今頃に咲くのは珍しい。
その好奇心から、平素は花になど興味の無い鬼鮫であったが、長身をかがめ一輪の彼岸花を手に取った。
脳裏にイタチの横顔が浮かび、消える。
「……似ていますね、あの人に」
ほっそりした優美な姿とは裏腹に、鱗茎にアルカロイドを含む有毒植物。
その為か地獄花、幽霊花、剃刀花、捨子草、厄病花などの不吉な異名を数多く持つ。
だが鱗茎は石蒜(せきさん)という生薬でもあり、梵語に由来する曼珠沙華の別名は「天上の花・赤い花」を意味し、吉兆として天から降る紅い花を示す。
その禍々しさの故に忌み嫌われ、その美しさの故に人の心を惹き付ける。
鬼鮫は、一輪の彼岸花を手折った。
自らの一族を”滅ぼした”罪人でありながら、邪なものは僅かも感じられない。
冷酷な一面もあるが、残忍では無い。
感情を表す事が滅多に無く、その真意は計り知れない。
「だから惹かれてしまったんですかね……」
苦笑し、鬼鮫は踵を返した。



「似合わないぞ、うん」
アジトに戻るなりデイダラに遠慮の無い言葉を浴びせられた鬼鮫は、自分が彼岸花をそのまま持ち帰っていた事に気付いた。
「この季節に咲いているのは珍しいと思っただけですよ」
「それ、イタチに、か?」
そんな積りは無かったのだが、折角持ち帰った花をこのまま棄てる気にはなれず、かと言って自分の部屋に飾る気にはもっとなれない。
だからと言ってイタチが自分から花を贈られて喜んでくれるとも思えず、どうしたものかと思案している鬼鮫に、デイダラは続けた。
「『想うのはあなた一人』なんて、ベタすぎてキモチワルイぞ、うん」
「……は?」
「その花の花言葉だ。知らなかったのか?」
元来花に興味の無い鬼鮫は、当然の事ながら花言葉など知らなかった。
知っているのは鱗茎に毒が含まれている事や、充分に水に晒せば食用となりうるなどの実用的な事ばかりだ。
「デイダラさん、詳しいですね」
「…旦那に教わった」
そう言ったデイダラの表情が一瞬、曇ったのを、鬼鮫は見逃さなかった。
「その花の花言葉には、『哀しい思い出』っていうのもある」
「……イタチさんに渡すのは止めておきます」
初めからそんな積りはありませんでしたからと鬼鮫が言うと、それが良いと、デイダラは答えた。



鬼鮫は竹を割って作った花瓶に彼岸花を活けた。
数日後、花は萎れ、鬼鮫は竹の花瓶ごと、花を捨てた。





異国の子守唄



「イタチさん、見かけませんでしたか?」
「まだ諦めてなかったのか、うん?」
鬼鮫の問いかけに、半ば呆れた様な表情でデイダラは言った。
「……ボスの部屋、ですか」
「さっき、オイラが呼びに行ったんだから間違いない。いい加減、アンタも往生際が悪いな」
イタチはボスのお手つきなのだからイタチの事は諦めろと、デイダラに忠告されたのはいつの事だったろう。
イタチへの想いが叶う日が来るなどと期待するほど甘い鬼鮫では無いが、それでもこの感情は抑えられない。
「…私はただ、イタチさんの体調を心配しているだけです」
「体調?」
「吐き気がすると仰って、何も食べなかったんですよ」
暫く前からイタチは時折、嘔吐感に悩まされていた。
初めは鬼鮫もただの風邪か何かかと思っていたが、原因不明のその症状は、断続的にずっと続いている。
しかも最近は、その頻度が増していた。
「子供でも出来たのか?」
「デイダラさん…!」
「冗談だ。怒るな__そう言えば、最近、余り顔色が良くないし、何だか痩せたみたいだしな、うん」
このところずっと鬼鮫は単独任務を言い渡されていて、それはスオウが自分をイタチから引き離したいが為にしているのではないかと思っていた。
が、実際はイタチの体調不良にスオウも気付いていて、イタチを休ませるのが目的だったのかも知れない。
----必要があるなら、この俺が護る
スオウの言葉を、鬼鮫は思い出した。
スオウには計り知れぬ能力(ちから)があり、自分とは雲泥の差だ。
それに医療忍でもない自分がイタチの身体を案じたところで、何の役に立つ訳でも無い。
「……力が無いと言うのは、惨めなものですね」
「…はあ?急にどうしたんだ、うん?」
デイダラの問いに、鬼鮫は応えなかった。



「大分、楽になっただろう?」
ベッドの上に横たわったイタチの眼に手をあてたまま、スオウは言った。
「…吐き気がするのは、この『眼』のせいだったのか」
「そうだ。俺も随分それに苦しめられたが、原因が判ったのは失明してからだ」
スオウはイタチから手を離し、枕元に座った。
眼を開けたイタチは、幽かに不安げに眉を顰めた。
スオウは軽く笑い、宥めるようにイタチの前髪をかき上げた。
「心配するな。お前を失明させたりはしない。原因が判っている以上、治療も可能だ」
「だが完治はしないのだろう?__万華鏡写輪眼を使い続ける限り」
「ああ…。万華鏡写輪眼を使い続ける限り…な」
スオウ=シスイは失明し、写輪眼を扱う能力は失った。
だが五尾の尾獣との契約により、視力と写輪眼を超える能力を手に入れた__うちは一族の生命を、代償として。
「だが心配する必要は無い。たとえ失明したとしても、俺が治してやる」
「尾獣の力で…か?その為に、人柱力を殺して」
ベッドの上に起き上がろうとしたイタチの肩を軽く抑え、シスイは言った。
「前にも話したが、人柱力はいずれ尾獣の力を抑えられなくなり、尾獣を抜かれて死ぬ運命だ。これまでに天寿を全うした人柱力の例など無い。人柱力とはその名の通り、里の戦力増強の為の生贄だ」
それにしても、と、シスイは笑った。
「遅かれ早かれ殺される運命にある人柱力を案じるなど、お前は優しいな」
「…甘い、と?」
幾分か不機嫌そうに手を振り払ったイタチを、シスイは「怒るな」と宥めた。
「お前には己の感情を律するだけの強さと冷徹な判断能力がある。それは冷酷の衣を纏っているが、必ずしも優しさと相反するものではない」

お前の優しさは母親譲りだと、シスイは心中で呟いた。
憂いを帯びた表情も、芯の強さも、何もかもがかつて愛した__そして今も愛してやまない__女(ひと)を思い起こさせる。

「そんな事より、今夜はこのままここで眠っていけ」
「遅かれ早かれ死ぬのは…誰しも同じ……」
「ああ…。だから生きている者は、何としてでも生き抜こうとする__どんな手段を使ってでも」
「……」
イタチは尚も何か言いたげだったが、ゆっくりと瞼を閉じた。
施した医療術のせいで、眠りに引き込まれたのだ。
シスイはイタチの寝具を整えてやり、もう一度、髪をかきあげた。
こうして寝顔を見ていると、イタチが幼かった頃の事を思い出す。

----母上は俺よりサスケの方が可愛いんだ。父上だって

不意に脳裏に蘇ったのは、イタチがまだ5歳、サスケが生まれたばかりの頃の記憶だ。
幼い頃から忍としての才能を発揮し、とても大人びていて怜悧な子供だったイタチが愚痴をこぼすのを聞いたのは、後にも先にもそれが初めてだった。
下の子が生まれて上の子が両親の愛情を取られたと思って嫉妬するのは兄弟にありがちな話だが、やはり血は水より濃い。
双子の姉の子とは言え養子でしかないイタチより、実子のサスケをミコト夫婦が可愛がるのは当然の事で、イタチを引き取ってやれないシスイに彼らを責める資格は無かった。
その上、イタチは類稀な才能に恵まれたが故に幼い頃から『子供らしさ』が無く、養父母の愛情がサスケに傾いたのも無理は無い。
一方で、フガクはうちは一族当主としてイタチの才能に過酷なまでの期待を寄せていた。
さもなければ僅か11の子供を暗部に入れる筈が無い。
イタチの暗部入隊が決まったと聞かされた時、シスイは余程イタチを引き取ろうかと思った。が、今更、実の親だと名乗り出てもイタチを困惑させるだけだろうし、何よりイタチの暗部入りは里の上層部からの要請に基づく決定で、シスイが反対したところで覆せるものでは無かった。
表面はいくら冷静に振舞っていても、母親譲りの優しさを持つイタチが暗部でどんな想いをしていたか、それを考えるとシスイは今でも悔恨の情に駆られる。

その頃のシスイは失明の危険に晒され、尾獣の力を得る為に里抜けの準備を進めていた。
イタチも共に里を出るように促したものの拒絶され、止む無く単身で里を抜けた。
追忍に煩わされる事無く里を抜ける為に自殺を偽装したのだが、自分を『殺害』した容疑がイタチにかけられていると知った時、うちは一族に対する嫌悪感ははっきりとした憎悪に変わった。
一族の滅亡を決意したのは、恐らくその時だ。

「…真琴(マコト)に何もしてやれなかった上に、お前には余計な苦労をさせたが…」
安らかな寝息をたてるイタチの髪を優しく撫でながら、囁くようにシスイは言った。
「今の俺にはあの頃には無かった能力(ちから)がある」
だから、とシスイは心中で続けた。
もうお前たちを哀しませる事は、決してない…と。






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