特別休暇命令
(7)
次の日は前日の雨が嘘のように晴れ上がり、朝から好天となった。
3人は再び2台のバイクに分乗して、麓の村の朝市に向かう。
その日もセフィロスは買い物する事を面白がり、アンジールの持ち金全てをはたいて殻つきの胡桃を買い込んでいた。
「…俺はもう、資金切れだ」
「先に必要な野菜類を買っておいて良かったな」
げんなりした表情で言ったアンジールに、ジェネシスは軽く笑った。
それから、自分の財布の中身をチェックする。
「あと3日だ。セフィロスに買い物ごっこを楽しませるくらいの手持ちはある」
しかしな、と、アンジールは言った。
「誰かセフィロスに金の使い方を教えてやるべきじゃないのか?要りもしないものをあんなに大量に買い込んでどうする」
「別に良いじゃないか。朝市で使う金額なんて、高が知れてる」
俺が言いたいのは、と、アンジールが言いかけた時、セフィロスが戻って来た。
「アンジール。もう、金が無い」
「……俺も、無い。それで手持ち全部だ」
「そうなのか?じゃあ、ジェネシス」
ジェネシスが財布を開けようとするのを、アンジールは止めた。
「セフィロス、お前、そんなに沢山、胡桃を買い込んでどうする積もりだ?ナッツ類は、お前に食べさせて良い物のリストに入って無かったぞ?」
食べる?と、セフィロスは訊き返した。
「これは食べ物なのか?こんなに硬いのに?」
下を向き、肩を震わせて笑っているジェネシスを横目で軽く睨んでから、アンジールはセフィロスを見た。
「それを何だと思って買ったんだ?」
「…さあ。お前が生ものは駄目だと言うから、何か日持ちのする物をくれと言ったらこれを勧められたんだ」
「つまり、必要もないのに買ったんだな?」
アンジールの言葉に、セフィロスはきょとんとした表情で何度か瞬く。
一体、何から説明すれば良いんだ__アンジールは、頭を悩ませた。
今までセフィロスは、プレジデントに伝えるだけで望む物は全て手に入れて来たのだ。
何かを手に入れるのに代償が必要だとは思っていないだろうし、任務を対価が支払われる労働だとも看做してはいないだろう。
そもそもこの世に貨幣経済が存在する事も知らなかった人間に、倹約を説くのは至難の業だ。
それにセフィロスがソルジャーとしてどの程度の給与を支払われているのか、貯金があったとして残高がどの位か、アンジールには見当もつかない。
湯水のように金を使える余裕があるのかも知れないし、セフィロスの使った分はジェネシスの言っていた通り後で経費として請求すれば良いのだから、口出しすべき事ではないのかも知れない。
だがそれでも、バスターソードの支払いの為に過労死した父親の事を思うと、アンジールはセフィロスの無駄遣いを見過ごしに出来なかった。
「一昨日も言った通り、金というのはただの紙切れなんかじゃ無くて__」
アンジールが言いかけた時、悲鳴が聞こえた。
声は遠く、幽かでしか無かったが、ソルジャーの耳は敏感に反応する。
セフィロスは声の聞こえた方角を見遣り、アンジールとジェネシスは顔を見合わせた。
再び、今度はもっとはっきりと悲鳴が聞こえ、市場に動揺が走る。
「行くぞ」
短く言って白銀の髪を靡かせたセフィロスに、アンジールとジェネシスも続いた。
「まさか、こんな所に……」
視界に入った光景に、思わずアンジールは呻いた。
そこにはケルベロスに似た小型のモンスターがいて、そいつに殺されたらしい犬の屍骸が足元に転がっている。
そして悲鳴の主らしい女性が、彼女の子供と思われる男の子を抱きしめ、その場に蹲っていた。
まずい、と、アンジールは思った。
彼らはここに名目上、セフィロスの護衛で来ているのでロングソードは持って来ていたが、別荘に置いてある。
任務の内容に応じて支給されるマテリアは、当然、携行していない。アイシクル・エリアには、モンスターなど出没しない筈なのだ。
そしてモンスターは、たとえ小型であっても素手で戦えるような相手では無い。
「ジェネシス。何でも良いから刃物を借りて__」
「そこの女」
アンジールが言いかけた時、セフィロスが子連れの母親に言った。
「伏せていろ」
そして、すっと右手を上げる。
ファイアが放たれ、モンスターが断末魔の悲鳴を上げる。
アンジールは母子に駆け寄って2人まとめて抱き上げ、安全な場所に移した。
「セフィロス、あんた…マテリアを持ってきていたのか?」
農夫から鋤を借りて戻って来たジェネシスが訊く。
嫌、と、セフィロスは答えた。
「マテリア無しで使える魔法は、この程度だ」
アンジールとジェネシスは思わず顔を見合わせた。
確かにファイアは焔属性の中では基本的な下位魔法だが、それでもマテリア無しで魔法を使うなど、聞いた事が無い。
崩れるように倒れ伏したモンスターを見遣るセフィロスの横顔は、とても冷ややかだ。
「念の為、止めを刺しておけ」
セフィロスの言葉に、ジェネシスは頷いた。
慎重にモンスターに近づき、正確に心臓を目掛けて鋤を振り下ろす。
モンスターの身体はしばらく痙攣していたが、やがて完全に動かなくなった。
「……『英雄セフィロス』…」
気がつくと、いつの間にか周囲を村人たちが取り囲んでいた。
「間違いない。あの白銀の髪。そしてどんなモンスターも一撃で斃すと言う……」
驚嘆の表情を浮かべ、一人の男が言った。
そこにいる全員の視線が、一斉にセフィロスに注がれる。
幽かに、セフィロスは眉を顰めた。
「帰る」
短く言うと、踵を返す。
ジェネシスも、セフィロスに続いた。
「__あの……有難うございました」
買い込んだ食糧の所まで戻ろうとしたアンジールに、子連れの母親が言った。
まだ震えが収まらないようだ。
様子を見守っていた村人たちも、アンジールに歩み寄る。
その中の年かさの男が、改めて礼を述べると共にお願いがあると言う。
「助けて頂いた上にこんなお願いをするのは恐縮ですが……どうかモンスターの事は、内密にして頂けませんか?」
「内密に?」
訊き返したアンジールに、男は頷いた。
「この村は冬の観光に収入の大部分を頼っているのです。モンスターが出たなどと噂になれば、客足が途絶えます」
「……しかし…」
「お願いです。モンスターなんて、本当にこの何十年も出た事が無かったんです。これからだって、きっと出ない筈……」
そんな確証はどこにもないと、アンジールは思った。
今まで何十年も出没していなかったとしても、どこかから群れが移動して来たのかも知れない。
それを放置しては、次の犠牲につながる可能性がある。
だが一方で、ただのはぐれモンスターだった可能性も低くは無い。
その場合、次のモンスターが出没する恐れは殆ど無いが、モンスターが出たと知れれば、確かに観光には深刻な影響を及ぼすだろう。
リンゴ以外に殆ど産物を持たない貧しい故郷を、アンジールは思い起こした。
自分が馬鹿正直にモンスターの事を報告してしまえば、この静かで美しく豊かな村も、バノーラのように貧しくなってしまうのだろう。
「…判りました」
「有難うございます…」
「有難うございます…!」
口々に、村人たちが礼を述べる。
「英雄は胡桃がお好きなようなので、どうかこれを受け取って下さい」
言って、胡桃売りの男が大きな麻袋ごと胡桃を差し出した。
「嫌、それは__」
「どうかこれも差し上げて下さい。お噂は聞いていましたけど、あんなに美しい方だったなんて…」
花売りの娘も、大きな花束を差し出す。
他の村人たちも、感謝の気持ちですと言って、次々に売り物を差し出す。
そのまま村人に取り囲まれたアンジールは、さっさと先に帰ってしまったセフィロスとジェネシスを恨めしく思うと共に、注目されるのを嫌うセフィロスの気持ちも判ると、同情した。
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