特別休暇命令
(6)
「その髪…邪魔じゃないのか?」
昼食の席で、スープを飲むのに何度か髪をかきあげたセフィロスの姿に、アンジールは訊いた。
実は、初めて実物を目の当たりにした時から気になってはいたのだ。
腰を覆って余りあるほどの長い白銀の髪は、今もダイニング・チェアーの上でしなやかに蟠っている。
「無粋な奴だな」
セフィロスが答えるより先に、ジェネシスが言った。
「こんな美しい髪、俺は他に見た事が無い。切るなんて勿体無いだろう」
「…そうか?」
ジェネシスの言葉に、セフィロスは短く言った。
勿論だと言いながら、ジェネシスは改めてセフィロスの髪を見た。
透ける様に色素の薄い髪は銀色の光を帯び、癖も無く滑らかで、見るからにしなやかそうだ。
一度、触れてみたいと、初めてセフィロスの写真を雑誌で見た時から、ずっと思っていた。
「この髪は……母譲りなんだそうだ」
触っても良いか?とジェネシスが訊こうとした時、セフィロスは言った。
「母は俺を産んですぐに亡くなった。名はジェノバ。だが…」
写真の1枚もないのだと、セフィロスは言った。
「ただ俺は母親似なのだと、ある人が教えてくれた。何よりこの髪が、母に似ている…と」
つまりは形見なのだ。
それならば軽々しく触らせてくれとは言えないと、ジェネシスは思った。
それから、アンジールの父親が亡くなった時の事を思い出す。
あの時、セフィロスは、自分の父親は「最低の人間」なのだと言っていた。
そう、聞かされていたから、アンジールの哀しみが、すぐには理解できなかったのだ。
たがセフィロスは、名前しか知らない母親に__父親に対するのとは違って__思慕の念を抱いている事ようだ。
さもなければ、母親譲りの髪を、こんなに長く伸ばしたりはしないだろう。
「名前と、あんたが母親似なのと……それ以外は、何も知らないのか?」
思い切って、ジェネシスは訊いた。
幸いセフィロスは感情を害した様子は無く、ただ視線を宙に漂わせる。
「俺が母親似だと教えてくれた人が、母について話してくれた。だが子供だった俺には、その人の言っている事が殆ど理解出来なかった」
ただ、と、セフィロスは続ける。
「母には何か大切な役割があったらしい。そして俺は、その役割を受け継ぐべき存在なのだ、と……」
「…その、お前にお袋さんの事を話してくれた人って言うのが、お前の育ての親なのか?」
アンジールの問いに、セフィロスは曖昧に首を横に振った。
「その人は……ある日突然、いなくなってしまった…」
セフィロスは窓の外に視線を向けた。
雨に濡れたガラス窓の彼方に、アイシクルの連山が見える。
その光景に幽かな既視感を覚えるが、いつどこで見たのかは思い出せない。
「……2年ほどして、その人は死んだのだと聞かされた。俺はその時に、大切なものを全て失った。残ったのはただ__この、髪くらいのものだ…」
初めて自分の家にセフィロスを呼んで夕食を振舞った時の事を、アンジールは思い出した。
具合が悪くなったセフィロスの背中をさすってやろうとしたアンジールの手を、セフィロスは振り払った。
何故、そんな事をされたのかその時には判らなかったが、今ならば判る。
セフィロスは、髪に触れられるのが嫌だったのだ。
今では英雄の象徴ともされるその白銀の髪は、セフィロスに取って母の形見であると共に、他に何も持たないセフィロスの、唯一の『大切なもの』なのだ。
「…男の子は母親に似るって言うからな。俺も母親似だって言われる」
しんみりしてしまった空気を変えようと、敢えて明るい口調でアンジールは言った。
確かにな、と、ジェネシス。
「…そうなのか?じゃあ、お前も母親似なのか?」
セフィロスに訊かれ、ジェネシスは首を横に振った。
「俺は、両親のどちらにも似ていない」
しまった、と、アンジールは思った。
ジェネシスが両親に似ていない事は、バノーラの村中の者が知っている。
だがどうして似ていないかに関しては、誰も口を閉ざして語らない。
「…そういう事もあるのか?」
「あるさ。俺がそうなんだから」
不思議そうに訊いたセフィロスに、軽く笑ってジェネシスは答えた。
その夜。
夜中に目が覚めてしまったアンジールがキッチンに行くと、リビングに人影があった。
ジェネシスだ。
「どうした。眠れないのか?」
「お前も……か?」
訊き返されて、アンジールは笑った。
「セフィロスに合わせて少なめにしか食わないからな。どうにも小腹が空いて……」
お前もなのかと訊きかけて、アンジールは止めた。
とても、そうは見えなかったからだ。
「……どうしたんだ?具合でも悪いのか?」
ソファに膝を抱えてうずくまるジェネシスに歩み寄り、アンジールは訊いた。
ジェネシスは僅かに躊躇ってから、夢を見たと答える。
「夢……いつもの、あれか?」
アンジールの問いに、ジェネシスは頷いた。
「最近は全然、見ていなかったのに……セフィロスの夢の話を、聞いたせいかも知れない」
ジェネシスはその『夢』を、7歳ぐらいの時から見るようになった。
自室で寝ていて、夜中にふと目を覚ます。
大丈夫。眠っています__緊張したような、母親の声。
そして、何人かの男たち。
黒尽くめの服装をした知らない男たちの姿に怖くなって、ジェネシスは母親に助けを求めた。
だが母親は、ただ驚き、困惑したような表情を浮かべるだけ。
ジェネシスは男たちの手を逃れて廊下に出たが、そこには父親と見知らぬ男がいた。
もう一度、ジェネシスは両親に助けを求めたが、2人は眉を顰めるだけだ。
ショックを受けるジェネシスを、男たちが捕らえ、注射を打つ。
その後の事は、殆ど判らない。
ただどこかの病院のような場所に、暫くいた気がする。
苦しんだ記憶はあるが、何があったのかは判らない。
気がついたら、自宅に戻っていた。
両親はただ作り笑いを浮かべ、夢でも見たのだろうと言うばかり……
「俺は……養子だと思うか、アンジール?」
「急に何を言い出すんだ、ジェネシス」
幼馴染の言葉に、ジェネシスは自嘲気味な笑みを浮かべる。
「誤魔化すなよ。俺が両親のどちらにも全く似ていないのは、村中の皆が知っている。それに俺が実子だとしたら、父が45、母が40歳の時の子供だ」
「遅くに出来た子供だからこそ、お前の事をあんなに可愛がっているんじゃないのか?」
「確かに甘やかされてはいる。だが……」
ジェネシスは一度も、両親に叱られた事が無かった。
欲しいものは、何でも手に入った。
愛されているからだと、信じて疑わなかった__あの、『事件』の時までは。
両親はただの夢だと言う。
風邪をこじらせて暫く寝込んでいた、その時に熱に浮かされて見た夢なのだ、と。
だがもしあれが夢でなかったのなら、自分はあの時、両親に『売られた』のだ。
そして『戻って来た』自分を、両親はただ困惑したように見つめるだけだった__
「……夜食を作るが、食うか?」
やがて、アンジールは言った。
ジェネシスは、首を横に振る。
「俺たちが7歳くらいの時、お前が風邪をこじらせて寝込んでいた事があった。何かたちの悪い風邪だったらしい。うつるといけないからって、俺はお前の見舞いは勿論、家から出しても貰えなかった」
キッチンに入り、冷蔵庫を開けながらアンジールは言った。
「多分、2週間くらいだったな。きっと、そのくらい酷い風邪だったんだ」
だから、と、アンジールは続ける。
「お前が見たのは、本当にただの夢だったんだろう」
「……俺の見た黒ずくめの男たちの格好が、タークスの制服にそっくりでも…か?」
唖然として、アンジールはジェネシスを見る。
「それは……本当か?」
ああ、と、ジェネシス。
「初めてタークスを見た時は、驚いたものだ」
「だがそれは……記憶の混乱じゃないのか?黒いスーツなんて、タークスじゃなくたって着るだろう」
「…ミッドガルでなら、な。バノーラでは、黒のスーツなんて持っているのは数人しかいない」
ジェネシスは暫く黙ってソファに蹲っていたが、やがて立ち上がる。
「もう、寝る。蒸し返しても、無意味だ…」
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