特別休暇命令

(3)



翌日、3人は焼きたてのパン__アンジールの料理のレパートリーにパンは無く、発酵を終えた状態で冷凍してあったものを焼いただけだが__鴨の胸肉を焼いてスライスしたものと数種のチーズ、それに野菜と果物をバスケットに詰め、アイシクル山のなだらかな斜面を登った。
途中、珍しい高山植物に目を留め、人を恐れないリスに餌をやったりして時間をかけ、展望台のあるその場所に着いたのは昼近くだった。
そこからは麓の村と、近くの連山が一望に見渡せる。
「いい眺めだな」
そう、アンジールは言った。
「結構、良いところなのに、夏は殆ど観光客もいないのは何でだろうな」
「交通の便が悪いからじゃないか?」
レジャーシートを広げならが、ジェネシスは言った。
「ミッドガルからじゃ遠いし、田舎の人間はわざわざ山を見に来たりしない」
「…お前たちの故郷にも、山があるのか?」
セフィロスの問いに、ジェネシスは首を横に振った。
「山は無い。海も無い。魔晄炉も何も無い貧しい村だが…」
俺は、愛していると、ジェネシスは言った。
俺もだ、と、アンジールは笑う。
「……故郷とは、そういうものなのか?」
そう、セフィロスは訊いた。
「…そうだな。何も無い田舎に嫌気が射して、都会を目指す若者も少なくないが__」
俺たちも故郷を出てしまったから、人の事は言えないが、と、アンジール。
「それでも故郷は、懐かしいものだ」
セフィロスは、黙ったまま何度か瞬いた。
それから、遠くの連山に視線を移す。
理由は判らないが、ここに来てからのセフィロスは山ばかり眺めているようだと、ジェネシスは思った。
「…昼飯にしよう__ワインが無いのが残念だが」
ジェネシスの言葉に、アンジールは呆れたように眉を顰めた。
実際のところ、ジェネシスは酒が好きな訳ではなく、『ワインのある食事』という雰囲気が好きなのと__この頃はまだ、背伸びをしていた__少し酔わせればセフィロスが心を開きやすくなるだろうという下心があったのだ。

その日は1日山でのんびりと過ごし、夕方、別荘に戻ってからはカードゲームに興じた。
TVもない静かな夜は、アンジールとジェネシスの2人に、バノーラの生活を思い出させる。
ミッドガルに来てからはTVがあるのが当たり前のような気がしていたが、バノーラにはそんなものは無かったのだ。
尤もミッドガルに住んでいても、セフィロスはTVなど見たことも無いと言っていたが。
「…明日、麓の村の朝市に買出しに行こうと思うんだが」
お前はどうする?と、アンジールはセフィロスに訊いた。
「ここにはお前を知っている者もいないだろうけど、注目を浴びるのが嫌なら俺一人で行ってくるが」
「朝市…というのは何だ?」
興味を持ったらしく、セフィロスが訊く。
「農家が自分のところで採れた野菜やら何やらを売る為の市場だ。午前中しかやっていないが、採れたてだから新鮮だぞ」
「そこで、何をするんだ?」
「何って……だから、農家が売ってる野菜を買うんだ」
「……買う?」
それが生まれて初めて聞く単語であるように訊き返したセフィロスに、どうリアクションを取って良いのか、アンジールは悩んだ。
セフィロスと話していて会話が噛みあわない事があるのにはもう、慣れたが、そうは言ってもリアクションに困るのは変わらない。
「言葉で説明するより、一緒に行った方が早くないか?」
言ったのはジェネシスだ。
ミッドガルではセフィロスをアンジールの家での食事に連れ出すたびに周囲の不躾な視線に晒されなければならないが、ここではその心配も無いだろうと思ったのだ。
何より、ここに来てから山ばかり見ていて余り喋らないセフィロスの気を、少しでも晴らしたかった。



翌朝、3人はシリアルだけの簡単な朝食を済ませ、2台のバイクに分乗して麓の村に向かった。
村の中央に教会があり、そのすぐ前に広場があって市が立っているのはバノーラと同じだ。
懐かしさを感じる暇もなく、人々の視線が自分たちに向けられているのに気付き、ジェネシスは後悔した。
セフィロスの長い銀髪と白皙の美貌が人目を引くのは判っていたが、バノーラではよそ者は見てみぬ振りをする。
だから田舎はどこも同じだろうと思ったのだが、そうでは無かったようだ。
「…皆に見られている気がする」
セフィロスは暫く物珍しそうに周囲を見回していたが、やがてそう言った。
「ここでは誰も俺の事を知らないと思ったのに…」
表情を曇らせたセフィロスに、そういう訳じゃないだろうと、ジェネシスは言った。
「神羅の英雄だとは知られていなくても、あんたは存在そのものが目立つんだ」
「何故?」
「何故って……」
答えに窮したジェネシスに、アンジールは軽く笑った。
「目立つと言うなら、お前もだぞ、ジェネシス」
「…それを言うなら、お前だって」

何で俺がと訊き返したアンジールに、お前は自覚が無さ過ぎるだけだとジェネシス。
暫く2人のやり取りを聞いていたセフィロスは、やがて幽かに笑って言った。

「3人とも目立つのなら、見られても仕方ないな」
とりあえずセフィロスの機嫌が悪くならなくて良かったと、ジェネシスとアンジールの2人は胸を撫で下ろした。
根菜類は別荘のキッチンに充分な量が用意してあったので、トマトやキュウリ、それに産みたての卵を仕入れる。
「これで明日の朝食にはオムレツが作れるな。あと何か果物でも__」
「さっきから、お前は何をやっているんだ?」
そう、セフィロスはアンジールに訊いた。
アンジールは一瞬、何を訊かれたか判らなかったが、すぐに相手はセフィロスなのだと思い起こす。
「買い物だ。つまり……金と引き換えに、品物を手に入れるんだ」
「金?その、紙切れが、か?」
不思議そうに言って、セフィロスは幽かに小首を傾げる。
「以前、プレジデントが金がかかるからどうのと言っていたのを聞いた事がある。何か大切なもののようだったが、そんなただの紙切れなのか?」
「これは『ただの紙切れ』じゃなくて、これと引き換えに欲しいものが手に入るんだ」

自分で買い物をした事が無いセフィロスに、アンジールは辛抱強く説明した。
おそらくセフィロスが今まで人付き合いを避けていたのは、セフィロスの育ってきた環境が特殊すぎて、周りと話が合わないのも理由の一つなのだろうと、アンジールは思った。
アンジールとジェネシスはセフィロスが何を言っても驚きを表さないようにしていたが、そういう気遣いが出来ない人間と話すのは、セフィロスに取っても苦痛だろう。

「面白そうだな。俺にもやらせてくれ」
セフィロスの言葉に、アンジールとジェネシスは顔を見合わせた。
何となく心配になりながらも、セフィロスに金を渡す。
躊躇いも無くまっすぐ露店の一つに歩み寄るセフィロスを、アンジールとジェネシスの2人は黙って見守った。
「それをくれないか」
言って、セフィロスがスモモの山を指差すと、売っている主婦が目を丸くする。
「あらまあ、随分、背の高い娘さんだと思ってたら、お兄ちゃんだったんだね。それにしても美人さんだこと」
「他の2人もすごい男前だし、どっちが彼氏さんなんだろうって話してたのよ」
隣の店の主婦が、ほがらかに話しかけた。
どうやら冬の間、観光収入で潤うこの村では、よそ者に対してオープンかつ友好的らしい。
そして長話で引き止める事も無く、くだけてはいながら馴れ馴れしくはならない節度を保ち、愛想良く応対する。
その態度は人付きあいが苦手なセフィロスの気持ちを和らげたらしく、機嫌よく買い物を続けた。

「アンジール。もう、金が無い」
アンジールたちの元に戻ると、そう、セフィロスは言った。
「……野菜と果物はもう、充分だ。生ものは日持ちしないから、今日のところはこれらいにしておかないか?」
「生もので無ければ良いのか?」
「嫌……って言うより__」
渋るアンジールの腕を、ジェネシスは小突いた。
アンジールは軽く肩を竦め、セフィロスに金を渡す。
「折角、セフィロスが楽しそうにしているんだから、買い物ごっこを続けさせてやれ。俺たちは任務で来ているんだ。後で経費を請求すれば良い」
セフィロスが2人の側を離れると、小声でジェネシスは言った。
俺は金の事を問題にしてるんじゃない、と、アンジール。
「あんなに買い込んで、どうする気だ?とても1週間じゃ消費し切れないぞ」
「土産にでもすれば良いじゃないか。この休暇をくれたプレジデントと、いつも胃の痛む思いをさせているソルジャー統括。それに、俺たちをこきつかってセフィロスとの逢瀬を邪魔してくれる、神羅三軍の元帥たちにでも」
「……最後のは、却下だ」
それにしても、と、アンジールは言った。
「俺たちが初めて会った頃のセフィロスとは、まるで別人だな」
初対面の人と気さくに話し、時折、幽かに笑うセフィロスの姿に、ジェネシスも目を細めた。
「ミッドガルに帰ればまた元のセフィロスに戻ってしまうのかも知れないが……それでも、ここに来て良かったな」
「ああ…。本当に、な」
高原の爽やかな風が時折、セフィロスの白銀の髪を靡かせるのを、アンジールとジェネシスは黙って見守った。
セフィロスが楽しそうにしている姿を見るのが、2人とも楽しかったのだ。






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