Plutinum Dream



(9)

翌日。
日用品の調達の為、私が出掛けようとしていると、突然、セフィロスが「いっしょに、いく」と言い出した。
「駄目よ、セフィロス。外に出たら危ないもの」
「どうして?」
「外には悪い人がいっぱいいるから。さらわれたら困るでしょう?」
諭すように彼女は言ったが、セフィロスは納得していないようだ。
不満そうに、私を見上げる。
「ぼくも、いく」
「…だめだよ、セフィロス。ママが言う通り、外は危ない」
「ヴィンがいっしょなら、あぶなくないもん」
私と彼女は、思わず顔を見合わせた。
セフィロスはとても素直な子で、今まで逆らった事など一度も無かったのだ。
「セフィロス…。君が私と一緒に出掛けてしまったら、ママが独りで寂しい思いをしなければならなくなる。だから、大人しく留守番していてくれないか?」
「ママもいっしょに、いこう?」
私の言葉に、僅かに考えてから彼女に向き直り、セフィロスは言った。
彼女の顔が、悲しげに歪む。
「ご免なさい、セフィロス…。やっぱり、あんな写真を見せるんじゃなかったわ」
我が子を抱きしめ、彼女は言った。
「今はママもあなたも外に出られないのよ。でもお願いだから、もう少しだけ待って」
「…どうして?」
「あの男が……他のサンプルが手に入れば、きっとあなたの事は諦めるわ。だからそれまでの間、もう少しだけ我慢して」

私は黙ったまま、彼女が宥めるように我が子の小さな背中を撫でるのを見ていた。
ジェノバが古代種ではないと判った時点で、ジェノバ・プロジェクトは失敗したのではないのだろうか?
その後、プロジェクトがどうなったのか私には判らないが、『他のサンプル』がそう容易に手に入るとは思えない。
彼女が肉体的にも精神的にもどれ程、苦しんだかを知っている者なら、再び同じ実験をしようなどと考えないだろう。
無論、宝条ならばそんな事を構わずに、何も知らない女性を金で雇って協力させるかも知れない。
だがそれで『他のサンプル』が手に入ったとしても、神羅や宝条がセフィロスを諦めるとは、私には思えない。
ジェノバ・プロジェクトは、当時の神羅カンパニーのトップ・シークレットだった。
だからこそ、わざわざタークスから護衛が派遣されたのだ。
かなりの予算がつぎ込まれた筈だし、そうであるならば、簡単に断念するとも思えない。
或いは私は、宝条がセフィロスの行方をずっと捜し続ける事を、心のどこかで望んでいたのかも知れない。
宝条がセフィロスを諦めれば、彼女は私を必要とはしなくなるのだから……



その頃を境に、セフィロスは外の世界への関心を強く示すようになった。
窓から外を眺めている事が多くなったし、私が外出するたびに、一緒に行きたがった。
ニブルヘイムの村で買い物をするなら、セフィロスが昼寝でもしている間に行って来れるだろう。
だがニブルヘイムの村人に顔を見られるのは、余りに危険だ。
近隣の村では夜は買い物など出来ないので、セフィロスが眠ってから出掛ける事も出来ない。
大きな街ならば夜間、営業している店もあるが、街に出るのも危険だ。
そう言えばまだ、銀色のクレヨンを手に入れていない。

「…やっぱり、あの子に写真なんか見せなければ良かったわ」
じっと窓から外を見ているセフィロスの後姿を見遣り、溜息混じりに彼女は言った。
「私の実家。ゴールドソーサー。あなたのお父様の研究室。私の大学__どれもこれも、あの子にとっては未知の世界だもの。子供なら興味を持って当然よね」
「…私の父の研究室は、ここの地下とそう、変わらないと思うけど」
「全然、違うわ」
首を横に振って、彼女は否定した。
「グリモアの研究室は、ここみたいに陰気じゃなかったわよ。家族の写真が飾ってあったりして、もっと温かみがあった」
「家族の写真…?」
私の問いに、彼女は笑って頷いた。
「あなたの小さい頃の写真もあったわ。10年以上、前に撮ったものだって、言ってたわね」

彼女の言葉に、私はほんの少しだけ、安堵した。
もしかしたら、彼女と父の間に何かあったのかもしれないと、密かに勘ぐっていたからだ。
少なくとも父は、家族を忘れた訳ではなかった。
少なくとも母の写真の飾ってある部屋で、母を裏切るような真似はしなかっただろう。
だが父は彼女を庇って死に、彼女は論文を書き上げた。

「さ、セフィロス。外はもう良いでしょう?そろそろお昼寝の時間よ」
「やだ」
言って、彼女は我が子を窓から離れさせようとしたが、セフィロスは首を横に振った。
セフィロスが首を横に振るたびに、白銀の艶やかな髪が、サラサラと揺れる。
「どうして?いつまでも見てたって、何も変わらないでしょう?」
彼女は言ったが、セフィロスはただ、「やだ」としか言わない。
彼女は暫くセフィロスを宥めすかしていたが、その内に苛立ちを見せた。
「どうして言う事を聞かないの?そんな悪い子には、お夕食、作ってあげないわよ?」
「ママのいじわる」
「セフィロス…!」
ぴくりと、セフィロスの小さな肩が震える。
「ルクレツィア…別に外くらい、見てても良いじゃないか」
黙って見過ごしに出来ず、私は言った。
彼女は、キッと私を見据える。
「窓の側にずっといたら、村の人に見られるかも知れないでしょう?だから少しだけだって言ってるのに__」
彼女が言い終らない内に、セフィロスは部屋を駆け出した。
「駄目よ!戻って来なさい!」
「私が見てくるから」
ヒステリックに怒鳴る彼女を引き止めて、私はセフィロスの後を追った。

セフィロスは自分の部屋にいた。
テディ・ベアを抱きしめ、床に座っている。
「……セフィロス」
出来るだけ穏やかに、私は相手の名を呼んだ。
セフィロスは拗ねたように俯き、こちらを見ようとしない。
私は、セフィロスの隣に腰を降ろした。
「…窓の外に、何が見えるんだい?」
「……ともだち」
セフィロスはすぐには答えなかったが、幾分か間をおいて、そう言った。
「友だち?」
鸚鵡返しに、私は訊いた。
セフィロスは頷く。
私は幾分か、不安になった。
もしかしたら、誰かが私たちを見張っているのかも知れないと思ったからだ。
「その…友だちは、今も外にいるのかな」
再び、セフィロスは頷いた。
私は窓辺に歩み寄って外を見たが、手入れのされていない、荒れた庭があるだけだ。
この村の人々は、基本的に神羅屋敷には近づかない。
場所が村はずれだし、彼らはこの屋敷を薄気味悪がっているので、用が無ければ近づかない筈だ。
「どこに友だちがいるのか、私に教えてくれないか?」
私が言うと、セフィロスはテディ・ベアを抱きしめたまま、こちらに歩み寄って来た。
私はセフィロスを抱き上げ、窓の外を見させた。
すっと手を上げて、セフィロスは庭にある木の辺りを指差した。
私は目を凝らしたが、やはり何も見えない。

不意に、地下研究室での出来事が、私の脳裏に蘇った。
私を見据えるセフィロスの瞳は、魔晄に似た冷たく美しい光を湛えていた。
彼女が様子を見に来るのがもう少し、遅ければ、私はセフィロスに殺されていたかも知れない。

「君は…友だちと遊びたかったんだね?」
私は研究室での出来事を頭から追い払い、そう訊いた。
セフィロスは頷き、白銀の髪がさらさらと揺れる。
「ママは意地悪して友だちと遊んじゃいけないって言った訳じゃないんだ。ただ外は危ないから、君の事を心配しただけなんだよ?」
だから、と、私は続けた。
「その友だちに、家に来てもらったらどうかな。家の中だったら、一緒に遊べるよ」
「いいの?」
短く、セフィロスは訊いた。
私は笑って、「勿論だよ」と答えた。
「でも先にお昼寝をしよう。友達と遊ぶのはその後。良いね?」
私の言葉に、セフィロスは素直に頷いた。

私はセフィロスを寝かしつけ、部屋に鍵をかけて居間に戻った。
彼女はソファに座り、両手で顔を覆っていた。
「……大丈夫かい?」
「私……どうしてあんな事で、セフィロスを叱ったりしてしまったのか……」
私は彼女の隣に腰を降ろし、その手にそっと触れた。
彼女には、ほんの些細なことがきっかけでヒステリックになる傾向がある。
実験を始める前にもそういう面が見られたが、実験後のほうが程度が酷いように、私には思えた。
「私は科学者じゃないからよく判らないけど…ジェノバ細胞の影響じゃないかな。多分…体調が余り良くないせいで、少し、不安定になっているのかも知れない」
「宝条は私の気が触れているみたいに言って、あの子を私から引き離した」
「私が言いたかったのは__」
私の手に自分の手を重ねて、彼女は私の言葉を遮った。
「判っているわ…。あなたは、とても優しい人ね」
言って、彼女は幽かに笑った。
それから、溜息を吐く。
「私がいけなかったのよ。あんな写真を見せたから。外の世界に興味を持ったのに外に連れて行って貰えないから、あんな風に駄々をこねたのね」
「…セフィロスは、外に友だちがいるんだって、言ってたよ」
「友だち?」

不安そうに眉を顰め、彼女は訊いた。
私は彼女を安心させようと、笑って続けた。

「多分、空想なんだと思う。確認したけど、不審な人影は見当たらなかった」
「ああ…そういう事」
安堵したように、彼女は笑った。
「空想の友だちなら、私にも小さい頃にいたわ。それに小さい子供って、大人には見えないものが見えるって言うでしょう?科学的には、空想の産物だと思うけど」
「友達と一緒に家の中で遊んだら良いって言っておいたから、暫く外に出ようとはしないと思うよ」
私の言葉に、彼女は頷いた。
それから、視線を落とす。
「…やっぱり、友達がいないと寂しいのね。私やあなたがいつも側にいても、それだけでは十分では無いんだわ」
「もう3歳だから、少し自我が強くなってきたのかも知れないね」
「反抗期?」
言って、彼女は再び溜息を吐いた。
「…そうね。そろそろそんな年頃だわ。それなのに、頭ごなしに叱ってしまって……」
「そんなに気にする事はないと思うよ。手を上げた訳じゃないし…」
だがもし、と、恐ろしい考えが私の脳裏に浮かんだ。
もしも彼女がセフィロスに手を上げるような事があったら。そしてもしセフィロスが、あの時のように自分の身を護ろうとしたら__
その考えを、私は打ち消した。
あの時、セフィロスは、目の前の『化け物』が私だとは知らなかったのだ。
それに私は理性を失いかけ、危うくセフィロスを八つ裂きにするところだった。
ぞくりと、背筋が寒くなるのを私は覚えた。
あの時、私の理性を失わせたのは、私の中に巣食うカオスなのだ。
セフィロスにサンダガを放つような力を発揮させたのが、セフィロスの中のジェノバならば、ジェノバがセフィロスの心を支配することもあるのかも知れない……







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