Plutinum Dream
(10)
その頃から、彼女は体調が思わしくなくなり、セフィロスは反抗的になった。
彼女の体調は寝込む程に悪い訳ではなかったが、熱っぽさや倦怠感などの不定愁訴が続いた。
セフィロスは度々、外に行きたいと駄々をこね、拗ねて食事を摂らない事もしばしばだった。
そしてその事は、彼女を酷く不安がらせた。
元々、食が細くて平均より痩せた子なだけに、心配も募るのだ。
彼女は写真を見せたせいだと繰り返し自分を責めたが、私は地下研究所での出来事が、セフィロスの中の何かを目覚めさせてしまったのではないかと、密かに危惧していた。
セフィロスがサンダガを放ち、とても3歳の子供とは思えない冷たい目で私を見下ろしていた事を、私は彼女に話していなかった。
彼女がそんな事を知ればガストと同じ行動に出るのではないかと思うと、とても話せなかったのだ。
セフィロスが拗ねて食べなくなることは私も心配だったが、彼女の心痛は私とは比べ物にならない位、ひどかった。
反抗期の幼児が拗ねて物を食べなくなることは珍しくないらしいが、普通は空腹になれば食べるものだ。
だがセフィロスは、酷い時には2食も3食も続けて食べなくなる事があった。
具合が悪くて食べられないのかと尋ねても、ただ首を横に振るだけだ。
特に熱も無い。
ジュースだけは飲むが、他に何も口にしないのだ。
私と彼女はセフィロスを宥めすかし、セフィロスの好物だけを作って気をひこうとしたが、効果は無かった。
「……仕方ないわ。あの子に、魔晄を浴びせる」
セフィロスが何も食べなくなって3日目のその日、思いつめた表情で、彼女は言った。
「魔晄を?」
私は、自分の耳を疑った。
科学者ではないので、私は魔晄には詳しくない。
が、人間がそれを直接、浴びれば魔晄中毒などの症状をもたらす有害なものである事は知っていた。
魔晄を浴びても害を受けないのは、モンスターだけだ。
「研究所に放置されていた実験体の事、覚えているでしょう?彼らはジェノバ細胞を埋め込まれていて、魔晄をエネルギー源として生きていたのよ」
自分の手元を見つめたまま、そう、彼女は言った。
「ジェノバ細胞を埋め込まれた生物は、魔晄を浴びせる事で飛躍的に生命力が強くなるのだとも、宝条は言っていたわ」
「だけど…彼らはモンスター化していたじゃないか。きっと、宝条は無茶な実験を…」
「あの子は……」
途中で、彼女は口を噤んだ。
一呼吸おいて、続ける。
「セフィロスは、人間では無いわ」
「ルクレツィア……」
「私ももう、普通の人間じゃない…。ジェノバという恐ろしい生物を身の内に宿したモンスターなのよ」
私は半ば呆然として、彼女の整った横顔を見つめた。
そして、セフィロスのDNAが殆ど人間とは異なるものなのだとヒステリックに言っていた彼女の姿を思い出す。
そして、もがき苦しむ私を冷ややかに見下ろしていた、セフィロスの美しい翡翠色の瞳を。
「……どうしてそんな事を言うんだ?君はモンスターなんかじゃ__」
ごめんなさい、と、彼女は私の言葉を遮った。
「あなたの体内にも、カオスが埋め込まれていたわね…。私が……あなたをモンスターにしてしまった」
私は何も言えず、瞬きも出来ずに彼女を見つめた。
口の中がカラカラに乾き、吐き気がこみ上げる。
淡々と、彼女は続けた。
「セフィロスのDNAは人間とは違うのよ。エネルギー源だって、違っていて当然だわ。今まで余り物を食べなかったのも、人間の食べ物が合わないせいかも知れない。低濃度の魔晄を短時間、浴びせるくらいなら、魔晄中毒の可能性も低いし、実験の成功率が50%を超えるのなら、やってみる価値が__」
「セフィロスは君の子だ。実験サンプルなんかじゃない…!」
思わず、私は声を荒げた。
「DNAなんて関係ない。人としての感情を、心を持っているなら、それは人間なんだ…!」
彼女は目を大きく見開き、呆然として私を見つめていた。
彼女に怒鳴ったのは初めてだ。
と言うより、こんな風に感情的になったのは初めてだった。
私は、自分が肩で息をしているのに気づいた。
酷く気が昂ぶり、心臓が早鐘のように鼓動を打つ。
自分が何を感じているのか、自分でも判っていなかった。
ただ、激しい感情に押し潰されそうだった。
「……私はただ……」
暫くの後、彼女は言った。
「あの子の身体に合ったエネル__食べ物や、薬が何なのか、知りたいだけなのよ…」
「……判ってる」
そう、私は言った。
思わず、深い溜息が漏れる。
「だけど…セフィロスに魔晄を浴びせるなんて事だけは止めてくれ。危険すぎる」
「いきなりあの子に魔晄を浴びせる積りなんか、無かったわよ。まず、自分の身体で実験してから__」
「それも止めてくれ__頼むから」
彼女の言葉を遮って、私は言った。
私の苛立たしげな態度に、彼女はすっかり困惑しているようだった。
もう一度、私は深く溜息を吐いた。
彼女の前で感情的になったのも、彼女を困惑させているのも、どちらも不本意だ。
「…君もセフィロスも、私にとってはかけがえの無い、大切な人なんだ。僅かでも危険性のある実験なんて、お願いだから止めてくれ…」
「ごめんなさい…」
彼女は私に歩み寄り、私の手に軽く触れた。
「私はただ…何も出来ずにいる自分に耐えられなくて……。母が埋葬される時、私は『やめて、ママを埋めないで』って泣き叫んでた。手遅れになってから泣き喚くほかに、母の為に何もしてあげられなかったの。だから……」
「…君が悪いんじゃない」
言って、私は彼女を抱き寄せた。
そして、震える肩を抱きしめる。
もしも魔晄などを浴びせれば、セフィロスの中に眠っている力を完全に目覚めされることになり兼ねないのだと、その事を、私は彼女には話せなかった。
私たちはその後、2人で話し合い、外に出たいというセフィロスの望みを叶えてやる事にした。
とは言っても、人目のある所には連れて行けない。
類稀に美しい白銀の髪も、天使のように愛らしい微笑も、人々の視線を集める事は間違いない。
そして人の注目を集めれば、誰かが猫を思わせる独特な瞳孔に気づくだろう。
そうなれば噂が立つかもしれないし、噂になれば、それが神羅の耳に入る危険性がある。
だから、人目のある所には行けない。
それで私たちは、屋敷のすぐ裏手にある森に、セフィロスを連れて行く事にした。
「ピクニック?」
興味ありげに訊き返したセフィロスに、彼女は優しく微笑んだ。
「そうよ。お弁当を持って、森に行くの」
「くまさんのおうちにいくの?」
「熊さんは…どうかしらね」
言って、彼女は笑った。
童話でしか森を知らないセフィロスに取って、森とは『熊さん』の棲みかに他ならないのだろう。
彼女は答えをはぐらかしたが、実際にはその森に大型の野生獣がいない事は確認済みだった。
私が近隣の村に出掛ける時にはいつもその森を通るが、大型の動物も人影も、見たことが無い。
言うまでも無く、危険な動物や村人のいる可能性のある場所に、彼女もセフィロスも連れては行けない。
「ママも?」
「ええ、ママも一緒よ」
「ヴィンも、いっしょ?」
「ああ」
3人で一緒に出掛けられると判って、セフィロスは嬉しそうに笑った。
その無垢で愛らしい笑顔に、私はつられて笑った。
彼女も、優しく美しい笑みを浮かべている。
研究所で起きた事は、忘れれば良いのだ。
あんな事は、もう二度と起きないだろう……
その日は少し、肌寒かったが天気は良く、空気の澄んだ気持ちの良い日だった。
セフィロスは興味ありげに周囲を見回し、「これはなに?」と、何かを見つけるたびに訊いていた。
彼女もとても晴れ晴れとした表情で、久しぶりの外の空気を楽しんでいるようだった。
私たちは森の中のやや開けた場所にシートを敷き、持参した弁当を広げた。
さすがに2日も絶食していたのでセフィロスはかぼちゃのプリンくらいしか食べられなかったが、それでも彼女は大分、安心したようだった。
「…セフィロス、どうかしたの?」
食事の後、しばらくテディ・ベアで遊んでいたセフィロスは、不意に森の中の方を見て、手を差し伸べた。
「ともだち」
「そう。お友だちが来ているの」
セフィロスの言葉に彼女は笑った。
ただの空想だと思っているからだ。
だが何故か、私は背筋が寒くなるのを感じた。
空想の友達ならば、子供のすぐ側にいそうなものだ。
それなのに何故、セフィロスの『友だち』は、いつも屋敷の外にいるのだろう…?
「お友だちもここに来て、一緒に遊びましょう」
我が子の髪を優しく撫でて、彼女は言った。
セフィロスは頷く。
「そろそろ…戻った方が良いんじゃないかな。風が出てきたし…」
言いようの無い不安に駆り立てられ、私は言った。
彼女は残念そうな表情を浮かべたが、すぐに笑顔になった。
「そうね。今日はこのくらいで戻った方が良さそうね」
「もっと、あそぶ」
彼女は言ったが、セフィロスは不満そうだった。
彼女はセフィロスの髪を撫でながら少し考え、それから「また今度にしましょう」と言った。
「やだ。もっとあそぶ」
「だったら…お友だちも一緒に帰って、おうちの中で遊びましょう。それなら良いでしょう?」
宥めるように彼女が言うと、ようやくセフィロスは頷いた。
私は何故か不安だった。
初めてセフィロスが『友だち』の事を口にした時、私は屋敷の中で一緒に遊ぶ事を勧めた。
それなのに、どうしてその『友だち』はセフィロスの側に留まらず、再び外に出たのだろう。
そしてどうして庭や森の木陰から、じっとセフィロスを見守っているのだろう…?
恐らくその『友だち』は、外に出たいというセフィロスの望みを反映しているのだろうと、私は思った。
そう思うことで、私たちの目に見えない何ものかが、セフィロスを見守っているのかもしれないという考えを、私は打ち消した。
その夜、セフィロスは高熱を出して倒れた。
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