Plutinum Dream



(7)

「良かった、気がついたのね…!」
目が覚めた時、そこには彼女の笑顔があった。
私が横たえられていたのは、研究所の簡易ベッドだ。
意識のない私を担いで長い螺旋階段を昇るのは彼女には無理だったので、地下で寝かされていたのだ。
「セフィロスは…?」
「今、上でお昼寝しているわ。大丈夫、ちゃんと部屋に鍵をかけてあるから」
「痛っ…」
起き上がろうとした私は、全身の痛みに呻いた。
「まだ安静にしていなきゃ、ダメよ。2週間もずっと意識が無かったんだから」
「2週間も…?」
鸚鵡返しに、私は訊いた。
背中と、胸から腹にかけてが引きつるように痛む。
背中は実験体に引き裂かれた傷だが、胸と腹は……?
「まさか宝条が実験体を置き去りにしていったなんて、思いもしなかったわ。あの部屋は私のIDでも入れない機密ゾーンで、確認を怠ったのがいけなかったんだけど」
それにしても酷い、と、彼女は言った。
「彼らは……」

意識のはっきりしない頭で、私は言った。
彼女は暫く口を噤んでいたが、それから頷いた。

「そう……人間よ。正確に言えば、人間だったモノ。宝条の実験で、モンスターにされてしまった人たちよ」
多分、と、彼女は続けた。
「宝条がここを去る時に、助手に彼らの処分を命じたのでしょうね。でも助手には、彼らを殺せなかった。それで、そのまま放置されていたのね」
「だけど…3年近くも?」
「あれはジェノバ細胞を埋め込まれた実験体だったのよ。ジェノバ細胞を埋め込まれた生物は、魔晄をエネルギーとして生き永らえる事が出来る。生命力が格段に向上するのだって、宝条が言っていたわ」
ガスト博士が失踪した後、科学技術部門統括となった宝条は、その地位を利用して好き放題に実験を繰り返していたのだと、彼女は言った。
「ジェノバが古代種ではないと判った時、プロジェクトに関わっていた研究員は、みんな酷いショックを受けたわ。でも、宝条だけは例外だった。むしろ、喜んでいた」
「何故…君は……」

私の問いに、彼女はすぐには答えなかった。
ベッドから離れ、私に背を向ける。

「…宝条は、傲慢な男だった。自然界には存在しない生物を創り上げる事にかけては、右に出る者がいなかった。きっと、自分の事を神だとでも思っているのよ」
それでも、と、彼女は続けた。
「確かに宝条の遺伝子工学の知識と技術は、誰にも真似の出来ないものだわ。天才だと言っても良いくらいに。そして、その宝条がどうしても適わないと密かに嫉妬していた相手がガストだった」
彼女は首を横に振り、溜息を吐いた。
「私は…父のコネで神羅カンパニーに入社したの。そんな私に取って、あの二人の才能は、妬ましいくらいに眩しかった。専門の違う私にも、彼らの才能がどれ程のものかは、充分すぎるくらいに良く判ったのよ」
「だから…君は彼らのプロジェクトに…?」
私の問いに、彼女はこちらを見た。
それから、すぐにまた視線を逸らす。
「彼らのプロジェクトは、彼らだけでは成し遂げられなかった。彼らの実験に必要不可欠なものが、彼らには欠けていたから。だから私は、彼らの実験に、共同研究者として参画した。少しでも、彼らに近づきたかったのよ」
私は口を噤んだ。
彼らの実験に必要不可欠だったのは、子供を産む女性の存在だ。
それが必ずしも科学者である必要の無い事は、彼女にも判っていた筈だ。
でも、と、私を見て、苦しそうに彼女は言った。
「決心したのは、ジェノバは古代種に間違いない、何の危険も無いっていうガスト博士の言葉を信じたからよ。まさかガストが間違っていて、しかもプロジェクトを放棄して逃げるだなんて…」

不意に、もやがかかっていたような意識がはっきりし、地下研究所での出来事が、脳裏に蘇った。
見据えるようにして私を見たセフィロスの眼は、凍りつくように冷たかった。
私は本能的に危険を察知し、思わずセフィロスから手を離した。
セフィロスはゆっくりと手を上げ、私にサンダガを放ったのだ__

「ガストは失踪する前の日に、私に実験を中止しろって言ったわ。だけどそんな事、できる訳がない。だって私の子なのよ?それを中絶するだなんて……!」
ガストは、彼女と、そのお腹の子を見棄てて逃げた。
プロジェクトの責任者であったガストがどうしてそんな無責任で残酷な真似をしたのか、私には理解できなかった。
だが、それほどまでにガストが恐れたものが何か、私は身をもって思い知らされた。
床に倒れ、もがき苦しむ私を見下ろしていたセフィロスは、とても3歳の子供には見えなかった。
「セフィロスには、何の罪も無い…」

そう、私は呟いた。
セフィロスは眼の前の『モンスター』に襲われかけ、自分の身を護っただけだ。
マテリアも無しに、誰にも教わる事無く上級魔法を放った能力は恐ろしい。
セフィロスがまだ3歳なのだと思えば、今後、彼が発揮するであろう力がどれほどのものなのか、想像を絶する。
それでも、それはセフィロスのせいではないのだ。

「そうよ。だから、私にはあの子を堕ろすなんて出来なかった。あの子は、何があっても私が護るわ」
「私も…一緒に護るよ。君と、セフィロスを」
私の言葉に、彼女は笑った。
夢見るような、美しい微笑だ。
彼女は私に手を伸ばし、髪を優しく撫でた。
それから、「包帯を取り替えるわね」と言う。
「ごめんなさいね、こんな事しかしてあげられなくて。私に、医学の知識があったら…」
「気にしないで。私はこうして生きている__宝条の改造実験のお陰か…」
皮肉だと思いながら呟いた私の言葉に、彼女は眉を曇らせた。
そして、ごめんなさいと謝る。
「どうして君が…?」
「……あなたがこんな酷い怪我を負っても生きていられるのは、改造実験よりも、埋め込まれたカオスの力のお陰なの」
「カオス…?」
鸚鵡返しに、私は訊き返した。
彼女は俯いたまま頷く。
「あなたの身体に埋め込まれた『化け物』よ」
「どうして君がそれを__」
途中で、私は言葉を切った。
カオスの名を、どこかで眼にした記憶が蘇ったのだ。
「カオスは…確か私の父の研究課題の一つだった」
「そう…。私があなたのお父様の許で、論文を書いていた頃の…」

その時の実験で装置が暴発し、彼女を庇って父は死んだのだ。
私は黙って、彼女が続けるのを待った。

「カオスは最強のモンスターであるウエポンの一つで、強力な生命エネルギー体でもある。だから私は、あなたを蘇生させる為に、カオスの細胞をあなたの身体に埋め込んだのよ…」
何も言う事が出来ず、私は口を噤んでいた。
「私はどうしてもあなたを助けたかったの。あなたのお父様を死なせてしまった責任は私にある。だからせめて、あなただけはどうしても……!」
「…父は……あれは事故だったんだし、君の責任じゃ…」
何か言わなければと思い、私はそう言った。
私の言葉に、彼女の顔が、苦痛に歪む。
「あの時、私は論文の完成をとても急いでいて、無茶な実験を……。グリモアは、あなたのお父様は無謀だって止めたのに、私は聞かなくて……」
私は、それ以上、何も言えなくなって口を噤んだ。
まるで、鉛を呑まされたかのようだ。

私を『化け物』にしたのは、私が憎んでいる男ではなく、私が愛している女性だった。
彼女が私を助けたのは、私への好意の故ではなく、彼女が死なせた父への罪悪感のせいだった。
私の父が死んだのは、単なる事故ではなく、彼女が無茶な実験をしたからだった__
一度に多くの真実を突きつけられ、私は何も考えられないほどにショックを受けていた。
彼女は、子供の頃の辛い思い出を私に打ち明けてくれた。
だが彼女が話してくれた事より、彼女が話さなかった事のほうが多いのだろう。
他にもまだ、彼女は私に隠している事があるのだろうか?
どこまで、私は耐えれば良いのだろう。
いつまで待てば、彼女は代償ではなく、心からの愛を……

「…君が悪いんじゃない」
そう、私は言った。
泣きそうな顔で私の胸に縋った彼女の髪を、私は撫でた。
あの時、私は止められなかった。
失踪したガストや実験を強行した宝条を責める資格は、私には無い。
私には止められなかった。と言うより、止めなかった。
私は研究員でもなければ彼女の恋人でも無い。ただの護衛なのだからと自分に言い訳して、眼を逸らしたのだ。



数日後には私はベッドから起きられるようになり、昼は居間のソファで過ごすようになった。
「とっても上手に描けてるわよ、セフィロス」
彼女はセフィロスが絵を描く姿を見守り、優しく髪を撫でた。
「ヴィンにも見せてあげましょうね」
セフィロスは彼女の言葉に頷き、絵を持って私の所に歩み寄った。
3歳児の描いた物だから、いびつな丸と線があるだけだが、3人の人物であるらしいのは判った。
左側の人物ははしばみ色の髪で、右側は黒髪。真ん中の小さな人物はグレーの髪だ。
そして、3人は手をつないでいた。
私は、思わず口元を綻ばせた。
「とても良く描けているね」
「でしょう?でも、この子の綺麗な髪の色を表現できるクレヨンが無いのよね」
「…じゃあ、傷が治ったら、街に行って探してみようか?」
私の言葉に、彼女は嬉しそうに笑った。
それから、「良かったわね」と言ってセフィロスに微笑みかける。
街に行くのが危険なのは、私も彼女も判っている。
だがそれでも、私は彼女の笑顔が見たかった。
「もっと何か描いて見せてちょうだい」

彼女の言葉に、セフィロスは左手でクレヨンを握り締めた。
下を向くと、銀糸のように美しい白銀の髪が、さらりとこぼれかかる。
セフィロスは小さな手で髪をかきあげ、耳にかけた。
その仕草は、とても愛らしい。

「ルクレツィア。もしかして…セフィロスは暗いところでも、眼が見えるのかい?」
ふと思い出して、私は彼女に訊いた。
「ええ、そうよ。少し前に気付いたのだけど、あなたも気付いていたの?」
「この前、セフィロスが一人で研究所に行ってしまった時、灯りは消してあったから…」
彼女はただ、「不思議よね」とだけ言った。
猫を思わせる独特な形の瞳孔は、猫のように闇を見透かす力をセフィロスに与えているのだろうか…?
私はセフィロスの描いている絵に眼を留め、思わず眉を顰めた。
描かれているのは、明らかに人ではなかった。
「セフィロス。これはなあに?」
「わかんない」
彼女の問いにそう答え、セフィロスはもう一度、こぼれかかる髪を耳にかけた。
小さなふっくらした手が艶やかな髪をかき上げる姿は、童話の愛らしい挿絵を思わせる。
だが私の目は、セフィロスの描いているものに釘付けになった。
いびつな線で描かれて黒く塗られたたそれは、『化け物』と化した私の姿に似ていた。







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