Plutinum Dream



(6)

「セフィロスがいない…?」
鸚鵡返しに、私は訊き返した。
彼女は不安げに頷く。
「部屋にも、どこにも姿が見当たらないのよ」
「まさか、外に出たんじゃ…」
すうっと背筋が寒くなるのを、私は覚えた。
昨日の彼女の苛立った姿が、私に恐ろしい想像をさせる。
「手分けして探そう。私は外を見てくるから、君は屋敷の中を」
頭に浮かんだ考えを打ち消して、私は屋敷を飛び出した。

外に出た私がまずやった事は、車輪の跡や不審な足跡が無いか、確認する事だった。
ここに来てから一歩も家の外に出た事の無い3歳児が、一人でそう、遠くに行ける筈は無い。
連れ去られたのでなければ、近くにいる筈だ。
だが連れ去られた形跡は無く、セフィロスの姿も無かった。
彼女が私を起しに来てセフィロスから目を離したのは、ほんの数分だ。
そこから考えると、外に出た可能性は低い。
私は屋敷の中に入り、一旦、居間に戻った。
が、やはり誰もいない。
「まさか、研究所…?」
ハッとして、私は思わず呟いた。
地下の研究所への入り口には、鍵のかけられる扉がある。
3人でここに住むようになってから、セフィロスが勝手に研究所に行ってしまわない様にと、その扉にはいつも鍵をかけるようにしていた。
だが今朝方、戻った時に、私はその鍵をかけただろうか……?
急いで地下の入り口まで行った私は、鍵がかかっていないのを見て一気に不安が募るのを感じた。
だが灯りは消してある。
そして、灯りのスイッチは、セフィロスの手の届かない場所にあるのだ。
こんな真っ暗な中、セフィロスが一人で地下に降りて行ったとはとても思えない。
それでも一応、確認しようと、私は石造りの螺旋階段を降りた。

研究所は幾つかの資料室と実験室に分かれていて、実験室は研究員のIDカードが無ければ入れない。
今、それを持っているのは彼女だけだから、セフィロスが実験室に入り込んだ可能性は無い。
「セフィロス?セフィロス…!」
私はセフィロスの名を呼びながら、ドアの開く部屋を端から探した。
地上の屋敷は使っていない部屋には鍵をかけてあるので、探す場所は殆ど無い。
だがこの研究所は部屋数も多く、迷宮のように入り組んでいる。
セフィロスを探し回る内に、私は自分の居場所が判らなくなってしまった。
かつて護衛としてこの神羅屋敷に赴任していた頃も、地下の研究所に立ち入る事は殆ど無かったのだ。
私は立ち止まって、壁に寄りかかった。
そして、私が灯りをつけるまで真っ暗だった地下にセフィロスがいる筈は無いと、改めて思った。
どうにか帰り道を探さないと、と踵を返した時、私の耳にその音が飛び込んできた。
ドンドンドン…と、強くドアを叩くような音だ。
一瞬、私はセフィロスがどこかの部屋に閉じ込められて助けを求めているのかと思った。
が、3歳の子供にしては、その音は力強すぎる。
私は常に携行している銃を構え、慎重に音のする方に近づいた。
音は、何の表示も無い部屋の中から響いていた。
場所としては、研究所の最も奥に位置するのだろう。

私は背筋が寒くなるのを覚えた。
この研究所は3年近く前に放棄され、私たち以外の誰もいないと思っていたのに、何者かが扉の向こうにいるのだ。

「そこにいるのは誰だ?」
私は呼びかけたが、相手は答えない。
ただ、狂ったように厚い金属製の扉を叩き続けるだけだ。
動物が体当たりしているのでは無く、拳で叩いているのだと、私は改めて確認した。
何者なのかは判らないが、人間である事は確かだ。
「そこにいるのは誰なんだ?答えてくれ!」
厚い扉の向こうにも届くように、大声で私は怒鳴った。
その声が聞こえたのか、ぴたりと音が止んだ。
だが、相手はやはり答えなかった。
何かを壊すような音が暫く続き、突然、扉が開いた。
「グアアアアアアッ!」
「……!」
いきなりモンスターに襲いかかられ、私は銃を撃つ間もなく床に叩き付けられた。
噛み付こうとする相手を、改造された左手の爪で攻撃する。
顔に深い傷を負い、モンスターは悲鳴を上げて私から離れた。
「……っ…」
声も無く、私は呻いた。
自分の目の前で苦しんでいるのが、実験でモンスターにされた人間だと骨格で判ったからだ。
部屋の中には幾つかのポッドがあり、同じような実験体が魔晄漬けにされて眠っていた。
恐らく宝条たちは、この研究所を去る時に、この実験体達をこの場に放置したのだ。
その後、実験体たちはずっと眠り続けていたが、何らかの理由で一体だけが目覚め、暴れだしたのだろう。
「落ち着いてくれ。私は敵じゃない」
「グギャ、オオオオオオ」
実験体は私の言葉には反応せず、再び喚き声を上げて襲い掛かって来た。
彼は、確かに人間の筈だ。
だが、人としての心も理性も、実験によって奪われてしまっていた。
そうであるなら、躊躇っている時間は無い。
私は彼の頭を目掛け、何度も引き金を引いた。

「ヴィン…?」
銃を降ろした時、私は名を呼ばれて振り向いた。
セフィロスだ。
私は愕然とした。
この子は灯りも無い真っ暗な中、たった一人で長い階段を降り、地下の研究所に来たのだ。
私はここに来る時、念の為、入り口の扉に鍵をかけた。
だから、セフィロスがここに来たのが私より先だったのは間違いない。
だが今は、そんな事に驚いている暇は無い。
ポッドの中で、他の実験体たちも目を覚まし、蠢き始めていた。
一刻も早く、セフィロスを安全な場所に避難させなければならない。
「さあ、早く。ママの所に戻ろう」
「あのひとたち、だれ?」
抱き上げようとした私に、セフィロスは訊いた。
神秘的な光を湛えた美しい瞳が、ポッドの中の実験体たちを見つめている。
「あれは…人じゃない。恐ろしいモンスターなんだよ。だから早く__」
「でも、たすけてって」

唖然として、私は部屋の中を見た。
最初の一体が制御装置を壊した為に何らかの異変が起きたらしく、他の実験体たちはポッドの中で狂ったように暴れていた。
ピシッと音を立てて、ポッドにひびが入る。

「落ち着いてくれ!私は君たちの味方だ!」
必死になって叫んだが、実験体たちの耳に届いたようには見えない。
と言うより、私が射殺した一体と同じで、理性が無いのだろう。
「セフィロス、逃げろ!すぐにルクレツィアの、ママの所に戻るんだ!」
ポッドに銃を向けたまま、私は言った。
だが、セフィロスはその場を動かない。
私はセフィロスを抱き上げて走りだした。殆ど同時に、ポッドのガラスが砕け散る音がする。
「ぐぁあああ!!」
背中を鋭い爪で引き裂かれ、私は叫び声を上げた。
振り向きざまに銃を連射し、それで一体が動かなくなる。
だがまだ三体が、ポッドを破ろうとしている。
弾の残りは、無い。
「セフィロス、逃げろ!早く!」
セフィロス床に下ろし、私は怒鳴った。
セフィロスは脅えた表情で私とポッドの中の実験体たちを交互に見、それから走り出した。
私はセフィロスがこちらを見ていないのを確認し、それから身の内の『化け物』の力を解き放った。
「グアアアアアアッ!」
「グォオオオオオ!」
おぞましい声を上げて襲い掛かってくる実験体たちを、私はなぎ倒した。
グシャッと、骨が砕ける音がし、緑色の血が飛び散る。
彼らがかつて人間であった事実を、私は意識から追い出した。
尤も、今の私自身、彼ら以上の『化け物』だ。
「グギャギャッ!」
「……!」

射殺した筈の二体が立ち上がり、私は愕然とした。
彼らは、銃で撃った程度では死なないのだ。
彼らを大人しくさせる為には、手足の骨をバラバラに砕いてしまう他は無い。

「ヒギイッ!」
「グギャアアアアアッ!」
実験体たちの叫び声を聞きながら、私は、沸々と破壊の衝動が沸き起こってくるのを感じていた。
『怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ』__その文章を書いた哲学者は、化け物と戦った事など無いのだと、私は思った。
一度でも戦った事があるなら、知った筈だ。
化け物にならなければ、化け物と戦う事など出来ないのだ…と。
私は実験体たちの手足を砕き、動けなくなった彼らの頭を潰した。
床は緑色の液体で染まり、金臭い匂いが充満する。
緑色なのに、やはり血の匂いがするのだ。
私は肩で大きく息をしながら、動かなくなった『化け物』たちを見下ろしていた。
破壊の衝動は止まない。
それどころか、一層、強まってゆく。
まずい…と、私は思った。
私は宝条によって身の内に埋め込まれた『化け物』を、今まで何とか制御して来た。
だが今、その制御が失われようとしている。
「……!」

幽かな物音に、私は反射的に振り返った。
そしてそこに、脅えた表情で立ち尽くすセフィロスの姿を見た。

「グ…グア……」
大丈夫か?と、私はセフィロスに尋ねた筈だった。
が、『化け物』と化した私の口からは、獣のような呻き声しか出てこない。
私はすぐに元の姿に戻ろうとした。
が、出来なかった。
五体ものモンスターと戦い、重傷を負わされたせいか、私の中の『化け物』は、最早私の理性に従おうとはしなかった。
------駄目だ…ダメだ、セフィロス逃げろ……!
心の中で、私は叫んだ。
だが私の身体は、私の意志に逆らって、ゆっくりとセフィロスに歩み寄る。
私はぼんやりとセフィロスの柔らかそうな頬を見、それを引き裂きたいと思った。
雪のように白い肌には、綺麗な赤い血の色が似合うのだろう……
歩み寄る『化け物』の姿に、セフィロスは大きく目を見開き、恐怖に凍りついた。
そして私の手がセフィロスの襟元を掴んだ時、すうっとセフィロスの表情が変わった。







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