Plutinum Dream



(5)

それから数日の間、彼女は地下の研究所に篭もる事が多くなった。
それまでは、昼はなるべくセフィロスの側にいて、セフィロスを寝かしつけた後に資料を読むのが常だったのに…だ。
私は彼女の代わりに食事の用意をし、セフィロスの遊び相手を務めた。
「ママは?」
だがそんな日が何日も続くと、さすがにセフィロスは寂しくなったのだろう。
あどけない声で、何度も、同じ問いを繰り返した。
「ママは、研究所で調べ物をしているから…」
私は、他にどうする事も出来ず、同じ答えを繰り返した。
無論、幼いセフィロスに言葉の意味は判らない。
ただ、寂しそうに俯くだけだ。
私は彼女の所にセフィロスを連れて行く事を考えたが、考えるたびに思いとどまった。
彼女はきっと、セフィロスの身体に合う薬の研究か何かをしているのだろう。
それを、邪魔してはいけない。
次にセフィロスが体調を崩すよりも早く、薬か治療法か、何らかの手立てを見つけなければならないのだ……

「ルクレツィア。戻っていたんだね」
セフィロスを昼寝させて居間に戻った私は、そこに彼女の姿を認めて安堵して言った。
だが、安堵は長続きしなかった。
彼女は、死刑宣告を受けた者の様に暗い眼をしていたのだ。
「何か……判ったのかい?」
幾分か躊躇ってから、そう、私は訊いた。
彼女は眼を閉じ、苦しげに整った眉を顰める。
「セフィロスのDNAは……人間の物とは違っていたのよ。単に血液組成が異なっているだけじゃない。遺伝子そのものが……」
幽かに震える声で、彼女は言った。
それから、着ている白衣の袖をきつく握り締める。
「どうして……そんな検査を…?」

唖然として、私は訊いた。
セフィロスの髪と瞳の色を見れば、セフィロスが彼女と宝条以外の遺伝子を濃く受け継いでいるのは明らかだ。
何より、元々あれは古代種の能力を持った人間を生み出す為の実験では無かったのか?
そうであるなら、セフィロスがジェノバの遺伝子を受け継いで生まれて来たのは、当然の結果では無いのか…?

「私の子は、私のお腹にいる間にジェノバ細胞に食い尽くされてしまったのよ。影響を受けている事は判っていたけど、まさか…まさかあんな……!」
ヒステリックに言って、彼女は両手で顔を覆った。
その言葉に、私は鉛を呑まされたような重苦しさを覚えた。
「まさか君は……」
思わず、私は呟いた。
だがそれ以上の言葉を、私は口に出来なかった。
私は彼女に涙ながらに懇願されて、生後間もないセフィロスを宝条の許から奪い取ったのだ。
我が子と共に暮らす事は、彼女の切実な願いの筈だったし、不安定な日々も少なくなかったが、それでも彼女は幸せな筈だった。
それなのに、今更どうしてDNAなどを問題にするのだ……?

彼女は、私の呟きに顔を上げ、こちらを見た。
何かに取り憑かれたような、虚ろな表情だ。
そしてその虚ろな表情が、言い様のない感情に歪む。
「あの子が…セフィロスが私の子じゃ無いって言いたいんじゃないわ。ただ、遺伝子の変質が予想以上だったから…」
何も言えず、私は口を噤んだまま、彼女を見つめた。
彼女は首を横に振った。
「私はただ…どうしたらあの子を苦しみから救ってあげられるのか知りたくて……。私の骨髄を移植すれば、あの子の血液は私と同じになるから。でも、ジェノバのDNAは、人間とも地球上の他のどんな生き物とも異なっていて…」
再び、彼女は固く眼を閉じた。
移植用の骨髄が適合する可能性は極めて低いのだという記事を読んだ記憶が、私の脳裏に蘇った。
骨髄移植の適合に必要な条件が何であるのか私には判らないが、セフィロスのDNAが人間と異なる物であるのなら、適合する可能性は、極めて低いのだろう。
「私は……セフィロスの目元は、君に似ていると思うよ…」
何か言わなければと思い、苦し紛れに私は言った。
たとえ外見が似ていたとしても、それはセフィロスが病気になった時の治療には何の役にも立たない。
だが今、彼女がショックを受けているのは、骨髄移植によってセフィロスの治療を可能にする道が閉ざされた事ではなく、彼女の産んだ子が、遺伝子的には殆ど人間ではない事なのだ。

実験の当初、ジェノバは古代種だと思われていた。
だが妊娠の初期の頃から、彼女は体調を崩し、何度も倒れた。
その事でガスト博士はジェノバが古代種では無いと気づき、自分の犯した過ちの大きさに慄いて失踪した。
彼女と、そのお腹の子を見棄てて逃げたのだ。
プロジェクトの責任者であったガストがどうしてそんな無責任で残酷な真似をしたのか、私には理解できなかった。
その頃の私は何が起きているのかも判らず、宝条に詰め寄った。
そして宝条に撃たれ、数ヵ月後まで彼女に会う事も無かった。
その数ヶ月の間に、彼女には実験を中止するという選択肢もあった筈だ。
宝条は実験の中止など許さなかっただろうが、彼女は監禁されていた訳では無かったのだ。
ジェノバが古代種で無い事も、赤ん坊がジェノバの影響を強く受けて生まれて来る事も、彼女は承知していた筈だ__理性では。
------あの子を取り戻して。お願い……!
私の脳裏に、3年前、私の前に現われて泣いていた彼女の姿が蘇った。
彼女は意識を失っている間にセフィロスを宝条に取り上げられ、引き離されてしまったのだと言っていた。
私がセフィロスを彼女の許に連れて行くまで、彼女はセフィロスを見た事が無かったのだ。
もしも、と、私は心の中で、問う事の出来ない問いを呟いた。
もしも自分に似ていないと判っていても、君はセフィロスを奪い返そうとしたのか……と。

その夜、彼女は疲れたから早目に寝みたいと言って、セフィロスを寝かし付けに行き、そのまま一緒に眠った。
私は彼女が眠りに就いたのを確かめてから、地下の研究所に降りて行った。
それまで私は、科学者でもない自分が見ても無意味だと思い、ジェノバに関する資料に目を通した事が無かったのだ。
資料は整然と分類されていたが、余りに膨大でどこから手をつけて良いのか途方に暮れた。
夜の明け始める頃までかけて私に判ったのは、ジェノバがセフィロスと同じ白銀の髪の持ち主である事と、その生命力が恐ろしいほどに強く、僅かな細胞を移植しただけで多大な影響をもたらす事だけだった。



翌日になると、彼女は何事も無かったかのように落ち着きを取り戻していた。
そして寝過ごした私を、優しく揺り起こした。
「寝かしといてあげようと思ったけど、そろそろお昼だから」
「もう、そんな時間かい?」
私の問いに、彼女は笑って頷いた。
それから、ベッドの端に腰を降ろす。
「私…少し神経質になり過ぎていたみたい。ここに落ち着くようになってから、セフィロスは前より丈夫になったし。確かにお腹をこわしたり熱を出したりはしょっちゅうだけど、子供ってみんなそんなものだわ」
「そうだね…。私の読んだ育児書にも、そんな風に書いてあった」
彼女は微笑み、私の髪に指を絡めた。
私の髪は、宝条に撃たれた時以来、一度も切っておらず、伸び放題だ。
「本当に…あなたがいてくれて良かったわ。私一人だったら、どうなっていた事か……」
「…私こそ、君には感謝している。私の生命を救ってくれて」
私の生命を救い、宝条の許から逃がしてくれたのが誰か私が知ったのは、彼女が私の許を訪ねて来た時だった。
宝条は私を撃っただけでなく、改造実験の実験台にして、そのせいで私は心肺停止状態に陥ったのだと、その時、彼女から聞かされた。
彼女は視線を落とし、私の左腕に軽く触れた。
宝条に改造され、異形となった腕を。

身支度を整えて私が居間に行くと、そこには誰もいなかった。
テーブルの上には、セフィロスが描いていたらしい絵が置いたままだ。
「ルクレツィア…?」
キッチンにも彼女の姿は見当たらず、私は廊下に出た。
足音が聞こえたので階段の方に行くと、彼女が降りて来るところだった。
「ヴィンセント。あの子が…セフィロスがいないの」
蒼い顔で、彼女は言った。







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