Plutinum Dream
(4)
夕食後、私は約束どおり、セフィロスに童話を読み聞かせた。
セフィロスのお気に入りの、『雪白と薔薇紅』だ。
「『私は小人が死んで魔法がとけるまで、獰猛な熊になって森を走りまわらねばなりませんでした。今、小人は自分にふさわしい報いを受けたのです』」
「むくいって?」
「報いっていうのは…」
私は、答えに詰まった。
「何か悪いことをしたら、それに対する罰を受けるっていう意味だよ」
「ばつって?」
重ねて、セフィロスは訊いた。
「例えば…小人は王子に魔法にかけて熊に変えてしまったり、王子の宝を盗んだり、たくさん悪いことをしたから、それで最後には熊に殺されて死んでしまったんだ。それが、罰を受けるっていう事だよ」
私の説明に、セフィロスはただ瞬いた。
理解したのかしなかったのか判らないし、こんな殺伐とした説明がふさわしかったのかどうかも判らない。
昔からある童話には、それを子供に読み聞かせて良いのか躊躇われる様な残酷な話が少なくない。
子供に善悪を教える為には、ある程度の残酷さも必要なのかも知れないが。
それにしても、どうしてこんな殺伐とした話をセフィロスが好むのか、私には判らない。 だがセフィロスはまだ3歳になったばかりだし、ストーリーそのものより、美しい挿絵が気に入っているだけなのだろう。
私の小さな疑問を他所に、セフィロスは熱心に話に耳を傾け、飽きることも無く挿絵を見つめた。
長い睫毛に縁取られた大きな切れ長の目が、彼女に似ていると、私は思った。
類稀に美しい白銀の髪と、神秘的な光を湛えた翡翠色の瞳は、残念ながら彼女には似ていなかったが。
もしも私たちに近しく付き合う隣人でもいたら、『両親』のどちらにも似ない髪と瞳の色をした子供を、不思議がる者がいただろう。
或いは、猫を思わせる独特な瞳孔の形を、気味悪がる者もいたかも知れない。
ホテルを転々としていた時に、往診を頼んだ医師が疑問を抱いた可能性も低くない。
それでも充分以上に支払った謝礼のお陰か、誰にも余計な詮索はされずに済んだ。
そしてその後、私たちは神羅屋敷で村人たちの目を避けて、ひっそりと暮らす事になった。
宝条に撃たれた私は彼女に生命を救われ、神羅の追っ手のかからない安全な場所に逃された。
その数ヵ月後に、彼女は宝条によって研究所を追放された。
そんな私たちが、選りによってあの恐ろしい実験の行われた神羅屋敷に戻って来ようとは、夢にも思わなかった。
最初に私がこの神羅屋敷に戻ったのは、セフィロスが1歳になるかならないかの頃だった。
それまでにセフィロスは度々体調を崩し、往診した医師の薬は全く役に立たなかった。
不安になった彼女は藁にもすがる想いで、資料と検査キットを盗み出して欲しいと、私に頼んだのだ。
そして私は、宝条たちがとうにニブルヘイムを引き上げ、神羅屋敷がもぬけの殻である事を知った。
それで私たちは、セフィロスを連れて神羅屋敷に戻った。
最初は、資料を手に入れてセフィロスの検査が終わったら、すぐに出て行く積りだった。
だが、結局、私たちは神羅屋敷に住み着くことになった。
理由の一つは、資料が余りに膨大で持ち出せなかった事。
もう一つは、検査の結果、セフィロスの血液組成が普通の人間とは異なるのだと判った事だ。
今後もセフィロスは度々体調を崩すだろうし、そうなったらセフィロスを治療する手立ては、この研究所にしか無いのだ。
だが恐らく何より大きな理由となったのは、数ヶ月におよぶ逃亡生活に、彼女も私も疲れ切っていた事だろう。
連日、何時間も移動し、人の目を避け、人々の何気ない視線に怯えて逃げ回る生活に、私たちは耐えられなくなっていた。
神羅屋敷に戻った時、数々の忌まわしい思い出があるにも関わらず、安堵したのを私は覚えている。
それでも、最初の頃は村人の目につく事を恐れて地下の研究所に篭って暮らしていた。
食料や生活必需品は、近隣の村で調達した。
人口の少ない村では殆どの者が顔見知りなので、よそ者は目立ちやすい。
だから顔を覚えられないように、幾つもの村を転々と回って、買い物をしていた。
買い物に行くのは、いつも私の役目だった。
私ならば、最悪、誰かに見つかって追われても、体内に埋め込まれた『化け物』の力を発動することで逃げ切れる。
だから彼女は一切、外出する事も無く、地下の研究所にセフィロスと共に篭っていた。
だがそんな生活は不便だったし、何より窓も無い地下に閉じこもっている事に、彼女が耐えられなくなったのだ。
陽も当たらない場所にセフィロスを閉じ込めておくなんて耐えられない__そう、苛立たしげに彼女は言った。
数ヶ月に及ぶ逃亡生活の疲労は、相当なストレスとなっていたのだろう。
やっと一箇所に落ち着けたと思ったのに、それが陰気な地下では気が休まらない。
それで、私たちは危険を承知で、思い切って神羅屋敷での生活を始めた。
私たちの存在を村人に知られると神羅に密告される恐れがあるので、ニブルヘイムの村には近づかない。
そして彼女とセフィロスは、屋敷から外には一歩も出ない。
それでも、窓も無い地下の研究所に篭るよりははるかに開放的だったし、逃亡生活では望めない心の安らぎも得られた。
一箇所に落ち着いて生活できるようになったせいか、セフィロスや彼女が体調を崩す事も減った。
神羅屋敷には、ニブルヘイムの村の家では到底、望めないような最新の設備が整っていたし、地下研究所にある実験用の超小型魔晄炉から動力が供給できた。
広さも部屋数も充分すぎる位だったし、無機質な研究所とは対照的に、クラシカルな家具で居心地良く設えられていた。
私も彼女も、数ヶ月ぶりに落ち着いて寛いだ気持ちになれたのだ。
生活が落ち着くようになると、彼女は資料を読み漁る傍ら、料理も作るようになっていた。
最初は私のほうがマシなくらいだったので、一緒に作った。
私にはそれが楽しかったし、彼女も楽しそうだった。
------あなたって理想的な夫ね
言って、彼女は笑った。
------嫌がらずに積極的に家事を手伝ってくれるし、セフィロスの面倒もよく見てくれる。理想的な夫で、理想的な父親だわ
けれども彼女は、セフィロスに私を「パパ」とは呼ばせなかった。
「ヴィン、もっとお話をきかせて?」
愛らしい声で言って、セフィロスは大きな目で私をまっすぐに見上げた。
透ける様に白い肌は滑らかで、見るからに柔らかそうだ。
そして魔晄に似た神秘的な色の瞳は、穢れなく澄んでいる。
私はセフィロスに微笑み、軽く頭を撫でた。
「もう時間が遅いから、続きはベッドで読んであげるよ」
「ママは?」
「ママは、研究所で調べものをしているから」
言って、私はセフィロスを抱き上げた。
「今日は私と一緒にお風呂に入ろう。それからお話を読んであげる」
私の言葉に、セフィロスは素直に頷いた。
この子はとても素直だ__今はまだ。
だが、あと何年かしてもっと自我が強くなり、知恵もついたら。
その時にこの子は、「パパ」ではない私の事を、どう思うのだろう……
「ご免なさい、ヴィンセント。つい、夢中になってしまって」
夜も更けた頃、研究所から戻った彼女は済まなさそうな表情を浮かべてそう、言った。
夕食の後片付けも、セフィロスを寝かしつけるのも、私が済ませた後だ。
「謝る事なんて、何も無いよ。どうせ暇だし」
「でもたとえ共働きでも、家事は妻がやって当然だって思っている男の人も多いのよ。先輩の女性科学者から、よく愚痴を聞かされたわ」
軽く苦笑して、彼女は言った。
私も幽かに笑う。
「タークスの女性の先輩は、結婚できないってぼやいていた」
「タークスの女性は強いから、男の人が敬遠するんでしょうね。男の人って……」
途中で、彼女は言葉を切った。
視線を落とし、暫く口を噤む。
それから、彼女は顔を上げて私を見た。
はしばみ色の瞳が、僅かに金色を帯びて潤んだように光る。
「あなたが…私の父のような男でなくて良かったわ……」
私の首にたおやかな腕を巻きつけてきた彼女を、私はそっと抱きしめた。
彼女の父親は、妻が死の床にある時に、他の女性のもとにいたのだ。
彼女がそれを私に打ち明けて話したのは、つい最近の事だ。
足音を忍ばせて、彼女はセフィロスの寝室に様子を見に行った。
安らかな寝息を立てて眠っている我が子の髪を優しく撫で、ふっくらした頬にそっとキスする。
月明かりの中で見る2人の姿に、私は童話の挿絵の美しい妖精たちを思い起こした。
彼女には、蜻蛉のような透明な羽根が似合うのだろう。
「母が亡くなった後、私はいつも独りぼっちだったわ」
私たちの寝室に戻ると、そう、彼女は言った。
「でも私がまだ本当に小さくて、母もまだ寝込んでしまうようになる前に、一度だけ両親と3人でゴールドソーサーに行った思い出があるの」
「ゴールドソーサーに…?」
鸚鵡返しに、私は訊いた。
子供の頃、私と姉は母に連れられて、何度かそこに行った記憶がある。
父が一緒に行った事は、私の覚えている限り、一度も無かった。
「大きくなって、母が亡くなった時に父が側にいなかった本当の理由を知った時、私は父を許せないって思ったわ。それでも父を憎めないのは、そのたった一度の思い出のせいなのね…」
私は言うべき言葉が見つからず、ただ宥めるように彼女の手に触れた。
「私は自分の子供には、そんな寂しい思いはさせたくなかった。絶対に。だから宝条があの子を私から引き離した時、殺したいくらいにあの男を憎んだわ」
あの男はたとえ自分の子供でも、実験体としか思わないのよ__そう、彼女は続けた。
彼女の言葉には憤りが表れていたが、彼女が何故、人体実験に我が子を捧げようとしたのか、私には理解できなかった。
そしてそれを問う事は、私には永遠に出来ないのだろう。
或いは、それが私がセフィロスの『父親』にはなれない理由なのかも知れない……
「でも」と、整った口元に美しい笑みを浮かべて、彼女は言った。
「今、こうしてあなたとセフィロスと3人で一緒に暮らせて、私はとても幸せだわ」
「…私もだよ」
殆ど反射的に、私は言った。
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