Plutinum Dream



(3)

幸い、セフィロスは昼にはすりおろしたリンゴを食べられる位に回復した。
彼女はそれで幾分か安堵したらしく、落ち着きと笑顔を取り戻した。
そしてずっと側につき切りで、セフィロスが人形で遊ぶ相手をしていた。
「ヴィンもいっしょに、あそぼう」
夕方にはセフィロスは大分、元気を取り戻して、様子を見に行った私を誘った。
私は口元を綻ばせた。
天使のように愛らしい子供にそんな風に言われれば、どんな大人でも同じ反応を返すだろう。
無論、世の中には子供嫌いな大人もいるし、私自身、特別に子供が好きという訳では無い。
だが、この無垢で素直な生き物を愛しいと思わない人間がいるだろうとは、私には思えない。
それほどまでに、セフィロスは愛らしかった。
「後で一緒に遊んであげるよ。それより、晩御飯にスープくらいなら食べられそうかい?」
「もう、そんな時間?」
頷いたセフィロスの傍らで、彼女は言った。
「じゃあ、かぼちゃのポタージュを作ってあげるわね。ママがお料理している間、ヴィンに遊んでもらいなさい」

言って、彼女がセフィロスの頬に軽く触れるのを、私は見遣った。
彼女は慈愛と幸福そのもののような微笑を浮かべ、セフィロスも幸せそうだ。
優しく微笑む彼女はいつもにも増して美しく見えたし、セフィロスは他のどんな子供も比べものにならないくらいに愛らしい。
まるで、『幸福』とタイトルをつけた美しい絵画のようだ。

「…夕食は私が作るから、君はセフィロスの側にいてあげてたら良いよ」
私の言葉に、彼女は首を横に振った。
瞳と同じ色をした艶やかな髪が、しなやかに揺れる。
「駄目よ。昼だって作らせちゃったのに」
「病気の時には、母親が側にいてあげるのが一番だよ__受け売りだけど」
「誰の受け売りなの?」
悪戯っぽく笑って、彼女は訊いた。
「育児書」
「そういうのは、余り受け売りとは言わないわね。でも、そういう事なら、お言葉に甘えさせてもらうわ」
私は軽く笑って頷き、踵を返した。
そして、いつの間にかすっかり作り笑いが上手くなっている自分に驚いた。

------ママって、呼んだのよ。ママって
初めてセフィロスが彼女をそう、呼んだ時、彼女はひどく嬉しそうだった。
私の耳には『ママ』ではなく『マー』としか聞こえなかったが、そんな事はどうでも良かった。
ただ、彼女の幸せそうな顔が見られれば、私はそれで満足だったのだ。
だから彼女に頼まれて宝条の元からセフィロスを奪い取った時、後の事などは考えていなかった。
彼女が助けを必要としているのは判っていた。
だがそれでも、自分が彼女と一緒に暮らす事までは、考えていなかったのだ。
正直に言えば、全く考えなかった訳では無い。
考えたと言うより、期待していたと言った方が正確だろう。
護衛として研究所に配属され、彼女と初めて会った時から、彼女は私の意識の少なくない部分を占めていた。
初め、それは疑惑だった__何故、彼女が、初対面の筈の私の顔を見て驚いたのか。
もっと言えば、あれは単なる驚きでは無かった。
彼女は、明らかにショックを受けていたのだ。
すぐに彼女はそんな態度を改め、タークスである私に親しく話しかけるようになった。
疑惑の謎は解けないままだったが、私は敢えて聞き質そうとはしなかった。
彼女が私の名を呼び、話しかけ、笑う。
それだけで、私は嬉しかった。

だがそんなささやかな幸福は、長くは続かなかった。
ガスト博士の実験プロジェクトに、彼女は我が身と我が子を捧げる決意をしたのだ。
私はショックを受けた。
彼女が人体実験に参画する事にも、彼女が子供の父親として、宝条を選んだ事にも。
------君は…君は、本当にそれで……
それ以上の言葉を、私は続けられなかった。
------なんで『君は』なのよ?私だけの問題なら、あなたには関係ない…!
ヒステリックに言った彼女の言葉は、今も耳の奥に残っている。
そして今でも思う。
あの時、「私は反対だ」と言っていれば、何かが変わっていただろうか…と。

いずれにしろ、彼女には私が必要だった。
セフィロスを宝条の元から奪い返した時、彼女は父親の所有する別荘の一つに身を寄せていた。
が、すぐに神羅の追っ手がかかる事は明らかだった。
彼女は全ての貯金を下ろして、ホテルを転々とする生活を余儀なくされた。
ジェノバ細胞の影響で心身の状態が不安定だった彼女が、赤ん坊を連れて独りで逃亡生活を続けるのは無理だった。
彼女には、私が必要だったのだ。
だから私は、あの夜、彼女が私の首に腕を絡めてきた時に、「代償の積りならば、そんな必要は無い」と言いかけた。
言いかけたが、口に出す前に噛み殺した。
そんな事を言えば彼女を侮辱する事になるし、何より、代償でも構わないと思ったのだ。

私は、彼女が安全な落ち着き先を見つけるまでの間、護衛として側にいるだけなのだと、自らに言い聞かせていた。
期待して裏切られるよりは、期待しない方が賢明だと考えたのだ。
だがセフィロスがたびたび体調を崩し、医者に往診を頼んでも全く役に立たない事が判ると、彼女はひどく不安になったようだった。
それに彼女自身の体調も、決して良いとは言えなかった。
結果として、彼女は私を手放せなくなった。
単なるボディガードでもベビーシッターでも無く、秘密を共有して彼女と彼女の子供を護る存在が、彼女には必要だったのだ。
その事を、私の理性は理解していた。
それでも、彼女が「やっと自分の本当の気持ちに気づいたの」と言った時、私の感情は彼女の言葉を信じる事を選んだ。
彼女は私の父の死の原因が自分にある事を打ち明け、私に対して罪悪感を抱いていたのだと言った。
だから、私に対する自分の感情に素直になれなかったのだ…と。
私は彼女を信じた。
人間とは、信じたい事を信じる生き物だ。

だからセフィロスが初めて彼女を「ママ」と呼んだ時、私は彼女が私を「パパ」と呼ばせる事を期待した。
無論、私はセフィロスの父親では無い。
だが、私たちはそれまでに何ヶ月も寝食を共にしていたし、これからもずっと3人で一緒に暮らしていくなら、たとえ仮初であってもそう呼ばせるのがセフィロスの為になると、私は思ったのだ。
そして私は、期待して裏切られるよりは、期待しない方が賢明だと改めて思い知らされた。
幸福を具現化したような美しい母子を描いたキャンバスに、私の居場所は無いのだ。

「こっちに持って来ようか?」
夕食の準備が整うと、私はセフィロスの部屋に行って彼女に訊いた。
「もう、起きても大丈夫よね?寝てばかりいたから飽きたでしょう」
優しく言った彼女に、セフィロスは頷いた。
セフィロスはとても素直な子で、母親の言葉に逆らった事は無い。
「そう、良い子ね」
穏やかに微笑んで、彼女は我が子の髪を撫でた。
私は白くたおやかな指が、しなやかな白銀の髪に絡められるのを、佇んだまま見遣った。
彼女はセフィロスの髪に軽くキスし、抱きしめるようにしてベッドから降ろした。
そこに私の割り込む余地は無い。
それでも、私は目の前の光景を美しいと思った。







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