Plutinum Dream



(2)

残ったケーキを彼女は次の日のおやつにする積りでいたが、その計画は実現しなかった。
翌日になると、セフィロスは「おなかが痛い」と言い出して、何も食べられなくなってしまったのだ。
「昨夜、食べさせ過ぎたかしら…」
セフィロスの枕元で、心配そうに彼女は言った。
「そんなに、食べたの?」
そう、私は訊いた。
セフィロスは食が細く、いつもほんの少ししか食べない。
まだ3歳だという年齢を考えても、セフィロスが口にする食事の量は余りに少なかった。
そしてその事を、彼女はいつも心配していた。
母親としては、当然のことだ。
「昨日は誕生日だったから、セフィロスの好物ばかりを作ったのよ。そのせいか、いつもより沢山、食べてくれたのに……」
どう、言えば良いか判らず、私はただ口を噤んでいた。
タークスとして受けた訓練や知識は、こんな時に何の役にも立たない。
「薬は飲ませられないし…一体、どうしたら……」
「暫く…様子を見た方が良いんじゃないかな」
役に立たないと判っていながら、私は言った。

薬を飲ませられないのは、それがセフィロスの身体に合わないからだ。
平凡な風邪薬も一般的な痛み止めも、飲ませれば必ず吐いてしまう。
何度かそんな事があってから、彼女はセフィロスが体調を崩すと苛立つようになった。
我が子が苦しんでいるのに何もしてやれない自分に、苛立つのだ。
そして不幸な事に、セフィロスは身体が弱かった。
よく熱を出して寝込んだし、食べられなくなる事もしょっちゅうだった。

「この前みたいに何日も食べられなくなったらどうするの?ドクターを呼ぶ事も、病院に連れて行く事も出来ないのに…」
幾分かヒステリックに言って、彼女は髪をかきあげた。
その姿を、セフィロスは不安そうに見つめる。
「…とりあえず、ジュースでも飲ませてみたらどうかな__セフィロス。ジュースを飲むかい?」
私の問いに、セフィロスは頷いた。
「何が飲みたい?」
「…オレンジジュース」
「オレンジジュースは駄目よ。柑橘類の酸は、胃を刺激するもの」
セフィロスの言葉に、彼女は言った。
そのきつい口調に、セフィロスはぎゅっとテディ・ベアを抱きしめる。
「リンゴがあるから、それでジュースを作れば…」
「あれは余り新鮮じゃ無かったから、そのまま食べずにタルトにでもしようって言ってたやつでしょう?そんな物、使える訳が無いわ」
ごめん、と、殆ど反射的に私は謝った。
「今から村に行って、何か果物でも買って来るよ」
「問題はそんな事じゃないわ」
尚も苛立たしげに、彼女は続けた。
「様子を見て、それで回復しなかったらどうするの?何が原因なのかも判らないのよ?何日も物が食べられずにこの子が衰弱していくのを、指をくわえてただ見ていろって言うの?」
「だけど…まずは様子を見ないと__」
「あなたは自分の子じゃないから、そんな無責任な事が言えるのよ…!」

ぴくりとセフィロスの肩が震えるのを、私は視界の端で見遣った。
彼女の言葉に、鈍く胸の奥が痛む。
だが今は、私自身の痛みよりも優先すべきものがある。

「ルクレツィア…」
静かに、私は彼女の名を呼んだ。
「そんな大きな声を出したら、セフィロスがびっくりしてしまうよ」
ハッとして、彼女は私を見た。
叱られた子供のような表情になり、それから視線を落とす。
一呼吸、おいてから、彼女は我が子に向き直った。
「…ごめんなさい、セフィロス。あなたを叱った訳じゃないのよ?」
言って、彼女は優しく白銀の髪を撫でた。
「でもね、オレンジジュースだともっとお腹が痛くなるかも知れないから、他のジュースでも良いかしら?」
穏やかに問われ、セフィロスは頷いた。
「そう、良い子ね」
セフィロスの髪を撫でながら、彼女は優しく微笑む。
私は「すぐに戻る」と言い置いて、部屋を出た。
部屋を出た私を、彼女が追いかけて来た。
「ご免なさい、私……どうして、あんな事を言ってしまったのか…」
「…判るよ。君はただ、セフィロスの事が心配なだけなんだ。母親なら、当然だ」
私の言葉に、彼女はもう一度、「ご免なさい」と小さく言った。
母親としての心配__それが全てでは無いのを、私も彼女も判っていた。

半年前、私は彼女に頼まれて、点滴を入手する為に街に向かった。
だが、医師の処方を必要とする点滴注射液を手に入れる為には病院から盗み出す他は無く、私はそれに失敗してしまったのだ。
侵入する時に警報装置は解除したが、予定外の時間に装置が解除されると管理室に通報されるシステムがある事に気づかなかった。
しかもその病院には、折悪しくかつての同僚が入院した家族の付き添いで泊り込んでいて、彼に追われ、顔を見られた。
そんな状況では、他の病院に侵入する事は諦めなければならなかった。
もしもあの時、私が失敗していなかったら、セフィロスが体調を崩しても、彼女はこれほどまでに心配せずに済んだだろう。
尤も、他の薬と同じように、点滴がセフィロスの身体に合わない可能性は否定できないが。

「私だって科学者なのに…何も出来ない自分が情けないわ……」
俯いて、悔しそうに彼女は言った。
そしてそんな表情でいても、彼女は美しく見えた。
「君は、専門が違うし…」
彼女の専門は、エネルギー工学だ__私の父と同じで。
神羅カンパニーには、魔晄エネルギーの効率的な利用方法を研究する研究員として入社したのだ。
その彼女がどうして生物学者であるガスト博士の研究チームに入ったのか、私は知らない。
彼女も私の父も有機エネルギーの研究をしていて、それが生物学と何らかの係わりを持つらしいが、専門外の私には、それ以上の事は判らない。
「あの男だったら…」
独り言のように、彼女は小さく呟いた。
宝条は遺伝子工学のエキスパートで、医学と獣医学の学位も持っている。
専門外の私でも、彼女の言わんとする意味は判った。







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