Plutinum Dream
(12)
彼女をどうにか寝室に連れて行ってから、私はセフィロスの部屋に戻った。
吐き気がする程に胃が重苦しく、息をするのが苦しくなるほどに胸が痛んだ。
このままどこかに逃げてしまいたい衝動に駆られながら、私はセフィロスに歩み寄った。
やはり、彼女に研究所での出来事を話したのは間違いだったのだ。
その責任は、私にある。
セフィロスはベッドの上に座り、テディ・ベアを抱きしめていた。
「…ちゃんと寝ていないと駄目だよ」
出来るだけ穏やかに、私は言った。
そしてゆっくりと手を伸ばし、セフィロスの小さな身体をベッドに横たえた。
「さっきママが言った事は…あれは全部、嘘だよ。信じちゃいけない」
「うそ…?」
そう、セフィロスは訊き返した。
私は何とか笑顔を見せ、そして頷いた。
「ママは今、病気なんだ。だから…嘘をつきたくないのに、嘘をついてしまう。病気だから、自分ではどうにも出来ないんだ」
「びょうき…?」
「たとえば君が病気になると、大好きなものも食べられなくなってしまうだろう?ママは……心の病気だから、嘘をついてしまうんだよ…」
セフィロスは何も言わず、ただ哀しげに目を伏せた。
長い睫毛に縁取られた切れ長の大きな目は、彼女に似ていると、私は思った。
神秘的な光を湛えた翡翠色の瞳も、類稀に美しい白銀の髪も、彼女には似ていなかったが。
セフィロスが眠ってから、私は私たちの寝室に戻った。
彼女はこちらに背を向けて、床に座っていた。
「……死にたい……」
私が声をかけられずにいると、聞き取れるか取れないかくらいの声で、彼女が言った。
「でも死ねない…。私の中のジェノバが、私を死なせてくれない……」
彼女の身体に何箇所も傷跡がある事を、私は再会したその日に気づいていた。
死ねない、というのなら私も同じだ。
至近距離でサンダガを食らったのに、こうして生きている。
「……セフィロスは、眠ったよ」
彼女の背中を見つめたまま、私は言った。
彼女はうなだれる。
「きっと…傷ついたわよね。私…どうしてあんな酷い事を……」
「…ジェノバ細胞の影響で体調が余り良くないから…。それで、不安定なんだよ」
以前にも言ったような事を、私は再び口にした。
だが、彼女が些細なことでヒステリックになるのは、ジェノバ細胞を埋め込まれた子供を身篭る前からであるのは判っている。
私はただ、全てをジェノバ細胞のせいにして、彼女は悪くないのだと自分で思い込もうとしていたに過ぎない。
「……取替え子って、知ってる?」
暫くの沈黙の後、彼女は私に背を向けたまま、そう、訊いた。
「魔物がやってきて、生まれたばかりの美しい赤ん坊を、醜い子供と取り替えてしまうのよ。中世の頃には、そう、信じられていた。科学的に説明するならば、何らかの理由で生まれた奇形児を、『魔物に取り替えられた』って言ったに過ぎないのだけれど」
酷い話よね…と、彼女は続けた。
「奇形児が生まれる原因は親にあるのに、望んだとおりの子が生まれないと、魔物のせいにするなんて…」
彼女の手の甲に涙が落ちるのを、私は彼女の肩越しに見つめた。
「その話を本で読んだ時、何て身勝手で愚かなんだろうって思ったわ。でも、私も同じ。いいえもっと酷いわ。自分の子供を人体実験の実験台にした挙句、すべてをジェノバ細胞のせいにしようとしている。その上、あの子に酷い事を……」
私は彼女に歩み寄り、手を差し伸べた。
が、彼女に触れる事は出来なかった。
何故なのか、自分でも判らなかったが。
「あなたの言っていた通り、DNAなんて関係ないわ。あの子はとても優しい子だし、たとえ普通の人間には無い能力を持っていても、たとえそれで人を殺すような事があったとしても、あの子には何の罪も無いのよ」
「あの時……セフィロスは目の前にいるモンスターが、私だとは知らなかったから……」
私の言葉に、彼女は首を横に振った。
「あなたはモンスターなんかじゃない。セフィロスも。モンスターなのは私よ。あなたの事も、あの子の事も、傷つけ、苦しめてしまった。私こそが醜いモンスターなのよ…!」
再び、彼女は声を上げて泣き崩れた。
彼女が泣き止むまで、私は無言でその場に佇んでいた。
そして、彼女が実験に参画するのを止められなかった事を、改めて後悔した。
彼女に「セフィロスを取り戻して」と懇願された時、これで埋め合わせが出来るのだと、私は思った。
逃亡生活は予想以上に辛かったが、神羅屋敷に落ち着いてからは、彼女も幸せそうだった。
それはいつ壊れても不思議ではないほどに脆かったが、それでもまやかしではなかったのだと、私は信じた。
まだすっかり壊れてしまった訳ではない、やり直しは出来るのだ…と。
「…私たちは3人とも、普通の人間じゃない」
暫くの沈黙の後、私は言った。
「元の生活には戻れないし、私の中のカオスや、セフィロスの中のジェノバがいつ暴走するか、予想も出来ない。それでも…人としての感情を、心を持っている」
だから、と、私は続けた。
「誰かを愛する気持ちがあるし、愛する人が幸せになって欲しいと願う心もある。そして…愛する人に、愛されたいと願う想いも……」
彼女は、私に背を向けたままでいた。
私は僅かに躊躇い、それから口を開いた。
「愛している、ルクレツィア…」
彼女は、すぐには何も言わなかった。
暫く口を噤み、それから俯く。
「……私には、愛される資格は無いわ。あなたにも、あの子にも…」
でも、と、振り向く事無く、彼女は続けた。
「償いは、するわ…」
翌日、彼女は研究所には行かず、セフィロスに付き添って看護した。
魔晄を浴びせる事を断念した訳ではなく、数日の観察期間をおいて、悪影響の無い事を確認する事にしたのだ。
「『白雪姫が7歳になった時、王様が再婚しました。そうして、白雪姫は継母を迎える事になったのです』」
彼女はセフィロスの枕元に座り、セフィロスに童話を読み聞かせていた。
「ままははって、なあに?」
そう、あどけない声で、セフィロスは訊いた。
彼女は一瞬、顔をこわばらせたが、すぐに優しく微笑む。
「継母はね、本当のママじゃない、偽者のママっていう意味よ」
「ママは、にせもののママなの?」
ぴくりと、彼女の指が震えるのを、私は認めた。
彼女は笑って首を横に振る。
「偽者のママなんかじゃないわ。ママはね、世界で一番、あなたの事が好きだし、あなたを大切に思っているのよ」
穏やかに言って、彼女はセフィロスの髪を撫でた。
彼女の笑顔は美しかったが、セフィロスは笑みを返さなかった。
そして、絵本の挿絵に視線を向ける。
「ままははは悪いまほうつかいで、さいごには死んじゃうんだ」
それから顔を上げ、彼女を見る。
「むくいを、うけるんだよ」
すうっと、彼女の顔から微笑が消えた。
それから、吐き気がするかのように口元を押さえる。
不意に席を立ち、彼女はそのまま部屋を出て行った。
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