Plutinum Dream




あの頃の事は、今でも時折、夢に見る。
夢に見ると言うより、あの頃の記憶そのものが夢であるかのようだ。



(1)




「見て、ヴィンセント」
言って、嬉しそうに彼女は微笑んだ。
「この子の髪、なんて綺麗なのかしら」
古いソファに腰を降ろし、彼女は明日で3歳になる息子の髪を梳っていた。
正確に言えば、本当に明日がセフィロスの誕生日なのかどうかは判らない。
7ヶ月目に入った頃、彼女はそれまでの体調不良が更に悪化して、ある日、意識を失った。
再び目覚めたのは2週間後で、その時、既にセフィロスは宝条によって取り上げられていたのだ。
宝条は彼女の精神が不安定である事を理由に赤ん坊を彼女から引き離し、彼女を研究所から追い出した。
------あの子を取り戻して。お願い……!
彼女が私の前に現れて涙ながらに懇願したのは、それから3ヶ月後の事だ。

「…髪が伸びたね」
彼女の白くたおやかな指に、銀糸のようなしなやかな髪がこぼれかかるのを見つめたまま、私は言った。
セフィロスの髪は小さな肩にかかる位に伸びていて、彼女はそれを切る積りは無いらしかった。
「こんな綺麗なプラチナ・ブロンド、他に見た事が無いわ。それに、癖が無いし、とても柔らかいのよ」
そう言って笑った彼女は、お気に入りの人形を自慢する少女のように見えた。
幼子の頭に軽くキスし、再び髪を梳り始める。
彼女は私より2,3歳__或いはもっと__年上の筈だが、いつも少女のように笑う。
そして彼女の自慢の息子は、文字通り天使のように愛らしかった。
「さあ、良いわよ、セフィロス。大人しくしていたご褒美に、絵本を読んであげるわね」
何の本が良いかしら?__彼女の問いに、セフィロスは「ゆきしろ」と答えた。
『雪白と薔薇紅』は、セフィロスのお気に入りの童話の一つだ。
「じゃあ、本を取って来るから、ここで大人しく待っていてね」
言ってから、彼女は私の方を見る。
「ちゃんと良い子にしていたら、明日にはヴィンセントが素敵なプレゼントをくれるわよ?」
彼女の言葉に、セフィロスは期待するような眼差しで私を見た。
失敗した、と、私は思った。
完全に、言い出す機会を失った。
「なにをくれるの?」
「それは秘密よ。明日になったら、判るから」
悪戯っぽく笑って、彼女は我が子の小さな肩を抱きしめる。
それから、「すぐに戻るから」と言って部屋を後にした。

私は、こちらを見上げて軽く笑ったセフィロスに、笑みを返した。
彼女が戻って来たら、明日のプレゼントを手に入れる為に出かけなければならない。
人の多い街に行くのは危険だが、彼女の望むプレゼントは、この辺りの村では手に入らないのだ。
半年ほど前、街に出た時には、危うくかつての同僚に捕まる所だった。
私はその事を彼女に話し、彼女は街に出る事の危険を認識している筈だ。
だがそれでも、彼女は街に出なければ手に入らない贈り物を望んだ。
そして私は、「別のプレゼントに替えてもセフィロスは喜ぶと思うよ?」と、その言葉を言いそびれてしまった。
そう。
望んでいるのは彼女なのだ__セフィロスでは無く。
ソファの上で、セフィロスは去年の誕生日プレゼントの人形で遊んでいた。
手作りの簡素な人形で、近くの村で手に入れた品だ。
コットンよりシルクの似合う子供が持つには質素に見えるが、本人は気に入っているようだ。
だが彼女は、今年こそ、どうしても本物のテディ・ベアを手に入れたいと、頑なに譲らなかった。
嫌、『頑な』と言うのは、不適切な表現だろう。
何故なら私は、一度たりともはっきりと反対はしていないのだから。

「さあ、セフィロス。雪白のお話を読んであげるわ」
ほどなく戻って来た彼女は、言ってセフィロスの隣に腰を降ろした。
「それじゃ、私は出掛けるけど」
戻って来れるのは明日になると、私は言った。
「今夜は2人きりだから、十分に気をつけて」
「判っているわ」
言って、彼女は立ち上がった。
それから、私の頬に軽くキスする。
「あなたも気をつけてね」



私が戻って来れたのは、翌日の夜、やや遅くなってからだった。
「遅くなって、ごめん」
「ヴィンセント…。心配したわ」
謝った私を、彼女はたおやかな腕で抱きしめた。
服を通して、彼女の温もりと幽かな甘い香が、ゆっくりと私に伝わる。
心配する位なら、どうしてわざわざ危険な場所に行かせるのか__その疑問を、私は忘れる事にした。
忘却というのは、人間が不幸から逃れる方法の一つだ。
「待たせてしまって、済まなかったね。セフィロスが、お腹を空かせてなければ良いけど」
「セフィロスを待たせるのは可哀想だから、先にご飯にしたの」
私の言葉に、彼女は言って笑った。
「でも、ケーキはちゃんと取っておいてあるわ」
「…私に気を遣わないで、ケーキも先に食べていて良かったのに」
言いながら、私は子供の頃の誕生会を思い出していた。
ケーキが先で、食事は後だったような記憶がある。
だがケーキはデザートの類だから、食後だったような気もする。
私はそんなどうでも良い事を真剣に考えて、残っている食事が自分の分だけである事の意味から目を逸らした。

「さあ、セフィロス。いっぺんに吹き消すのよ?」
小さなケーキに3本の蝋燭を立て、楽しそうに彼女は言った。
ケーキの材料が近くの村で手に入ったのは幸いだと、私は思った。
それに、彼女がケーキを焼けるようになったのも。
一緒に暮らし始めた頃、彼女は何の料理も作れなかったのだ。
まだ私のほうが、マシなくらいだった。
だから去年のセフィロスの誕生日は比較的作りやすいレアチーズケーキに蝋燭を立てたが、今年は生クリームで飾ったデコレーションケーキだ。
セフィロスが小さな頬を膨らませて一生懸命、ろうそくを吹き消す姿と、それを見守る彼女の笑顔を、私はテーブルの傍らに立ったまま見つめていた。
「すごいわ、セフィロス」
何度目かにやっと蝋燭を吹き消した我が子の頭を優しく撫で、彼女は言った。
「誕生日、おめでとう」
言って、私は手に入れたばかりの包みを手渡した。
近くの村で手に入る品と違って、華やかなリボンで飾られた『ちゃんとした贈り物』だ。
「ありがとう、ヴィン」
「中は何かしらね?さ、開けてみて」
彼女はセフィロスを促し、小さな手がリボンを解くのを手伝った。
セフィロスは包み紙を無造作に破り、箱を開ける。
そして箱からぬいぐるみの熊を取り出し、天使のように微笑った。

「気に入ってくれたみたいで良かったわ」
テディ・ベアで遊ぶセフィロスの姿に、安堵の表情で彼女は言った。
「私、子供の頃ずっとテディ・ベアと一緒に寝ていたのよ。一緒ならば、寂しくなかった。だから、この子にもテディ・ベアをプレゼントしてあげたいって、前から思っていたの」
「セフィロスには、君がいるじゃないか」
言ってしまってから、私は後悔した。
彼女は幼い頃に病気で母親を亡くし、多忙な父親は家を空ける事が多かったのだ。
裕福な家だったので使用人はいたが、彼らは家族では無い。
彼女は暫く黙って我が子の髪を撫でていたが、やがて私を見て、整った口元に笑みを浮かべる。
「そうじゃない夜もあるでしょう…?」
吸い寄せられるように、私は彼女に歩み寄った。
はしばみ色の瞳が、わずかに金色を帯びて光る。
「ママ、ねむい…」
だがその光は、セフィロスがぐずるのを聞いてすぐに消えた。
彼女は、テディ・ベアを抱いたままのセフィロスを抱き上げた。
そして、「すぐに戻るわ」と私に言って、踵を返した。

彼女がセフィロスを寝かしつけに行っている間、私は独りで冷めた夕食を胃に収めた。
テーブルの上には、手付かずのままでケーキが残っている。
せっかく彼女が苦労の末に焼いたケーキだったが、セフィロスはそれを食べなかった。
先に夕食を食べてしまったので、ケーキまでは食べられなかったのだ。
やはり子供の誕生日ではケーキが先なのだと、私は思った。
中々戻ってこない彼女を待ちながら、私はぼんやりと、子供の頃を思い出していた。
科学者だった父はいつも研究に没頭していて、研究所に泊り込む事も多かったし、家にいても研究の事で頭がいっぱいらしかった。
母は私に科学者にだけはならないでと言い、姉は科学者とは絶対に結婚しないと言っていた。
私は科学者にはならなかった。
だが、2度と母や姉の前に姿を現せない身体になってしまった。
父の死後、母は姉夫婦と一緒に暮らしていて、孫の世話で忙しいと幸せそうに話していた。
それが母に会った最後の記憶なのが、唯一の救いだ。







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