ニブルヘイム便り7

(3)


ザックスの部屋を出たアンジールは、そのままジェネシスの部屋に向かった。
ザックスの熱意に呑まれて、一緒にセフィロスと赤ん坊の為に頑張ろうというノリになってしまったが、冷静に考えるとそれは余りに早計だ。
そもそもセフィロスが本当に妊娠しているのか、それを確かめるのが先決なのだが、まさか医者に診せる訳には行かない。
簡易妊娠検査キットという物もあるらしいが、それをどう説明してセフィロスに受けさせるのか考えると気が重い。
ザックスに言われるまでもなく、酔ったはずみで子供が出来たとなればセフィロスはショックを受けるだろう。
と言うか、男が妊娠する事自体がショックだ。
友人の自分ですらこんなに動揺しているのに、セフィロス本人がどれだけ傷つくかと思うと、迂闊な事はとても言えない。
ザックスの言っていたように思いつめて中絶とか精神的ショックのせいで流産という事にでもなれば、取り返しのつかない悲劇だ。
そう思うと、迂闊に検査も受けさせられない。
セフィロスは普段はおっとりしているが、周囲が隠し事などすれば敏感に気付くような鋭い面もあるのだ。
目的を隠して検査を受けさせるのは、無理だろう。
------って言うか、1度、吐き気がしただけなのに妊娠検査とかありえない……
軽い頭痛を覚えながら、アンジールはジェネシスの部屋のドアをノックした。

「セフィロスは?」
アンジールの顔を見るなり、ジェネシスは訊いた。
ザックスに答えたのと同じ事を、アンジールは答える。
ジェネシスは、溜息を吐いた。
「この俺がついていながら、あんな狂犬にセフィロスを穢させてしまうとは…」
「……嫌、ザックスではないと思うが…」
「初期ならば、薬で中絶させられる。今ならば、まだ間に合うだろう」
ジェネシスの言葉に、アンジールは眉を顰めた。
「お前、本気で言っているのか?中絶なんて、赤ん坊を殺すのと同じだぞ」
「まだ生まれてもいない赤ん坊より、セフィロスの事を考えるべきだ。子供を産むとなったら、ずっと女性の姿に擬態していなければならない。それは即ち、今までのセフィロスの人格を否定するのに等しい」
「…それは…」

アンジールは、口篭った。
ジェネシスの言っている事は正論だと思うが、少女の姿のセフィロスに恋をして、「昼はジェノバの為に少女の姿、夜は俺の為に大人の女性の姿になって貰えば問題無い」とか言っていたのは、他ならぬジェネシスだ。

「何よりあんな馬鹿犬が父親だなんて、セフィロスも赤ん坊も可哀想だ」
「……ザックスは、お前だと言って__」
「見損なったぞ、相棒」
アンジールの言葉を遮って、ジェネシスが言った。
その口調も表情も、ひどく険しい。
「セフィロスは俺の英雄だぞ?子供の頃からずっと憧れていた。その憧れを、俺が自ら穢すとでも思うのか?」
「だが…お前は少女の姿のセフィロスに恋を__」
「その通りだ。真剣な恋だった。遊びとは違う。だから正式にプロポーズしようとしていたんだ。そんな大切な相手に、酔った勢いなんかで手を出すものか」
再びアンジールの言葉を遮って、ジェネシスは言った。
「…じゃあ訊くが、どうしてジュースだと騙してセフィロスにカクテルを飲ませたりしたんだ?あいつが余り酒を飲めないのはお前も知っているだろう?」
「騙してなんかいない。俺はただ、『ジュースみたいなものだ』と言っただけだ。それにあの夜は、お前のペットも俺に話を合わせていたぞ」
「ザックスが…?」
再び眉を顰め、アンジールは訊き返した。
「セフィロスが余り飲めないのは俺だって判っている。泥酔させる積りなんか無かった。あの夜、セフィロスは周りから注目されて、それを嫌がっていたからな。だから少しばかりアルコールが入れば気が紛れるだろうと、そう思っただけだ」

だったらすぐに帰って来れば良かっただろうとは、アンジールには言えなかった。
この神羅屋敷での生活は__ジェネシスとザックスが派手に喧嘩をするのを除けば__平穏でそれなりに幸せだとは思うが、単調で変化に乏しいのも事実だ。
かつてのミッドガルでの充実した日々を思えば、世捨て人同然の毎日だ。
アンジールは元々ストイックな性質なのでそれほど苦痛でもないが、ミッドガルで華やかな生活を謳歌していたジェネシスが今の生活に息苦しさを覚え、たまに羽根を伸ばして羽目を外したくなるのを咎めるのは酷だろう。

「…要するに、お前たち2人が先に出来上がってしまったので、セフィロスを止める者がいなくなって結果的にセフィロスも飲みすぎてしまった…という訳か」
「そうだ。嫌…正確に言えば、あの馬鹿犬は俺を酔い潰して、セフィロスを陵辱する機会を狙っていたんだ…」
ギリっと歯軋りし、口惜しそうにジェネシスは言った。
その険悪な雰囲気に、アンジールは思わず一歩、後ずさる。
「ただの馬鹿犬だと思って油断していたが…お前のペットは、とんでもなく性悪な狂犬だったな」
「嫌……ザックスにはガールフレンドもいるし、何よりセフィロスに対して保護者みたいな積りでいるからな。いくら酔っていても、それは無いと思うが…」
「お前は公式に『ナンパ』と設定されている駄犬を信じて、幼馴染で親友の俺を疑うのか?」
「い…いや、誤解だ。俺はお前もザックスも、疑ってなんかいない」
がしっと襟元を掴まれ、慌ててアンジールは言った。
「お前もザックスも何もしていないんなら、あの夜は何も無かったって事で__」
「つまり、第3の男か?」
険しい表情のまま、ジェネシスは言った。
「第3の男…?」
「あの夜、俺たちはどうやってホテルまで行ったのか全く記憶に無いんだ。だとしたら、そこに第三者の介入する余地は、充分にあったという事だ」
「まさか……」
アンジールは、再び眉を顰めた。
ただでさえ酔ったはずみで子供が出来たとなれば悲劇なのに、相手がどこの誰とも判らないのでは一層、悲惨だ。
「だが…幾らなんでもそんな__」
「あの日、セフィロスはどこに行っても注目の的だったからな。特にバーでは居合わせた全員がセフィロスに注視していたと言っても過言では無い」

セフィロスが擬態した女性の美しさからすれば、それは当然の事だろうとアンジールは思った。
単に顔立ちが整っているだけでなく、透けるように白い肌は思わず触れたくなるくらいに肌理細やかで滑らか、サラサラと零れる艶やかな髪は、見るからにしなやかだ。
それに匂い立つような色香があり、にも関わらず媚びたところは少しも無く凛としている。
顔だけでなく身体のラインも完璧に美しく、まるで美の女神が顕現したのかと思わせるくらいだ。
そうなれば男女を問わず、他の客の注目を集めたのは当然で、中には心を奪われた者もいたかも知れない…

「この俺が側にいるのに、セフィロスにカクテルを奢って口説こうとする無礼な輩もいたくらいだ__そうか。あの時のあの男が犯人か」
「ちょっと待て、ジェネシス。どうする積りだ?」
いきなり部屋から出て行こうとしたジェネシスを、アンジールは止めた。
「決まっているだろう。あの男を探し出して、斬る」
「だからちょっと待て、ジェネシス。その男がやったとは限らないし、何よりその男を斬っても無駄に騒ぎが大きくなるだけで、何の解決にもならないぞ?」
「止めるな」と、ジェネシスはアンジールの手を振り払った。
が、考え込む顔つきになって、その場に留まる。
「…そうだな、確かに…あんな下郎が子供の父親となれば、セフィロスは傷つくだけだろう。そんな事になる位なら、俺が悪役を買って出て、子供の父親だと名乗り出た方が良い」
「……嫌、それよりも何よりもまず、本当にセフィロスが妊娠しているのかどうか、確かめるのが__」
「妊娠もしていないのに、つわりがある筈がないだろう?」

嫌だから、何故アレをつわりと決め付ける?__言いたかったが、アンジールは口を噤んだ。
ジェネシスが余りに真剣な表情なので、つい言いそびれたのだ。

「そうと決まれば正式にプロポーズを…」
「ちょ…っと待ってくれ、ジェネシス。お前、重要な事を見落としていないか?」
アンジールの言葉に、ジェネシスはハッとしたような表情を見せた。
「そうか。何もあの晩に妊娠したと思わせなければ良いんだ」
「……は?」
「プロポーズしてきちんと結婚する。その後に出来た子だと思えば、何の問題も無い。二ヶ月くらいのタイムラグなら、早産で誤魔化せる」
「誤魔化すって、お前__」
「アンジール」と、ジェネシスは相手の言葉を遮った。
そして長い付き合いの中でこれ以上、真剣な表情を見た事がないというくらい真剣に、アンジールを見つめる。
「お前の言いたい事は、判っている」
「判って……いるのか?」
「今後、セフィロスがずっと女性の姿に擬態するとなれば、それは今までの人格、今までの二十何年かを否定するくらいの大事だ。そんな決断をセフィロスに強いるのがどれほどの罪悪か、それは俺にもよく判っている」
「……まあ、そうだな…」
相手の剣幕に押される感じで、アンジールは言った。
真剣な表情のまま、ジェネシスは続ける。
「だから中絶を、と言ったんだが、中絶したとしても、それで全てを無かった事に出来る訳じゃない。何が起きたのかセフィロスが気付けば、妊娠以上の酷いショックを受ける事になるだろう」
「ああ…。その通りだ。だがお前が父親じゃないのに、父親を名乗ったのが後で発覚したら__」
「大切なのは、遺伝子の繋がりよりも、想いだ」
「想い…?」
鸚鵡返しに、アンジールは訊き返した。
ジェネシスは頷く。
「俺たち3人は、普通の生まれじゃない。それぞれが、親に対して複雑な思いを抱いている__そうだろう?」
「……」

亡きジリアンを思い出し、再び胸が痛むのを、アンジールは覚えた。
アンジールに取っての父親は、ホランダーではなく、「夢と誇りを持ち続けろ」と教えてくれた養父だ。
セフィロスがジェノバを母と慕うのも、単に遺伝子だけが理由ではないのだと、あの2人を見ていれば良く判る。

「俺はセフィロスの事を心の底から大切に思っている。生命をかけても良いくらいの真剣な気持ちだ。その俺が、セフィロスのお腹の子供の父親になって何が悪い…?」
「嫌……お前の言う事は尤もだと思うが、それより__」
「俺だって辛いんだ」
アンジールの言葉を遮って、ジェネシスは言った。
半ば怒っているような、半ば泣きそうな表情だ。
「セフィロスが今後ずっと女性の姿に擬態するとなれば、俺は理想の女神を手に入れると同時に、子供の頃からの憧れを失うことになるんだ。それがどれほど辛いか、お前には判るまい」
「ジェネシス…」
「だが中絶させるなんて酷だし、どこの馬の骨とも判らない男の子供をセフィロスに産ませるのはもっと酷だ。だから俺がセフィロスと結婚して、子供の父親になる。たとえそれで憧れを失う事になっても、俺の憧れより、セフィロスの気持ちのほうが大切だ」
「お前…そこまでセフィロスの事を…」
感動して、アンジールは幼馴染の手を固く握り締めた。
「子育てには俺も全面的に協力する。初めてだから色々と至らない面もあるだろうが、出来るだけの事はする」
「さすがは俺の相棒だ」
ジェネシスも感動し、アンジールの手を強く握り返す。
「あとはプロポーズだけだな♪」
------ちょっと待て
さっきまでのシリアスモードが嘘のように明るく言った幼馴染に、アンジールは不意に現実に引き戻された。
冷静に考えたら、子供の頃からの憧れを失っても、引き換えに理想の女神を手に入れられるならプラマイ・ゼロ__どころかお釣りが来て有り余るのでは…?
何より、セフィロスが本当に妊娠しているのかどうかと云う一番、重要な筈の事を、ジェネシスもザックスもなおざりにしていないか……?
「そうと決まったら、まず指輪だv」
「ちょっと待て、ジェネシス…!」
アンジールの制止を軽く無視して、ジェネシスは部屋を出て行った。






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