ニブルヘイム便り6

(3)



そのひんやりした感触に、クラウドの身体がぴくりと震える。
反射的に相手を見ると、セフィロスは幾分か不審そうな表情でこちらを見ていた。
「顔が紅いが……。具合が悪いなら、もう帰っても良いぞ?」
「い…いえ、大丈夫です!顔が紅いのはいつもの事なんです…!」
思わず言ってしまってから、クラウドは後悔した。
体調が良く無いのだと言えば、屈辱的な任務から逃れられたのだ。
噂はすぐに広まるだろうし、下手をすれば二度とニブルヘイムに帰れなくなるかも知れない。
セフィロスの方から帰って良いと言ったのだから、その言葉に甘えれば命令に違反する事無く屈辱を免れられたのだ。
それでもクラウドは、少しでも長くセフィロスの側にいたかった。
額に触れていた指が離れてしまったのが、残念でならない。
「…やっとまともに喋ったな」
「……え?」
「一昨日来た兵士は、『はい』しか言わなかった」
半ば不満そうな、半ば困惑したような表情で、セフィロスは言った。
「あの…口にして良い言葉は『はい』だけだと上官から命じられていて…」
クラウドが言うと、セフィロスは形の良い眉を僅かに顰めた。
「それでは話し相手にもならない。俺は個人的な事を詮索されるのが嫌いだから、気を遣った積りかも知れないが…」
「……済みません」

思わず謝罪の言葉を口にしたクラウドに、お前が謝る事は無いと、穏やかな口調でセフィロスは言った。
クラウドがおずおずと相手を見ると、セフィロスは口元に幽かに笑みを浮かべる。
トクンと、心臓が大きく跳ねるのを、クラウドは覚えた。
そして、何て優しい人なのだろうと思う。
軍隊では上官の命令は絶対だし、欲求処理の為の兵卒など、道具のように扱われても文句は言えないのだ。
それなのにセフィロスは、自分の顔が紅いのを見て、熱があるのかと体調を気遣ってくれた。
チェスもセブンブリッジも知らなくて、まともにゲームの相手も出来ないのに、怒るどころか優しく接してくれる……

もう一度、クラウドは改めてセフィロスを見た。
研ぎ澄まされた刃物のようだった印象は和らぎ、おっとりした口調でオセロのルールを説明するセフィロスの声は、ビロードのように滑らかで耳に心地よい。
そう言えば、幽かに甘い香がしているような気がする。
以前、セフィロスの髪は華やかで甘い香りがするのだという噂を聞いた事がある。
その時は、最強のソルジャーに甘い香りなんてあり得ないと思った。
が、こうしてセフィロスの側にいると、幽かだが確かに甘い香りがする。
香水や香料に無縁なクラウドにはそれが何なのかよく判らないが、多分、薔薇か何か、花の香りなのだろうと思う。
そう思いながら、改めてセフィロスの白銀の髪を見る。
青みがかった銀色の艶を帯びたその髪は、見るからにしなやかそうだ。
きっと、絹のような手触りがするに違いない……

「今夜、何の為にここに来たかは判っているな?」
が、そんな甘い気持ちは、セフィロスのその言葉と共に吹き飛んだ。
頭から冷水を浴びせられたように、すうっと背筋が冷たくなる。
頬の火照りは鎮まり、心までが冷えてゆく。
「……はい」
目を伏せ、クラウドは言った。
こんな優しく美しい人でも、オスとしての本能を制しきれずに兵士相手に処理をするのかと思うと哀しくなる。
そしてどんなに優しく扱われようと、所詮、自分は欲求処理の道具でしか無いのだと改めて思い知る。
「…お前も知っての通り、戦況は膠着している。神羅の将軍とどうしても意見が合わなくて、作戦行動に移れないんだ」
「……将軍が、セフィロスさんの意見に反対しているんですか…?」

思わず、クラウドは訊いた。
クラウドは、雑誌やテレビで報道されるセフィロスの戦果は、誇張でも何でもなく全て真実なのだと信じていた。
だから、セフィロスの立てた作戦に反対する者がいるなど、とても理解できない。

「将軍の案に俺が反対していると言った方が正しいが…。いずれにしろ、将校たちの意見も分かれてしまって、身動きが取れずにいる」
セフィロスの言葉に、兵士たちの噂は本当だったのだと、クラウドは思った。
幽かに眉を顰め、セフィロスは続けた。
「戦う事も出来ずにずっと前線にいるせいで…眠れないんだ」
「眠れない…?」
鸚鵡返しに、クラウドは訊き返した。
セフィロスは頷く。
「あの…枕が変わったから…とかですか?」
そう、クラウドが言ったのは、何か喋っていなければ気詰まりで仕方なかったからだ。
何より、セフィロスに何を命じられるのかと思うと不安でならなかった。
男相手は勿論、女性相手でも経験の無い自分が、セフィロスを満足させられるのどうか判らない。
何を要求されても、必ずそれに応じろという上官の言葉を思い出す。
だが、自分がセフィロスの求めに応じられるのかどうか、判らない。
「枕は関係ない。戦場の、空気だ」
これから起きる事に対する不安に俯いていたクラウドに、静かにセフィロスは言った。
クラウドは顔を上げ、相手を見る。
セフィロスの目は、どこか遠くを見遣っていた。
「戦闘の匂い、血の匂い、死の匂い…。戦場は、そんな匂いで満ちている。そんな場所にいながら戦う事も出来ずに無為な日々を送っていれば……眠れなくもなる」
言って目を伏せたセフィロスは、とても哀しげに見えた。

その姿を見た瞬間、クラウドは、セフィロスがただの欲求処理の為に自分をここに呼んだのだと思っていた自分を恥じた。
そして、この任務を屈辱だと思っていた事を後悔した。
数々の武勲を立てた英雄であれば、これまでに数え切れない位の戦闘を経験してきたのだろう。
そして最強のソルジャーであればこそ、血の匂いや死の匂いに敏感になる。
その全てをまともに受け止めていたら、とても神経が持たないだろう。
だがセフィロスは心を摩滅させ、殺戮に馴れたりはしなかった。
何も感じなくなることで、人を殺す痛みから逃れようとはしなかったのだ。
ソルジャーに不似合いな白い手は、どれほど多くの血に染まっても美しいままだ。
そして美しいままであるが故に、傷つくのだ。

「…俺……俺に出来る事だったら何でもします!セフィロスさんがそれで眠れるようになるんだったら、どんな事でも……」
そう、クラウドは言った。
心からの気持ちだった。
「こ…こういう事、初めてなのでうまくできないかも知れませんが、それでも一生懸命、やります…!」
セフィロスはクラウドを見、ゆっくりと瞬く。
それから、幽かに笑った。
そしてビロードの手触りを思わせる滑らかな声で、「始めようか」と穏やかに言った。






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