ニブルヘイム便り6

(2)



「どういう意味ですか…?」
将校の言葉に、クラウドは思わず訊き返した。
「言った通りだ。今夜、英雄セフィロスの相手をしろ」
クラウドの方を見る事も無く、将校は言った。
「なっ……どうして……」
急激に心臓の鼓動が早まるのを感じながら、そう、クラウドは言った。
言葉の意味は判るが、理解する事を理性が拒む。
「お前も知っての通り、戦況は膠着状態が続いている。他にも幾つか理由があって、英雄はご機嫌斜めだ。それで我々神羅軍は、英雄の無聊を慰める役割の者を提供する事にした」
「…それは…つまり……」
「これは命令だ。即ち、拒絶は赦されない」
動揺するクラウドに、将校は冷たく言い放った。
気味の悪い汗が背筋を伝って流れ落ちるのを、クラウドは感じた。
「今夜二二○○時に、英雄セフィロスのテントに行け。事前にシャワーを済ませ、新しい軍服に着替えておく事。きれいな軍服が無ければ支給する。無論、下着もだ」
「……どうして…俺が__」
「英雄の命令には絶対服従だ。何を要求されても、必ずそれに応じろ。口答えは一切、赦さない。質問も許可しない。口にして良い言葉は『はい』だけだ」
クラウドから視線を背けたまま、淡々と将校は続けた。
「英雄を満足させ、眠りに就くまで相手をするのが任務だ。英雄の就寝を確認したら、速やかに退室して自分のテントに戻れ。その際、英雄の眠りを妨げる事は厳禁だ」
「………」
もやは何も言えず、クラウドは床を見つめた。
息苦しくなる程に、動悸が激しい。
「言うまでも無く、この件に関しては一切、他言無用だ。他の兵士に気づかれてもならない。それに反した場合、軍法会議は避けられないと思え」
何か不明な点はあるか?__将校の問いに、クラウドは俯いたまま、首を横に振った。

無言のまま、クラウドは自分のテントに戻った。
「自分の」とは言っても、他の5人の兵士たちと共同の6人用だ。
クラウドが入って行くと、他の5人は一斉に口を噤んだ。
そして、意味ありげな視線をクラウドに向ける。
他言無用だと将校は言っていたが、2日前の夜に何があったか、既に噂になっているのだ。
クラウドが将校に呼び出された事で、それが再び繰り返されるのだと、同僚たちは気づいたのだろう。
たとえ今、気づいていなくとも、夜、テントを抜け出し、消灯時間を過ぎても帰ってこないのだ。
そうなれば『任務』に気付かれるか、さもなければ脱走を疑われて騒ぎになる。
騒ぎを防ぐために、少なくとも点呼の報告を受ける上官は今夜の『任務』に関して知っているだろうし、同じテントの兵士達も、何かを聞かされている可能性が高い。
まるで針のむしろだと、クラウドは思った。
噂はすぐに、他の兵たちの間にも広がるに違いないのだ。
「……英雄ってさ」
やがて、一人がぼそりと言った。
「やっぱり、アレも人並み外れてんのかな」
「そりゃそうだろう。あれだけの長身だし、かなりガタイ良いし」
「パワーもありそうだし…な。__壊れなきゃ、良いけど」
それ以上、耐え切れず、クラウドはテントを飛び出した。

事前にシャワーを済ませて着替えておけと言われていたが、クラウドは自分のテントにも、共用のシャワーがある入浴棟にも戻れなかった。
それどころか、人目のある場所にはいられなかった。
誰もが自分の今夜の『任務』を知っていて嘲笑っているようで、とても耐えられなかったのだ。
軍に入ってから色々辛い思いを経験したが、こんな屈辱は初めてだ。
何より、子供の頃から憧れていた人の陰の面を見せ付けられたようで、哀しくなる。
が、ここは戦場なのだ。
自分も含めて皆が、繰り返される殺戮に人間性を失ってゆく。
だがそうやって感情を摩滅させでもしなければ、人を殺す痛みに耐えられなくなって狂ってしまうだろう。
そう思うと、何も知らずに英雄に憧れていた自分が情けない。
今すぐ辞表を出して、ニブルヘイムに帰りたい衝動に駆られた。
だが、クラウドはその場に留まった。
こんな屈辱的な『任務』に耐えられるとは思えないが、それでも、セフィロスに会いたかったのだ。
セフィロスに会うまでは、故郷に帰ることなど出来ない。
だが、セフィロスに会ってそれでどうする積りなのか、自分でも判らなかった。
従順に命令に従うのか、セフィロスに逆らうのか__そのどちらも、自分にはとても不可能に思えた。
それに、今夜の『任務』でセフィロスの裏の面に接する事になるのだ。
もしかしたら、ショックの余りセフィロスの前でとんでもない醜態を晒してしまうかも知れない…
そんな怖れと屈辱感に苛まされながら、それでも、クラウドは逃げ出す事が出来なかった。
セフィロスと会い、言葉を交わす機会は、今夜を逃したら永遠に来ないかも知れないのだ……



夜10時きっかりに、クラウドはセフィロスのテントを訪れた。
テントの外には歩哨がいたが、『任務』の事を聞かされているらしく、クラウドには目もくれない。
再び屈辱感が湧き上がるのを感じながら、今更、後戻りも出来ず、クラウドはテントに入った。
テントは広く、中にはデスクと椅子、小さな丸テーブルとアームチェアがあった。
そして、いくらか奥まった場所にはベッドが。
クラウド達、一般兵があてがわれている狭いテントとは、雲泥の差だ。
が、そんな待遇の差よりも、クラウドの眼を引いたのは奥のベッドだった。
長身のセフィロスに配慮してか、ダブルサイズだ。
それだけの事でも、純真な少年の想像力を刺激するには充分だった。
動悸が激しくなり、喉がカラカラに渇く。
指先が小刻みに震えているのを感じながら、クラウドはゆっくりと視線を転じた。
テントの中央に置かれたアームチェアに、セフィロスは長い脚を組んで座っていた。
手に本を持っていたが、クラウドが入って来たのを見て、そちらに視線を向ける。
魔晄と同じ神秘的な色合いをした瞳に見つめられ、クラウドはドクリと心臓が大きく脈打つのを感じた。
今まで雑誌で何度も見た美貌が、こちらをまっすぐに見つめている。
雑誌でもテレビでもポスターでも何度も見た筈だったのに、実物はその何倍も美しく見えた。
雪のように白い肌はきめ細かく滑らかで、絹のようにしなやかな白銀の髪が、ほっそりした輪郭を覆っている。
大きな切れ長の眼は長い睫毛に縁取られ、猫を思わせる縦長の瞳孔が、不思議とセフィロスに良く似合っていた。

だが、肌の白さや美しい髪や瞳以上にセフィロスの美貌を際立たせていたのは、その雰囲気だった。
ただそこに座っているだけで他を圧倒するような威厳と存在感、そして力強さを感じさせながらも纏う空気は荒々しいどころかむしろ優美で、華麗ですらある。
ざわりと背筋がざわめくのを、クラウドは覚えた。
まるで、神の顕現を目の当たりにしたかのように感じたのだ。

「お前、チェスは出来るのか?」
ただそこに立ちすくむ事しか出来ないクラウドに、おっとりした口調でセフィロスは言った。
低く、だが低すぎず、『下半身に響く』ような声だとクラウドは思った。
そして、そんな事を思った自分に激しい嫌悪感を覚える。
「…どうなんだ?」
答えないクラウドに、セフィロスはもう一度、訊いた。
「あ…いえ」
曖昧に、クラウドは答えた。
そして言ってしまってから、口にして良い言葉は『はい』だけだという将校の言葉を思い出した。
が、実際にチェスは出来ないのに、『はい』とは言えない。
「…出来ないのか?」
「……はい」
再度、セフィロスに問われ、クラウドは答えた。
セフィロスを失望させたようで、軽い罪悪感を覚える。
「カードは?」
「……え?」
殆ど反射的に、クラウドは訊き返した。
「カードゲームは何が出来るかと訊いているんだ」
「…あ…あの……」
クラウドは口ごもった。
口にして良い言葉が『はい』だけでは、会話にならない。
「ポーカーは?」
ババ抜きなら、とクラウドが言いかけた時、セフィロスが訊いた。
「は…はい」

そう答えて、ババ抜きなんて言わなくて良かったと、クラウドは思った。
自分は今、任務で英雄の相手を務めているのだ。
ババ抜きなんて、余りに子供じみた遊びだ。

「だが、ポーカーは一昨日やって、面白くなかった…」
独り言のように、セフィロスはぼやいた。
その時、クラウドはセフィロスが手袋をしていないのに気づいた。
写真で見るセフィロスは、いつもコートと同じ黒い革の手袋をしている。
他のソルジャーも黒い皮の手袋をしているが、セフィロスのそれは多少、デザインが違い、そして質は全く異なるのだと噂で聞いた事がある。
噂の真偽はともかく、クラウドの目は、セフィロスの手に釘付けになった。
力強さを感じさせる大きな手、だがゴツゴツしたところは全く無く、美しいと言っても良い位の綺麗な指だ。
その長く美しい指で触れられる事になるのだと思うと、身体が熱くなるように、クラウドは感じた。
そしてそんな自分に嫌悪感を覚え、視線を床に落とす。
「セブンブリッジは?」
「…え?」
セフィロスに問いかけられ、反射的にクラウドは顔を上げた。
透明な翡翠を思わせる美しい瞳が、まっすぐにこちらを見つめている。
「あ…あの、俺……」
「どうした。カードゲームは苦手か?」
「……はい。済みません……」

どうして良いか判らず、クラウドは謝った。
『はい』以外は口にするなと言われていたが、それでは会話にならないし、どうしたら良いのか判らない。
とにかくテントに行けば、何をすべきかセフィロスに命じられるものだと思っていたので、こんな展開は予想外だったのだ。

「じゃあ、オセロにしよう。ルールは簡単だから、すぐに覚えられる」
そこの棚にあるから取ってくれと言われ、クラウドは僅かに安堵を覚えた。
予想外の展開ではあるが、少なくともセフィロスは、自分をいきなりベッドに引きずり込む積りは無いようだ。
こんな優雅で美しい人が、そんなさもしい真似をする訳が無い__そう思うと、少し気が楽になった。
棚からそれらしきボードゲームセットを取り出し、丸テーブルの上に置く。
そして、そのままテーブルの傍らに立ち尽くす。
「何をしている?座れ」
「は…はい」
席に就くとセフィロスとの距離が縮まり、再び心臓が騒ぎ出すのをクラウドは覚えた。
憧れの英雄に側近くで会い、言葉を交わす。
それだけなら、夢のようだ。
だがこの後に待っている『任務』の事を思うと、素直には喜べなかった。
「…お前、熱があるのか?」
俯いたクラウドの額に、セフィロスの指が触れた。






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