ニブルヘイム便り6

(1)



「セフィロスは?」
「まだ寝てる」
「まだ眠っている」
アンジールの問いに、ザックスとジェネシスは同時に答えた。
そして、同時に相手を睨む。
「…そうか。朝飯は__」
「起こすの可哀相だから、寝かしとこうぜ」
「起こすのも可哀相だから、寝かせておいてやろう」
再び、ザックスとジェネシスは同時に答えた。
そして再び、同時に相手を睨む。
「いちいち真似をするな。貴様はオウムか?」
「アンタの方が、鳥に近いんじゃないか?羽根じゃなくて、頭の中身が」
「そこへ直れ、駄犬!二度とそのへらず口を利けないようにしてやる!」
「その台詞、そっくり返すぜ馬鹿リンゴ野郎!」

同時に剣を抜き払い、罵りあう二人の姿に、アンジールは内心で溜息を吐いた。
よくも飽きもせずに毎日、喧嘩できるものだと、ある意味、感心する。
そして、罵りあうジェネシスとザックスの姿を見て、いつぞやセフィロスが「仲が良いな」とおっとり呟いていたのを思い出した。
その時は、あれのどこが仲良く見えるんだ?とセフィロスの常識を疑ったが、連日、飽きもせずに罵りあう姿を見ていると、あれが二人のコミュニケーションであって、実は意外に仲が良いのかも知れないと思えてくる。
そう思って見ると、仔犬と猫がじゃれあっているようで微笑ましい。

「物を壊さんようにやれよ」
そう、アンジールが言った時、玄関のチャイムが鳴った。
扉を開けると、立っていたのはクラウドだ。
「おお、良く来たな」
「ザックス、います?エアリスに頼まれて、着替えとかを持って来たんだけど」
アンジールは頷き、クラウドを屋敷内に招き入れた。
「奥でジェネシスとやりあってるが、その内、収まるだろう。ちょうど良いからお前も朝飯を食って行かないか?」
「やりあってるって…?」
「まあ…いつもの事だ」
「………これが?」
目の前で繰り広げられる光景に、思わずクラウドは言った。
剣と剣が激しく打ち付けられる音が鋭く響き、優雅な調度で設えられたダイニングに、殺気がみなぎっている。
「二人とも元気が有り余ってるから、発散する場が必要なんだろう。神羅にいた頃、セフィロスと一緒にトレーニングルームを破壊していた事を思えば、この程度は……」
「そう言えば…セフィロスさんは?」
クラウドの問いに、まだ寝てるとアンジールは答えた。
そして顎に手を当て、考える顔つきになる。
「最近たまに、夜なかなか寝付けない事があるって言ってたからな。それで起きられないんじゃないか」
「寝付けない……」
アンジールの言葉に、鸚鵡返しにクラウドは言った。
そしてその頬が、すっと赤らむ。
セフィロスに憧れる神羅兵だった頃の、『ある夜』の出来事を思い出したのだ。





それは、クラウドが初めてウータイ遠征に従軍した時の事だった。
ミッドガルや近隣の村でモンスターやテロリスト相手に戦った事はあるが、国外に出たのは初めてだ。
そこでクラウドは、これが実線なのだと、改めて実感した。
ウータイ戦に比べたら、今までの戦闘など訓練の延長のようなものだ。
それほど、ウータイ戦は過酷で非情だった。
そんな状況の中に身を置いていると、人間らしさが摩滅していくように感じた。
実際、摩滅していたのかも知れない。
人を標的にして銃の引き金を引いた時の罪悪感は、いつの間にか達成感に変わっていた。
そして人間性を失うのは自分だけではないのだと、クラウドは感じていた。
周囲にいる他の神羅兵たちも、ミッドガルにいた頃は気さくで純朴な青年たちだったのに、遠征が長引くにつれ、顔つきが変わっていった。
------俺…ここで何をしているんだ……?
繰り返される殺伐とした日々に、クラウドは言いようの無い焦燥感と疑問を抱いていた。
自分は英雄セフィロスに憧れてソルジャーになろうとしていた筈なのに、目の前の現実は、理想とは余りにもかけ離れている。

そんな陰鬱な日々が一変したのは、ウータイ遠征が三ヶ月目に入ったある日の事だった。
「セフィロスが来る」
その報は、青天の霹靂のように神羅軍の兵士たちの耳目を集めた。
膠着した戦況を打開する為に、神羅はついに英雄の投入を決めたのだ。
「すげぇ…。本物の英雄に会えるのか」
「俺ら、下っ端じゃ無理じゃねえの?」
周囲の兵士たちが浮き足立って囁きあうのを、クラウドはじっと聞いていた。

憧れの英雄に会えるかも知れない、言葉を交わすのは無理だろうけど、遠くからでも姿を垣間見られるかもしれない__そう思うと、それだけで心臓の鼓動が早くなった。
セフィロスに憧れてソルジャーになろうとし、家出同然に故郷を後にした時の事を思い出す。
そして、適正試験に落ち、ソルジャーになる道を閉ざされた時の絶望も。
その時点で既に、ソルジャーになるという夢が叶わないのは判っていた。だから、その時にニブルヘイムに戻るべきだったのかも知れない。
それなのに自分がミッドガルに留まり続ける理由が、クラウドは自分でもよく判らなかった。
「絶対にソルジャーになる」と言い切って故郷を出てきた手前、引っ込みがつかなくて帰れないだけなのかとも思っていた。
だが違う、と、クラウドは思った。
自分が神羅に留まり続けたのは、セフィロスに会う為だったのだ。
ひと目でも良いからセフィロスに会うまでは、故郷には戻れない。
ソルジャーになる夢は叶わないが、セフィロスに会うという夢ならば叶うかも知れない。

「1stのソルジャーでもセフィロスさんには滅多に会えないって話だし。今回だって、将軍とか将校とか、そういうお偉いさんしか会えないんじゃないか?」
「作戦会議とかはそうだろうけど、身の回りの世話なんかは下っ端の役目だろう?兵士から、誰か選ばれるんじゃないのか?」
「そんなのに選ばれたら俺、緊張して死にそうだ…」
トクン、と、心臓が大きく脈打つのを、クラウドは感じた。
セフィロスに会えるだけでなく、側近くで身の回りの世話をし、言葉を交わす__
そんな僥倖が得られたらと思うと、それだけで手が汗ばむようだ。
「無理無理。俺らみたいな田舎もん、英雄の世話係になんか選ばれる訳ねえだろ?」
「そう…だよな。将軍の従卒とか、偉い人の世話をしなれた奴だろうな、選ばれるのは」
「ちくしょう、俺だって好き好んで田舎者に生まれた訳じゃねえ」
「止めとけって。英雄の世話係になって何か失礼でもしでかしたら、クビになるだけじゃ済まないぞ?」
「…だよな。あの人は、特別だから…」
仲間の兵士たちに背を向けたまま、クラウドは小さく溜息を吐いた。
今の自分に望めるのは、遠くからセフィロスの姿を垣間見る事。
それが、精一杯なのだ。
それ以上の事など、望んでも無駄だし、望んで失望するくらいなら、初めから望まないほうが良い……



セフィロスが前線に到着して、2日が過ぎ、3日が経った。
が、誰もセフィロスの戦う姿を眼にする事は無かった。
兵たちの間に不審と疑惑、そして失望感が漂う中、更に4日、5日と時間ばかりが徒に過ぎてゆく。
「神羅の将軍と英雄の意見が、真っ向から対立してるって噂だ」
やがて、誰彼とも無く、そんな風に囁き始める。
「英雄と将軍だけじゃなく、将校たちの意見も割れてるらしい。それで、身動きが取れないんだ」
「けど何でセフィロスさんの意見に反対するんだ?英雄の実力は、誰だって良く知ってるじゃないか」
「どうだかな…。俺、前々から思ってたけど、テレビや雑誌の記事って、かなり誇張してんじゃねえの?」
ぴくりと指が震えるのを、クラウドは覚えた。
「何だよ、お前。セフィロスさんの戦果にケチをつける気か?」
「そうじゃ無いけどさ。たった一人でドラゴンの群れを掃討したとかウータイの部隊を壊滅させたとか、いくらなんでもありえなくね?」
「それがありうるからこそ、英雄なんだろうが」
「じゃあ訊くけど、この中の誰か、あの人が戦う姿を実際に見た事があるのか?」
一人の兵士の言葉に、その場がしん…と静まり返った。
戦う姿どころか、実物に会った事すら無い者たちばかりなのだ。
「それじゃお前は、ああいう記事が全部、捏造だって言うのか?」
「そうは言ってないさ。ただちょっと、大袈裟じゃねえのかって言ってるだけだ」
「…俺もそれは思ってたな。大体さ、あんな女みたいな髪してて、まともに動けるのか?」
「お前ら、いい加減にしろよな。記事には多少の誇張が入ってるかも知れないが、それでも、セフィロスさんが最強のソルジャーで英雄なのは事実だ」
「だから違うなんて言ってねぇだろ?ただ、たった一人で膠着した戦況を打開するなんて、いくら最強のソルジャーでも無理だって言ってるんだ。だったら、将校たちと意見が分かれる事だってあるだろう?」
再び、兵士たちは押し黙った。
膠着した戦況は、末端の兵士たちに抑えきれない苛立ちをもたらしていた。
そして、クラウドにも。

更に3日が過ぎた頃から、兵たちの間に不穏な噂が流れるようになった。
「まさか。あの英雄セフィロスがそんな……」
ただならぬ雰囲気に、クラウドはそ知らぬ振りをしながら聞き耳を立てた。
「まさかって事は無いだろう。あの人だって男だし、第一、戦場ではよくある話だ」
「セフィロスさんが前線に来て1週間だから…な。そろそろ…溜まるだろうな」
クラウドは、思わず眉を顰めた。
「そろそろ溜まるなんてもんじゃないだろう。『英雄、色を好む』とも言うしな」
「だからって何も男なんか使わなくても……。ウータイ人の女でも調達すりゃ、良いのに」
「馬鹿だな。そんな事をしてみろ。陵辱だの虐待だの言われて、大変な騒ぎになるぞ?」
その場から逃げ出したい衝動に駆られながら、クラウドは動く事も耳をふさぐ事も出来ずにいた。
兵士たちの無責任な噂話がセフィロスを穢すようで、耐えられなかった。
だが同時に、思春期の少年として、生理的欲求が理性で制御しがたいものであるのも充分に理解できた。
そして理解できるが故に、却って兵士たちの言葉が赦しがたく思えた。
セフィロスは、特別な存在なのだ。
ひと皮むけばオスとしての本能しかないような男どもと、同じであってはならない。
「てか、その話、本当なのか?ただの憶測じゃねえの?」
「いや…ここだけの話、俺と同郷のヤツが、一昨日、相手に選ばれたらしい」
「マジかよ?で……どうだったんだ?」
兵士たちが一層、声を潜めたので、その後をクラウドは聞き取る事が出来なかった。
が、聞こえなくて良かったのだと、クラウドは思った。
子供の頃から憧れている英雄が、兵士を相手に欲求処理をした話など、聞きたくも無い。
もう、この話は忘れようと、クラウドは思った。
が、忘れる事は出来なかった。
その日の夕刻、神羅軍の将校に呼び出されたのだ。






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