(7)




「……あの、カカシ先生?」
何してらっしゃるんですか?__自分を身体の下に組み敷いたまま動かない上忍に、イルカは尋ねた。
カカシはイルカの肩の辺りに顔を埋めるようにしているので、表情が伺えない。
これは本当にただの酔っ払いで、さっきのは本能的な反射神経だったのか?
それとも……
「……寒い」
じっと動かないまま、ぼそりとカカシが言った。
「…大丈夫ですか?寒いなら、ちゃんと布団を掛けて__」
「布団なんかじゃ、温かくなりません」
「でしたら風呂に入りましょう。俺、用意しますから」
「…イルカ先生が、温めてください」
何を言い出すのかと思えば__内心で、イルカは軽く溜息を吐いた。
が、酒で身体が暖まっている筈なのに寒がるのは急性アルコール中毒かもしれない。
「気分が悪いんでしょう?とにかく俺の上からどいて下さい。ベストは脱いだほうが良いですよ?薬をあげますから、水を__」
「俺は、真剣に頼んでいるんです」
耳元で呟くように言われ、イルカはカカシの哀しげな瞳を思い出した。
哀しんでいるような、戸惑っているような、何かに憤っているような。

かつて、ナルトもそんな眼をしていた。
かつて、自分も同じ眼をしていた。

「……真剣だとおっしゃるなら、あなたの顔を見せて下さい」
イルカの言葉に、カカシはのろのろと半身を起こした。
「口布も、額宛も取って下さい」
言われるままに、カカシは口布と額宛を取る。
露になった左目に、イルカは息を呑んだ。
噂に聞く写輪眼の、その血のような色に。
「…昔の事を思い出したのはイルカ先生のせいです。だから、責任を取って下さい」
もう何年も何年も、過去を振り返ることなど無かったのに__カカシの言葉に、イルカは何も言えなかった。
『辛い想いをしたね』『気持ちは判る』__過去に何度も聞かされた、反吐の出るような言葉。
それを、カカシに向かって吐こうとは思わなかった。
憐れみは、嫌いだ。

「初めて赤ん坊を殺めたのは暗部に入る前でした。でもそれは、任務ではなかった」
穏やかな口調で、カカシは語り始めた。

ある忍の夫婦が、禁術の巻物を盗み出して里から逃げた__幼い子供たちを連れて。
夫婦と、すでに下忍になっていた長男を殺し、巻物を取り返すのがカカシに与えられた任務だった。
他にも何人かの中忍と上忍が任務に当たり、カカシはその中の最年少だった。
カカシ達はすぐに獲物に追いつき、一家が泊まっている宿を取り囲んだ。
敵の手に巻物が渡ることを防ぐため、『処刑』はその夜、決行されることになった。

「俺が忍び込んだ部屋にはガキどもが寝てたんです。赤ん坊と、3歳と10歳くらいの子が」
子供が殺される話など聞きたくなかった。
だがイルカは、黙ってカカシが続けるのを待った。
「赤ん坊を殺せという命令は出ていなかった。でもあの時、急に赤ん坊が目を覚ましたんです。泣き出されたら、俺たちの存在を相手に知られてしまう。だから__」

ガキどもを、殺したんです
血の匂いがしないように、首の骨を折って

瞬きをする事も出来ず、イルカは相手を見つめた。
「真冬の任務でした。酷く、寒かった。任務が片付いて里に帰っても、寒くて寒くて、寒さで凍え死ぬんじゃないかって……」
淡々と、カカシは話し続けた。
静かな、感情の篭もらぬ笑みを端正な顔に浮かべて。
「あの時は本当に、寒さで死ぬんじゃないかって思いました。先生が抱きしめてくれるまで、震えが止まらなかった」

調子が狂う__話しながら、カカシは思った。
こんな事、話す積りは無かったのに。
このままではオビトの事や、自分が里に戻ってきた理由まで話してしまいそうだ。

「…それまでは一方的に辱められるだけだったから、人の肌があんなに温かいなんて、あの時に初めて知ったんです」
「……カカシ先生……」
まっすぐに、イルカは相手を見つめた。
こんな話をしていると言うのに、カカシは静かに笑っている。
まるで、全ては遠い昔の事で、今ではどうでも良いのだと言わんばかりに。
だが__

それならば何故、こんなに息苦しい?

「…カカシ先生。あなた…ずっとそうやって自分の感情を隠して来たんですか?」

…調子ガ狂ウ

「ずっとそうやって、自分の感情を押し殺して生きてきたんですか?」

コンナ、積リハ無カッタノニ

「顔を隠してるのは、表情を見られたく無いからじゃないんですか?ふざけた態度を取るのも__」
途中で、イルカは言葉を切った。
血のような色をした瞳から、一筋の泪が零れ落ちたから。

気がつくと、イルカはカカシを抱きしめていた。
子供でもあやすように、銀色の髪を撫でて。

「……寒い…」
「カカシ先生…」
まるで、ナルトに抱きつかれているようだとイルカは思った。
そして、カカシが6歳の時、既に中忍だったという事の意味に、今更ながら気づいた。
子供らしい子供時代など過ごせなかった。
色々な意味で、『子供』であることが出来なかった。

だからこの人は、大人になり切れていないのだ。

「…任務だったのなら、割り切れる。でも赤ん坊や幼子を殺すのは任務に入っていなかった。だから…あの時、俺が未熟でなかったら__」
「カカシさん」
穏やかに、イルカは相手の言葉を遮った。
「仕方が無かったとは言いません。あなたのせいでは無いとも言いません。自分を責めたければ責めれば良いんです。でも、冷静さを装うとして、自分を深く傷つけるのは止めてください」
「……調子が狂う」
言って、カカシは間近にイルカを見つめた。
血の色をした瞳から流れる、とめどもない泪を拭おうともせず。
「__俺を…抱いてください……」
「……同情でも、良いんですか?」
「……ヤだ」
言って、子供のようにすがり付いて来たカカシの背を、イルカはあやすように軽く叩いた。
「…あなたの気の済むまで抱きしめていてあげます。だから、心置きなく泣いて下さい…」





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