(4)




「ホラ、飯だぞ?」
用意してやった餌を食べようともせず、心配げにじっとこちらを見守る忍犬たちに、カカシは苦笑した。
昨夜、家に戻った時に、一昨日と同じように酷く哀しげな鳴き声を上げた犬たちを、きつく叱ってしまったのだ。
「八つ当たりして悪かったな…。けど、俺だってそんな積りは無かったんだ」
首の後ろを撫でてやると、犬は漸く安心したらしく、カカシの手を舐めた。
餌を食べ始めた犬たちの姿を、カカシは眼を細めて見守る。
イルカがアスマの家に泊まったのを目の当たりにして、眠れぬほど落ち着けぬ一夜を過ごした。その翌日にイルカが資料室に一人きりでいるのを見かけたのは偶然だった。
気がつくと、イルカに歩み寄り、アスマとの関係を聞き質していた。

そんな事、する積りはなかったのに。

感情に突き動かされるままにイルカに唇を重ね、そして__覚えのあるチャクラを感じたのだった。
「お前たちの新しいご主人候補、何と暗部出身だったんだよね」
縁側に座って頬杖を突き、犬たちを眺めながらカカシは言った。
周囲に誰もいないのを改めて確認してから口布を引き下げ、イルカに噛まれた唇の傷に触れる。
「新しい主人」という言葉を聞き咎めたのか、忍犬たちがくぅんと鳴いて、カカシを見る。
「昨夜の事であの人、怒らせちゃったかも知れないけど」
心配するな、と、カカシはもう一度、犬の首を撫でた。
「俺が死んでも、お前たちを路頭に迷わせるような事はしないからな」





数日後。
「肩、凝ったな…」
受付所の仕事を終え、教師としての仕事の残りを片付けるためにアカデミーに向かいながら、イルカはぼやいた。
毎年、この時期になるとアカデミーの仕事は酷く忙しくて、受付所との兼任は辛いものがある。が、受付所に座っているのは伊達ではないので、愚痴ってもいられない。
尤も、アカデミー教師という立場も隠密の仕事には重要な意味を持つ。
生徒たちを通して、彼らの親兄弟の動向を探るのに役立つのだ。
受付所を出てアカデミーの校庭にさしかかかると、来年、入学する予定の子供たちが遊んでいた。嫌、本人たちは修行している積りなのだろうが、傍目には「忍者ごっこ」にしか見えない。
口元が自然に綻ぶのを感じながら、イルカは子供たちを見守った。
もう少ししたら、暗くなる前に帰れと諭す積りだ。

イルカは生徒たちの事を心から愛していた。
決して甘やかしはしない。だが、叱ると同時に惜しみなく愛情を注ぐ。
生徒たちには、幸せな子供時代を過ごさせてやりたい。そして子供時代に幸せな記憶があれば、里を裏切って敵と内通したり、里抜けする事も無いのだと、信じている。
裏切り者を摘発するより裏切り者など出さぬようにするのが大切なのだと、イルカは信じて疑わなかった。

「皆、元気ですね」
声を掛けて来たのがカカシだと知って、イルカは緊張を覚えた。
あれ以来、カカシはイルカを避け、人目も憚らず言い寄ったり抱きついたりの奇行もとんとなりを潜めている。
イルカが暗部にいた事を確かめるのが目的だったと思えば、それも当然なのだが。
「この間は…済みませんでしたね」
こちらを見ずに、校庭の子供たちに視線を向けたまま、カカシは言った。
何と答えるべきか、イルカは迷った。
適当にかわせば良いのだろうに、言葉が出ない。
「あんな積りは無かったんです__本当に」
「…何がおっしゃりたいんです?」
軽い苛立ちを覚えながら、イルカは言った。
「そもそも俺が暗部出身かどうかを確かめるのが目的だったなら、あんな回りくどい事をしなくても良かったんですよ」
カカシは意外そうな表情でイルカを見、それからまた視線を逸らせた。
「アナタが暗部にいたって事は、初めて会った時に気づいてました」
「初めて会った時に…?」
「俺は、一度会った相手のチャクラは忘れないんですよ__絶対に」

火影に紹介され初めて会った時に、カカシは覚えのあるチャクラを感じた。
が、それはほんの一瞬の事だったし、イルカがまるで陽光(ひかり)の零れるように笑ったので、カカシは自分の想い過ごしだと思ったのだ。
暗部に、あんな風に微笑える人などいた筈がない…と。

「イルカ先生は、緊張するとチャクラの色が変わるんですね」
「……」
「本当に、あんな事、する気は無かったんです」
カカシの言葉に、イルカは苛立ちが募るのを覚えた。
あの時の、何をされるか判らないという恐怖が蘇る。
「お言葉ですけど、俺は酷く脅されました」
「でも俺は……嫌いなんです、そういうの」
相手の言葉の意味が判らず、イルカは幽かに眉を潜める。
「嫌いなんです。無理やりだとか、力ずくでとか__そういうのは、絶対に、赦せない」
カカシの口調に、イルカは虚を突かれた気がした。
「カカシ先生。あなた……まさか__」
「イルカ先生。アナタ、人を、殺めたことがありますか?」
唐突なカカシの問いに、イルカはすぐには答えられなかった。
鐘が鳴り、校庭で遊んでいた子供たちがばらばらと帰途に着くのを視界の端で見送る。
カカシの色素の薄い髪と色素の薄い肌が夕日に照らされ、血に染まっているかのようだ。
「…それは…忍ですから、任務で……」
「そうですよね。暗部にいた事もある位ですから」
言って、カカシは微笑った。そして続ける。
「俺は何十人も殺していますよ。百人以上、あるいは何百人と。時には忍ではない一般人や、女や子供……」

赤子すら、殺したことがある

カカシの言葉に、そしてその冷静な口調に、イルカは背筋が寒くなるのを覚えた。
「初めて人を殺めたのは6歳の時でした。ある男に無理やり犯され、その男を殺した」
「……!」
「俺が事情を話さなかったので牢に入れられましてね。獄吏が俺の傷に気づかなかったら、処刑されていたところでした」
何でもないことのように淡々と、カカシは続けた。
「でもそれがきっかけであの人が__四代目火影候補だったあの人が俺の先生になってくれたので、その意味では良かったのかも知れません」
そうだったのか__そう、イルカは思った。
アスマは言っていなかったが__そして恐らく、アスマもそこまでは知らないのだろうが__里の上層部がカカシを持て余したのは、単にカカシが抜け忍の子で、天才的な能力を持った忍だというだけではなかったのだ。
カカシは被害者だ。
だがそれでも、同じ里の忍を殺したとなれば、ただでは済まない。
ましてやそれがわずか6歳の子供で、にも拘わらずその時既に中忍の実力を認められる程の者であれば、尚更のこと煙たがられ、厄介者扱いされるのは無理も無い。
カカシには、何の罪も無くとも。

ふっと、金色の髪をした少年の笑顔がイルカの脳裏に浮かんだ。
化け狐をその身体に宿しているが故に忌み嫌われ、鬼子扱いされるナルト。
周囲に認めてもらいたくて仕方なくて、「火影を目指す」とまで言い張って……

「何故…そんな話を俺になさるんですか?」
改めてカカシに向き直って、イルカは言った。
カカシは相変わらずこちらを見ないし、その表情は酷く読み取り難い。
イルカの言葉に、カカシは相手を見、そして困ったように微笑った。
「俺、イルカ先生に嫌われたく無いんです。だから、イルカ先生に酷いことする積りなんか無かったって、それだけは判って欲しくて……」
言って、カカシは再び微笑した。
だがそれは、取って付けたような笑顔だ。
「お詫びに、今度、飯でも奢らせて貰えませんか?」
「__俺なんかで良ければ…」
僅かに躊躇ってイルカが答えると、カカシは意外そうに何度か瞬いた。
無表情な能面に、活きた感情が宿ったかのように。
「本当に…良いんですか、イルカ先生?この前のこと、怒ってない?」
「…二度とあんな事しないって約束して頂けるのならば」
「有難うございます、イルカ先生!」
「うわっ…」
いきなり抱きつかれ、矢張りこの人の考えている事は判らないと、イルカは思った。



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