(3)




「気づかれた、とな?」
「はい。申し訳ありません」
翌日、イルカは火影を訪ね、自分が暗部出身であることをカカシに気取られた事を報告し、その不手際を詫びた。
「お主とカカシとは暗部で一度、同じ任務についているからな。気づかれても、そう不思議は無い」
「…俺のほうは全く記憶にありませんが」
またしてもカカシと己の実力の差を見せ付けられたようで、忸怩たる思いに内心、歯噛みしながらイルカは言った。
それに、どうやって知られたのかを火影に問い質されたらと思うと、一層、気が重くなる。
「カカシはその事で、何か言っておったか?」
「いいえ。何も」
暗部出身だと気づかれた時に、自分がカカシの身辺を探っている事も見抜かれたのでは無いかとイルカは思った。が、カカシはイルカの腕の刺青を見てしまうとイルカを放し、追っても来なかった。
それでもイルカは自宅に帰る気になれず、アスマの許に逃げ込んだのだが。
「ならば、全てを気づかれたと言う訳でもあるまい。今までどおり、任務を続けよ」
「…御意。__ですが……」
言いかけて、イルカは口を噤んだ。

こんな事を言って良いものかどうか判らない。
火影は孫に対する祖父のような穏やかな眼でイルカを見、促すように軽く頷いた。

「ナルトたちは…大丈夫なんでしょうか」
火影の表情が僅かに変わったのを見て、イルカは言った事を後悔した。
「カカシが、自分の教え子たちに害を為すような男だと思うのか?」
「いいえ…!」
即座に、イルカは否定した。
否定してから矛盾だと自分でも思った。
実際、矛盾しているのだ__昨夜、目の当たりにしたカカシの冷たさと、仔犬のような哀しげな瞳とは。
ふっと、火影が笑った。
「お主はどんな相手でも、まず信じるところから始めるからの」
くつくつと火影に笑われ、イルカは頬が熱くなるのを感じた。
「三代目、俺は__」
「それで良い。お主は、そのままでいるのが良い」
間諜の疑いをかけられた者に探りを入れる時でも、イルカはその相手を信じる。決定的な証拠が挙がるまでは疑いの目で見たりはしない。
それは一見、イルカの真の任務__火影直属の隠密__には不適当に思える性質だ。が、イルカはその心根の故に相手の固く閉ざされた心を開かせる力を持っている。
「ナルトたちの事は心配無用じゃが…」
言って、火影は改めてイルカを見た。
「深追いは無用じゃ。危ないと思ったら退け」
「…御意」
深く一礼して、イルカは踵を返した。



「イルカ先生〜!」
金色の髪をした元気の塊に椅子ごと抱きつかれ、イルカは咳き込みながら笑った。
「こら、ナルト。先生は仕事中なんだぞ?」
「ごめんってばよ。でもイルカ先生に会えるの久しぶりだからさ」
「そうだな。元気だったか?」
受付所での勤務中にもかかわらず、精一杯の信頼と愛情をぶつけてくるナルトを無碍に出来なくて、イルカは相手の頭を撫でた。
「元気だってばよ。そんでもって俺、毎日活躍しちゃってるんだってばよ」
平凡な任務ではつまらないと駄々をこね、イルカに怒鳴られたことなど忘れたかのようにナルトは言った。
イルカはナルトの頭をがしがしと撫でた。
教え子たちは皆、可愛い。
が、他に何も持たず、痛いほどにひたむきに自分を慕ってくれるナルトが誰よりも可愛いのは否定できない。
「ところで…カカシ先生はどうしたんだ?」
いつもならカカシは決まってイルカの受け持つ列に並び、ナルトたちがいるとデートの邪魔だと称して教え子たちを外で待たせるのが常だった。
昨日の今日だけに、イルカはカカシに会いたくは無かった。
だがそれでも、気になる事に変わりは無い。
「カカシ先生は…あっちで並んでるってばよ」
ナルトが指差したのは、イルカの二つ隣の列だった。

明らかに、避けられている。
だが、何故……?

カカシの真意が判らず、イルカは軽い苛立ちと焦燥を覚えた。
「…今は色々と忙しいが、来月になったらまた一楽に連れて行ってやるぞ?」
「やった!イルカ先生、大好きだってばよ」
抱きついてくるナルトの背を軽く叩いてやりながら、イルカの眼はカカシの姿を追っていた。



『イルカ先生』
ナルトの出て行った後、受付業務に戻ったイルカは、不意に鼓膜の奥で響いた「声」に身を強張らせた。
カカシが、二つ隣の列で報告書を提出しているところだ。
カカシの向かって左にイルカが座っているので、イルカからカカシの表情は全く伺えない。
『昨夜は…済みませんでした』
カカシは報告書を提出すると、そのまま踵を返して受付所を出て行った。

一体…どういう積りなんだ……?

暗部の出身だと知られた時に、隠密としてカカシの身辺を探っていることにも気づかれたのでは無いかとイルカは思った。
或いは、このまま殺されるかも知れない…とも。
だがカカシは、そのまま何もせず、イルカを放した。
カカシがおちゃらけた態度で連日、自分を誘っていたのは、暗部出身かどうかを確かめるのが目的だったのだろう。
暗部では仲間同士でも本名を隠しあい、素顔を面で隠す。
だから、相手がかつての『同胞』か否かを知るのに尋常な手立てが通用しないのは判る。
それにしてもカカシのやること為すこと全てがイルカの予想外で、どう判断し、対処して良いのかが判らない。
昨夜もあんな冷たい眼をして、それこそ殺されるのではないかという恐怖心を人に与えた癖に、今日は殊勝に謝ってみせるだなんて……
「…結構です。確かに受理いたしました」
内心を隠し、イルカは報告書を提出した忍を笑顔で労った。
こうして誰がいつどんな任務をこなしたか、結果がどうであったかを把握しておくのも隠密の大切な役目の一つだ。
他の受付係が知らされないような極秘任務の内容も、殆どは火影から聞かされている。
「任務、ご苦労様でした__次の方、どうぞ」
受付業務をこなしながら、どうやって次にカカシに近づくきっかけを作ろうかと、イルカは思い悩んだ。





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