紅 葉 狩

(3)



「そもそもお前に宗家たる実力が無いのが、うちは一族内紛の原因だったという噂を聞いたが?」
「…ッ…」
反論できず、サスケは歯噛みした。
カカシは、ディレクターとしてここは止めるべきなのだろうと思いつつ、傍観した。
スイッチの入ってしまったイタチを止めようなどとしたら、こちらにどんな火の粉が降りかかるか判ったものではない――と言うより、業火で焼かれるのは確実だ。
それに『普段のクールなサスケ君より、感情的になってムキになってるサスケ君の方が可愛い♪』とか言って喜ぶスタッフが少なくなく、密かに携帯で動画撮影する者までいるのだ。(無論、後でマネージャーが没収するが)
その一方で、普段は優美なイタチの仮借なきまでのドS女王様っぷりがたまらないと心酔して悦ぶ者も、また決して少なくない。
――オレ、もうこのシリーズ降りたい……
胃の辺りがしくしくと痛みだすのを感じながら、カカシは兄弟のやり取りを見守った。

「話を元に戻そう」
ベッドの上で居住まいを正し、イタチは言った。
「お前は作中の『サスケ』は兄の事を大切に思っているのだから、兄の犠牲を無駄にするような真似をするのは理解出来ないと言ったな」
「…ああ」
口惜しそうに兄を睨みながら、サスケは答えた。
「ならば、『サスケ』が兄を恨んでいるのなら、『サスケ』の言動は理解できるだろう」
「恨んでたのは、『イタチ』の真意を知るまでだ」
「それは、一族殲滅に絡む話だろう?」

イタチの言葉に、サスケは幽かに眉を顰めた。
兄が何を言おうとしているのか、幾分か身構えて続きを待つ。
「『サスケ』は優秀すぎる兄と比較される事で劣等感を覚え、兄を疎ましく思っていた。一族殲滅の、ずっと前からだ」
自分の事を言われたように感じ、サスケは思わず拳を握り締めた。
能舞台での兄は凛としていて優雅で、時には猛々しく時には妖艶、時に狂おしく時に優しく、そしていつも神々しいまでに美しい。
そんなイタチはサスケの憧れと尊敬の的であり、幼い頃にはいつか同じ舞台に立てる日を心待ちにしていた。
だが実際に共に稽古するようになると、サスケは自分と兄との差を、嫌というほど思い知らされる事になる。
毎晩遅くまで必死に稽古しても、嫌、稽古をすればする程、自分と兄の実力の差を目の当たりにするだけだった。

だから『兄さんのように頑張りなさい』とか『やはりイタチの時のようにはいかんか』と言われた時の『サスケ』の気持ちは、痛いほど良く判った。
回想シーンを演じたのはサスケではなく子役だったが、その録画は辛くてまともに正視できない程だ。
『アナタにぴったりの役よ』と言ってこの話を持ってきた大蛇丸社長を恨みにも思ったが、弱小プロダクションに所属する自分がレギュラー、それも副主人公の役にありつける機会を逃す訳には行かない。
実際、『サスケ』の役をやるようになってから、サスケの人気はうなぎのぼりなのだ。
能の公演依頼も増え、能を敬遠していたサスケの若いファンたちも舞台に足を運んでくれるようになった。
辛くとも、辞める訳には行かない。
そしてそれだけに、木の葉の全てが復讐の対象だと言い切った『サスケ』の心情が理解できないのは、サスケに取って大きな痛手だ。

「……確かに疎ましくも思っていたが、『サスケ』は『イタチ』を慕っていた。『イタチ』は優しいからな――アンタと違って」
サスケの最後のひと言に、イタチは幽かに笑う。
「確かに、『イタチ』は優しい。だから『サスケ』は『イタチ』を慕っていたと言うより、兄の優しさに甘えていたのだ」
「…何が言いたい?」
「一族殲滅の夜、『サスケ』は器を図る為に一族を滅ぼしたと言った兄の言葉を即座に信じた。『イタチ』が実際に誰かを殺めるところを見た訳でも無いのに」
何故だと思う?――そう、イタチは訊いた。
「……あの状況だったら、信じるしかねぇだろう」
「あの場では、そうだったかも知れない」
だが、と、イタチは続けた。
「一族殲滅から兄弟対決までは八年もある。それに『サスケ』はうちはのアジトの存在、里外の武器屋との繋がり、秘密の集会の事も全て知っていたし、一族殲滅の夜に兄が涙を流す姿も見ている。それなのに『サスケ』は、本当に兄が一族を滅ぼしたのか、滅ぼしたのならその本当の理由が何だったのか、考えようともしなかった」
何故だと思う?――もう一度、イタチは訊いた。
「……『サスケ』は兄を疎ましく思っていたから、真実が何か碌に確かめもせずに兄を恨んだって言いたいのか?」
「俺は、お前がどう思っているのか訊いているんだ」

あくまでも冷静なイタチの態度に、サスケは頭に血が昇るのを感じた。
イタチは、いつもそうだ。
突然の事故で両親が亡くなった時、サスケは酷く後悔した。
過労で倒れるまで稽古を続けた自分を気遣って、『そんなに無理しなくてもいいのよ?』と言ってくれた母を心配させた事を後悔した。
父のフガクとも、師匠と弟子としてだけでなく、もっと親子として語り合いたかった。
だから二人を一度に喪った時、せめて兄だけは、と、サスケは思ったのだ。
イタチが芸能界デビューして能舞台に立つ事を禁じられてから、話をするどころか殆ど顔も会わせなくなってしまっていた。
それだけに両親の時の様な後悔は二度としたく無いと、サスケは心から思ったのだ。
だがイタチは葬儀の時に涙を見せるでも無く、イタチを宗家とは認められないと詰め寄る分家たちに、「それで結構」と冷静に言い放った。
そしてあっさりとうちは一族を見棄て、家を出て行ってしまった。
あの時の絶望と憤りは、今も忘れられない。

「……一族殲滅の夜、『サスケ』はまだ八歳だったんだ。だから気づけなかった。だから兄の真意を知った時に後悔した。だからあの時、皆の前で泣いた。だから――」
その兄が守ろうとした木の葉を潰そうとするのは、理解できない――低く、独り言のようにサスケは言った。
「理解できない理由をあげつらうのではなく、理解できる解釈を探すべきだ」
「そんなもの……!」
言いかけて、サスケは口を噤んだ。
ナルトと『サスケ』が戦う事、その戦いの中でナルトが『サスケ』を改心させ、最後には共に戦う、という筋書きは決まっているのだ。そればかりは今更変えられないと、自来也からもカカシからも言われた。
だから今の『サスケ』は深い闇に沈み、復讐の鬼と化さなければならないし、『サスケ』を演じる自分は、その心情を理解しなければならない。

「…『イタチ』は木の葉上層部のせいで犠牲になったんだ。だから『サスケ』が上層部を憎み、復讐しようとするのは当然だ」
「それで?」
面白がっているかのように幽かに口元に笑いを浮かべ、イタチは弟を促した。
「上層部への憎悪は喩えようも無く強い。うちは一族を滅ぼしたのも、『イタチ』を追い込んで殺したのも木の葉上層部――」
「殺したのは、『サスケ』だろう」
サスケの言葉を遮って、イタチは言った。
「実力が及ばなくて止めを刺す事は出来なかったが、『サスケ』は本気で兄を殺す積りでいた。須佐能乎が無ければ、『イタチ』はあの場で死んでいただろう」
イタチの言葉に、サスケは再び口を噤んだ。
木の葉すべてが復讐の対象だという台詞同様、上層部が『イタチ』を殺したという台詞も納得できなかったからだ。
なのでそのシーンは俯き、表情を見せなくする事で誤魔化した。
だが『イタチ』が生きているという設定に変わったのに、それでも尚、木の葉の全てを憎み、殺そうとしている『サスケ』の心情が、サスケには理解できない。

「……やっぱり…俺は――」
「『イタチ』の真意を知った時、『サスケ』は初めに何を思っただろうな」
俯いていたサスケは、兄の言葉に相手を見た。
だが待っていても、イタチが答えをくれる筈は無い。
「…嬉しかった筈だ。『イタチ』が、里よりも自分の事を大切に思っていてくれたと判って」
「里を護る為に己の一族を滅ぼした『イタチ』が、何故、里よりも弟を大切だなどと思う?」
「それは……『イタチ』は里と一族の板ばさみで孤立して苦しんでいたから、何も知らずに純粋に慕ってくる弟が唯一の救いだったんだろう。だから…」
サスケの言葉に、イタチは幽かに眼を細めた。
「忘れたのか?『サスケ』は優秀すぎる兄と比較される事で度々劣等感を味合わされ、兄を恨み、疎ましく思っていた。そしてそれを、『イタチ』も知っていた。それにアジトや秘密の集会など、クーデターに連なる事実を『サスケ』は知っていた。ただ、それが何を意味しうるか、考えなかっただけだ」
「だけどそれでも…『イタチ』は『サスケ』を守ろうとして……」
「『サスケに危害を加えるなら、木の葉の秘密を敵に漏らすと上層部を脅した』?実際にそんな事をすれば、クーデター以上の損害が木の葉に及ぶのが判っていながら?」
イタチの言葉に、サスケは三度、口を噤んだ。

「……何か、色々突っ込まれてますよ、自来也先生」
胃の辺りを撫でながら、カカシは言った。
「ワシは元々マダラのあの台詞は、マダラが『サスケ』を篭絡する為の誇張として書いたからのう」
「そうなんですか?ま、私も、情に流されて弟を殺せなかっただなんて、『イタチ』の性格的にあり得ないとは思いましたけどね。もしマダラの言う通りだったなら、『イタチ』は宿屋で『サスケ』をボコボコになんてしてないで、連れて逃げるなり上層部を暗殺して『サスケ』の安全を確保するなりしていた筈ですから」
それでも、と、カカシは続けた。
「弟を強くする為に敢えて突き放す、というより、弟を守ろうとしたとか、里よりも『サスケ』の生命の方が重かったとか言った方が、兄弟愛の表現としては視聴者に判りやすいですからね」
「視聴者には判り難いかも知れんが、単純に美しい兄弟愛で結ばれているのではない所が、うちは兄弟の悲劇の深さであり、『サスケ』の闇の深さに繋がるんじゃよ。
イタチも言っていた通り、『サスケ』は兄に嫉妬し、妬み、疎ましく思っていた。だが兄には何の非も無く『サスケ』に対しても優しい。
だから『サスケ』は兄を疎ましく思うたびに、いつも罪悪感に苛まされていた」
それで一族殲滅事件の夜、『サスケ』は何の疑問も感じる事無く、兄が利己的な理由で皆を殺したのだと信じた。そう信じれば、自分が罪悪感から逃れられるからだ――そう、自来也は続けた。
「だから兄の死後に――まあ、諸般の事情でその設定は変わってしまったが――マダラから兄の真意を聞かされた『サスケ』は、再び、そしてそれまで以上に耐えがたい罪悪感に襲われた。だから『サスケ』は兄の愛の深さを知っても闇から抜け出すどころか、一層、深い闇に沈み、本来無関係な者達にまで復讐しようとしているんじゃ」
それはTVドラマの設定としては複雑すぎるだろうとカカシは思ったが、口には出さなかった。

この『うずまきナルト物語』はドラマ用の書下ろしではあるが、元々自来也はそれを長編の大河小説にする積りで構想を温めていたのだ。
だが作家としての自来也のヒット作は『健全なお色気』が売りのイチャイチャシリーズで、地味な忍伝物は受けが良くない。
それだけにかなりの長編となる予定の『うずまきナルト物語』の出版を引き受けようという出版社がなかなか見つからずに自来也が奔走していた時、酒の席で自来也からあらすじを聞いた大蛇丸が、自分の所のサスケを副主人公にしてTVドラマ化しようと持ちかけて来たのだった。
大蛇丸は自分のプロダクションの役者を売り込むのが目的(その為、役名まで本名と同じに変えさせた)、自来也が承諾したのは、ドラマ化して人気が出れば、出版の目処も立つと考えたからだ。
大蛇丸はイタチを説得して弟との共演を決め、そこからイタチの大ファンである某大企業会長を動かしてスポンサーにし、ドラマの企画をTV局に売り込んだ。
視聴者の反応によってストーリーに影響を及ぼすという作り方も変則的なら、先に脇役とスポンサーが決まっていたという誕生の経緯も全く異例だ。
そんな訳でこのドラマにおけるうちは兄弟の役割は脇役としてはありえない位に重く、その兄弟の確執は、カカシに取って最大の悩みの種だ。

「…それだけ緻密な設定があるなら、どうしてそれをサスケに説明してやらないんです?」
「そこはワシも悩んだんだが、サスケは役にのめり込み過ぎているからのう…。『サスケ』の強い罪悪感に同情して、本当に鬱病にでもなられては困る」
お気持ちは判りますと、カカシは言った。
「それにしても、イタチはよく大蛇丸社長の誘いに乗りましたね。TV出演自体、余りイタチの好みじゃないのに」
「それはやはり、弟の事が心配だからじゃないかのう」
うちは一族のお家騒動の後、暫く能舞台から離れざるを得なかったサスケが初めて地方公演をした時、イタチから電話があったのだと、自来也は話し始めた。
自来也は作家であり脚本家であると共に大の能楽ファンで、時折、評論も書いている。
サスケのその地方公演の時も、新聞に寸評を書いた。
それを見て、イタチは電話してきたのだ。
「サスケは元気そうだったのかと、それだけ聞いてきた。実際のところ、サスケは稽古でかなり無理をしていたようでな。楽屋で会ったが、倒れる一歩手前、という感じだった」
「…心配するくらいなら、イタチはどうして家に戻ってやらないんです?うちは一族との確執を嫌っての事なら、別の流派を立ててサスケを呼んでやる事も出来るのでは?」
確かにイタチならばと、自来也は言った。
「イタチの海外公演では、様々な流派の能楽師が集まって舞台を構成している。そしてそれは異例中の異例、例外中の例外だ。
つまりそれだけイタチとの共演を望む能楽師が多い事、そんな逸脱を認めてでもイタチを舞台に立たせたいと願っている者の多い事を示しているし、財界の大物にイタチのファンも少なく無い。
イタチが新しい流派を立てれば、すぐに人材も金も集まるだろう」
だが、と、自来也はサスケに視線を転じた。
「ワシはサスケの初舞台の頃から見ているが、サスケが兄の存在から受けるプレッシャーは相当なもんじゃった。会って話をするといつも兄を強く意識し過ぎていて、そのせいで自ら才能を潰してしまっていた」
「私は能の事は良く判らないんですが…イタチって、そんなに凄い能楽師なんですか?」
「あいつは『千年に一度の逸材』と呼ばれておる」
その意味が、判るか?――自来也の問いに、カカシは軽く首を捻った。
「能って、そもそも千年も歴史があるんでしたっけ?」
「そこじゃよ。つまり後にも先にも、イタチのような能楽師は存在しない…という事だ。同じ血を引く兄弟なんだから、サスケがイタチを意識し、目標にする気持ちは良く判る。だがそれは、人が神になろうと足掻くようなもんじゃ」
「神…ですか」
自来也は頷いた。
「実際、あの時ワシが見たのは、本物の鬼神だったのかも知れない……」
神妙な面持ちで、自来也は語り始めた。







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