紅 葉 狩

(2)



ガッ…!

イタチの右アッパーが、サスケの顎に決まった。

「カ―ット!」
「またNGだのう…」
ディレクターのカカシに続き、脚本の自来他がうんざりした口調で言った。
「…ってぇ……。いきなり何しやがる…!」
「それはこちらの台詞だ。いきなり何の真似だ?」
「俺はただっ、あんまり顔色悪いし動かないから本当に息してんのか心配になって……」
途中から小声になって俯くサスケに、イタチは見下ろすような視線を向けた。
「愚かなる弟よ。これはメイクだ」
「んな事ぁ、判ってる!」
「では今のは何の真似だ?大体、お前は勝手にアドリブを入れ過ぎだ」

イタチの言葉に、サスケは歯噛みした。
自分が何故、あんな真似をしたのか、そもそも何をしようとしていたのかも良く判らない。
ただ作中の『サスケ』の兄に対する思慕の念と、兄の真意に気づいてやれなかった激しい後悔に胸が一杯になって、撮影中だという事を忘れていた。

「だ…からって、何も殴る事ねぇだろうが!しかもグーで!」
「NGになったのはお前のせいだ。周囲の迷惑を考えろ」
「あんたが殴ったからNGになったんだろうが…!」
言い争ううちは兄弟の姿に、カカシと自来也は顔を見合わせ、そして溜息を吐いた。
ここは人気TVドラマシリーズ『うずまきナルト物語』の撮影現場。
うちはイタチとサスケの兄弟が、そのままの役名で兄弟役として出演している事でも話題になっている。
CMを除けば滅多にTVに出ないイタチが弟と共演しているのが売りの一つでもあるのだが、製作スタッフには視聴者には判らない悩みがあった。
イタチとサスケの兄弟は、業界で一、二を争うワガママ女優(注・男です)で有名なのだ。

「どうします、自来也先生?確かにサスケ、アドリブ多過ぎですね。撮り直しますか」
「アドリブはまあ、あのままでも構わんがのう…」
カカシに問われ、自来也は答えた。
このシリーズは最初から完成脚本があるのではなく、視聴者の反応や要望をある程度、反映させてストーリーを進める、という実験的な試みの元に作られている。
弟との戦いの末に死ぬ筈だった『イタチ』が昏睡状態で生き続けているのは、視聴者からの助命嘆願が余りに多かった為だ。
とは言え、次の海外公演が決まっていてその準備に入る予定だったイタチの出演延長交渉は困難を極め、結局スポンサー企業会長(イタチの後援会会長でもある)のたっての希望と、イタチの拘束時間を極力短くする、という製作サイドの譲歩の結果、出演延長が決まったのだ。

「撮り直しなんぞ、イタチが首を縦に振るまい」
「……ですよね」
自来也の言葉に、カカシはもう一度、溜息を吐いた。
製作者側にも先の見えないストーリーであるだけにただでさえ苦労が多く、こうやって脚本家と相談しながら話を進めなければならないのに、サスケはやたらとアドリブを入れるし、イタチは撮り直しを拒否する。
イタチの拘束時間を極力短くというのはイタチの出演延長時の条件でもあるので、NGになっても撮り直しをせず、OK部分を編集して使わなければならい。
計算されつくしていながら自然な演技で定評のあるイタチと対照的に、サスケは役に感情移入し、なりきって演じる。
だからアドリブが多いのも仕方ないと言えば言えるのだが、ストーリー展開に影響を及ぼすような台詞を勝手に入れられると困る。
いくら『製作と放送が同時進行』であるのを売りにしていても、実際にはある程度のプランがあって、視聴者の要望を入れるのも普通は微調整レベルだ。
さもなければ、話がゴールに辿り着かない。
だがサスケは実の兄と兄弟役で共演しているせいか、いつもより役にのめりこんでいるようだ。

「それ以前に、お前の長すぎるアドリブのところでNGだろう」
軽く前髪をかきあげて、イタチは言った。
ただそれだけの動作なのに、イタチの動きはとても優美だ。
艶やかな髪がしなやかに額にこぼれかかり、スタッフの間から声にならないどよめきが漏れる。
イタチが『業界一のワガママ女王様(注・男です)』と言われながらイタチの出演番組を担当したがるスタッフが多いのは、その美貌と優雅な所作に、人を酔わせる魔性めいた魅力があるからだ。
「マダラが出て行った後の台詞、全部アドリブだぞ。自覚しているのか?」
脚本にあった台詞は、『俺は必ず木の葉を潰す』の一行だけだ。
「判ってる!だけど俺は……納得できねぇ…」
サスケの言葉に、カカシは自来也を見た。
サスケが、木の葉の全員を復讐の対象だと言い切る作中の『サスケ』が理解出来ないと、自来也とカカシに食って掛ったのは二週間前の事だ。
そしてそういうサスケの態度が、サスケを『業界一のワガママお姫様(注・男です)』と言わしめているのは、説明するまでも無い。
自来也は最終的に予定されている物語の終結や、その中での『サスケ』の役割を語ってサスケを納得させようとしたが、その試みは成功していない。
役になりきって演じるサスケとしては、役の言動が納得できないと演技にならないのだ。

「何が納得できない?自来也先生からきちんと説明を受けただろう」
もう一度、自来也からサスケを説得してもらおうとカカシが思った時、イタチが口を開いた。
「最終的にナルトが『サスケ』を改心させて木の葉への復讐を止めさせる流れになるっていうのは聞いた。改心させる流れに持って行く為には、『サスケ』の復讐が視聴者に納得できるようなものじゃなくて、狂気めいたものである必要があるっていうのも判る」
だけど、と、サスケは続けた。
「だからって何で木の葉全員を殺そうとする?クーデターにも一族殲滅にも何の関係もねぇだろうが。何より『サスケ』が兄の事を大切に思ってるなら、兄の犠牲を無駄にするようなマネをするのが理解出来ねぇ…!」

熱くなり過ぎだよ、サスケ――内心で、カカシは呟いた。
今回の役では作中の兄弟の境遇と、実際の境遇に似通った部分が多々あるので、熱くなる気持ちは、判らないでも無いが。
うちは兄弟は、能楽のシテ方うちは流家元の生まれだ。
兄のイタチは四歳で初舞台を踏んだ時から天才の誉れ高く、わずか七歳の頃からシテ(主役)を務め、『千年に一度の逸材』とまで持て囃された。
が、芸を磨く事より家名を上げる事に執着する一族のやり方に反発を覚え、度々対立。
十一歳の時に巨匠と呼ばれるある映画監督からオファーを受け、一族の反対を押し切って芸能界デビューした。
その美貌と十一歳とは思えない演技力が高く評価されて数々の賞を受賞。
たちまち芸能界の寵児となって多くのファンを得たが、能舞台に上がる事はうちは一族によって禁じられた。
その二年後に、宗家である父フガクと母ミコトが事故で急逝。
能楽協会にはイタチが宗家を継いで舞台に戻る事を望む声も多かったが、イタチはこれを拒否。
能の現すものは森羅万象、すなわち宇宙の全てであって、狭い能舞台や旧態依然の制度に拘る気は無い、というのが持論だからだ。

結局、分家の一つがサスケを引き取り、いずれサスケに宗家を継がせるという前提の下、宗家預かりとなった。
が、優秀すぎる兄と常に比較されるプレッシャーの為にサスケは早くも壁にぶち当たり、そのせいもあってうちは一族は宗家の座を巡って内紛が続き、分派が乱立して弟子たちにも見放され、凋落した。
この事で、サスケは兄のイタチを恨んでいた。
兄がうちは一族を見棄てなければ、一族の凋落は無かったからだ。

「主役の見せ場を作るのも脇役の大切な務めだろうが」
冷ややかな口調で、イタチは言った。
「そんなだからお前はシテどころかツレ(脇役)もトモ(シテの従者)も務まらないんだ」
イタチの言葉に、サスケは唇を噛んだ。
内紛によって没落してゆくうちは一族を何とか盛り返そうと、必死に努力した日々を思い出す。
だが文字通り寝食を忘れて稽古に打ち込んでも、どうしても兄に比べれば見劣りがする。
周囲からはそれなりの評価も得ていたが、生来の鑑識眼を持つサスケには、兄と自分の差は歴然としていた。
そんなサスケがプロダクション『音』の大蛇丸社長の誘いを受けて芸能界デビューしたのは、内紛のせいで公演もままならなくなったうちは一族を何としてでも救いたかったのと、兄を見返す為である。
最初はやはり兄と比較され、『顔が良いだけの大根』と酷評された事もあったが、役になりきった体当たりの演技が『迫真』と評価されるようになり、女子中高生を中心にファンも増えた。
ファンが増えると共に各地から能の公演依頼も舞い込むようになり、サスケはTVで顔を売りつつ、主に地方で舞台に立つようになった。

しかしそんなサスケの努力を嘲笑うかのようにイタチは海外で能公演を行い、行く先々で観客総立ちのスタンディングオベーションとなり、『東洋の至宝』『神が創り給うた至高の芸術』と絶賛された。
数年のブランクを感じさせない名演に国内での公演を望む声も多く、イタチが能舞台に立つ事を禁じたうちは一族が凋落して発言力を失っているにも関わらず、イタチは国内で能舞台に立つ事を拒み続けている。

「…うちは一族を見棄てておきながら、海外でヘラヘラと外人に評価されて喜んでるようなヤツに言われたかねぇよ」
低く、サスケは言った。
そして、自分の迂闊さを呪った。
作中の『イタチ』の弟を想う心に感動して、マダラから兄の真意を聞かされたシーンの後は、本気で泣いた。
『イタチ』の死を本気で悼み、『イタチ』が瀕死の重態ながら生きている設定に変えられた時は、心の底から喜んだ。
だから、作中の『イタチ』と眼の前の兄を思わず混同していた。
が、気高く優しい心を持った作中の『イタチ』と、実際の兄のイタチは全くの別物だ。
実際の兄は作中の『イタチ』と比べれば――嫌、比べ物にならない程――高慢で冷血で我儘で意地悪だ。

「ほう…」
サスケの言葉に、イタチは幽かに口元を上げて冷笑った。
その、『絶対零度の微笑』に、再び、スタッフの間から声にならないどよめきが漏れる。
ヤバイ――そう、カカシは思った。
イタチのドSスイッチが入ってしまったら、止められる者などどこにもいない。
そしてサスケは、その起爆装置を思いっきり、オンにしてしまったのだ。







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