東ウータイ戦役

(2)



セフィロスの執務室の場所は、事前にジェネシスが下調べしてあった。
その用意周到さに、アンジールは感心する。
本社ビルの61階まで高層階専用エレベータ__IDカードが無ければ動かない__で昇り、そこで降りる。
自信ありげに先に立って歩いていくジェネシスの後に、アンジールは黙って従った。
ソルジャーの控え室やトレーニングルームのある階は近代的で機能的な作りになっているが、このフロアは床に分厚い絨毯が敷かれ、壁は御影石。天井にはシャンデリア、と、どこかの高級ホテルのようなインテリアだ。
「…自動ドアじゃないんだな」
重厚な木造のドアの前に立ち、アンジールは言った。
「この方が深窓の英雄に相応しいだろう」

笑ってジェネシスは言ったが、内心、緊張しているのだとアンジールは思った。
ジェネシスがドアをノックし、扉を開ける。
そこは控えの間になっていて、デスクの向こうには黒いスーツ姿の男が座っていた。
女性秘書ならば適当にあしらえると思っていたジェネシスは、不意討ちを食らったように感じたが、表情には出さない。

「ソルジャー・クラス1st。ジェネシス・ラプソードスだ」
「…同じくクラス1st。アンジール・ヒューレー」
堂々と名を告げた幼馴染に続いて、アンジールも姓名を述べる。
黒いスーツの男は、タークスのツォンだと名乗った。
「タークス?どうしてタークスがこんな所に?」
思わずアンジールが訊くと、ツォンは幽かに笑う。
「私も常々疑問に思っている。果たして英雄に護衛が必要なのか、と」
それでも交代でセフィロスの護衛につくのは、6年前からタークスの仕事の一つになっているのだと、ツォンは言った。
「6年前?」
「そこで驚く、という事は、君たちはミッドガルの出身では無いな」
ツォンの言葉に、ジェネシスは幽かに眉を顰めた。

ミッドガルに来て一番屈辱的なのは、田舎者扱いされる事だ。
ミッドガルとバノーラのような地方とでは、文明の程度も手に入る品も情報も全く異なる。
バノーラには本屋など無かったし、ミッドガルから雑誌を取り寄せる、などという贅沢ができるのは、ジェネシスの実家であり、バノーラの地主であるラプソードス家だけだ。
ジェネシスは幼い頃から本を読むのが好きな子で、両親にせがんでバノーラでは手に入らない小説や文学書をミッドガルから取り寄せて読んでいた。
雑誌はそのついでにラプソードス夫人が買っていたのだ。
その中に『英雄セフィロス』の記事を見つけたのが、4年前の事だった。
既にその2年も前からミッドガルの人々はセフィロスの事を知っていたのだと思うと、ジェネシスは一種の嫉妬を覚えた。
と同時に、疑問も感じる。
実際に本人に会った感じでは、セフィロスは自分達と同い年くらいだ。
もし同い年で6年も前から既に『英雄』だったのなら、その時のセフィロスはわずか10歳だった事になる。

「相手がモンスターやテロリストなら護衛の必要は無いが、呼ばれもしないのに勝手に押しかけてくる崇拝者なら、水際でせき止める役が必要なんだろうな」
「俺たちはただ、東ウータイ戦役の戦略に関して、セフィロスに意見を述べに来ただけだ」
ツォンの言葉に、内心、むっとしながら、ジェネシスは言った。
「東ウータイ戦役の戦略についてなら、神羅軍の将校にでも言うべきじゃないのか?」
あんたと議論をしに来た訳じゃない、と、ジェネシスは言い返した。
こういう時のジェネシスは良く言えば堂々としていて、悪く言えば高慢だ。
その態度で相手を圧倒して押し切ってしまう時もあれば、逆に怒らせる事もある。
この、ツォンとかいう若いタークスが__ツォンはこの時、22歳だったが、ジェネシス達は相手を10代だと思った__どう出るのか、アンジールは成り行きを見守った。
「まず、取り次いでくれないか?セフィロスが帰れと言うなら、大人しく引き下がる」
「…良かろう。高層階専用エレベータに乗れたと言う事は、本物の1stの証拠だからな」
言って、ツォンは席を立った。

奥の扉の中に消えたツォンは、ほどなく戻って来た。
そして、セフィロスが話を聞くそうだ、と告げる。
思わず口元が緩むのを、ジェネシスは隠せなかった。
素っ気無く追い返される可能性も高かったし、そうなったら執務室に押しかける事など2度と出来なくなるばかりか、下手をすれば以後の任務に同行を許可されなくなる恐れもあったからだ。

入り口付近で、ジェネシスとアンジールは思わず立ち止まった。
ブリーフィング・ルームの3倍はありそうな広さのその部屋は、国家元首の執務室にもひけを取らない重厚さと豪華さに満ちていた。
壁の一方は造り付けの本棚になっていて、びっしりと本が並んでいる。
反対の壁はやはり造り付けのキャビネットとクローゼットで、キャビネットには高価そうなクリスタルが並んでいた。
そしてその広い部屋の中ほどにはマホガニーのライティング・デスクと革張りの椅子。
その反対側に10人程度が座れる会議用の__と言っても、機能より優美さを優先した造りだ__長テーブルと椅子のコーナーがある。
部屋の奥はゴブラン織りの布を張った衝立で仕切られ、一方にヴィクトリア様式のダイニングセット、反対側に大きなソファと大理石のローテーブルがある。
置いてある家具調度のどれか一つだけを取っても、神羅の平社員の月給より遥かに高いだろうと、ジェネシスは思った。
アンジールとジェネシスはオフなので私服だったが、フォーマルでも着て来るのだったと後悔するような部屋だ。
そしてこの部屋の主は、数メートルもあるライティング・デスクの向こうに、いつもの戦闘服を着て座っていた。

「…すごい部屋だな」
思わず言ったアンジールに、俺の趣味じゃない、とセフィロス。
「プレジデントが勝手に用意したんだ__それで?」
「…え?」
「東ウータイ戦役の戦略の事で来たんじゃないのか?」
その通りだ、と、ジェネシスが言葉を引き継いだ。
それからジェネシスは、硬直状態が続いている東ウータイ戦役に関して全体戦略の問題点と、個々の戦術について今後どうすべきかを滔々と語った。
そして更には、神羅軍が抱える問題点に関しても話題が及ぶ。
その弁舌に、アンジールは驚いていた。
ジェネシスの愛読書の中に戦術書の類もあるのは知っていたし、特にセフィロスに憧れてソルジャーを目指すようになってからは、かなり用兵学などについても勉強したらしい。
そしてそれだけでなく、セフィロスの執務室を訪れる口実を作る為に、東ウータイ戦役と神羅軍の内情に関して調べ上げたのだろうと、アンジールは思った。

「どうしてそんな話を俺にするんだ?」
一通り、ジェネシスの話が終わると、セフィロスは言った。
「東ウータイには神羅軍が行っているんだ。東ウータイの話ならば、神羅軍の将軍にでもすれば良いだろう」
「だが、ソルジャーが同行することもあるし__あんたは、東ウータイ戦役に興味は無いのか?」
「無いな」
素っ気無いセフィロスの言葉に、ジェネシスは一瞬、言葉に詰まる。
「だったら…どうして話を聞く気になったんだ?」
「ちょうど読むものが切れて、退屈していた」
ジェネシスは本棚に歩み寄った。
アンジールも、本棚の方を見やる。
壁一面を埋め尽くす本棚に納められているのは、専門的な学術書ばかりだった。
中には、何の本なのか判らない物まである。
蔵書の中からどうにかセフィロスの興味を引きそうな話題を見つけようとしたジェネシスだったが、とても歯が立ちそうに無い。
「……東ウータイでなければ、どの戦役なら興味があるんだ?」
戦術の話ならばなんとか間を持たせられると思い、ジェネシスは訊いた。
「戦略や戦術には、そもそも興味が無い」
「まさか」
「嘘だろう?」
ほぼ同時に、アンジールとジェネシスが訊き返す。
「俺は団体戦は嫌いだ。神羅軍を同行させるのも好きじゃない」

まるで子供のような言い草だと、アンジールは思った。
言われてみれば、確かにセフィロスが神羅軍の部隊を同行させて任務に就く事は滅多に無い。
せいぜい2,3名のソルジャーと神羅兵を同行させる程度だ。
人付き合いの嫌いなセフィロスらしいと言えばらしいが、セフィロスがもっと神羅軍と行動を共にしていれば、硬直状態が長引いている東ウータイ戦役、それどころかウータイ戦そのものが終結する筈だ__そう思ったら、アンジールは黙っていられなくなった。

「好き嫌いで済む問題じゃ無いだろう。お前がもっと積極的に神羅軍に協力すれば、ウータイ戦を終結させられると思わないのか?」
「アンジール…」
ジェネシスは、窘めるように幼馴染の名を呼んだ。
「神羅軍の将軍達は、戦争の終結なんか望んでいない」
それに、と、セフィロスは続けた。
「彼らは俺を嫌っている」
「だから好き嫌いの問題じゃ無いと__」
「アンジール」
強い口調で、ジェネシスはアンジールの言葉を遮った。
「お前の発想は単純すぎる。ウータイは広大な国土と膨大な人口を擁する大国だ。幾つかの戦術的勝利を重ねたからと言って、それが大局に影響を与えるとは限らない」
「だが、少なくとも東ウータイ戦役は__」
「さっきも説明したように、東ウータイ戦役の問題点は将軍達のセクト争いにあるんだ。それは神羅軍内部の問題であって、セフィロスには関係ない」
「しかし……」

なおも食い下がろうとしたアンジールを、ジェネシスは部屋の隅に引っ張っていく。
「お前がセフィロスの機嫌を損ねるような事を言ってどうするんだ」
「だが、戦争には人の生命がかかっているんだぞ?」
小声で言ったジェネシスに、アンジールも小声で返した。
「だとしても、そんな話はもう少しセフィロスと親しくなってからすべきだ。今日はきっかけを掴みに来ただけなんだからな」
「何をこそこそ話しているんだ」
不機嫌そうな声に振り向くと、セフィロスはいつの間にかデスクのこちら側に来て、腕を組んで立っていた。
「…済まない、セフィロス。今日はこれで失礼する」
「東ウータイ戦役の問題を解決しに来たんじゃないのか?」

部屋を辞そうとしたジェネシスに、セフィロスは言った。
無論、ジェネシスにそんな積もりは無い。
だがまさか、『英雄セフィロス』と親しくなるきっかけを掴みに来ただけだなどと、言える筈も無い。

「俺はただ、あんたの意見を聞ければと__」
「俺に意見なんか、無い。問題を抱えているのは、俺じゃなくて神羅軍だ」
言うと、セフィロスはデスクから携帯電話を取り上げた。
後に神羅カンパニーは全社員に携帯電話を支給するようになるが、この頃まだ携帯電話は普及し始めたばかりで、価格が高価な事もあって、持っている者は僅かだ。
「俺の執務室に神羅軍の将軍達を寄越してくれ。東ウータイ戦役の問題に関して、話がある」
------は……?
ジェネシスとアンジールは、内心、固まった。
「そうだな。三軍の元帥で良いだろう。5分以内だ」
------陸・海・空、三軍のトップを呼びつけた…だと?
まさか冗談だろうと思いながら、ジェネシスは訊いた。
「一体…誰に電話したんだ?ハイデッガー統括か?」
「プレジデントだ」
あっさりと、セフィロスは答える。
「それが一番、話が早い」
------はぁ……?
確かに話は早いだろうし、プレジデント直々の命令ならば、三軍の元帥と言えど従わずにはいられまい。
だが、だからと言っていきなりプレジデントに電話して三軍の元帥を呼びつけるなど、普通なら考えられない。
ソルジャー統括がセフィロスの機嫌を損ねまいと必死だった理由がよく判ったと、ジェネシスとアンジールは思った。そして深く後悔する。
が、今更遅い。






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