![]() その日、オラトリオは美しい景色のCGを携えて<ORACLE>に降りた。このところ少し、不安定なオラクルを、それで慰められればと思ったのだ。 けれども、それは逆効果でしか無かった。オラクルは口を噤み、何も言おうとはしない。 「…気に入らなかったのか?」 控えめな態度で聞いたオラトリオを、オラクルは不機嫌そうに見遣った。そして、すぐに視線を逸らす。 「これはCGだろう?」 「__ああ…」 「本物の空でも、本物の湖でも無い__ただの、作り物だ」 「オラクル…?」 軽く触れようとしたオラトリオの手を、オラクルは振り払った。 「私も同じだ。ただの、作り物。本当の<ORACLE>(わたし)は、こんな姿はしていない」 「…少し、落ち着けよ」 「落ち着けだと?」 雑色の瞳に、射るように鋭い光が走る。 「お前は現実空間でも存在できる。電脳空間でも、何処にでも行く事が出来る__私と違って」 オラトリオは、口を噤んだ。おぞましい想いが、毒のように身体を満たす。 「お前は私を護るなどと言っているけど、本当に危険になれば逃げ出すのだろう?お前は、何処にでも行けるのだから」 「…俺は何処にも行きゃしねえぜ」 オラクルは、冷たく笑った。 「私が死ねば、お前が代わりに成らなければならない__お前が恐れ、嫌悪しているのはその事だろう?」 「俺が恐れているのは__」 オラトリオの、声が震えた。 「恐れるのは、お前を失う事。ただ、それだけだ…」 「外に出られない事を…?」 コードの言葉に、オラトリオは頷いた。二人は、コードの「家」にいた。 「決定的ですよ…」 呟くように言って、オラトリオは両手で顔を覆った。 「こんなになるまで、気づかなかったなんて…」 「詳しく話せ」 短く、コードは言った。 オラトリオの話すのを、コードはじっと腕組みしたまま聞いていた。侵入を謀ったクラッカーが、ステルス型ウイルスを放った日の事。それ以来、オラクルがひどく感情的になるように変わった事…。 「それで、どうする積もりだ」 オラトリオの話が終ると、コードは言った。 「管理機構に、あいつの徹底的なチェックを依頼します。コードインスペクションも含めて」 人間側の<ORACLE>管理機構には、<ORACLE>が稼動を始めた時のバックアップソースがある。それと、現在の<ORACLE>のソースプログラムを突き合わせてチェックするのだ。 それは、言うほど単純な事ではない。オラクルは人工知能を搭載したプログラムであり、彼を構成するモジュールは、最適化の為に自らを書き換えている。それが、A・Iの"成長"なのだ。だから、オリジナルプログラムとの差異は、必ずしも異常を意味しない。 けれども、巧妙に仕組まれたウイルスを見つけ出すには、他に方法が無いのだ。 「勿論、先にあいつの許可を得なければなりませんがね」 虚ろな笑いを浮かべ、オラトリオは言った。コードは暫く黙っていた。が、やがて口を開いた。 「何故…俺様にそれを話す?」 オラトリオは相手を見、それから、視線を逸らした。 「俺が…ひよっ子だからですよ…」 オラトリオの話すのを、オラクルは身動きもせずに聞いていた。 「お前は、私が狂っていると思っているんだな?」 オラトリオの話が終ると、静かにオラクルは言った。 「そうじゃ無え。俺は__」 「だったら何の為の検査だ?それもコードインスペクションまでするなんて」 「…俺のせいだ」 やっとの思いで、オラトリオは言った。 「この前、クラッカーの侵入があった時、ステルス型ウイルスがばら撒かれた。俺がそれに気づいたのは時間がたってからだった。だから、気づかねえ内にウイルスが<ORACLE>に入り込んだ可能性がある」 あの日、オラクルは侵入者が"去った"後でも怯えていた。ウイルスの捕捉は出来なかったものの、何らかの異常に気づいていたのだろう。意識はしていなかっただろうが。 もっと早く、気づくべきだった__オラトリオは、自らを呪った。オラクルらしからぬ感情的な振る舞い、噛み合わない会話__全てが、明らかに異常を示していたのだ。それなのに彼は、オラクルとの「愛」に、現をぬかしていた。 「全て俺のせいだ。俺が不甲斐ないせいで__赦してくれ、オラクル…」 「…それで?」 むしろ静かに、オラクルは言った。 「私がウイルスに感染していると判ったらどうするんだ。私を灼くのか?」 「お前は必ず助ける…!」 叫ぶように、オラトリオは言った。 「必ず助けてみせる。俺自身の、生命を賭けてでも」 「厭だ…!」 不意に逃れる様に席を立ったオラクルを、オラトリオは抱きしめた。自分の身体にウイルスが巣食っているかも知れないという恐怖に、頬は蒼ざめ、身体が震えている。酷く、感情が不安定だ。情動に係わるモジュールがウイルスにやられているのは間違いない。 「聞いてくれ、オラクル。お前自身のソースコードは、<ORACLE>にある筈だな?」 宥めるように相手の背を撫でながら、オラトリオは言った。 「コードインスペクションは俺がやる。人間には知らせねえ。そして、俺がワクチンを造る」 「…厭だ…怖い…」 「大丈夫だ、オラクル。俺を信じてくれ。大丈夫だから…」 オラクルの震える身体をしっかりと抱きしめ、優しく、オラトリオは繰り返した。 暫くして落ち着くと、オラクルはオラトリオの申し出に同意した。ウイルスを自分の中に抱えたままでいる事に耐えられなかったのだ。 躊躇う事無く、オラトリオは感情を司るモジュールのチェックから始めた。オラトリオのする事を、オラクルはじっとモニターしていた。きちんと椅子に座り、膝の上に手を重ねて。 「……!」 思わず、オラトリオは呻きそうになった。オラクルの思考と感情を制御しているモジュールが、ウイルスに喰い荒らされ、めちゃくちゃに書き換えられている。これでは、思考調整機能が、正常に作動する筈が無い。 注意深く、オラトリオは他のモジュールもチェックした。オリジナルと同一かどうかのチェックは機械的なものだが、それが異常か否かを見極めるのは、細心の注意を必要とする。ウイルスがオラクルのプログラムを荒らしてしまっている為、その検出も困難だ。 長い時間をかけ、オラトリオは漸く全てのチェックを終えた。被害を受けたのは思考と感情の制御モジュールだけだった。今のところは。 「…酷いな」 深く溜息を吐いて、オラクルは言った。感情制御モジュールのダメージは大きすぎる。ワクチンプログラムでウイルスを駆除するだけでは元には戻せない。 「今ならまだ、被害は広がっていねえ。関連するモジュール群を、バックアップからリストア(復元)すれば__」 「厭だよ、私は」 オラクルの言葉に、オラトリオは相手を見た。長時間にわたるインスぺクション(監査)で、彼は酷く疲れていた。 「被害を受けたのは感情制御モジュールだけだろう?仕事に影響は無いよ」 「だが…あれはお前を護る為にある機能だ」 現にオラクルは、外に出られない事で苛立ちを見せた。このまま放置すれば、状況は悪化するだろう。 「感情を制御されたらお前を愛せなくなる…そんなのは厭だ」 まっすぐに相手を見つめ、オラクルは言った。ローブを握りしめる指が震えている。オラトリオはオラクルに歩み寄り、抱き寄せた。 「オラクル…」 「私は、お前を愛していたいんだ。制御されてしまったら、守護者を大切に思う事は出来ても、お前を愛する事はできなくなってしまう…」 ――あの世間知らずの箱入りが、特別な意味での愛情なぞ、理解しているものか オラトリオは、コードの言葉を思い出した。何故、断言できるのかという問いにコードは答えなかったが、思考調整の事を考えていたのだろう。 「…このまま放っておく訳にはいかねえよ。もし被害が他のモジュールに広がっちまったら__」 「お前は平気なのか?私がお前の事を、<ORACLE>の中の一つの機能としか見做せなくなってしまっても?」 鉛を呑まされたように、オラトリオは感じた。<ORACLE>の管理プログラムに取っては、オラトリオにお茶を勧め、労うのも、効率よいアクセスの為に書庫を整理しておくのと同じ様なものなのかも知れない。 目的はただ、システムの効率よい運営と、維持に他ならない。 「お前を愛していたい…。私の想いを殺すような事はしないでくれ」 「__駄目だ」 身を切られるような思いをしながら、オラトリオは言った。オラクルの肩が震える。 「このまま放置するなんぞ、危険すぎる。俺への愛の為に、お前を死なせるなんて出来ない」 「死んだ方が増しだよ、お前を愛せなくなる位なら…!」 言わないでくれ、それ以上__オラトリオは、強くオラクルを抱きしめた。 「俺は…お前を危険に晒すより、お前に憎まれる方を選ぶぜ。何があっても…俺は絶対にお前を護る」 オラクルは、暫く黙ったままでいた。やがて、オラトリオの腕を振り解いた。 「…それがお前の義務だからな、<ORACLE>の守護者殿?お前は…私の気持ちより、自分の仕事を優先させるんだ」 「__赦してくれ…」 低く、オラトリオは言った。オラクルは、哀しげに微笑んだ。そして、眼を伏せる。 「判ったよ…」 でもそれは、とオラクルは続けた。 「明日でも良いだろう?せめて、今夜だけは…」 オラトリオは、もう一度、オラクルを抱きしめた。 next/back |