余りに、唐突だった。急すぎる。
「…オラクル…?」
聞き違いか、意味を取り違えているのだと、オラトリオは思った。突然、オラクルから好きだと言われたのは、僅かに2日前の事だ。その上、ディープキスをされて驚くくらいの世間知らずだ。
「お前のボディは本部にあるんだろう?だったら、泊って行っても大丈夫じゃないのか」
「…そうだ…な」
プライヴェートエリアは、元々オラトリオを休ませる為にオラクルが用意したのだ。かつて、オラクルは"眠る"時でも、椅子に座ったままだった。オラトリオはオラクルにも、休む時にはベッドを使うように勧めた。負荷を和らげるという目的には、特に意味を為さないのは判っていたが。
 二人とも、休むべき時間になっていた。実際には、オラクルはオラトリオほど頻繁に休む必要は無い。というより、休む訳には行かない。だがその仕事の性質上、オラクルのパーソナルが"眠って"いても、仕事は滞り無く続けられるのだ。
 二人は、プライヴェートルームに入った。部屋には、大きなベッドと椅子の他には何も無い。そして、ベッドはひとつだ。
 オラトリオはとりあえずコートを脱いで、椅子の背に掛けた。オラクルはベッドの端に腰を下ろして、オラトリオを見上げた。
 白い頬が幽かに上気し、不安と期待の混ざったような色合いが、瞳に映る。オラトリオは、オラクルの隣に腰を下ろした。オラクルが、身を凭せかけて来る。
「愛してる…ぜ」
オラトリオは、内心の動揺を何とか抑えた。そしてオラクルを抱き寄せ、その耳元で、囁くように言った。

 翌日の午後、オラトリオはアトランダム研究所本部にいた。特長のある羽音に振り向き、メタルバードを腕に止まらせた。
「聞いておく事がある」
「何すか、師匠」
予想は出来たが、敢えて、オラトリオは聞いた。
「オラクルに、不埒な真似などしてはいまいな」
前夜の出来事が、オラトリオの脳裏に蘇った。
「してませんよ。『不埒な真似』なんてのはね」
言って、オラトリオは笑った。それから、すぐに真剣な表情になる。
「その事で、師匠にお話があります」

 オラトリオの話を、コードは黙って聞いていた。話が終わっても、黙ったままだ。
「…師匠?聞いてるんすか?」
「この、大たわけ!」
眼を閉じ、まるで眠っているかのようにじっとしていたメタルバードが、不意に攻撃に転じた。オラトリオは危ういところで蹴爪をかわす。
「な…に、するんすか師匠!」
「天誅だ。守護者の立場を濫用して世間知らずを誑かしおって」
「違いますよ、師匠。人の話、ちゃんと聞いてないでしょ」
改めてオラトリオは、告白したのはオラクルの方だと説明した。コードは、鼻で笑った。
「それこそ身勝手な曲解も良いところだ。あの世間知らずの箱入りが、特別な意味での愛情なぞ、理解しているものか」
「何で断言できるんです?」
聞いたオラトリオに、コードは何か言いいたげに嘴を動かしたが、結局、何も言わなかった。
「…俺はオラクルを傷つけたく無いんですよ」
暫くの後、オラトリオは言った。
「あいつはああいう性格だから、師匠にしろ誰にしろ、周りの者にとやかく言われたら、自分が悪いんじゃないかと思って悩むでしょう。ほんのちょっとした言葉でも、あいつは傷ついてしまう」
「オラクルはそれ程ヤワでは無い。問題は、貴様がひよっ子だという事だ」
コードの言葉に、オラトリオは反論しなかった。コード相手に、抗うだけ無駄なのは判っている。
「何にしろ、慎重に行動するのだな」
それだけ言い残すと、メタルバードは飛び立った。

 日の暮れたころ、オラトリオは<ORACLE>に降りた。1日の仕事を終えて、「家」に帰る気分だった。これまで以上に、<ORACLE>を自分の帰るべき所だと感じられる。
「たでーま、オラクル」
「お帰__」
口づけで言葉を奪われ、オラクルは驚いて身体を固くした。
「…オラクル?」
「驚くじゃないか、いきなり…。それより、こんな時間に何か用なのか?」
オラクルの態度も言葉も、オラトリオには全く予想外だった。
「用って…。泊めて貰おうと思って来たんだがな」
オラトリオの言葉に、オラクルは耳まで赤らめて俯いた。その姿が愛おしくて、オラトリオは相手の髪に、指を絡めた。
「迷惑か?俺が泊っていったら」
「迷惑じゃないけど…昨夜みたいな事は…」
歯切れの悪い口調で、オラクルは言った。オラトリオは意外に思うと共に、幾分か不安になった。
「厭…だったのか?」
オラクルが厭がる事をする積りなど、オラトリオには全く無かった。昨夜、泊っていけと引き留められた時も、オラクルの望まない事をしようとは思わなかった。だから、臆病なほど慎重に行動したのだ。幾らオラクルが箱入りでも、何が起きているのか途中で気づかなかった筈は無い。それに、恥ずかしそうにはしていても、厭がっている様子など、微塵も無かった。
 コードの言葉が、オラトリオの脳裏に蘇る。
「俺は…お前の気持ちを誤解しているのか?」
「私はただ、お前に側にいて欲しくて…まさかあんな事になるなんて…」
「厭だったんなら、はっきりそう言ってくれて良かったんだぜ?」
割り切れない思いを抱きながら、出来るだけ優しく、オラトリオは言った。
「…厭だとかじゃ無いんだ。ただ、余り急だったから…」
「__判った。俺がせっかち過ぎたんだ。悪かったな」
オラトリオが言うと、オラクルは安堵したように、微笑んだ。

 お茶が用意され、二人は暫く他愛も無いお喋りに興じた。どちらかと言えばオラトリオが話し、オラクルが聞くという形だ。「外」に出ることの無いオラクルの生活はそう、変化のあるものでは無いので当然だが。
「今日…師匠に俺達の事、話しといたぜ」
会話が途切れた時、そう、オラトリオは言った。
「私達の事って?どうして?」
「どうしてって…お前から話してくれって言ったんじゃねえか」
驚いて、オラトリオは聞き返した。さっきから、意外な事ばかりだ。
「私が?私が言ったのは、そんな意味じゃ無いぞ」
「じゃあ…どういう意味だったんだ」
「あんな時に突然、コードに入って来られて恥ずかしくて…セキュリティはお前の担当だろう」
そう言われては、オラトリオには反論できない。だが、会話の噛み合わない不愉快さは消えない。
「…悪かったぜ。だが言っちまったものは取り消せねえし、どっちにしろそのうちバレるぜ?」
開き直ったようなオラトリオの言葉に、オラクルは恨めしそうに相手を見た。
「言っとくけど、昨夜あったような事まで話した訳じゃねえぞ」
少しでもオラクルの気持ちを和らげようと、オラトリオは言った。尤も、恋人同士なのだと話したのだから、後は言わなくても推測できる。ただ、オラクルはそこまで考えないだろうとオラトリオは思ったのだ。
「馬鹿」
短く、オラクルは言った。

 やがて、シンガポール現地時間で夜になった。<ORACLE>は世界各国にユーザーを持つシステムなので24時間稼動している。それでも、一応、シンガポール時間での夜を、オラクルは休憩時間に当てていた。
「ベッドはお前が使えよ。俺はソファで良いぜ」
泊らずに帰るのは余りによそよそしい気がしたし、かと言って同じベッドを使って何もせずにいられる自信も無かったので、そう、オラトリオは言った。
「どうしてそんな事、言うんだ?」
オラクルの言葉に、オラトリオは相手を見つめた。どう反応して良いのか判らない。
「私は厭だなんて一言も言ってないじゃないか。どうして私の気持ちを判ってくれないんだ?」
拗ねたように言って、オラクルはオラトリオに身を凭せ掛けた。オラトリオは幾分か意外に思いながら、オラクルの髪を優しく撫でた。
「何か…お前って、猫みてえだな」
「ネコ?哺乳類食肉目のFelis Catus(フェリス・カートゥス)?」
「まあ、そんなところだ」
顎の下を軽く撫でると、オラクルは軽く眼を細めて、身を摺り寄せてきた。機嫌の良い時のネコそっくりだ。気まぐれで、こちらの思い通りにならないところも。
「どうして、私が猫みたいなんだ?」
「ただ何となくだ。深い意味はないぜ」
適当に誤魔化し、オラトリオはオラクルの頬や首筋に、口づけを繰り返した。そして、耳元で囁く。
「じゃあ…一緒のベッドで良いんだな?」
「良いよ…そうして欲しい」
オラトリオは、オラクルを抱き上げた。


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