翌日、オラトリオは幾分か緊張して、<ORACLE>を訪れた。
「お帰り、オラトリオ」
何事も無かったかのように、優しくオラクルが言う。それで、オラトリオの緊張は幾分、和らいだ。それでも、どうしてもいつもと勝手が違う。
「これ」
ぶっきらぼうに言って、花束のCGを差し出した。真紅の薔薇。花言葉は言うまでも無い。
「奇麗だな…。ありがとう、オラトリオ」
嬉しそうに言うと、オラクルは早速、花瓶のCGを構築し、薔薇を活けた。
「ところで、今日は暇なのか?」
「え?__あ…あ。まあ、特別にする事もねえが」
「じゃあ、手伝ってくれ」
言って、オラクルはカウンターの上で軽く手を翻した。本の形をしたデータが現れる。
「それを整理しておいてくれないか?私は、書庫の方でやる事があるから」
「あ…あ」
気圧されるように、オラトリオは言った。

 データを処理しながら、オラトリオは前の日の事を思い起こしていた。
――私はただ、お前が好きだから__
オラクルから、そんな事を言われるとは思っていなかった。思っていなかっただけに嬉しく、どこか気恥ずかしい。
 オラクルに好きだと言われ、どれほど自分がオラクルを想っていたかに、オラトリオは改めて気づいた。自分の仕事に誇りが持てるのも、危険や困難が苦にならないのも、オラクルを想う気持ちがあってこそだ。単なる相棒では不満だと言う訳では無いが、それ以上の関係になれるなら、尚更、嬉しい。
 思わず鼻歌なぞ唄いながら、オラトリオはデータの処理を続けた。

 仕事が一段落、着くと、オラクルが紅茶をいれた。
「昨日の話…なんだけどな」
紅茶を一口、啜ってから、オラトリオは言った。昨日は予想もしていなかった事に慌ててしまって、オラクルの気持ちに応えられなかった。今日こそは、きちんとしたい。
「昨日の話って?」
オラトリオの予想__と言うより、期待__に反して、オラクルはきょとんとした表情で聞き返した。
「いやだから、その…お前が俺の事を…」
「お前の事を?何か言ったっけ」
オラクルの言葉に、オラトリオは口を噤んだ。照れ隠しなのか拗ねているのかからかっているのか__それでも、昨日のオラクルの言葉に嘘は無い筈だ。オラクルがあんな風に感情的になるのを見たのは初めてだった。
「オラクル。俺もお前が好きだ」
ティーカップをテーブルに置き、まっすぐに相手を見つめて、オラトリオは言った。オラトリオの真剣な眼差しに、オラクルは少し、驚いたように、何度か瞬いた。
「…オラトリオ?」
「お前が俺を好きだって言ってくれて、嬉しかったぜ。俺もお前が好きだから」
言って、オラトリオはオラクルの手を引き寄せ、相手を見つめたまま指先に軽く口づけた。オラクルの頬が、幽かに赤く染まる。
「…確かに、お前の事は好きだよ。私の守護者だし…」
「俺はそれ以上の意味で言ってるんだ」
オラトリオの言葉に、オラクルは困惑するような表情を浮かべた後、軽く微笑した。
「…それ以上の意味で?」
「ああ__愛している」
もう一度、オラトリオはオラクルの指に口づけた。
「お前を護るのは、俺にとって誇りなだけで無く、歓びだ。お前の為に造られた事を、感謝している」
「嬉しいよ、オラトリオ…」
今度は躊躇う事無く、オラクルは微笑んだ。
「私も…多分、お前を愛しているから」
「多分?」
軽く眉を上げ、オラトリオは聞き返した。オラクルは、幽かに小首を傾げる。
「だって…私にはまだよく判らないんだ。お前の事は誰よりも好きだし、特別に大切だと思う。でもお前は私の守護者だから、お前を大切に思うのは当然だし…」
「もしも守護者で無かったら…?」
冷たい物に触れたかのように、オラトリオは感じた。オラクルはもう一度、困惑したような表情を見せたが、それはすぐに優しい微笑みに変わった。
「お前は私の守護者だし、私はお前以外の守護者なんか考えられない。だから…愛しているよ」
きっと、そうなんだと思う__その言葉に、如何にもオラクルらしい説明の仕方だと、オラトリオは思った。席を立ち、テーブルを回ってオラクルの隣に腰を降ろす。そして、オラクルを抱き寄せた。
「じきに、『多分』でも『きっと』でもなくなるようにしてやるぜ」
笑って言うと、オラトリオはオラクルに、軽く触れるだけのキスをした。

 次の日も、オラトリオは花束のCGを用意して<ORACLE>に降りた。今日は、白い花をメインにしたアレンジメント。花言葉はともかく、オラクルには白い花のほうが似合う気がしたからだ。
「ありがとう、オラトリオ」
差し出された花束に、オラクルは嬉しそうに言って、微笑んだ。それから、何かを期待するように、オラトリオを見つめた。幾分か、上目遣いに。
「仕事、手伝うぜ。今から18時間、オフなんだ」
「…オラトリオ」
言って、カウンターのほうに歩み寄ろうとしたオラトリオを、オラクルは呼び止めた。
「キスしてくれないのか?」
「__は?」
思わず間の抜けた声を出してしまったオラトリオを、オラクルは恨めしそうに軽く睨んだ。踵を返し、離れようとするオラクルの腕を、オラトリオは軽く掴んで引き寄せた。
 昨日は2度目のキスもさせなかったくせに__言いかけた言葉を呑み込んで、オラトリオは笑顔を見せた。拗ねたオラクルも可愛いが、怒らせてしまうと宥めるのに苦労する。
「そんじゃあ…改めて『ただいまのキス』」
抱き寄せると、オラクルはほんの少しだけ抗ってから、大人しく目を閉じた。オラトリオの口づけを受け入れ、それからくすりと笑った。
「キスって、いちいち呼び方があるのか?」
「まあ…な。そういう場合もある」
いかにも世間知らずな問いに、オラトリオの口元が綻んだ。オラクルは愉しげに微笑み、花束を手に持ったまま、オラトリオの首に腕を回した。間近に、見つめあう。
「だったら私から…『お帰りのキス』」
軽く触れただけで離れようとしたオラクルを、オラトリオはしっかりと抱きしめた。そして、口づけを繰り返す。
「ん…!」
唇を開かせ、舌を入れると、オラクルは流石に驚いたようだった。手から、花束が落ちる。それでもオラトリオから離れ様とはせず、オラトリオの為すに任せた。

「…何だか、妙な気分だな」
長い接吻が終わると、幽かに頬を赤らめて、オラクルが言った。
「悪くねえだろ?」
「…うん。悪くない」
オラクルは尚も何か言おうとしたが、不意にオラトリオから離れた。その理由は、オラトリオにもすぐに判った。
「邪魔するぞ」
アクセス許可を得る手続きを勝手に省略して、コードが姿を現した。そして、微妙な距離を置いて立っている二人と、オラトリオの足元に落ちている花束を瞥見する。
「また勝手に入ってきて…」
オラクルは言ったが、歯切れが悪い。コードは、改めて二人を見遣った。どちらも、まともにコードを視線を合わせようとしない。
「お前達、何をしていた」
「コードには関係無いじゃないか」
オラトリオが適当にごまかそうと口を開く前に、オラクルが言った。
「何をも何も、俺もたった今、帰ってきたばっかりなんすよ。で、師匠は何の御用で?」
 少し、感情的になっているオラクルにこれ以上、喋らすまいと、オラトリオは二人の間に割って入った。コードは意味ありげな視線をオラトリオに投げつけたが、それ以上の詮索はしなかった。

 お茶を飲みに寄っただけのコードを適当にあしらって__あしらわれたという見方も出来るが__何とか、オラトリオは不意の来客を帰らせた。が、オラクルはご機嫌斜めだった。その後は、殆ど会話も無く、仕事に終始した。
 その日の仕事が片付いてしまうと、オラクルはお茶をいれた。ずっと、口を噤んだままだ。
「…なあ。機嫌直せよ」
たまりかねてオラトリオが言うと、オラクルは恨めしそうにオラトリオを見遣った。
「カシオペア博士のホストを踏み台にされちゃ、勝手に入るのを防ぐったって__」
「そういう事じゃないよ」
相手の言葉を遮って、オラクルは言った。オラトリオは、オラクルが続けるのを待った。
「…私達が恋人同士になるのって、いけない事なのか?」
オラトリオは、オラクルの手に、そっと自分の手を重ねた。
「そんな事、無いぜ」
「だったら__お前からコードに、はっきり言ってくれれば良かったのに」
オラクルの言葉に、オラトリオは軽く笑った。
「何が可笑しいんだ?」
「可笑しいんじゃ無え。嬉しいんだ。お前の気持ちが…な」
オラトリオは席を立ち、テーブルを回ってオラクルの隣に腰をおろした。そして、優しく抱き寄せた。
「師匠やエモーションにはどうせ判っちまうだろうし、疚しい事なんぞ何もねえんだ。あのひと達には、俺からちゃんと話すぜ」
まるで、結婚の報告をしに、相手の家族を訪ねるみたいだと、オラトリオは思った。尤も、そこまで親密な仲ではないが__今は、未だ。
「ただ人間に知られるのはな…。少なくとも、ユーザーに通知するような事じゃねえぜ?」
「ひどいな。いくら私が世間知らずだからって、そんな事、する筈ないだろう」
「怒るな、冗談だ__前半は、冗談って訳にゃ、いかねえが」
オラトリオの真剣な表情に、オラクルは頷いた。そして、オラトリオに身を凭せ掛ける。
「プライヴェートエリアであれば、人間にアクセスされる事も無いよ。私達の他に、誰も入っては来れない」
「そうだ…な」
オラクルの真意を測りかね、オラトリオは言った。オラクルは暫く黙っていたが、やがて、言った。
「…泊っていかないか?」


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