Apocalypse



「まさか…」
驚愕の表情で、低くセフィロスは呟いた。
それが、正宗に貫かれながら自分が反撃したからでは無く、セフィロスが見ているのがただ自分の瞳だけである事に、クラウドは気付いていなかった。
「ぐ…ぅ……ッ」
腹の傷を抉られ、立っていられなくなってクラウドは崩れるようにその場に膝を付いた。
そして、もう殆ど動く力が残っていないのを、セフィロスも感じていた。
この身体はもう、棄てなくてはならない__新たな力を、得る為に。
「クラウド……とか言ったな」
瞬きもせず、相手を見据えたままセフィロスは言った。
「俺を追って来い。お前が俺の……で、あるならば…」
言って、セフィロスはジェノバの首と共に、魔晄炉に身を投じた。



(1)




「セフィロス、何か飲む?」
エレオノーレの問いに、セフィロスは黙って首を横に振った。
セフィロスは無表情でその態度も無愛想だったが、エレオノーレは優しく微笑んだ。
「ウータイに着くまでまだ大分あるから、何か欲しかったら言ってね」
黙ったまま、セフィロスはただ頷く。
その日、セフィロスはウータイ遠征任務を命じられ、護衛のタークス__副主任のクロフォードとエレオノーレ__と、神羅軍の1個中隊と共にウータイに向かっていた。
ウータイ遠征はこれまでに何度も経験しているが、その殆どはタークスと少数のソルジャーを伴うだけで、神羅軍と行動を共にするのは稀だ。
それは事前に作戦など立てずにその場の状況判断で行動するセフィロスの戦い方が団体戦にそぐわないのと、新しく台頭した勢力であるソルジャーに対して、神羅軍の上層部が警戒とある種の嫌悪感を抱いている為だ。
今回、セフィロスが神羅軍、それも1個中隊という大人数と共に行動するのは、敵に『青龍』がいる為だ。

『青龍』と呼ばれるのは、ウータイの山岳地帯に住む少数民族、カタール人の武力におけるリーダーだ。
カタールは以前から独立を主張し、ウータイの独裁政権との間にたびたび戦いを繰り広げてきた。
ウータイ独裁政権のカタールに対する弾圧は熾烈を極めたが、それでもカタール人たちが戦い続けられたのは、ひとえに『青龍』の力に拠っていると言われている。
本名や出自は不明。
判っているのはただ、青竜刀を武器としている事__それ故、『青龍』の渾名がある__人並みはずれて強い、という事だけだ。
そしてその実力は、神羅の英雄、セフィロスすら凌ぐと噂される。
3年目に入った神羅との戦いを終わらせる為、ウータイの独裁政権はカタールに大幅な自治権を約束した__セフィロスの首と引き換えに。
そしてそのカタールとの取引を、堂々と公示したのだ。
即ち、神羅への挑発である。

ウータイに叩きつけられた挑戦状に、宝条は難色を示した。
確かにセフィロスは人並みはずれた戦闘能力を有してはいるが、まだ子供なのだ。
ミッドガルを遥かに離れたウータイに赴き、戦うだけでもどんな不測の事態が発生するか判らない。
ましてや、敵は長年に亘ってウータイ軍を翻弄し続けたつわものだ。
もしセフィロスの身に万が一の事があれば、取り返しがつかない。
だがその一方で、宝条は『青龍』に興味を惹かれてもいた。
セフィロスを凌ぐとすら噂されるのは、一体、どんな人間なのか__

遠征が決まったのは、ウータイの挑発を黙って見過ごせないプレジデントの意地と、『青龍』に対する宝条の興味が一致した結果だった。
無論、プレジデントも宝条もセフィロスを危険に晒す意図は無く、それゆえ、護衛のタークスだけでなく、神羅軍の1個中隊を同行させた。
『青龍』の手勢は30名程度と言われるが、対峙する神羅軍はその4倍規模だ。

「失礼。ちょっと…話しても構わないか?」
セフィロスに歩み寄り、話し掛けたのは神羅軍の大尉だ。今回、神羅の中隊を指揮している。
セフィロスはその類稀な美貌と年頃に合わぬ実力、それに神羅カンパニーの巧みな宣伝もあって、初陣から僅か3年後のこの時既に、英雄としてミッドガルは勿論、地方でも知らぬ者のいない存在となっていた。
だが正確な年齢や出自など、一切のプロフィールが非公開な為、セフィロスのプライベートに興味を持つ者は少なくない。
それで任務の時に他のソルジャーや神羅軍の将校たちが、こうして話し掛けて来る事が珍しくない。
セフィロスに護衛として随行しているタークスは、そういった好奇の目からセフィロスを護るのも仕事のうちだ。

「作戦の打ち合わせなら、出発前に済んでいる筈だが?」
セフィロスが口を開く前に、クロフォードは言った。
大尉はクロフォードを瞥見し、改めてセフィロスに話しかける。
「作戦の話ではなく、どちらかと言うとプライベートな話なんだが__構わないか?」
「大切な作戦の前だ。謹んで頂きたい」
セフィロスがプライベートな事を訊かれるのを嫌がるのが判っているので、クロフォードは言った。
大尉は軽く肩を竦める。
「…では勝利の後に出直そう__俺はただ、自分がセフィロスと同じ境遇だと伝えたかっただけなんだが」
「…同じ境遇…?」

それまで黙っていたセフィロスが、口を開く。
セフィロスがプライベートな事を訊かれるのを嫌がるのは、訊いたものが皆、一様に驚き、奇異なものでも見るようにセフィロスを見るからだ。
同じ境遇だなどという者に会うのは、初めてだ。

大尉は「そうだ」と笑い、セフィロスの隣に腰を降ろす。
「兵たちの噂で聞いたんだが、君は両親がいないそうだな」
大尉の言葉を聞いた瞬間、神羅軍の輸送用ヘリに間借りでは無く、別のヘリを用意すべきだったとクロフォードは思った。
プライベートの中でも、家族の話をされるのは、セフィロスが最も嫌う事だ。
「俺も同じなんだ。だから、君の事はとても誇りに思う」
「……言っている意味が判らない」
幽かに眉を顰め、セフィロスは言った。
大尉は笑い、気さくな態度で話を続ける。
「俺はスラムの施設育ちだから、当然、仕官学校なんかには行けなかった。俺たちみたいな人間は、軍に入っても大概は軍曹どまりだ。そう思って皆、努力する事を諦めてしまっている。どうせ出世できないなら、味方の影に隠れてこそこそ生き延びた方が得策だ…とな」

資料で読んだ大尉の略歴を、クロフォードは思い出していた。
非常に勇敢で有能な兵士として先の戦争で数々の武勲を挙げ、士官学校を出ていない叩き上げであるにも関わらず、大尉にまで昇進している。
神羅は新兵募集の広告では功績に対する公平な評価を謳っているが、実際には旧時代の国軍のしがらみが色濃く残る神羅軍において、士官学校卒でなければ、将校になるのは非常に困難だ。
叩き上げなので兵たちからは信頼され、慕われているようだが、士官学校卒のエリート将校たちからは煙たがられる存在だ。
今回、カタール人相手の戦いで彼が指揮官に任命されたのは、一方では実力を見込んでの事だろうが、その裏ではあわよくば邪魔者を始末しようというエリート達の思惑が隠れているように、クロフォードには思えた。
だがそんな事は、セフィロスには無関係だ。

「俺はそんな兄弟たちに希望を与えてやりたかったんだ。卑屈になるのを止め、胸を張って生きろとな。だから死に物狂いで戦って、大尉にまでなった。叩き上げでは大尉が限界だって言われてるが、カタールとの戦いで勝てば、俺は少佐の座を約束されている」
「それが、セフィロスとどう関係すると?」
クロフォードの言葉に、大尉はただ黙ってクロフォードを瞥見した。
口を挟まれる事は不快に思っているだろうが、表情には表さない。
そして、クロフォードには答えずに話を続ける。
「弟たちは俺を誇りに思ってはくれてるが、俺を目指そうとはしたがらない。俺が、こんな姿だからな」

言って、大尉は自分の顔を指し示した。
左頬に、気の弱い者なら正視できない程の傷跡がある。
耳は千切れ、殆ど残っていない。
それに左目は義眼だ。
軍服に隠された場所にはもっと酷い傷痕があるのだろうと、容易に想像できた。

「俺の傷に眉を顰める兄弟たちも、君には憧れているんだ、セフィロス」
だから、と、大尉は続けた。
「この戦いにはどうしても勝ちたい。俺と、君とで。その事で、兄弟たちに誇りと勇気を与えてやりたいんだ」
「……お前には、兄弟がいるのか?」
セフィロスの問いに、大尉は笑った。
「『兄弟』っていうのは同じ施設で育った子供たちの事だ。どこのホームでもそういう呼び方をするものだと思っていたが…君の育った所では違ったのか?」
「ホーム…?」
鸚鵡返しに、セフィロスは訊いた。
「つまり、施設の事だ。君の所じゃそうは呼ばなかったのか?」
「俺が育ったのは、研究所だ」
セフィロスの言葉に、大尉の表情が変わる。
「…研究所って__」
「もう、充分だろう」
言って、クロフォードは大尉の言葉を遮った。
唖然とした表情で、大尉はセフィロスを見つめる。
セフィロスは眉を顰め、そして視線を逸らした。

「…両親がいないのは、私も同じよ」
クロフォードに促されて大尉が立ち去ると、それまでずっと黙って大尉とセフィロスのやり取りを聞いていたエレオノーレが言った。
「私はスラム育ちだから。スラムでは、片親や両親がいない子供なんて、珍しくもなかったわ」
「…両親がいない子供が珍しくなくても、研究所で育てられた子供は珍しいのか?」
苛立たしげに、セフィロスは言った。
エレオノーレは、ただ眉を曇らせる。
「君は…特別なんだ」
静かに、クロフォードは言った。
セフィロスは口を噤み、そのままウータイに着くまで、ひと言も口を利かなかった。



早朝にミッドガルをヘリで出発し、先遣隊が確保しているウータイ内の陣地に着いたのは、夜も大分更けた頃だった。
途中で眠ってしまったセフィロスを、クロフォードがテントまで運ぶ。
「まだ本当に子供なのね……」
ベッドに横たえられたセフィロスのブーツを脱がしてやり、毛布を調えてから、エレオノーレは言った。
まるで母親が子供に対するような態度だと、クロフォードは思った。
セフィロスに対してだけでなく、子供というものに対してエレオノーレが同情的なのは、以前からクロフォードにも判っていた。
そしてそれは神羅カンパニーの最も薄暗い部分に接し、非情な任務をこなさなければならないタークスに取っては、決して好ましいとは言えない資質だ。
だが、今回の任務にエレオノーレが指名されたのは、その資質の故なのだろうと、クロフォードは思った。

何度か任務に同行して判ったが、ウータイ遠征では、セフィロスは時々、精神的に不安定になる。
取り乱したりはしないが、ふさぎこんだり、不機嫌になりやすくなるのだ。
そしてそれは、前線に送り込まれて殺戮を強いられる兵士には珍しくも無い症状だ。
ただセフィロスが他の兵士と異なるのは、殺されるかもしれないという恐怖を持ち合わせてないいらしい事だ。
だが今回は敵に相当の手練れがいる事、そして100名を越す神羅兵が同行している事もあって、セフィロスはいつも以上に神経質になっているようだ。

或いは、神経質になっているのは自分自身であって、セフィロスではないかも知れないがと、クロフォードは思った。
今回の敵は、いつもとは異なる。
どんな不測の事態が生じるか、判らない。
『だから、もしも』__2人の男の言葉が、クロフォードの脳裏に蘇った。
矛盾する、二つの言葉。
どちらに従っても、自分は厳罰に処せられる事になるのだろう。
或いはその事が、幽かな苛立ちの原因になっているのかも知れない。
いずれにしろ、今度の戦いではセフィロスを精神的にサポートしてやれる人間が必要だ。
そしてその役割に、エレオノーレは適任だと言える。

改めて、クロフォードはセフィロスの寝顔を見つめた。
透けるように白い肌は滑らかで陶器を思わせ、整った顔立ちと長い睫毛のせいもあって精巧に作られた人形のようだ。
3年前の初陣の時、まだ声変わりしていなかった事を思うと、今、せいぜい12、3くらいなのだろう。
数々の武勲を挙げ、国中の賞賛と期待を一身に集めたソルジャー。
その戦闘能力の高さは、何度も任務に同行したクロフォードが、おそらく誰よりも良く知っている。
だがその無防備な寝顔は、意外なほど、幼く見える。
そしてそのセフィロスの寝顔を静かに見守るエレオノーレは、本物の母親のようだ。
------相応しくない
そう、クロフォードは思った。
血と硝煙の匂いが立ち込める戦場には、そぐわない光景だ。
そしてその不似合いさが、奇妙な不安を掻き立てる。
作り物であるかのように、美しい外見をした子供。
徹底的に戦闘訓練を仕込まれた、黒衣の女。
その名を聞いただけで敵を震え上がらせる、最強のソルジャー。
慈愛と幸福に満ち溢れた母親のような、穏やかな眼差し__
全てが、矛盾している。
そしてその矛盾はクロフォードの心中で不協和音となり、黒い不安へと変わる。
「明日は、決戦だ」
いわれの無い不安を打ち消そうとするように、クロフォードは呟いた。






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