![]() あなたの手で創り出された私は <ORACLE>の広いメインホールを、沈黙が支配した。白磁のカップから湯気が立ち上り、ベルガモットの甘い薫が鼻孔を擽る。 それでも、張り詰めた空気は和らがなかった。 「…そう、クォータが言ったのか?」 鸚鵡返しに、オラクルが聞いた。シグナルが頷く。 「僕には理解できないよ__そういう考え方」 大掛かりな修理の後、シグナルは目覚しい回復を遂げたが、それでもシリウスの再定着などの為に何度か調整を受けなければならなかった。今はボディの調整中で、プログラムは<ORACLE>に預けられている。 お茶を飲んでオラクル達と雑談していたシグナルが急に黙り込み、どうしたのかと空間統御者に問われ、クオータの最期の言葉を口にしたのだった。 「奴は狂ってたんだ。理解できなくて当たりめぇだな」 素っ気無い口調でオラトリオが言った。オラクルは黙ったまま、隣に座る相棒の横顔に視線を走らせる。 「理解は出来ないんだけどさ、何て言うか__」 両手で頬杖を付き、シグナルは続けた。 「そう、言った時のクォータが、何か凄く幸せそうに見えて…」 「まともで無い奴の『幸せ』なんざ、そんなもんだろう」 言って、ティーカップを傾けた長兄を、シグナルは不満そうに見遣った。 「だけどさ、『幸せは人それぞれ』って言うじゃないか」 「だからクォータの幸せをお前が気にする事ぁねえだろ」 シグナルが何かを言いかけた時、オラトリオが席を立った。 「2、3個所、書類を届けなけりゃならねえ所があるから行ってくるわ。夕方までには戻る」 オラクルに言い置いて、オラトリオは<ORACLE>を出て行った。 「ゲームだって、言ってたんだそうだよ」 夕刻、オラトリオが<ORACLE>に戻り、調整の済んだシグナルが入れ違いに<ORACLE>を出て行くと、オラクルは言った。 「A−NUMBERSを殲滅するのも、私のデータを盗んだのも、全てはDr.の為のゲームで、Dr.を楽しませるのがクォータの目的だったって」 「__ふざけやがって」 吐き棄てる様に、オラトリオは言った。その口調に、オラクルが幽かに眉を顰めた。オラトリオはすぐにそれに気付き、笑顔を見せた。 「データも無事、取り戻せたし騒動の種は無くなった。これでもう__」 「それなのに、お前は何を苛立っている?」 穏やかな口調で、オラクルは相手の言葉を遮った。オラトリオは意外そうに眉を上げた。 「俺は何も__」 「苛立ち…怯えている」 オラクルは、オラトリオの頬に軽く触れた。そのひんやりした感触が、オラトリオを鎮めると同時にかきたてた。 あなたの手で創り出された私は あなたの手で無に帰したい 実際にその言葉を聞いたかの様に、クォータの声が耳の奥で木霊する。オラトリオはオラクルの手を取り、その白い指先に軽く口づけた。 あなたの手で創り出された私は オ前ノ為ニ造ラレタ俺ハ あなたの手で無に帰したいオ前ノ為ニ死ニタイ 望ムラクハ、最愛ノ者ノ腕ニ抱カレテ 「…オラトリオ…?」 黙り込んだ相手を、オラクルは心配そうに見つめた。 私ガ死ンダラ、オ前…ドウスル? 最も愛する者を喪う事に、彼は耐えられなかったのだろう。ならば、そのオリジナルである自分は…? 「__オラトリオ…!」 不意に強く抱きしめられ、オラクルは軽い抗議の声を上げた。 「…ぬな」 「__え…?」 俺より先に死ぬな。俺より先に逝かないでくれ__内心の叫びに、オラトリオは苦笑した。それが__<ORACLE>を護り、停止を防ぐのが__正しく彼の役割なのだから。 オラクルが停止した時に、代わりを勤めるのも役割の一つ。だが… 唯ひとりの愛する者を喪う事に耐えられなかったロボット。その脆弱さを、笑う事は出来ない。 「お前は俺が護る。何があろうと必ず」 判っている。何をどう足掻いても、防ぎ得ない事はあるのだ、と。そうであるならば… 例えば、データバンクから切り離す事。<ORACLE>でないオラクル。そんなプログラムに、人間は価値を認めまい。そうなれば、侵入者に狙われる事もなくなる。 例えば、全てを敵に回す事。与えられた役割を歪ませ、生き方を変える。己の望む死に様の為だけに。そして__ 喪う事が防ぎ得ないのならば、その時は共に… 「信じているよ、オラトリオ」 躊躇いも無い答えは思考調整の結果か或いは__ 「お前はオラトリオだ。クォータじゃ無い」 「…オラクル?」 間近に、オラクルは相手を見つめた。 「お前はデータを盗まないし、<ORACLE>(わたし)に危害を加えない。お前はオリジナルだし、<ORACLE>(わたし)の守護者はお前だけだ」 一語一語、言い聞かせるかのようにゆっくりと、オラクルは言った。穏やかなダルトーンの瞳に、時折、幽かなノイズの煌きが走る。 赦されなどしないのだ。与えられた役割に背く事など。それを、歪める事も。他ならぬオラクルが__この空間の統御者が__それを許すまい。 「クォータとお前の何よりの違いは」 そう、オラクルは続けた。 お前が私に愛されているという事 たっぷり数秒の間を置いて笑いだしたオラトリオを、オラクルは不満そうに睨んだ。 「真面目に言っているんだぞ、私は」 「俺だって真面目に聞いてるぜ」 それでも、触れ合うほど近くで見つめられ、こんな言葉を聞かされたら、照れ隠しもしたくなるというものだ。 「…Dr.クエーサーは誰も愛せなかったんだろうな__自分自身も含めて」 真剣な表情で、オラトリオは言った。遊戯(ゲーム)という形でしか生を感じる事も出来なかった。そんな唯ひとりの為に造られたロボットには、他の末期は有り得なかったのかも知れない。 「それでも…クォータは幸せだったんだろうな」 オラトリオの腕の中で、呟くようにオラクルは言った。 「自分をただの道具としか見做さない相手の為に死んだのに…か?」 「データを渡さなければ自爆すると言った時のクォータには、何の迷いも無かった。クォータは、自分の信じるものの為に死んだんだよ」 その時の事を思い出したのか、オラクルの指先が幽かに震えた。 「勿論、だからと言って許せる訳じゃ無いし、理解も出来ないけれど」 改めて、オラトリオはオラクルを抱きしめた。 「俺はお前を護る為に造られた。これからもずっと、お前を護り続けるぜ」 「信じているよ。私の、唯ひとりの守護者(ガーディアン)」 いつか訪れる最期の時には、お前の為に死のう。だがその時までは、お前を護り続けると誓う__想いを言葉にする代わりに、オラトリオは最愛の片翼に口づけた。
あなたの手で創り出された私は
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