水
「大丈夫かい?」
目を閉じ、目頭を押さえたイタチに、カブトは訊いた。
大蛇丸の精神が復活し、イタチと鬼鮫は傷を負わされた。
カブトが麻酔薬を塗った千本でサスケの身体を貫き、サスケも大蛇丸も、今は深い眠りの底にいる。
そしてサスケの身体に傷つける事無く大蛇丸の精神のみを破壊しサスケを救う方法を、イタチとカブトは模索していた。
大蛇丸が集めた膨大な数の禁術の書。
それを二人で手分けして調べているが、サスケを救えるような方法は、まだみつかっていない。
「後は僕が調べておくから、君はもう、休んだ方が良いよ」
時刻が深夜近い事を思い、カブトは言った。
イタチは大蛇丸に深い手傷を負わされたばかりで、何よりまだ視力の回復が充分では無い。
「時間が無い…。いつまでも昏睡状態が続けば、サスケの身体が持たない」
それは心配しなくても大丈夫だと言いかけて、カブトは口を噤んだ。
点滴で持たせてはいるが、確かにこの状態が続くのはサスケの身体に負担を強いる事になる。
だが眠りから覚醒してしまったら、大蛇丸とサスケ、どちらがサスケの身体を支配する事になるのか予想も出来ない。
そして大蛇丸の精神が復活したなら、イタチや鬼鮫は勿論、自分も殺される事になるのだと、カブトには判っていた。
イタチはサスケを助けることに拘っている。
だが大蛇丸の復活を未然に防ぐには、サスケの身体ごと滅ぼしてしまうのが、何より確実な方法だ。
前にも言ったけど、と、前置きして、カブトは口を開いた。
「君が大蛇丸の代わりにこの里の長となる事、もう一度、考えてみてくれないか?」
イタチはカブトの方を見もせず、首を横に振った。
「言った筈だ。俺には以前のような力は無い。買い被るな」
「何の術も使えないほどに身体が弱っている時でさえ、君は僕を圧倒した__かつて大蛇丸が、僕を屈服させた時の様に」
研究所でイタチと会ったばかりの頃を思い出しながら、カブトは言った。
イタチは巻物から視線を逸らさない。
内心の苛立ちを抑え、カブトは続けた。
「君は認めたくないだろうけど、サスケ君はまだほんの子供で、不安定で感情的だ。大蛇丸に成り済ましてこの里を治め続けるのは、かなり無理がある」
イタチが幽かに眉を顰めるのを見ながら、カブトは続けた。
「君は娘を護りたいんだろう?サスケ君を救う事に拘っていては、娘を助けられないかも知れない。それでも良いのか?」
「何が言いたい」
カブトを見、幾分か苛立たしげに、イタチは言った。
「前も言った通りだ。君がこの音の里の長になってくれるなら、僕は協力を惜しまない。そうすれば、君の娘も__」
「サスケを見殺しにしろと、まだそれを言う気か?」
「大蛇丸を斃すのに、それ以上に確実な方法があるかい?」
イタチは視線を逸らし、内心で溜息を吐いた。
確かにサスケの肉体を殺してしまえば、それで大蛇丸の精神も共に滅びる。
カブトの誘いに乗って音の里の長となれば、娘の伊織を育てるのに不足はないだろう。
「それでも俺は、サスケを見殺しにする気は無い」
「判っているよ。でも君達は、血の繋がった実の兄弟だ」
ぴくりと、イタチの指先が震える。
「君が兄としてサスケ君を助けたいのなら、僕は幾らでも協力する」
だけど、と言って、カブトは口を噤んだ。
そして、まっすぐにイタチを見つめる。
「君を傷つけたくないから今まで言わなかったけど、実の兄弟のあいだの恋なんて、うまく行くとは思えない。そんなもの、思春期の一時的な熱病みたいなものだ。たとえ君の気持ちが変わることが無くても、サスケ君は……」
カブトの言葉に、イタチは幽かに唇を噛んだ。
言われるまでもなく、実の兄弟の間で恋心を抱くなど、正しいことだとは思っていない。
それ故に思い悩み、結果としてサスケを追い込んでしまった。
サスケとの関係は、やはり絶つべきなのかも知れない。
「君が僕の事を軽蔑しているのも知っているよ。あんな取引を持ちかけたんだから当然だ。それに僕は、自分が卑劣な男なのだと自覚もしている」
だけど、と、カブトは続けた。
「好き好んでこんな人間になった訳じゃない。こうでもしなければ、生きてこれなかったんだ」
赤子の頃に里抜けする両親に置き去りにされ、まだ子供の頃に草として木の葉に送り込まれた。
それからは砂の間諜として、大蛇丸の手駒として、サソリに操られる『部下』として、常に周囲を欺き続けて生きて来た。
そんな生き方を自分で選んだ訳ではない。
ただ、他に方法が無かった。
これからもこんな生き方を続けたい訳では無い。
そして主人である大蛇丸に刃向かったのは、転機なのかも知れない。
「君が僕を信じてくれるなら……僕は変われると思う」
イタチの手に軽く触れ、カブトは言った。
「今までは大蛇丸の歓心を買うために、どんな残酷な真似も卑劣な行いも辞さなかった。そうでもしなければ、僕も他の単なる捨て駒と同じに扱われるからだ」
イタチはカブトの手を振り払おうとした。が、カブトは離さなかった。
「君の為ならば、僕は変わる__君が、それを望むなら」
「……そう簡単に、人間は変われない」
「だから僕には君が必要なんだ。清めの水が罪を祓うように、君の信頼は、僕を変えてくれる……」
イタチは暫く口を噤んでいた。
それから、カブトを見る。
「…俺の手は、血に染まっている。お前の望みなど、俺には叶えられない」
「僕たちは忍だ。無垢な人間になれるなんて思ってない。ただそれでも__」
「今の俺の望みは」と、イタチはカブトの言葉を遮った。
「サスケを救うこと__それだけだ」
カブトは暫く口を噤んでいた。
それから、イタチから手を放す。
眼鏡の位置を軽く直し、改めてイタチに向き直った。
「本当にもう、君は休んだ方が良いよ。あとは僕が調べておく」
幽かに眉を顰めたイタチに、カブトは笑った。
「わざと手抜きなんかしないよ。音の里の興亡は、僕にとっての死活問題でもある。それに何より、大蛇丸が復活したら、僕は間違いなく殺されるしね」
だから、と、カブトは続けた。
「サスケ君を助ける__今の僕には、それしか選択肢が無いんだよ」
イタチはすぐには何も言わなかった。
やがて視線を逸らし、席を立つ。
「サスケの容態に何か変化があったら知らせてくれ」
それだけ言うと、イタチは踵を返し、部屋を後にした。
「__ずるいね、君は……」
閉ざされた扉を見遣りながら、カブトは独り言のように、呟いた。
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