人気の殆ど無い駅のベンチで、寄り添うようにして座っている二人の姿を見た時、自分が不機嫌になったのを、オラトリオははっきりと感じた。
何年も思い悩んだ末に想いを打ち明け、やっと結ばれてから三ヶ月の恋人と、その恋人に密かに懸想する男__そんな二人が一緒にいる姿を見て、楽しかろう筈も無い。
が、オラトリオの不機嫌は長くは続かなかった。クォータに何事か囁かれ、こちらを見たオラクルが、うっとりするような微笑を浮かべたから。
「良かった、来てくれて」
「オラク__」
覚束ない足取りで改札を通り抜けたオラクルは__クォータが手を貸そうとしたが、オラクルはそれに気付いていないらしかった__躊躇いも無くオラトリオの首に腕を回した。
いつもなら考えられないオラクルの行動に、オラトリオは言葉を失った。
「一人じゃ歩けなくて……」
耳元で呟いた恋人の背を軽く支え、オラトリオは編集者を見遣った。
苦く笑い、クォータは眼鏡の位置を正した。
「それでは、後はお願いしますよ?」
その日、オラクルはクライアントをもてなす為の食事会に狩り出されていた。無論、担当編集であるクォータも一緒だ。オラトリオはたまにオラクルと組んで仕事をする事もあるが、その日の主賓はオラトリオの得意先という訳では無く、彼にはお呼びが掛からなかった。
あんまり呑み過ぎるなよ?
クォータの密かな下心を心配したオラトリオは何度もそう、オラクルに注意し、オラクルはその度に大丈夫だと答えていた。
が、結果はこれだ。
オラクルが飲み過ぎて動けないので迎えに来て欲しい__その電話を、オラトリオはクォータから受けたのだった。
「…ったく、しょーがねーな。ほれ。おぶってやるからしっかりつかまれ」
夜遅い時間とは言え終電にはまだ間があり、駅の近くには僅かながら人通りがある。その人目を気にして、オラトリオは敢えてそっけなく言った。
従兄弟でもある恋人の痩せた身体を背負いながら、こんな事ならば車で来るべきだったと、オラトリオは思った。クォータからの電話でオラクルがどんな状態か大体の想像はついたが、駅からオラクルの部屋までは歩いて10分程度しかかからない。駅まで来ているなら、わざわざ車を使うまでも無いと思ったのだ。
駅から離れ、住宅街に入ると途端に人気が無くなった。
街灯も充分とは言えず、周囲は闇と静寂に包まれている。
「……大丈夫か?」
背中の重みと温もりを心地良く感じながら、オラトリオは優しく問うた。
けれども、オラクルは答えない。
「…オラクル…?」
「……気持ち悪い……」
「ば…!ちょっと待て」
オラトリオは慌てて近くの公園__と言っても歩道沿いのスペースに幾つかの遊具が設えられている程度のものだが__に駆け込んだ。そして、ベンチの上にオラクルを降ろす。
くすくすと、オラクルは笑った。
「大丈夫だってば。余り食べなかったから__そういう事を、心配しているなら」
オラトリオが隣に腰を下ろすと、オラクルは躊躇いも無く寄り添い、相手の肩に頭を乗せた。同時に、オラトリオの指に自らのそれを絡める。
幽かに頬が赤らむのを、オラトリオは覚えた。
二人の関係は、周囲には隠している。無論、家族にも。だから人目のある所では、互いに触れる事もない。
二人きりでいる時にも、オラクルは消極的だった。何事にもおっとりしているオラクルの性格を考えれば、それは不満に思うべきではないのだろう。
けれども、オラトリオは時に不安にならざるを得なかった。
世間的に認められない、周囲に隠さなければならない関係__
それを、オラクルは本当に受け入れているのだろうか?
もしかしたら、内心、後悔しているのではないだろうか?
そして……いつまで、こんな関係が続けられるのだろう……?
「すきっ腹で飲んだりしたら悪酔いするだろうが」
内心の動揺を隠し、オラトリオは言った。
頬に触れるオラクルの髪のしなやかさがこそばゆい。
「だから飲む前にちゃんと牛乳を飲んでおいたよ……柿も食べとけば良かったかな……」
「__柿?」
「悪酔いと二日酔いの防止になるんだって」
言うと、オラクルは空いている方の手で、オラトリオの頬に触れた。
間近に、見つめる。
「……好き……?」
「…柿は甘いだろ。どっちかって言うと__」
「誰が柿の話なんかしてる」
お前だろ__言いかけた言葉を、オラトリオは飲み込んだ。
「私の事、好き…?」
間近に見つめられ、予想もしていなかった言葉で甘く囁かれ、オラトリオは身体が熱くなるのを覚えた。
確かに時刻は夜中に近く、人通りは殆ど無い。が、誰かに見られている可能性はある。それが、オラトリオを躊躇わせた。
「……ああ……。好きだぜ、勿論」
照れ隠しにぶっきらぼうな口調で言ってしまってから、オラトリオは後悔した__オラクルの優しいヘーゼルブラウンの瞳に、傷ついた色が浮かぶのを見たから。
「…愛してるぜ?」
相手の髪をそっと撫で、詫びるように優しく言う。オラクルはオラトリオの首に腕を絡め、触れそうなほど、間近に見つめた。
「私は本当にお前が好きだよ……どうしようも無いくらいに……苦しくなる程に……」
オラクルは腕に力を込め、オラトリオを引き寄せた。
「お前を愛している……誰よりも、何よりも。この世の全てを犠牲にしても構わない……」
僅かな距離すらもどかしいとばかりに、オラクルはオラトリオに身を摺り寄せた。
「お前から好きだって言われた時…もう、死んでも良いって思った……」
「俺もすげえ嬉しかったぜ?……夢じゃないかって何度も思った…」
崩れるようにして縋り付いてきた恋人の身体を、オラトリオはしっかりと抱きしめた。
服を通して感じられる温もり。
癖の無い髪のしなやかさ。
透けるように白い膚の柔らかさ……
その全てが、オラトリオの心を和ませ、気持ちを高揚させた。
五感の全てで、オラトリオは幸福を感じていた__。
「……オラクル?」
暫くの後、オラトリオは相手に呼びかけた。
人通りは滅多に無いが、それでも時折、足音を聞く。それが、彼を落着かなくさせた。
「こんな所にいつまでも座ってねえでとっとと帰ろうぜ?」
言って、オラトリオは再び従兄弟を背負った。
オラトリオがグラスに水を注いで戻ると、オラクルはベッドにうつ伏せたまま熟睡していた。
「__ったく……」
苦笑し、グラスをベッドサイドテーブルの上に置く。
皺にならないように服を脱がせ、羽根布団で包んだ。
「こんだけ人をその気にさせといて、これか?」
言って、白い頬を軽く突つく。
オラクルは既に深い眠りの中にあるらしく、何の反応も示さない。
私は本当にお前が好きだよ……どうしようも無いくらいに……苦しくなる程に……
オラクルの言葉と、幽かに潤み、金色の光を帯びていた瞳を思い出す。
「俺もお前が好きだぜ…?言葉では、言い尽くせない程に」
オラクルの癖の無い髪に指を絡め、オラトリオは囁いた。
そのしなやかな感触と、耳の奥に残る甘い言葉に、背筋が震える。
お前を愛している……誰よりも、何よりも。この世の全てを犠牲にしても構わない……
切ないほどに甘い言葉。
最愛の者からこれ程までに愛されているのだという、目眩がするほどの幸福。
クォータと一緒にいるオラクルの姿に嫉妬を感じた事など遠い過去のようだ。
「愛してる…ぜ?」
今までも、これからも。
誰よりも、何よりも。
オラトリオはオラクルの傍らに身を横たえ、灯かりを消した。
そして、愛しい恋人を抱きしめる。
愛している……
言葉の代わりに優しく口づけ、程なくオラトリオは幸福な眠りに陥ちた。
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コメント
一周年&20,000ヒット感謝特別企画でリクエストされた谷崎潤一子さんに捧げる小説です。
「幸せなおにーさん。
オラクルに好かれすぎて、いやー困っちゃったなーとか言いつつも
嬉しそうなオラトリオ」
酔っ払いクルさんです。ええ、酒を飲んで(飲み過ぎて)思い付いたネタです;;
多分ですね、クルさんは翌朝には全ての記憶を奇麗さっぱり何処かに投げ捨てて「どうしてお前がここにいるんだ?」とかのたまっちゃったりするんでせう。
それでも幸せなんですよね、トリオの奴は(笑)
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