(6)



「オラクル…オラクル…」
クォータの呼びかけに、オラクルはうっすらと目を開けた。意識を失っていたのは、ほんの一瞬だ。
「……クォータ……オラトリオ……?」
驚いたように、オラクルは二人を見つめた。
「思い出したんだ…な」
オラトリオの言葉に、オラクルは小さく頷いた。オラトリオは手を差し出した。
が、オラクルが縋ったのはクォータだった。
オラクルは間近にクォータを見つめた。そして、優しく微笑んで言った。

私の守護者…

オラトリオは、すぐには何も言えなかった。
自分の目と耳が信じられなかった。
「ど…ういう事だ。この野郎が守護者だなんて__」
オラクルは、改めてオラトリオを見た。その表情の冷たさが、オラトリオから言葉を奪う。
「驚くのも無理はありませんね。あなたは、あの後の事を何も覚えてはいないのですから」
勝ち誇ったように、クォータは言った。オラクルをしっかりと抱きしめ、冷静さを取り戻している。
「あなたのせいでオラクルが停止してしまった為、人間はバックアップから統御プログラムを造り直したのですよ。そして、使い物にならなくなってしまったあなたの代わりに、コピーの私を<ORACLE>の守護者に任命した…」

オラトリオは、喰い入るような眼差しでオラクルを見つめた。
たおやかな姿も優しい微笑みも以前のまま。
だが、それは彼が知っているオラクルでは無いのだ。
バックアップからの復元(リストア)__同じ顔、同じ名前であっても、全く別の人格(パーソナル)。以前の記憶も引き継いではいない。オラトリオとは直接、会った事も無く、”裏切り者”としてその名を知っているのみ……

「ずっと前から気付いてたのか?」
オラトリオの存在など無視するように、クォータに身を寄り添わせてオラクルは聞いた。
「10年前、あなたに初めて会った時に思い出しましたよ」
「だったら…もっと早く、話してくれてれば良かったのに」
半ば拗ねるように、半ば甘えるように、オラクルは言った。クォータは、オラクルの髪を優しく撫でた。
「あなたを困らせたく無かったのですよ。何より、あなたの気持ちを尊重したかったですし」
正直に言えば、自信が無かったのだ。
それがどちらのオラクルの生まれ変わりであるのか、クォータにも判らなかったから。
けれども、それをオラクルに言う積もりなど無かった__そんな必要も無い。
「ずっと一緒にいようって約束しただろう?私の気持ちは変わらないよ」
うっとりするほど奇麗に微笑んで、オラクルは言った。




行く宛ても目的も無く、オラトリオは夜の街をさ迷い歩いた。傘も無く、ずぶ濡れだった。
だが、そんな事はどうでも良い。
全てが…もうどうでも良い。

でも…もう、待てないんだよ

人間の前世での、オラクルの言葉を思い出す。
あれが、最後のチャンスだったのだ。

気の遠くなるほど長い時間(とき)を待ったのに、お前は思い出してくれない…

生まれ変わり、新しい生を受ける度に、オラクルはオラトリオを待っていたのだ。オラトリオが前世(かこ)を思い出し、オラクルを苦しめている疑惑に答えるのを。
オラトリオがリンクを切り、キラー・プログラムに侵入された時も、オラクルは待っていたのだろう。心から信頼する守護者が、助けに来てくれるのを。祈るような気持ちで、必死でオラトリオの名を呼び続けて。
閉ざされた空間の中でのみ存在できるオラクルには、守護者を信じて待つ他には何の術も無かったのだ。
だから、待ち続けた__報われる事も無く。

私は…お前の重荷だったから…

その想いが、オラクルに自身の存在を否定させたのだ。
そして、オラクルは消滅した__完全に。
「__クル……」
声にならない声が、オラトリオの唇から漏れた。息苦しく吐き気がする。それを無視するように歩き続ける。
もう二度と、オラクルには会えない。
罪を贖う機会は、決して来ない。
失意の中で逝った愛しいひとを幸せにする事など、永遠に出来ない__








3ヶ月後。

「大人しく寝ていましたか?」
仕事の合間に、クォータは今は一緒に暮らしている恋人に電話した。2日前から、オラクルは風邪で寝込んでいた。
『ん…ちょっと喉が渇いたから今、お茶をいれてたけど。でも飲んだらすぐにベッドに戻るよ』
甘えるようにオラクルが言うのを聞いて、クォータはこそばゆさを感じた。いつもはそんな事は無いのだが、病気の時は心細いせいか、オラクルは躊躇いも無く甘えてくる。
それがとても愛おしい。
「何か食べたい物があったら買って帰りますよ?」
『…まだあまり食べたくは無いんだ』
「でしたら果物でも買っておきますよ。出来るだけ早く帰りますから」
電話を切ると、同僚の一人が血相を変えて駆け寄ってきた。
「クォータ、聞いたか?ライターのオラトリオが死んだって」
「__そうですか」
表情も変えずに、クォータは言った。
「そうですかって、お前、担当だろ」
「最近は仕事は出していませんでしたよ。締切りも守れないほど、生活が乱れていた様でしたから」
「…そうかもな。急性アルコール中毒か何からしい。発見された時は死後、何日か経ってて腐乱が始まってたとか…」
同僚が言うのを、クォータは眉ひとつ動かさずに聞いた。
別に、興味はない。
無論、オラクルに話す積もりも無い。
それでも、最愛の者を喪った自分の”オリジナル”の脆弱さに、うすら寒い何かを感じずにはいられない。かつて、Dr.を喪った時の己を思い出す。
自分を修復し、調整を施した人間たちに感謝すべきなのかも知れないと、クォータは思った。
あのまま廃棄処分になっていたら、今のこの幸福は得られなかったのだから。



お茶を飲み終え、オラクルはベッドに戻った。
クォータの優しい言葉が、耳に残る。
前世から、クォータの優しさ、細やかな心遣いは変わっていない。どうしてこんなに良くしてくれるのか不思議に思う位だ。
最期まで一緒にいられたのだから思い残す事は何もないと思っていたが、こうして人間に生まれ変わり、もう一度クォータと恋人同士になれたなんて、本当に幸せだと思う。
ベッドサイドテーブルの上の、二人で撮った写真を手に取る。写真の中のクォータに軽く触れ、元の場所に戻した。
「愛しているよ、私の守護者」
そっと呟き、オラクルは目を閉じた。
オラトリオの事は、思い出しもしなかった。






back

この話を読んでの感想などありましたら、こちらへどうぞ