『ご利用、ありがとうございました』 穏やかな微笑と共に一礼して、オラクルは言った。 その時、眼鏡の奥の目が光った。 それが、T・Aと<ORACLE>を混乱のどん底に突き落とす、悲劇の幕開けだった。 |
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「ちょっと待ってくれ、オラクル」 正信の呼びかけに、オラクルは閉じようとしていた回線をそのまま保持した。そして、きょとんとした表情で、相手の言葉を待つ。 「首筋のそれ、どうしたんだい?」 『え?__ああ…これはオラトリオがつけたんです』 ローブの襟元を少し、広げて、躊躇いも無くオラクルは言った。オラクルの雪の様に白い首筋には、かなり目立つものから判りにくいものまで、幾つもの痕がつけられている。 正信は(わざとらしく)溜め息を吐いた。 「オラトリオも困ったものだね。そんな目立つ場所に痕を残すなんて」 一般ユーザーに見られたら問題だろう? そう言われて、オラクルは困惑気に眉を顰めた。実際にはユーザー対応はインターフェースプログラム任せなので、オラクル本人がディスプレイに姿を見せる事など殆ど無いのだが。 『私もそう言って、止めたんですけど…』 「制止命令に従わなかったんだな?それは<ORACLE>の守護者として、問題ある態度だと思うよ」 正信は眼鏡の位置を直し、椅子に深く座りなおした。 「良い機会だ。オラトリオに関して困っている事があったら何でも言いなさい。問題によっては僕から父さんかみのるさんに話をして、改善させるようにするから」 問題によってはって、そもそもアンタ、何を考えとんねん__そんなツッコミを世間知らずのオラクルが入れる筈も無い。妙に真面目くさった正信の態度に引きずられてか、真剣に考えをめぐらせる。 『…そうですね、休憩時間以外に色々されると、困ります』 「色々とは?」 『抱きしめたり、キスしたり、身体を触ったり…』 オラクルは、軽く溜め息を吐いた。 『これ以上はやらないって、いつも言うんですけど。でもいつも、それだけでは終らないんです』 「それも休憩時間外に?」 正信の言葉に、オラクルは素直に頷いた。 『どうしてそんな事するのか聞くと、私を愛してるからだと言うんですけど。音井教授もみのるさんにああいう事、しているんですか?』 いきなり逆襲され、正信はむせそうになったのを何とか誤魔化す。 「…仕事中にはしないよ。それが節度ってものだろう」
節度が聞いたら泣くぞ。 「それは…要するに、甘えだね」 ちょっとくらりとするものを感じながらもぴしゃりと正信が極め付けると、オラクルは更に困ったように眉を曇らせた。 『オラトリオはいつも私を護ってくれて、外では監査の仕事で忙しくて疲れているだろうから、少しでも休ませてあげたいんです。だからオラトリオの為なら、私に出来ることは何でもしてあげたいんですけど…』 正信の脳裏には、研究所の女性職員たちと楽しそうにお茶してるオラトリオの姿が過ぎった。が、ここでそれを暴露するのは幾ら何でもオラクルが可哀相だ。 って言うより、オラトリオ脅しのネタに取っておこう 人としてあるまじき内心を隠して、正信は質問を続けた。 「でも、それで君の仕事に差し障りが出るようでは困るだろう」 『<ORACLE>(わたし)の仕事に支障を来たすような事はありません』 きっぱりと、オラクルは言った。何しろオラクルの本体は1024(推定)ものプロセッサ・ユニットを搭載したスーパーコンピュータ。並行処理は得意中の得意だ。 ただ、と、オラクルは続けた。 『仕事中やプライヴェート・エリア以外でそういう事されると困るし、一晩に何度もあると疲れますけど』 「それはいけないねえ」 いよいよ核心に迫ったという期待をひた隠し、学術的態度(?)で、正信は言った。 「オラトリオに辛い思いをさせられてるなら、遠慮無く言って良いんだよ?」 『そんな事はありません。オラトリオはいつも優しくしてくれますから』 「でも…疲れるとか?」 正信はしつこく喰い下がった。オラクルは口元に指をあてて、おっとりと考える。 『私が辛くないように色々してくれるんですけど。でも、それで却って疲れますね』 「色々と言うと?」 判りきっている事を、敢えて正信は聞いた。視界の隅に過ぎる薄紅色と、特長のある羽音を何気に意識しながら。 『だから、その…入れる前に指でならすとか』 さすがに恥ずかしげに俯いて、それでもはっきりとオラクルは言った。こんな事、聞いてくる相手がいないだけに、何をどう、説明して良いやら判らないのだ。 「まさかオラトリオは、君に痛い思いをさせてるんじゃ無いだろうね」 父親のような心境になって(本当か?)、正信は聞いた。オラクルは即座に首を横に振る。 『そんな事はありません。確かに初めの内は、なかなか上手く行かなかったけど__』 「赦せん!」 突然の怒号に、オラクルは驚いてぱちくりと瞬いた。正信も声のした方を見る。 「やあ、コード。いつからそこにいるんだい?」 正信の白々しい言葉も、頭に血の上っているコードの耳には入らなかった。血相を変えて(変えられるのか?)部屋から飛び出ていったコードを、オラクルは呆然と、正信は手を振って見送った。 「…ふう」 コードが出て行った後、20分ほどオラクルと会話してから、正信は回線を切った。 「他人(ひと)の惚気を聞かされるってのは疲れるよね」
自分から聞き出しておいて何を言う。 手伝ってくれるヒト__人間(ひと)で無くても__は多い方が良いからねー 満足そうに正信は独りごちた。要するに無償(ただ)で仕事を手伝わせる為の恐喝ネタ収集だったのだ。 「あ、パルス?手があいてたらちょっと僕のラボに来てくれないか」 次なる犠牲者に、呼び出しの電話をかける正信だった。 その夜、<ORACLE>では監査から戻ってきたオラトリオが、オラクルと共に過ごしていた。ソファに腰を降ろし、自分の脚の間にオラクルを座らせて。雑色の髪のしなやかさを心地よく感じながら、時々、オラクルの頬にキスする。 「…くすぐったいってば」 オラトリオの唇が首筋からうなじ、鎖骨の辺りに這うのを感じて、オラクルは僅かに肩を竦めた。オラトリオは軽く笑い、キスを繰り返す。 「……ねえ、オラトリオ……」 「何だ?」 判っていて、敢えて問う。オラクルは少し焦れったそうに身じろいだ。 「早く続きを…」 「そう、焦んなよ。夜は長いぜ?」 「だけど……」 甘えるように言われ、オラトリオは背筋がぞくりとするのを覚えた。そして、指を滑らせる。 「違う…。そこじゃ、入らないってば」 「大丈夫だって。もうちょっと__」 「そんなに無理に入れたら壊れるだろう?」 言って、オラクルはオラトリオに手を添え、導く。 抵抗も無く、収まるべきものが、収まるべき所に収まると、オラクルは小さく満足げな声を漏らした。 「…貴様ら何をやっとる」 地を這うような声とともに、冷ややかな殺気と、同じく冷たい細雪の感触を、オラトリオは首筋に感じた。 「コード。また勝手に入って来て」 そう言ったオラクルは、ローブを脱いだ黒衣だけの姿だ。オラトリオもコートを脱ぎ、襟元を緩めている。 そうして寛いだ姿の二人の前にはシグゾー・パズル。オラトリオが監査で行った街の風景を元に作ったもので、完成品は額に入れてプライヴェート・ルームに飾る予定だ。 「何をって、ご覧の通りですが?」 昼間の経緯(いきさつ)を知らないオラトリオが不思議そうに聞き返した。が、既に勢いのついているコードは止まらなかった。その日、オラトリオを探し回ってT・A中を飛び回り、今になって<ORACLE>に来たのだ。 「黙れこの不埒者!貴様の罪状は既に明白だ。成敗してくれるからそこに直れ!」 「コード。私の空間で暴れるなって、いつも__」 「大体、お前がそんなふしだらな格好でケダモノを煽るのが悪い!」 ブラコン・コードの矛先はオラクルにまで向かった。 黒衣がオラクルの肌の白さを際立たせ、うなじも鎖骨も丸出し、身体の線も丸判りの艶姿に、コードは冷静さを失っていた。 「師匠、一体__あにするんすか!」 いきなり斬りかかって来たコードを、オラトリオは器用にオラクルを抱きかかえて避けた。オラクルは驚いてオラトリオにしがみつく。 ぶちっ その姿に、僅かに残っていたコードの理性の緒は、完璧にぶち切れた。 「だから、師匠、あぶな__」 「問答無用!逃げるな、痴れ者!」 「逃げなかったら斬られるでしょ!」 「大人しく細雪の塵になれ!」 オラクルを横抱きにしたまま逃げるオラトリオを、細雪を振り回したコードが追う。オラトリオがオラクルから離れればコードも少しは落ち着いたのだろうが、そんな事をオラトリオが知る由も無く。 追いかけっこは1時間ほどで収束したのだが、そもそもの原因を追求するオラトリオに、コードは正信とオラクルのやり取りを話した。復讐を企てるオラトリオと、それを予測して迎え撃つ正信の争いは、T・A全体を巻き込む熾烈な全面戦争に発展した。 但しこの事実は最高機密とされ、一般には知られていない。 そら、知らん方がえぇわ…。 Fin. コメント(って言うか、照れ隠し;)特別企画キリの1412を踏まれたゆきえさんに捧げるリク小説です。思い切って、思い切った壁紙を使ってみました(照) 「『新○さんいらっしゃい』O2 Ver.を、思いっっ切りコメ風味で」 真面目に惚気るクルって、ある意味、怖いですね〜。多分、惚気てる自覚は無いのでせう。 「何であんな事、喋ったんだよ!」「だって本当の事じゃないか」とか。 因みにジグゾー・パズル以外にどんな『色々』な事があるのか、作者は知りません(笑) |