「うわ〜、オラトリオ、すごーい」
以前から欲しがっていたゲームを手に入れ、オラクルは歓声をあげて、オラトリオのシャツにしがみついた。
「対戦型にするか?」
「ううん。最初はオラトリオがやって見せて」
言って、オラクルはオラトリオの膝に座った。
癖の無い柔らかなヘーゼルブラウンの髪が、オラトリオの頬を軽く擽る。
そのしなやかさは、オラトリオに『彼女』を思い出させた。



オラクルを、お願い……

それが、彼女の最後の言葉だった。
連絡を受け、オラトリオが病院に駆けつけた時には、全てが手遅れだった。
5年前に逝った夫の後を追うように、彼女は短い一生を終えた。

幸か不幸か、オラクルには身寄りがなかった。
だから母親を喪った5歳の少年をオラトリオが引き取る事に、反対する者はいなかった。
それでも、初めの内は大変だった。
オラトリオはオラクルの母親と以前から付き合っていて、オラクルもオラトリオに懐いていた。
けれども突然の事故で母親を喪ったショックのせいか、オラクルはろくに食事を摂らなかったり、しょっちゅう熱を出して寝込んだりした。
そんな時、オラトリオはいつもオラクルの側にいた。
フリーライターという職業は、こんな時にはとても好都合だ。普段どおりに仕事をこなしながら、ずっとオラクルの側についていてやる事ができるから。
眼を覚ませば、いつも側にオラトリオがいる__その事に安堵したせいか、オラクルが体調を崩したり寝込んだりする事も、徐々に減っていった。



「お前も、やるか?」
「うん!」
途中でコントローラを渡すと、オラクルはすぐにゲームに夢中になった。
オラトリオは膝の上ではしゃぐオラクルの身体を軽く支えてやる。
もう一度、オラクルの髪が、オラトリオの頬をしなやかに擽った。

オラクルは母親似だ。
ヘーゼル・ブラウンの髪と瞳も、透けるように白い肌も、ほっそりした姿も。
おっとりした喋り方も、無垢な寝顔も、愛らしい笑顔も。



このままずっと、彼女の思い出を背負って生きる積りか?

オラトリオがオラクルを引き取ることを決めた時、姉のラヴェンダーはそう聞いた。
オラクルの母親は亡くなった夫が忘れられず、オラトリオのプロポーズを拒んでいた。その彼女に『一生、思い出に縋って生きるのか』と訊いたのは他ならぬオラトリオだ。
過去を引きずる積りは無いと、オラトリオは姉に答えた。
俺にもオラクルにも未来がある__と。
ラヴェンダーが危惧したのは、オラトリオに新しい恋人が出来た時に、オラトリオがオラクルを邪魔に感じるのではないかという事だった。
それにまだ若く独身でフリーライターという職業のオラトリオがオラクルを養子にする事に、裁判所は中々許可を下さないだろうという懸念もあった。
ラヴェンダーの勧めもあって、オラトリオは養子縁組を前提としない里親としてオラクルを引き取った。期間は1年で、1年ごとに更新する事になっている。

だが、オラクルを手放す気は、オラトリオには無かった。
オラクルは今ではオラトリオに取って、亡くなった恋人の忘れ形見以上の存在だ。
一緒に暮らし始めて1年に満たないのに、ずっと一緒にいたように感じる。
オラクルのいない生活など考えられない位だ。
「…そろそろ寝る時間だぞ?」
オラトリオが言うと、オラクルは幾分か名残惜しそうにゲームをセーブした。
オラトリオの膝から降り、後片付けをする。
母親の躾のせいか、オラクルはこういうところがとてもきちんとしている。
「……なあ」
洗面所に向かおうとしたオラクルに、オラトリオは声を掛けた。
「ずっと…俺と一緒にいたいか?」
「うん!」
躊躇いも無く答えてから、オラクルは少し、不安そうな表情になった。
そして、オラトリオを見上げる。
「……オラトリオは…?」
「ああ。俺も、ずっとお前と一緒にいたい」
オラトリオが言うと、オラクルの表情が明るくなった。
そして、とても嬉しそうに微笑む。
その笑顔は、今は亡いひとを思い出させる。
オラトリオはソファから立ち、オラクルに歩み寄った。それから、癖のない髪を優しく撫でる。
「ずっと……一緒にいような」
「うん。ずっと、一緒に」
オラトリオはもう一度、オラクルの髪を撫で、それから手を離した。
そして、部屋を出てゆく小さな背中を見つめながら、この存在を護ろうと、改めて誓った。







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