監査は平穏に進んだ。要求した資料は得られたし、サーバーのログをチェックする許可も与えられた。研究員の殆どは友好的で、オラトリオが彼らの仕事の邪魔にならない限り、大抵の事に協力してくれた。 が、何も出なかった。 不審なアクセスログも、セキュリティホールも見つからなかった。密かにシステムに介入までしたが__それは不正侵入であり、許可された行いでは無いが__それでも何も見つけられなかった。 オラトリオは、軽い苛立ちを覚えた。華奢な身体を小刻みに震わせ、怯えていたオラクルの姿が思い出される。2日続いたクラッキングの後は何もない様だが、それでもオラクルの不安は消えていないだろう。 『分所?』 リンクを通じてのオラトリオの言葉に、オラクルはそう、聞き返した。 「ああ。この研究所には分所があって、LANで接続されてる。そっちは公式には<ORACLE>の利用機関じゃねえが、回線が繋がってるからな」 分所内のネットワークシステムにセキュリティホールがあれば、そこを突いて此処の研究所を経由し、<ORACLE>に侵入する事も可能だ。 「分所も監査したい。お前から申請を出してくれ」 『判った。お前は一旦、戻って来るんだろう?』 オラクルの問いに、オラトリオはすぐには応えなかった。 「…往復だけで丸2日、余計にかかるからな。こっちで待機してるぜ。分所はここから列車で2、3時間の距離だからな」 『じゃあ…暫く帰って来れないんだな』 オラトリオの耳の奥に直接、響く声は、何処か寂しげだった。 「…オラク__」 『申請は出したよ。承諾が出次第、連絡する』 オラクルの声は、いつもの調子に戻っていた。 「初っ端の監査から予定を引き伸ばしたりして、大丈夫かひよっ子は」 通信を切ると、隣で聞いていたコードが口を開いた。 「大丈夫…だと思うけど」 曖昧に、オラクルは言った。監査業務はマニュアル通りには行かない。それが組織ぐるみの不正侵入のような悪質なケースの場合、相手の嘘を見破らなくてはならない。意志と感情を持っているとはいえ所詮、人に造られたもの。それが人間の嘘を見破るなど、そう簡単に出来る事では無い。 そもそも人を疑う様には造られていないオラクルには、それは理解の範囲を超えていた。 「オラトリオの監査が長引いてしまったから、コードには悪いんだけど…」 「俺様は構わん。ひよっ子が戻るまで<ORACLE>を護ろう」 コードの言葉に、オラクルは微笑した。が、その表情が曇る。口を噤み、軽く眼を伏せた。 「…どうした。不安そうだな」 「この頃いつもずっとオラトリオがいてくれたから。オラトリオがいないと何だか…」 ここに俺様がいるのに__その言葉を、コードは口にしなかった。ただ、黙ってオラクルの横顔を見つめた。 監査の承認が降りるのをのんびり待っている積もりは、オラトリオには無かった。侵入者が研究所内の人間であれば勿論、外部の人間であっても、監査が入る事を知る可能性がある。となれば証拠の隠滅を図るだろう。それだけの時間的余裕を与える気など無い。 表向きは分所の監査承認が降りるまで待機するという名目で、オラトリオは研究所に留まった。研究員たちは自分の仕事に忙しく、オラトリオの存在を殆ど気にもかけなかった。 それを利用し、オラトリオは研究所のシステムに再び介入を試みた。そしてLAN経由で、分所のサーバーにアクセスする。明らかな不正侵入だ。が、構わなかった。<ORACLE>を護る為なら__オラクルを不安と恐怖から護る為なら__どんな事でもする積もりだ。 そう、どんな事でも。 侵入の痕跡を見つけたのは分所の調査を始めた翌日の事だった。分所のシステムにセキュリティ・ホールがあり、外部の何者かがそれを利用して侵入していたのだ。 オラトリオは痕跡を辿り、侵入者の端末をクラッシュさせた__マスター・ブートを破壊し、二度と使えない状態にまで。 分所の監査承認が降りると、オラトリオは何食わぬ顔で型通りの監査を済ませ、セキュリティ・ホールを指摘した。そして彼の指導で、即座にそれは修復された。 「これから戻る。そっちに着くのは明日の朝になるが」 言って、オラトリオは監査の経緯と結果を簡単にまとめたデータを流した。 『良かった…』 セキュリティ・ホールが塞がれたとの報告に、オラクルは安堵して言った。監査先のシステムに不正介入した事や、侵入者のハードを破壊した事を、オラトリオはオラクルに話す気は無かった。 「正式な報告書は戻ってから作るぜ」 『ああ…。初めての監査で疲れただろう?』 オラクルの労いの言葉がこそばゆい。不正侵入の事など知られたらそれどころでは無いのだろうが、それでも、オラトリオの口元には微笑が浮かんだ。 「そうでも無ぇさ。幸い、皆、協力的だったし__ま、細かい事は帰ってから話すわ」 『判った。待っているよ』 通信が切れても、オラトリオはすぐには動かなかった。それからアタッシュ・ケースを手に取り、ホームに向かった。 <ORACLE>に着くまで一昼夜かかる。戻ったら、オラトリオはオラクルに言う積もりの言葉があった。声に出さず、口の中でそっと呟いてみる。 その言葉に、オラクルがどう反応するかは判らない。微笑って応えてくれるかも知れないし、理解してくれないかも知れない。特別な意味を認めず聞き流すかも知れない。 それでも良かった__少なくとも、今は。 これから先、どうなるのか判らない。どうにもならないのかも知れない。それでも… ホームに列車が滑り込み、ドアが開いた。オラトリオは車両の一つに乗り込み、アタッシュ・ケースを棚に上げた。座席に腰を下ろし、窓の外を見る。ゆっくりと、列車が走り出す。 もう一度、オラトリオは呟いた。ただいま、オラクル…と。
コメント 1112のキリを踏まれた椎名さんに捧げる「オラクルへの想いを自覚するオラトリオ。自分の恋心に気づく瞬間」 設定的には「FirstReconciliation」の続編になります。なのでトリオは起動したばっかり。若造通り越してガキです; その上、無闇に長くなってしまいましたが…椎名さん、こんなんで赦してもらえますか? さてさて、トリオはクルに「お帰り」と言って貰えたのでしょうか?(笑) |