「連れて来たぞ」
低く、コードは言った。酷く無愛想な口調だ。
「ありがとう、コード」
「言っておくが」
コードの口調と表情の厳しさに、オラクルの微笑みが消える。
「こんな事をしても無意味だぞ?」
「__判ってる……」
視線を落とし、オラクルは言った。
「俺様たちは所詮、人間(ひと)に造られし者__人間(ひと)の決定には逆らえん」
「それも……判っている……」
白亜の殿堂で象徴される<ORACLE>__その広いホールで、空間統御者は、未来の守護者を迎えた。
「私は…オラクル」
穏やかに微笑んで、オラクルは言った。
その微笑の透明な美しさに、少年の頬が幽かに染まる。
「オラクル?それって、アッパーネットの情報空間<ORACLE>と何か関係あるのか?」
胸の高鳴りを鎮めようと、少年は率直に問うた。オラクルは頷き、改めて相手を見つめる。
鈍い金色の髪。
暁の色をした、意志の強そうな瞳__
少年の全てが、在りし日を思い出させる。
「ここがその<ORACLE>だよ。そして、私は<ORACLE>の管理者だ」
「ここが?」
驚いたように言って、少年は周囲を見回した。
広いホール。
高い丸天井(ドーム)。
そして、数多(あまた)の本棚に収められた無数の蔵書__
「……すげー」
少年の言葉に、オラクルは軽く微笑った。
「じゃあ此処が、俺の護るべき空間なんだな」
頭の後ろで腕を組んで、如何にも生意気な口調で少年は言った。
オラクルの微笑が、幽かに曇る。
「……君は、そういう風に言われて育ったんだね?」
「__そういう風にって……そうだけど?」
困惑したように、そして幾分か不安そうに、まだ”生まれていない”ロボット・プログラムは聞き返した。
「君は私を__<ORACLE>を__護る為に造られた……そうだね?」
「そうさ。だから俺はもっと大きくなって、もっと強くなる。どんな事があっても、<ORACLE>を護れるように」
どんな事があっても__
誇らしげな少年の言葉に、オラクルは胸の痛みを覚えた。
過ぎし日に、オラトリオもそう、言っていたから。
オラトリオが侵入者との戦いで停止してから、まだひと月しか経っていない。
人間の運営する<ORACLE>管理機構は、即座にオラトリオのバックアップから新しいプログラムを造り出した__<ORACLE>の維持の為には、それが必要だから。
音井信之介がオラトリオのボディに修復を施し、新しいプログラムは音井教授のサーバーで育てられた。
それを、コードは『拉致』して来たのだ。
「君は…どうしたいんだ?」
幾分か躊躇ってから、オラクルは少年に聞いた。こんな事をしても無意味どころか、却ってこの新しい守護プログラムを混乱させるだけかもしれない。
それでも、どうしても確かめておきたかった。
「どうしたい…って?」
「君は<ORACLE>を護る為に造られた。でも、それは君の意志で決めた事じゃない。だから……私は君の気持ちを聞きたいんだ」
どうしたい?__そう、オラクルは問うた。
君は、本当に<ORACLE>の守護者になりたいの…?
「…なりたいもなりたくないも、俺は<ORACLE>の守護者だろ?それが俺の仕事だし」
「とても危険で、辛い仕事だよ?」
言ったオラクルの声が幽かに震えた。
<ORACLE>を護る為に、危険に身を晒し続けていた最愛の者の姿が脳裏に浮かぶ。
お前は俺が護る__どんな事があっても必ず
いつも、オラトリオはそう言っていた。侵入者に対するオラクルの深く強いトラウマを癒し、不安を鎮めようとして。オラトリオのその言葉で、どれほど安堵できたことだろう……
そして、オラトリオはその誓いを守った__自らを犠牲にして。
「危険…なのか?」
少年の表情が、不安に曇る。そしてそれが、オラクルを不安にした。こんな事をしなければ良かったと後悔した。けれども、もう後戻りは出来ない。
「<ORACLE>を護る為に、君は侵入者の送り込むウイルスやキラー・プログラムと戦わなければならない。それはとても危険な事だし、君を護ってくれる者は誰もいない」
内心の不安を何とか抑え、静かにオラクルは言った。
まだ”生まれて”もいない幼いプログラムを不用意に怯えさせたくは無い。けれども、こんな過酷な運命を一方的に押し付けたくは無かった。
「誰も……俺を護ってくれない……?」
不安げに、少年は呟いた。
<ORACLE>を護る守護者として自分は造られた__その事を、疑問にも不安にも思った事は無かった。危険の事など何も考えていなかったのだ。
訓練では、何度かウイルスを灼いた事がある。が、それらは実際には無害で、彼に危害を加える恐れなど無かった。
実際の敵はこんなものでは無いと、訓練につきあったコードから繰り返し言い聞かされたが、実感は湧かなかった。もっと大きくなってもっと強くなれば、どんな敵でも倒せると思っていたから。
「もし…君が厭なら……」
少年の不安そうな姿に、オラクルは言った。が、すぐには言葉が続けられない。『侵入者』や『ウイルス』という言葉を口にするだけでも不安になるのだ。増してや、守護者を失うかも知れない言葉など、自分から言い出すのは恐ろしくさえある。
「……君の意志で、決めて良いんだよ?」
きつく指を握り締め、オラクルは言った。
幽かに、指が震える。
「<ORACLE>の守護者だなんて危険な仕事で無くても、もっと別なもの、君がなりたいと思うものになって構わないんだ。君は……自由になって良い」
それを人間たちが許すかどうかは判らない。けれども自分が強く反対すれば、決定の覆る可能性のある事を、オラクルは知っていた。充分に合理的な理由を提示すれば、彼らもそれを無視は出来ない。
答える代わりに、少年は改めて相手を見上げた。
透けるように白く、電脳の闇に溶け込んでしまいそうな膚。
頼りなげに移ろう雑色を帯びた髪と瞳。
このとても穏やかで優しそうな管理プログラムが不安を抱いているのは、幼い感情プログラムでも理解できた。
「…俺が守護者にならなかったら、<ORACLE>はどうなるんだ?」
「<ORACLE>(わたし)自身に備わる守護壁の機能を強化して__」
「それじゃ不十分なんだって、俺は聞いてるぜ?膨大なデータを管理するので精いっぱいなんだって」
少年の言葉に、オラクルは不安が募るのを覚えた。
守護壁だけでは不充分__それは判っている。判り過ぎる程に。
もしも守護壁が充分に機能するなら、何度も<ORACLE>を荒らされ、こんなにも深い恐怖を刻み込まれる事など無かっただろう。
目を伏せ、口を噤んでしまった相手に、少年は歩み寄った。
「だから俺が必要なんだろ?なのに、どうしてそんな事を言うんだ?俺がいなくても良いのか?」
誇りを傷つけられた気がして、きつい口調で少年は言った。危険だと聞かされ、自分が弱みをみせてしまったのも腹立たしい。
「私はただ__君を危険なめに遭わせたくなくて……」
「俺を…護ろうとしてくれてんのか?」
やや意外に思い、少年は聞き返した。辛そうに、オラクルが苦笑する。
「守護者になってしまったら、私には君を護ってあげる事は出来ない。私には…身を護る術も戦う術もないから」
それでオラクルがこんなに不安そうにしているのだと、少年は思った。消え入りそうに儚く見えるのも、そのせいかも知れない。
護りたい…と、少年は思った。
不安げに怯える姿ではなく、優しく微笑んでいるオラクルが見たかった。
その為なら、何でもする……と。
「そんな不安そうにすんなって」
手に触れられ、オラクルはやや驚いて少年を見た。
「お前は俺が護る__必ず護ってみせる」
晴れやかな笑顔と共に少年は言った__かつて、オラトリオが言ったように。
「…その為には、君自身が危険に晒されなければならないんだよ?」
「今は子供だけど、すぐにもっと大きくなる。もっと強くなって、絶対に護る」
オラクルの両手を握り締め、少年は言った。その白絹の感触が、愛しい者を思い出させる。
忘れる事などできないだろう__永遠に。
それでも、現実は受け入れなければならない。
「…信じているよ__オラトリオ」
オラクルの言葉に、少年は嬉しそうに、そして誇らしげに微笑んだ。
「そろそろ時間だぞ」
<ORACLE>の周縁領域に出ていたコードが、ホールに姿を現して言った。
オラクルと小さいオラトリオ、二人の様子に、僅かに抱いていた懸念が杞憂だったのだと安堵する。
「また、会えるよな?」
名残惜しそうにオラクルを見上げ、オラトリオは言った。
「君が大人に__完成したプログラムになった時にね」
「じゃ、約束」
小指を差し出され、意味が判らずにオラクルは小首を傾げた。
「指切りだよ。約束する時にやるんじゃないのか?」
「エレクトラめ。余計な事ばかり教えおって……」
ぼやくコードの姿に、オラクルは軽く苦笑した。そして、オラトリオの小指に自らのそれを絡める。
「早く大人になってお前を護りに来る」
「…楽しみに待っているよ」
「だから、俺の事、忘れんなよ?」
忘れなどしない
忘れられる訳が無い……
「__忘れたり…しないよ」
完成した暁には全ての記憶を初期化される幼いプログラムに、オラクルは静かに答えた。
櫻色の光と紫電の輝きが<ORACLE>から去って行くのを、オラクルはホールに佇んだまま見送った。
熱い滴が、蒼褪めた頬を濡らす。
オラトリオが侵入者との戦いで停止した時にも、涙など流さなかった。周囲の者が戸惑うほど冷静に、全てに対処した。
けれども__
「……オラトリオ……」
震える声で、最愛の者の名を呼ぶ。
こんなにも、お前が恋しい
こんなにも、お前が愛しい
どうして私を置いて逝ってしまった?
どうして私を独りにすることなど出来た?
どうして……
高位資格者からのアクセスを示す電子音に、オラクルは顔を上げた。
素早くCGを整える。
全ては、<ORACLE>を護り、維持する為。
その為に造られ、その為に戦い、その為に__
「ようこそ<ORACLE>へ」
穏やかに微笑んで、オラクルは言った。
その透明な微笑みには、僅かの曇りも見て取れなかった。
back
コメント
2444の裏キリを踏まれた綾園 理さんに捧げるリク小説です。
「プログラムのみの時のトリオとクルさん、初対面編」
初対面と言っても、トリオの方は後継機バージョンだったりします。
テーマは、最愛の者を喪った哀しみに耐え、現実を受け入れようとするクルさんの強さとちびトリオの生意気さ(笑)…ってとこでしょうか。
この話を読んでの感想などありましたら、こちらへどうぞ
|
|