「今日は、オラクル」
「やあ、クォータ。いらっしゃい」
言って微笑んだ<ORACLE>管理者に、訪問者は見事な薔薇の花束を差し出した。そして、その瑞々しい美しさに雑色の瞳が嬉しそうに輝くのを、密やかに、そして満足げに見遣った。
「いつもありがとう、クォータ」
「気に入って頂ければ良いのですが」
来訪者の控えめな言葉に、管理者は穏やかな微笑みで応えた。
「とても奇麗だよ。それに、この前、貰った花がしおれてしまったから、丁度良かった。」
無論、来訪者は、その頃合いを見計って来たのだが。
「お茶をいれるよ。今日はゆっくりして行けるんだろう?」
「ええ。ご迷惑で無ければ」

 電脳空間に潜入した守護者は、その光景を見るなり思いっきり、機嫌が悪くなった。クォータがそこにいると言うだけで、不機嫌になるには十分だ。その上、オラクルと二人で楽しそうにお茶していたり、クォータがちゃっかりオラクルの隣に座って今にも触れんばかりに接近しているのを見れば、機嫌の悪さも幾何級数倍だ。
「あ、お帰り、オラトリオ」
それでも、席を立って歩み寄ってくる愛しい恋人には、精いっぱいの笑顔を見せる。そして、細い腰に腕を回して優しく抱き寄せた。
「悪かったな、遅くなっちまって」
「良いよ、忙しかったんだろう?それに、話し相手もいたから」
言って、オラクルはクォータの方に視線を向けた。クォータは、オラクル専用の優しい微笑みでそれに応える。
――あの野郎、オラクルの前では猫かぶりやがって…
「今、お茶をいれるよ」
「その前に__」
更に相手を引き寄せ、白い頬に軽く手を当てると、クォータがいる前であるせいか、オラクルは恥ずかしげに頬を染めた。いつになっても変らぬその初々しさは、オラトリオの心をかきたてる。そして…
「何をしとる、貴様」
殺気と共に、喉元に冷たく光る刃を突きつけられたのを、オラトリオは感じた。
「…し、ししょ…」
「コード。又、勝手に入ってきて」
オラクルの抗議を無視して、コードはつかつかと、ソファに歩み寄った。そして先客に睨むような一瞥を投げると、気に入りの位置に、腰を据えた。
「玉露を貰おう。朝比奈が良い」
この空間の主に二の句を告げさせずに、コードは言った。オラクルは軽く肩を竦め、オラトリオに向き直った。
「お前は?何が良い?」
「お前がいれてくれるお茶だったら、何だって良いぜ」
「じゃあ、クォータと同じので良いかな」
そればっかりは、厭だ__言いたいのを、ぐっと堪えて頷く。オラクルは軽く微笑して、キッチンとして使っているコーナーに入って行った。

 ここで、クォータが何故、<ORACLE>にいるのか説明せねばなるまい。
 クエーサーがシリウスを暴走させて自爆した後、シグナルを始め、負傷(故障と言うべきか)したロボットたちはT・Aで修復された。事件を起こした張本人であるクォータも、修理される事になった。ロボットは与えられた命令を実行するだけ。ロボットに罪は無い__そんなにロボットを甘やかして良いのかという気もするが、都合上、今回はこの設定で話を進める。
 クォータはボディを修理されただけでなく、心理面での調整も受けた。クエーサーを製作者として尊重はするものの、無条件に命令に従うような偏りは取り除かれた。そして、他のHFRや人間に対する無闇な攻撃をしない様、協調性や温和さも植え付けられた。
 後は様子見という訳で、A−NUMBERS統括のカルマの指導など受けつつ、新しい役割を受け入れる準備を進めているという訳だ。

「貴様、<ORACLE>に何の用だ」
オラトリオが口を開く前に、言おうと思っていた台詞をコードが吐いた。
「<ORACLE>に用はありません。オラクルにお会いしに来ただけです」
にっこり微笑んで、躊躇いも無くクォータは言った。カルマの指導を受けているだけあって、営業スマイルが決まっている。無論、そんな物に誤魔化されるコードでは無いが。
 どうでも良いが、<ORACLE>とオラクルって、耳で聞いたら同じ発音では無いのか?どうやって識別しているのか、疑問だ。16進に変換すれば別になるから電脳空間ではそれで区別出来るのかも知れないが、現実空間では混乱しないのだろうか?
 閑話休題。
「私はかつてオラクルにご迷惑をかけてしまいました。その、せめてもの罪滅ぼしをさせて頂きたいと思いまして」
「そう、思うのなら二度とオラクルに近づくな」
コードが低く言い放った時、お茶を用意してオラクルが戻って来た。
「お前もお前だ、オラクル。何故、こやつを<ORACLE>に入らせる?」
「…クォータはもう、悪い事はしないよ」
幽かに眉を曇らせて、オラクルは言った。
「それに、カルマからもクォータの事をよろしくって頼まれてるし」
「カルマだと?」
そう、コードは、不機嫌そうに言った。


「そうなんすよ。カルマの奴、何を考えているんだか」
クォータの帰った後、オラトリオはコードの『家』に呼び出されていた。
「裏で糸を引いているのは正信か?」
「さあ…。何にしろ、ちょっとやな予感がするんすよね」
 オラトリオは<ORACLE>の守護者兼監査官として、多忙な日々を過ごしている。そのオラトリオの仕事を手伝うには同等の能力を持った者で無ければならない。そして、クォータはオラトリオのコピーだ。
「ふざけおって…。いくら調整を施したとは言え、奴は元クラッカーでは無いか。<ORACLE>に不正侵入した前科者を守護者のスペアにするなど言語道断だ」
 オラトリオの推測に、鼻息荒くコードは言った。可愛い弟の近くを前科者がうろつくのも赦せないが、コードは何よりクォータが嫌いだった。細雪が効かなかったというのは彼にはかなりのショックで、未だにプライドが傷ついているのだ。
「憶測だけでは埒が開かん。カルマに聞き糾してやる」
「俺も聞き出そうとしたんすけどね、機密だからって__」
オラトリオの言葉を無視して、コードは現実空間へと飛び立った。

「機密ですからね。理由はお話し出来ません」
コードに問い糾されたカルマは、美貌に営業スマイルを浮かべて穏やかに言った。
「俺様の可愛い弟の周囲に不正侵入者をうろつかせておいて、理由は秘密だなどと納得出来るか!」
「弟と言えば、クワイエットの事ですけど__」
「クワイエットなんぞ、どうでも良い。それより質問に答えろ」
カルマの言葉を遮って、コードは言った。
 人格プログラムをカシオペア博士が手がけたという点では、オラクル同様、クワイエットもコードの『弟』に当たる筈。国際プロジェクトから生まれたオラクルより、カシオペア・クエーサー姉弟合作であるクワイエットの方が、コードにはより近しいと言える。
 とは言っても、コードがクワイエット相手にブラコン精神を発揮するだろうとは、カルマも思っていない。
「貴様がどうしても口を割らんのなら正信、いやみのるに聞くまでだ」
「…そこまでおっしゃられては仕方ありませんねえ」
でもオラトリオには秘密にして下さいよと、カルマは念を押した。
「クォータを<ORACLE>に出入りさせているのは、オラトリオへのペナルティなんですよ」
「……ぺなるてぃ__だ?」
カルマは頷いた。
「今回の騒動で、あなたやシグナル君達は謹慎処分を受けましたよね?」
シグナルは修理される必要があったので、コードやパルスよりも遅れたが、T・Aから謹慎を命じられたのに変わりは無い。A−Q達も、暫くは行動制限を受けた。
 オラトリオは例外だった。
 オラトリオは<ORACLE>の守護者であると共に監査官でもある。謹慎などさせられては、監査の仕事は出来ない。A−NUMBERS封印の時、オラトリオは<ORACLE>内に行動制限されたが、そのせいもあって監査業務が滞ってしまった。これ以上、監査を滞らせる訳には行かない__
 オラクルにそう、訴えられ、T・Aとしてはオラトリオに謹慎命令を出す事は出来なかったのだ。
「それで、謹慎処分の代わりの処罰として、正信さんが考え付いたんです」
ですから、オラトリオには内緒ですよ?__再度、カルマは念を押した。
「……それは処罰と言うより」
コードは、(鳥さんながら)眉を顰めた。
「ただの嫌がらせじゃ無いのか…?」
コードの言葉に、カルマは黙ったまま苦笑した。


「てめえ、何で今日も来てやがるんだ?」
その日も、オラクルと楽しそうにお茶しているクォータに、不機嫌そうにオラトリオは文句を言った。カウンターやテーブルの上に見慣れない花が飾られているのも気に入らない。
「オラクルに差し上げたい物があったので、お持ちしただけですよ」
「お前もお前だ、オラクル。花なんぞ、俺が幾らでも造ってやるのに」
オラトリオの八つ当たりに、オラクルは困ったように眉を顰めた。その姿に、オラトリオは言った事を後悔した。
「あなたでは花の美しさを真に表現する事は出来ませんよ」
せせら笑うように、クォータが言った。
「あなたは花というものを育てた事がありますか?無いでしょう」
花に対する愛情が無ければ、その真の美しさを見出す事も出来ません__そう、クォータは付け加えた。
「俺にはオラクルに対する愛がある。オラクルの為を思って創り出すCGにゃ、花への愛情なんぞを越えるもんがあるんだ」
「おや、そうですか。その割にはたった今もオラクルにきつい言い方をして困らせたようですけれどね」
「……それはそもそも、てめえが__」
口論を始めた二人に、オラクルは軽く溜息を吐いた。
「…何をやっているんだ、ひよっ子どもは」
いつの間にか<ORACLE>に入り込んでいたコードが眉を顰める。
「オリジナルとコピーなのに、何であの二人はあんなに仲が悪いんだろうね」
「オリジナルとコピーだからだろう」
溜息交じりのオラクルの言葉に、あっさりとコードは言った。そして、これはオラトリオだけで無く、クォータに対するペナルティでもあるのでは無いかと、内心で思った。
「茶をいれてくれんか。お前に見せたい物があって、持参した」
「いつも有り難う、コード」
溺愛する弟の微笑に、コードは満足げに頷いた。果てしなく続きそうなオリジナルとコピーの口論は、無視する事にして。


 シグナル達の謹慎がせいぜい十日程度だった割に、オラトリオ(とクォータ)に対するペナルティが延々、続いたのは、『罪の大きさ』に比例しての事だと、後に正信は語ったとか語らなかったとか。





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