「ちわーっす。オラトリオ君でーす」
「邪魔するぞ」
一人はおちゃらけて、一人は尊大な態度で現れた来訪者に、オラクルは嬉しそうに微笑んだ。
「いらっしゃい。オラトリオ、コード」
「元気だったか、オラクル?」
気障ったらしく微笑み、相手に歩み寄ろうとしたオラトリオの行く手をすかさずコードが遮る。
「土産がある」
差し出されたのは圧縮されたデータ。
コードがその華奢な手を軽く振ると、圧縮データは青竹と寒椿の風雅な姿へと変わる。
「奇麗だね…いつも有り難う、コード」
「俺からもプレゼント」
コードの頭ごなしに、オラトリオは大きな花束を手渡した。
無論、真紅の薔薇だ。
「すごく奇麗……。ありがとう、オラトリオ」
うっとりと呟いたオラクルとオラトリオの間に陣取りながら、コードは面白くなさ気に後ろの大男を睨み付けた。
そうやってタラシで有名な伊達男から可愛い末っ子をガードしている積もりなのだが、いかんせん、身長が足りない。
「でな、オラク__」
オラトリオが話し掛けようとした時、軽い電子音が響いた。
軽やかに身を翻し、オラクルは空中にディスプレイを展開する。
『調子はどうだ、オラクル?』
「はい。とても良いです、Dr.」
ディスプレイの向こうの年老いた男に、オラクルは優しく微笑んで答えた。
「オラトリオとコードが遊びに来てくれて、お土産まで貰いました」
嬉しそうに付け加えたオラクルの言葉に、一瞬、クエーサーの表情が凍る。
「お茶をいれようと思うのですけど、Dr.も召し上がりますか?」
『__ああ…そうしてくれ』
作り笑いを浮かべて言ったクエーサーの姿に、オラトリオとコードは険悪なものを感じ取った。
が、オラクルはそれに気付かない。
「アール・グレイで宜しいですか?それともダージリン?サワー・クリームを添えたスコーンもありますけど?」
『…紅茶だけで良い__アール・グレイで』
3DCGのティーカップを見つめるクエーサー__その後ろ姿に、ホーンは背筋が寒くなるのを覚えた。
無垢で素直で愛らしいオラクルは、莫大な富と才能に恵まれながら、この世のすべてに興味をなくしていた男に"執着心"をもたらしたのだ。
それが良い事なのか悪い事なのかホーンには分からない。と言うより、それは自分が判断すべき事柄ではないと心得ている。
確実なのはただ、彼の尊敬するDr.クエーサーは、オラクルの為ならば何でもするという事だけ……
「このままには、しておけん」
オラクルとの通信を切ると、独り言のように、クエーサーは呟いた。
MIRAとSIRIUSのデータを手に入れる為、そしてオラクルを別な空間に慣れさせる為、クエーサーはオラクルを<ORACLE>に侵入させた。目的のデータは手に入った。が、その日から、<ORACLE>の守護者であるオラトリオと、彼のサポート役のコードがオラクルのもとを足繁く通うようになってしまったのだ。
ロボットである彼らに証言能力は無い。従って、<ORACLE>に対するハッキングの証人ともなり得ない。
だが、オラクルを勝手に連れ出した事を姉のマーガレットに知られ、問いただされたら、何と申し開きをすれば良いのか判らない。
けれども、構いはしなかった。
ただ一人の、彼の"天使"の為ならば……
問題なのは、オラトリオとコードの存在だ。
彼らはあれ以来、毎日オラクルの元に通い詰めている。オラクルがそれを歓迎しているので、クエーサーも邪険には扱えない。
だがしかし、オラトリオたちのオラクルへの執着は明らかで、クエーサーとしてはそれを放置してはおけない。
侵入者防止のセキュリティはオラクルが内部から解除してしまうので、無意味だ。それでクエーサーはオラクルに内緒でこっそり山ほどのトラップを周囲に張り巡らせたが、2人は難なくそれを突破してしまう。
「私は電脳空間に潜入(ダイブ)する」
厳かに、クエーサーは宣言した。
「ですが、Dr.。生身の人間が電脳空間に入り込むのは__」
危険だと言おうとした助手の言葉を、クエーサーは遮った。
「このまま放っておけばどうなると思う?私の可愛いオラクルがでくの棒のタラシの餌食になるか、すれっからしロボットプログラムの近親相○の犠牲になるか__いずれにしろ、私には耐え難い」
同意して、ホーンは頷いた。
「だから、私はその前に……」
クエーサーの言葉に、ホーンは背筋に怖気が走るのを覚えた。
確かに、あの無垢で純粋で素直なオラクルがオラトリオやコードの歯牙にかかるのは耐え難い。だがだからと言って、60過ぎたおやじ__と言うか、じじい__の良い様にされるのは、もっと不幸なのでわ……?
「ユーロパとアトランダムを呼べ」
「__はい、Dr.」
内心の思いをぐっと抑え、ホーンは上司の言葉に従った。
「カルマの"協力"が必要だ」
ユーロパとアトランダム(頭部のみ)が現れると、何の前置きも無くクエーサーは言った。
ユーロパはカシオペア博士に棄てられたと思い込まされ、アトランダムは人間への復讐心に燃え、すっかりクエーサーに丸め込まれ放題である。
「あの市長ロボット?どうしてですか?」
「全てはオラクル__と、アトランダム__にボディを与え、自由にしてやる為だ」
「判りました、Dr.」
クエーサーのいい加減な説明に、ユーロパは右手をぐっと握り締め、勢いよく答えた。
その左手でケーブルを鷲づかみにされているアトランダムは何も言わない。ケーブルを引っ張られる痛みで言葉も出ないのだが、それに気づくものはいない。
「あの市長のなりそこないロボットを拉致して来れば良いのですね?__でも…どうやって?」
「心配するな」
幽かにほくそえみ、クエーサーは椅子の上で足を組み替えた。
「その為に、彼に少し面白い機能を付けてやろう……」
ユーロパは、アトランダム(頭部のみ)を胸に抱きかかえると、感慨深げに囁いた。
「あなたならきっと大丈夫よ、アトランダム……」
良いようにパシリにされている気がしながら、アトランダム(頭部のみ)は同意の印に軽く瞼を閉じた。
途中、色々と紆余曲折はあったものの、ユーロパとアトランダム(頭部のみ)は無事、カルマの拉致に成功した。無論、アトランダム(頭部のみ)に新たに付加された機能を駆使し、カルマを意のままに操ってある。
「何なりと、ご指示を」
「空間誘導(ナビゲート)してくれ」
優雅に一礼したカルマに、やはり何の前置きも無く、クエーサーは言った。
「それは……Dr.(あなた)が電脳空間に降りられるという意味ですか?」
すぐに相手の意図を察し、カルマが言った。
軽く、クエーサーは頷く。
「ですが……それは危険を伴います。何より、生身の身体でネット・ダイブが出来る人間は極、限られて__」
「音井の若造に出来る事が、私には不可能だと言いたいのか?」
幾分か不機嫌そうに、クエーサーは相手の言葉を遮った。
傍らでそのやり取りを見守るホーンは、改めてDr.は変わった、と思った。以前には、執着心とも嫉妬とも功名心とも無縁な人だったのだ。
何事に対しても強い感情を抱かない人__それが今、無謀とも言える行動に出ようとしている。
ただ一個の、無垢なプログラムの為に。
「判りました」
相手の決意が堅いのを見て取り、カルマは言った。
「私に、出来うる限りのお手伝いはいたしましょう」
「__Dr.……?」
目の前に現れた相手に、オラクルは初め驚いたように、それでもすぐに嬉しそうな笑顔で言った。
「…私が判るのか、オラクル?」
そう言ったクエーサーの姿は、いつもの『妖怪爺』のそれでは無い。
彼が未だ20代だった頃の、スタイリッシュでクールな美青年のCGへと変換されている。
「勿論です。恩のある方を見まごうような事はありません」
「オラクル……」
オラクルの言葉に、クエーサーは心から感動した。
改めてオラクルを見つめる。
透けるように白くしなやかそうな肌。
ゆったりしたローブに包まれた華奢な身体。
少しはにかんだような、そして嬉しそうな笑顔__
全てが、夢の様に愛らしい。
「こうしてお会いできて嬉しいです。今日は、何か特別なご用でも?」
「ああ…。残念だが、余り時間が無い」
ちらりと、クエーサーは奥の部屋へと通じる扉に視線を走らせた。本来ならもっとゆっくり語り合いたいし、オラクルのいれたお茶を味わってもみたい。
だが残念ながら、彼に許された時間は余りに短い。
「奥へ行こう、オラクル。どうしても、お前に伝えておきたい事がある」
「はい、Dr.」
素直に答えたオラクルが妖怪爺__外見だけはクールな美青年__と共に扉の向こうへ消えるのを、ホーンは複雑な気持ちと共に、ディスプレイ越しに見遣った。
これは彼の尊敬するDr.の悲願でもあり、生身の人間と現実空間に実体を持たないプログラムとの、貴重な"接触"実験でもある。
が。
彼にはそれがどうしても、じじいの癖に10代の少年のように暴走している傍迷惑野郎の煩悩としか思えない。しかも犠牲者は、あの無垢で純真で清らかなオラクルなのだ。
羨ましい……
場違いな感情をぐっと抑え、ホーンは自分に課せられた仕事に専念した。
30分後。
「ふうっ……」
電脳空間から戻ったクエーサーは、ゴーグルを外すと深く溜息を吐いた。
無理も無い。ネット・ダイブは、生身の人間には酷く負荷がかかるのだ。
にも拘わらず__当然と言えば当然だが__クエーサーは満足そうな表情を浮かべていた。
「……Dr.?」
何とも表現しようのない感情と共に、ホーンは上司に呼びかけた。
『妖怪爺』は良い思いをしただろうが、オラクルが心配だ。
痛みに、泣いてはいないだろうか?
ショックの余り、取り乱してはいないだろうか……?
「素晴らしかった……」
傍らにカルマやホーンがいるのも無視するかのように、クエーサーは呟いた。
「あの白く滑らかな肌。華奢な指先。繊細な手__」
ぐっと、クエーサーは拳を握り締めた。
「オラクルの手を握ってしまった!もう一生、私は手を洗わんぞ!」
……は……?
「何の疑いもなく私とプライベート・ルームに入り、ベッドに並んで腰掛けた。そしてあの喩えようも無く奇麗な手を私に握らせてくれたのだ……!」
……で……?
聞きたい気持ちを、ホーンはぐっと抑えた。
アトランダム(頭部のみ)を唆してカルマを拉致し、危険を冒して電脳空間に入り込み__それだけだったんですか?
幾ら60過ぎのじじいでも、あんな無邪気で可愛い美人さんとベッドに並んで腰掛けて、挙げ句が手を握るだけって哀しすぎやしませんか……?
「……そこにいたか」
改めて助手の存在に気付くと、威厳を正し__今更、遅いって話もあるが__クエーサーは言った。
「これで実験の第一段階は終了だ」
「第一段階……」
鸚鵡返しに、ホーンは答えた。もの問いたげな助手に答えようとはせず、クエーサーは相手に背を向けた。
T・Aと<ORACLE>を巻き込んだ壮絶な戦い__その幕は、切って落とされたばかりだ。
Fin.
コメント
2600の裏キリを踏まれた綾園 理さんに捧げる「『オラクルのいる生活』の続き」です。
クエ×クルってTSのカップリング中でもマイナーおぶマイナーって感はありますが;
でも、私は好きなんです、意味も無く。
そんな訳で、少しでもお楽しみ頂けたら幸いです。
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